2012年1月22日

告別式 平成24年1月18日

告別式の朝が来た。
別れを告げる式。
そうか、そうなんだよなぁ、お別れなんだよな。

俺と従弟のヒロアキは、タケシ叔父を残していったん家に帰った。叔父と母から、
「あんたが孫代表で送る言葉を言いなさい」
と、ものすごく光栄な役割をもらった。
「弔辞!?」
「いや、送る言葉」
どう違うのか分からなかったが、とにかくじいちゃんに送る言葉だ。

そういえば、俺の予備校時代に、じいちゃんは足の手術を受けた。どういう病気でどういう手術だったのかはよく分からなかったが、じいちゃんに手紙を書いた、毎日、書いた。そうすると、じいちゃんから母づてに伝言が来た。
「手紙はもうよかけん、勉強せろ」
手紙を書くのは勉強からの現実逃避的な部分もあったから、喝を入れられた感じだった。

叔父の事務所に行って、パソコンに向かった。手書きにすべきかとも思ったが、時間がなかった。思い出は本当にたくさんある。でも、全部を書くわけにはいかない。

孫を代表して送る言葉という大役。それは、当然、俺の仕事だ、俺がやりたい、と思う自分がいた。
同時に、じいちゃんと同じ家で生活していた内孫である従弟妹たちや、じいちゃんと一緒に農業をする時間の長かった俺の弟に対する後ろめたさもあった。だって、俺は本当にただただ甘えて、甘やかされただけだから。
そんな俺が、みんなを代表して送る言葉なんて……。
じゃあお前は送る言葉を読みたくないのか、と聞かれたら、いや、絶対に俺がやりたい、と言うのだけれど。孫の中で、じいちゃんと最初に喋った初孫として、最後も俺に喋らせてくれ。みんな、ごめん。
そんな思いで、文面を練った。キーボードを打ちながら泣いた。誤字脱字がないか読み直しながら泣いた。心の中で、本番での予行演習をしながら泣いた。本番では、完璧に、スッキリ、ハッキリ読み上げよう。そう心に決めた。できあがったものは、結局、俺の個人的な想いを綴ったものになってしまった気がした。

告別式では、かなり予想外に俺の送る言葉の順番が早かった。まだ心の準備もできていないというのに……。しかし、呼ばれたからには仕方がない。

じいちゃんの前に立った。遺影を見上げたが、違う、じいちゃんはそっちじゃない。お棺に目をやった。深呼吸をした。
「おじいちゃん」
その最初の一言が出なかった。声をあげて泣き出しそうだった。もう一回、深呼吸した。俺の震える背中の後ろから、御住職が低くゆっくりと、
「なんまんだぶ、なんまんだぶ」
そう唱える声が聞こえた。
それで、少し落ち着けた。
おじいちゃんへ。

おじいちゃん、孫とひ孫を代表して手紙を書きました。今から読むので、聞いてください。

おじいちゃん、あっけなく逝ってしまったね。裏の畑の様子でも見に行くくらいの、そんなあっさりとした亡くなり方に、ただただ呆然とするばかりでした。主治医の先生から20時40分が臨終時刻ですと言われても実感がなくて、なんだかキリの良い時間だなぁとか、そんなことを思っていました。

でも、だんだんと現実が見えてきています。おじいちゃんと呼んでも、もう返事はないんだなぁと思うと、さびしくてさびしくてたまりません。

おじいちゃん、おいはおじいちゃんが本当に大好きやったよ。子どものころは一緒に布団に入って、おいが寝つくまで背中をかいてもらって、夜中はトイレに行くのが怖くて何回も起こしてついてきてもらったね。
そういう思い出が、とんでもなくいっぱいあるよ。でも長々と書いたら、おじいちゃんも聞き疲れするだろうから、あと一つだけ、思い出を書くね。
酔っぱらったおじいちゃんは誰彼かまわず「握手ばすぅで、握手ばすぅで」って言うけん、おいたちはおかしくて、笑って真似したりしてたよ。で、九大に合格したお祝いの時やったかな、おじいちゃんがおいに「握手ばすぅで」って言ってきてさ。目ば真っ赤にして、涙ぐんで。「じいちゃんは人生で二つのことだけを大事にしてきたとぞ。努力と、そいから正直。こいだけは守らんばぞ」って。同じ話を3回くらい繰り返しよったよ。あれから18年、正直は残念ながら時どき守れんこともあるけど、努力だけはおじいちゃんに言われたように人一倍してきたよ。一応、医者にもなったし。精神科医になるって言った時の、おじいちゃんのちょっとガッカリした顔も忘れられんけどね。

おじいちゃん、一個だけ、文句言っていい? なんであと一ヶ月、待てんやったね。おいだけのワガママやけど、あと一ヶ月、待ってほしかった。二月にはおいの子どもも生まれるとよって、何回も言っとったたいね。子どもをおじいちゃんに会わせられんかったのが、悔しくて、残念で、たまりません。

おじいちゃん、36年間、甘えるだけ甘えさせてくれて、ありがとう。でも、なんも返せんやったね。その代わりといっては変だけど、おいもおじいちゃんみたいに一生懸命に生きて、おじいちゃんみたいなおじいちゃんになるよ。
それまで、おいたち皆を見守っていてください。
何十年かして、おいがヨボヨボになってから、天国のおじいちゃんに会いに行くけん、そんときは、また握手して、それからいっぱい甘えさせてください。
それじゃ、またね。

