2012年11月13日

子どもを叩く

今のところ、サクラを叩く自分を想像できない。叩いてでも躾けないといけないという状況があるかもしれないが、少なくとも今のところはその状況が思い浮かばない。しかし、これはあくまでも今現時点でのもので、希望的観測と楽観的すぎる構えであることは承知している。
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小学生の子を持つ友人が、かつて子どもに体罰を加えた時のことを語ってくれた。彼の怒りは、子どもの「他人のものでも持ってきてしまう癖」が、何度注意しても直らなかったところで発動した。そして彼は子どもの頭を叩いた、どころではない体罰を喰らわせた。玄関から外へ引っ張り出し、まさに張り倒しまくる勢いだったそうだ。子どもは当然泣いたし、彼も泣きながらの体罰だった。そんな彼だが、こうも言っていた。

「叩いた瞬間、スッとした。あれは快感だった」

この言葉を聞いて、俺は、
「なるほど、この人はきっと虐待する親にはならないだろうな」
と思った。子どもを叩くことに躾けだ教育だと言い訳をせず、率直に快感だったと認められる人が、虐待をするようには感じられなかったからだ。この印象はうまく言葉にできないが、分かる人も多いんじゃないだろうか。事実、彼は虐待親ではない。
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子どもを叩くことは必要なのか、あるいは良くないことなのか。叩かずに育てるのは無理なのか、いつかは叩くことを前提とすることが間違っているのか。子どもを叩くということに関しては、いろいろな人のいろいろな意見があって、とてもじゃないけれど何が正解かなんて分からない。

ただ今回こういうことを書いておこうと思ったのは、今の自分の気持ちを書いておくことで、将来の自分がもし叩いてしまった時の慰め、参考、軌道修正のきっかけなどになるかもしれないと思ったからだ。

<関連>
体罰は、愛のムチになりうるか
柔道と過剰体罰の思い出

2 件のコメント:

  1. 他所さまのブログ記事
    http://ameblo.jp/hebosugi/entry-10601396313.html
    を思い出しました。これをお書きのブロガー氏のように自己観察ができて、人の話から考え直すことができるならば、児童相談所の介入までは必要にならないでしょう。しかし、コメント2のケースはその後、婚姻が破綻して、ご長男は母上に付いていらしたようです。コメント1を書いたのは私です。我が家は基本的に家庭内パワーゲームは致しませんので、不安神経症風で働けないように見えていた父親の面子を息子の前で潰すようなことは誰もせず、私の兄も生前の父も何の苦情も言わず働けないのは今の自分には分かってあげられないけれど何か理由があるのだろうと大事にしてくれました。お蔭で「おとうさんは暇だから」とか「お母さんの給料で生活してるじゃん」とかパワーゲーム用の暴言は子どもの口から出たことさえありません。ありがたいことです。しかし、ほかのことで言ってはいけない一言が出たらレッドカード一発退場にしていたところレッドカードは間もなく要らなくなりました。

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    1. >あ*さん
      メンツを立てる、というのは大切ですよね。家庭でも職場でも。うちはまだ子どもが意味ある言葉を喋らないので、これからどういう口ゲンカなどやっていくのかちょっと不安と、楽しみもあります。

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