2013年1月31日

サクラ、初めての発熱、そしてダウン

平成25年1月29日の朝は妙に早起きだった。それなりに機嫌は良かったけれど、ご飯を食べさせようとしてもプイッと横を向いて食べない。何の自己主張なんだよ、と思っていた。夜は何度も起きて泣いていた。1月30日の朝、リビングに連れて行ったところ、ほんの少しの間だけテレビを見て、あとはキツそうに横になってしまった。熱を計ると39℃。こんな姿を見たのは初めてだったので、とても心配になった。こんな日に限って、俺は一泊の出張診療。妻に病院行きを任せた。朝いちで受診して、インフルエンザ検査では一応陰性。座薬の解熱剤を処方してもらい、2月1日の時点で解熱していないようなら再診するようにと指示を受け帰宅。

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座薬を使った後、ちょっと元気が出てセンベイを食べている姿。

その後も心配で仕方がなかった。妻と連絡を取り合い、サクラの写真を送ってもらって、自分の焦りと不安を慰めた。去年の2月から開始した「親」という立場はとても楽しいけれど、いざ子どもが病気するとこんなにも不安や心配を感じるものなのか、とつくづく実感。俺を育ててくれた自分の親や親せきを大切にしようと心から思った。

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夜ごはんもあまり食べきれなかったようだが、ミカンだけは普段通りに入っていくとのこと。祖父が作り続けてきたミカン、今も祖母らが作っているミカン。ミカンを作って送ってくれる母や祖母、そしてミカン、本当にありがとう。写真は少し元気になってミカンを食べた後かな。ちなみに、この写真の顔は俺の母の若い頃に似ているように思う。

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今朝もやっぱり39℃の熱があった。座薬を使えば少し楽になって、ちょっとだけ活動するようだ。この写真はちょっとだけ元気になった時のもの。出張が終わって帰宅したのが13時半。その時点では布団で眠っていて、今15時。何度か様子を見に行って、ただただひたすら「ガンバレ」と思うばかり。このキツさを代われるものなら代わってあげたい。そんなことを思ったのも人生で初めてだ。

2013年1月30日

ツイートまとめ

野球やサッカーと同じように、医師の仕事も、プロのプレーというのはそのほとんどが地味なもの。決して目立たなくても、常に一定以上の質のものを提供するのが大事で、素人のまぐれ当たりなんかに凹んだり臆したりする必要はない。 
「自分でも精神科診療くらいできそう」と思うのは確かにそうかもしれない。しかし、「精神科医」になるには、まず医学部に合格し、卒業試験にパスし、国家試験を乗り越えないといけないし、もちろん身体疾患も勉強しないといけない。精神科医の診療には、目に見えないそれらの下地がある。
身近に見えることほどできそうに感じる。精神科の実際の現場を知らない人が、外科は無理だけど精神科ならできそうと思うのは自然なことだ。それは「小説は書けないけれど、エッセイなら」というのと似ている。大切なのは、そのエッセイが商品となるかどうか。精神科医の真似事なら誰だってできるのだ。
俺はプライベートと仕事での雰囲気がだいぶ違うと思う。もっと言うならネットもかなり違う。私生活では、診察室ほど厚人情ではなく、ネットほど攻撃的でもないので、的外れな精神科批判や偏見、どうでも良い相談などがあっても、鼻で笑ってあまり相手にしない。
精神科医が、悩みを聞いてアドバイスをするんだったらどれほど楽か!! そんなの誰でもできる。アドバイスしたいのを堪え、相手の気づきを待ち、最後に患者が自分と同じ結論に達した時に「自分もずっとそう思ってました」などと言わずに、ただただそれを評価する。これは結構むずかしい。

羽田空港にて 2013.1.20

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戦争広告代理店

ドキュメント 戦争広告代理店
実に衝撃的な内容、そして面白い。Amazon評価も高いし、これは一度読んでおいても損はないと思う。世界中のあらゆる戦争・紛争に関して、見る目が少し変わること請け合い。日本も領土問題で中国・韓国と揉めているが、世界に自分たちの正当性をアピールする気概や手法において圧倒的に負けている気がするので、政治家や官僚には是非ともこういう本を読んで諸外国がどうやっているのかを知って欲しい。

