2012年1月26日

家族の大切さ

夜道を一人で歩いてたら、お化けがいっぱい見えますけど、非常に強い人が端におってくれたら、ススキはススキに見える。その人があれはススキですよ、お月さんですよ、と言わなくても、ちゃんと見えてくる。それと一緒で、わかっている者が端についているというのは重要なことなんです。
じいちゃんが亡くなってから、寂しがり屋になった。もともと寂しいのは苦手だが、だからといって実家に帰省しようとまでは思わなかった。今はちょっと違う。寂しいから帰省しようかな、と思う。じいちゃんの法事に参加するために、という理由は確かにそうなんだけれど、それとはまた別に、俺の中で何かが少し変わったような気がする。その変化はうまく言えないけれど、ふと上に引用した河合隼雄の言葉を思い出した。

じいちゃんとは、上記引用でいうところの「端についているわかっている者」だったのだろう。怒られたこともないし、アドバイスのようなものを受けたこともないだけに、この引用がしっくりくる。道しるべとして「努力」と「正直」というのは与えてもらったけれど、それだけだ。ちなみに、褒めてもらった記憶もあまりない。ただ、俺が行くとすごくニコニコしていて、そんなじいちゃんを見ると、
「あぁ、俺がいるだけで嬉しいんだなぁ」
と、そう思えるから、俺たち孫は自分たちの存在について自信が持てたんだと思う。

そんなじいちゃんがいなくなったのだから、孫たちの動揺は推して知るべしというもので、まして初孫としての立場と特権を持っていた俺の心の置き所がなくなるもの当然だ。そりゃ寂しがり屋にもなるというものだ。

考えてみると、じいちゃんに限らず、家族というものは、お互いに「端についてくれている人」という感じなのかもしれない。

それにしても、人生というものは酷であると同時に、なんとも言えない妙味がある。じいちゃんがいなくなってから、じいちゃんの大切さに気づいたって手遅れなのに、そのかわりというか、他の家族に対する愛情、というとちょっと気恥ずかしいが、そういった気持ちが今までとは違った形で自分の中に芽生えた。

じいちゃんが、最後の最後に、背中で教えてくれたことだろう。

2 件のコメント:

  1. 味のあるおじいちゃんのお話を
    いちはさんがたくさん紹介してくれたから、
    おじいちゃんは
    いちはさんと読者のみんなの中にいますね。

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  2. いい家族をつくって、いいおとうちゃんになるといいですね
    ・・・まぁ先輩の場合は、
    アドバイスしまくりそうですがw
    それはそれでよし。

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返事が遅くてすいません。