平成24年1月18日  孫とひ孫を代表して  初孫 Y
途中、何度も泣きそうになって声が震えた。手が痺れ、足が震え、過呼吸かとさえ思った。でも緊張はしていなかった。あれが、哀しみの震えというものなのかもしれない。ものすごく言葉が詰まって、同じ場所を二度読んだ部分がある。それは、「初孫」という部分だ。

計画では、初孫と自分の名前はかなり元気に読み上げるつもりだった。しかし、実際にじいちゃんのお棺を前にして手紙の「初孫」という文字を見たとき、その言葉の持つありとあらゆるものが頭と心にこみ上げてきてしまった。じいちゃんにしてもらったいろいろなことが、一瞬にして爆発した。
子どもの俺が、膝をついたじいちゃんに体当たりをしていた。抱っこしてもらって、本を買ってもらって、たくさんのお祝い事をしてもらって、じいちゃんはいつも笑っていた、言葉はほとんどないけれど、いつも笑っていた。
また、御住職のなまんだぶが聞こえてきた。それで、改めて胸を張った。「初孫」のあと、手紙には俺のフルネームを書いていた。俺とじいちゃんは苗字が違う。だけど、今はじいちゃんの孫の一人として締めくくりたい。そう思った。だから、苗字は読まなかった。じいちゃんからずっと呼ばれてきた、俺の名前だけで送る言葉を終えた。ちなみに、じいちゃんから君やちゃんをつけて呼ばれた記憶はない。

話は少し未来に進むが、告別式のあと、この送る言葉について従弟妹らは、
「自分たちが思っていたことを言ってくれた」
そう評してくれて、それがまた嬉しいやら切ないやらで泣けた。しかし、ばあちゃんは、
「メ~ソメソして、半分くらいしか聞こえんかったぞ」
と手厳しく、それがまたばあちゃんらしくて泣けた。

次に、跡取り息子のヒロアキが、特別な弔電を代読した。これは祖父の甥にあたる(つまり俺の母の従弟)ケンジおじさんからのものだ。母の世代は、従兄弟・従姉妹が本当の兄弟姉妹のように仲が良い。呼び名も「あんちゃん」「ねえちゃん」といった感じだ。ケンジおじさんは、現在アメリカで牧師をしていて、告別式に参加できなかった。
叔父さん、アメリカ在住のケンジです。
再び会うことができなくなって、とてもとても残念に思っています。
告別式にも駆けつけることができなくて、申し訳ありません。

もう一度、叔父さんにお礼を言いたいです。
昔、母が結核療養をしているとき、叔父さんは、母に栄養をつけさせてあげようと、うなぎを取ってきて、食べさせてくれたそうですね。
そのうなぎの入った箱が、山田の家のそばを流れる小川にあったことが、私の心には、今もはっきり焼きついています。
叔父さんの優しいお気持ちに、もう一度お礼を申し上げます。

また、私が茨城の家を出て、私にアメリカに行く決心をさせたのも、実は、叔父さんの一言があったからでした。
叔父さんは、言いました。「ケンジ君、茨城の家は、シュンジ君に継がすっとが、一番よかばい」
私は涙を流しながら、そのことばを守りました。
今は、叔父さんの助言に心から深く感謝しています。
アメリカでも、叔父さんの子孫がしっかり根を張って、広がっていくことでしょう。

帰国したときには、アメリカの土産を持って、必ず墓前に出向きます。
安らかにお休みください。

ケンジ
アメリカ合衆国ノースキャロライナ州シャーロット
最後はまたタケシ叔父の出番。お通夜の時よりはさらに気丈に、しっかりとした挨拶だった。あの姿には、甥の俺も心から尊敬した。


お棺を閉じる時がきた。親戚みんなでお棺の中に花を入れた。足の先から顔が覆われるくらいに花で埋め尽くされた。
「じいちゃん、やぐらしかって言いよらすよ」
叔母がそう言ってみんなで笑って、声を出して泣いた。仮通夜からずっと気丈だった妹のイズミも、声をあげて泣いていた。俺はじいちゃんの頭を撫でた。仮通夜でも何回か撫でていたが、本当にこれが最後だから。俺がじいちゃんの冷たい頭を撫でていると、イズミが、
「触っていいの!?」
そう言ってじいちゃんの頭を撫でて、また声をあげて泣き出した。それを皮切りに、近しい人たちがみんなじいちゃんの頭を撫でた。その時には、俺はただただ、ばあちゃんが触るかどうかが気になっていた。このタイミング逃したら、ばあちゃん、もうじいちゃんに触れんのよ!!
結局、婆ちゃんが触れたかどうかは分からずじまいだ。

最後はお棺をまた男衆で持って霊柩車に乗せた。ここにきて、やっぱり俺は、じいちゃんを焼きたくなかった。こんなに未練たらたらだと、じいちゃんが困るだろうなとは思ったが……。クラクションを鳴らして、霊柩車は火葬場へと向かった。

2 件のコメント:

  1. 母の時も妻の時も弔辞をやらなかったことが悔やまれます。
    子供たちのために。
    どちらも孫(ひ孫)のうまれるのに間に合いませんでした。

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  2. Ciao Willwayさん
    昨年も、たくさんの大好きな人を亡くしたので
    それもあってか、泣けました

    Willwayさんを始め、素晴らしいご家族、親せきの方達 みんなじいちゃんの素晴らしさならではですね

    改めてじいちゃんの写真を見せてもらって
    改めてじいちゃんのお人柄、温かさ、優しさ、強さいろんなものが伝わってきました
    きっと向こうでも、お友達たくさん作って、人気者になられることと思います

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