2013年1月29日

ちょっとしたマスコミ論、視聴者論

酒呑みながら、だらだらテレビみていてふと気づいた。一頃に比べて、外国人から見た日本の「ここがダメ」「これがおかしい」という番組が極端に減った。かわりに、「日本のここがイイ」を推し出す内容が増えてきた。尖閣や竹島問題からも分かるように、つまりこれが日本の右傾化なのだ、なんて言わないけれど、ほんの10年前には『ここがヘンだよ日本人』みたいに、外国人がよってたかって日本を悪しざまにいう番組が流行っていたのだから、テレビも変わったものだ。

本もラジオもテレビも映画も、あらゆる表現媒体にそれぞれの「意図」があり、真の意味での「客観的」なものなど皆無だ。客観的そうな「アンケート結果」ですら、質問者、解析者、発表者の意図に左右される。そのことは意識しすぎなくらいに意識したほうが良い。もし、「我こそは客観的である」というジャーナリストがいたら、そしてもしそいつが本心からそれを信じきっているのだとしたら、それほど怖いジャーナリストはいない。独善的、という言葉はそういう連中のためにある。

東日本大震災の発生からしばらく、テレビは右に倣えである種の映画やドラマを放送自粛した。あれと同じようなことが、今も実はもっと小さなレベルでひっそり行なわれている。バラエティ番組が日本非難から日本礼讃に変わったのも、あまりにも地味なので皆が気づかないか、気づいてもそれを取沙汰しないだけだ。

大衆がマスコミに洗脳されているのだろうか、それとも、マスコミが大衆に迎合しているのだろうか。これは、きっと両方だ。尖閣・竹島問題、イジメ自殺、尼崎連続殺人、政権交代、体罰自殺……。話題は次から次へとかわり、視聴者は自分の主観的な怒りを客観的な装いで代弁してくれるような、目や耳に心地良い番組を選ぶ。マスコミは視聴率・販売部数を伸ばすために、視聴者の好みそうな題材を次から次へと探し出しては使い捨て、主義主張なく視聴者好みに調理する。こうして大衆とマスコミは、洗脳と迎合の螺旋階段を上へ下へと大騒ぎする。それはまるで、リーダーがいないまま本能的に右往左往する小鳥や小魚の群れのようだ。

基本的に視聴者でしかありえない我々はどうするべきなのか。これは至って簡単な話で、ただひたすら「意識する」、これだけ。テレビでやっていること、週刊誌や新聞で書いていること、それらはすべて、製作者・執筆者、テレビ局・出版社が何らかの「意図」のもとで創っているというのを意識する。たったこれだけとはいえ、今までのように漫然と見て、波に乗って憤慨して、流れに従って批判することと比べると、確かに少し面倒くさい。

ちょっと意識するだけで、この世の中は必ず変わる、わけがない。意識することで変わるのは、世の中ではなく、自分自身なのだ。

上野動物園でのサクラ

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この日はわりと暖かかったとはいえ、それは動物園内を歩き回る大人の感覚。美術館に行く予定だったサクラの服装だと寒いかもしれない。ということで、俺の上着を着せて、妻の靴下をはかせることで防寒。この時、俺はいつものコートの下に半袖Tシャツ一枚で、それでも寒くないくらいに良い天気だった。

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よし、これで寒くない!!

