2013年6月27日

イジメの深刻化を防ぐために

ツイッター上でキチガイじみた人から非常にしつこく絡まれたことがある。その人の取り巻きのような人たちからも攻撃を受け、なるほどこれがイジメの構造か、と思ったものだ。皮肉なことに、そこで話題となっていたのはイジメ問題で、加害者の厳罰化や実名公表、家族に追い打ちをかけるようなことなどは慎重にすべきだという俺に対して、「イジメ加害者に情けは無用!」という人たちが徒党を組んで俺を攻撃するという、なかなかシャレのきいたイジメ構造を創りあげたのだった。

そのときに感じたのが、イジメ問題を考える時には加害者・被害者だけに注目するのではなく、もっと「傍観者」に目を向けても良いのではないか、ということ。傍観する人の心理をもっと研究して、どうしたら「傍観者」から「介入者」になれるのかを模索する方が、イジメの深刻化を防ぐのに有効だと思う。

「個人vs群れ」という状況に外部からうまく介入する方法をもっと模索するのだ。これは、ただ単に個人に味方をすれば良いという話でもない。例えばツイッターによる攻撃では、俺に味方をしてくれる人が現れたが、今度はその人たちも攻撃対象になり、結局は「個人vs群れ」の構造が複数できただけだった。現実のイジメも同様だろう。

攻撃を受ける個人がうまく群れを作ることができれば「群れvs群れ」になるわけだが、それも結局は強いほうが勝つという図式からは抜け出せていない。最終的には、負けた方がイジメられるのだ。その負けてイジメられるのが元・加害者かもしれず、それを「自業自得だ」と言う人たちには絶対にイジメをなくせない。

いや、そもそもイジメをなくそうとすること自体が無理なのかもしれない。養護学校に入学した脳性マヒ者が、最重度の障害者であったため、その学校の中でイジメにあったという。同級生は、こんなことを言っていた。
「僕らは普通校でいっぱいいじめられてきたから、いじめ返さな」
(参考:カニは横に歩く 自立障害者たちの半世紀
ここからも分かるように、少しでも優位なものが、少しでも弱いものを攻撃するのは、どこに行っても同じなのだ。かつてブルーハーツは歌の中で「弱い者たちが夕暮れ、さらに弱いものを叩く」と鋭く指摘した。

イジメはなくなるのが理想だが、それは他の多くの理想がそうであるように、幻想に近い。それよりは、イジメを深刻化させないための方法を考えるほうが良い。その一つが、傍観者が善き介入者になることであり、そのためにはどういう方法があるのかを研究していくべきなのだ。

2 件のコメント:

  1. 傍観者を介入させるには…テーマとしては難しいですね。
    自然の大きな流れの「弱肉強食」「数は力なり」
    その大きな流れに逆らう活動になるので
    介入者も「命を張る」ぐらいの意志と覚悟が必要に
    なってくるんじゃないでしょうか?

    イジメの対象者との関係性、
    「自分がこうむるであろう被害」の損得勘定の部分
    かなりハイリスク、ハイリターンですよね。

    そのハイリスクハイリターンに
    手を伸ばす事の出来る人というのは
    マイノリティ(少数派)側の人間かと。
    限りなく「イジメ対象者」に
    近い位置の人間とも思えます。

    傍観者は無関心というより
    「どうしたら自分はイジメられずに済むか。」
    という部分には深い関心は持っていると
    思います。
    矛盾しますがそこをどうにか
    逆手に活かす事が出来ると突破の糸口が
    見えてくるんじゃないかと個人的には
    思いました。

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    1. >ゆうさん
      そう、確かに傍観者が介入者になるのはハイリスク・ハイリターンなんですよねぇ。なんとかローリスク・ミドルリターンくらいにできないものか、そのためにはどんな方法があるのか。なかなかアイデアは出ませんし、出たとしても自分で実践するには学校は遠すぎる。職場のイジメはあるのかもしれませんが、今のところ見当たらないし……。
      自分は被害を受けないようにする、ということを煎じ詰めるうちに、イジメ軽減につながる何かが見えてくると良いんですけどねぇ……、うーん、難しいなぁ……。

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