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誘拐ラプソディー

誘拐ラプソディー

まだるっこしかったのでザックリ斜め読み。うーん、Amazon評価の高さがいまいち納得いかない。これがそんなに面白いのだろうか……。荻原浩の中で、これは面白いですよとお勧めできるのは今のところ4冊だけ。

噂 (新潮文庫)
これは帯にあるように、ラストの一行で鳥肌。怖かった。

押入れのちよ (新潮文庫)
短編集で、粒ぞろいの秀作。

ある一本の木が千年の間に見聞きした(?)怖かったり切なかったりする出来事たち。

認知症をテーマにした作品。重くならず、さりとて軽くもない、絶妙のバランスで描かれている。

2013年1月28日

お薬手帳は何のためにあるか

日経メディカルにて、『「お薬手帳」の耐えられない軽さ』というタイトルのエッセイが公開された。その中の一節、
待合室に「お薬手帳をお持ちの方は医師に見せてください」との掲示があるのに、診察室で医師にお薬手帳を渡しても、せいぜいちらっと見るだけ。
これを読んで、この人はなにか勘違いをしているみたいだと思ったので、お薬手帳を医師が見るときのポイントをここで書いておきたい。

今から処方しようとする薬に関して、

1.同じものをすでに内服していないか。
2.同じではないが効果が重なって害をなしそうなものはないか。
3.併用禁忌の薬を飲んでいないか。
4.患者の既存疾患に禁忌ではないか。

1は誰でも分かる話なので説明は不要だろう。
2は、例えば睡眠薬が良い例で、同じ薬ではないものの、種類をたくさん飲むことで高齢者などは転倒のリスクが非常に高くなってしまう。すでに何か似たような薬を飲んでいないかをチェックするのは大切。
3は、薬の飲み合わせの話。併用禁忌の薬というのは、薬全体からするとかなり少なくはあるが、それでも必ずチェックが必要。
4は、現在の患者の内服薬を見れば、患者に糖尿病や高血圧その他の病気があることが分かるので、そういう病気の人には使えないような薬を処方の選択肢から外す。

この4つを把握するだけなら、チラッと見るだけで十分に可能だ。

逆に、お薬手帳を持っていない患者の場合はどうか。患者や家族が現在の内服薬をすべて把握していれば問題ないが、そういう人は100人に1人もいない。そこで、処方を受けた病院を聞きだし、電話番号を調べ、処方内容をFAXしてもらう。これは非常に時間と手間とコストがかかる。多忙な診療の合間にこんなことまでしていたら、患者にとっても待ち時間がさらに延びるし、双方にとってまったく良いことがない。実際に、お薬手帳も持って来ず内服薬も覚えていない患者は多いので、うちの診療ではひたすら無駄なことに時間と手間をかけている。

お薬手帳を眺め続けても、それ以上の情報が増えるわけではないし、必要な情報を把握したら、あとは目の前の患者に集中したほうがよっぽど良い。それをチラ見だと批難されても、こちらとしては戸惑うばかり。お薬手帳はチラ見でも十分に価値のあるものなんだけどなぁ。

<関連>
皆さん、薬の名前に無頓着すぎる
薬局・薬剤師向け媒体である日経ドラッグインフォメーション(DI)の編集に携わっているため、医師や薬剤師に取材する機会が多いのだが、取材で聞く話と、自分が患者として医療機関や薬局に行ったときの体験に大きなギャップがあることは、記者なら多かれ少なかれ経験しているものだ。しかし、「お薬手帳」の扱いの軽さはひどすぎないか。

取材では「患者さんは自分が飲んでいる薬の名前を覚えていないことが多いので、診察のときは見せてもらうようにしています」とか、「お薬手帳で同じ薬が他からも処方されていることが分かって、患者さんに感謝されました」なんて話を、しょっちゅう聞く。取材先の医療機関や薬局には、お薬手帳のメリットを説明するポスターがたいてい貼ってある。だから、さぞ現場では活用されているのだろう、と思っていた。

ところがいざ自分が患者となって、お薬手帳を持ってみたら、がくぜんとすることばかり。待合室に「お薬手帳をお持ちの方は医師に見せてください」との掲示があるのに、診察室で医師にお薬手帳を渡しても、せいぜいちらっと見るだけ。仕方がないから「別の病院でもらっているA薬が、先月からB薬に変更になりました」なんて口頭で説明する。お薬手帳に書いてあることなのに。

薬局はもっとひどい。処方箋と一緒にお薬手帳を渡しているのに、投薬のときに「ほかに飲んでいるお薬はありませんか」と来る。お薬手帳、見てないの? 「別の病院でもらっているA薬が、先月からB薬に変更になったのですが、今日の薬との飲み合わせは大丈夫でしょうか」と聞くと、「お調べします」。やっぱり見てない! なのに今日の薬のシールは既に貼ってある。手帳を開いてシールは貼るのに、中は見ないのか。

もちろん、こんな病院や薬局ばかりではないことは承知している。しかし、患者として、自分の薬の情報が記された手帳がこんなに軽く扱われることを体験すると、非常にがっかりしてしまうのだ。

この状況を変えるために、ぜひ医療者の皆さんにやっていただきたいのが、「自分のお薬手帳を持つ」ことだ。

意外に思われるかもしれないが、取材で「ところで、先生はお薬手帳をお持ちですか?」と聞くと、薬剤師でも大半は持っていない。「特に持病がないので……」とおっしゃるケースが最も多いのだが、持病がなくても、頭痛薬や胃薬、目薬などのOTC薬、あるいはサプリメントは使っているのではないか。そうした、医療用医薬品以外のくすりの情報も含めて、手帳で一元管理してみてはどうだろうか。

私自身、薬局で買った薬やサプリのレシートをお薬手帳に貼っているが、これが存外役立つ。頭痛薬の購入間隔が狭まっていることで「飲み過ぎ!」と気づく、なんてメリットがある。ついさっきも、今使っている目薬が5カ月前に買ったものであることに気づかされ、軽いショックを受けたところだ(買い換えなくては……)。

処方薬の情報も、もちろん役に立つ。慢性疾患の、定期的に飲んでいる薬の情報だけでなく、急性の病気で医療機関にかかったときの記録がけっこう参考になる。いつ病気にかかったかは、案外覚えていないものだからだ。

例えば私の場合、ひどいかぜで声が出なくなり、耳鼻科にかかったのは去年のことだと思っていたが、お薬手帳で確認したらおととしの6月のことだった。四十肩で整形外科を受診したのは夏だと記憶していたけれど、実際は5月だった。自分の記憶のあいまいさにため息をつきつつも、持っててよかったお薬手帳、と思える瞬間だ。

そうして1年、2年と記録を続けるうちに、お薬手帳がとても大切なものに変わってくる。医師に、薬剤師に、くすりに助けられて生きていることの証なのだ、ぞんざいには扱えないではないか。

この記事を読んで、一人でも多くの医療者の皆さんが「お薬手帳を持ってみよう」と思ってくれることを願っている。
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/eye/201301/528654_2.html

上野の森美術館でツタンカーメン展!! → 上野動物園

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平成25年1月20日、ツタンカーメン展の最終日。

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朝の10時にのこのこ出向くと、すでに長蛇の列。整理券を手に入れても、12時半にしか入れないと言われ、飛行機の時間に間に合わないため断念。

妻はかなり楽しみにしていたようで、ショゲかえった妻をなだめ、上野動物園に行くことにした。
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オヤジ、何してんだ?

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スポンジに水を含ませて、

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タラタラと垂らしながら、

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動物の絵を描いていた。

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キリン?

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とにかくパンダ推し。

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妻が置き物と勘違いした象。

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飼育員と戯れる象。

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正面。

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ゴリラおやじ、哀愁の背中。

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ミニゴリラ。

今回、単焦点50mmを付けていったので、動物に迫った写真はほとんどない。動物園に行くなら中望遠かズームレンズを持っておくべきだなぁと感じた。ま、予定外だったから仕方がない。

この日はまずまずの好天に恵まれたが、日陰はやっぱり寒かった。この日のサクラの様子は次回で。

コスモスの影にはいつも誰かが隠れている

コスモスの影にはいつも誰かが隠れている
面白かった! 藤原新也が描く、小説ともノンフィクションとも言えない雰囲気をもった短編集。決して派手ではないけれど、じわっとしみこんでくるような話ばかり。Amazon評価も高い。これはお勧め。

印象に残ったフレーズを一つ。
自分の手相ばかり気にしている人って不幸になるんだよって。自分のことばかり考える人というのはそのぶんだけ心配を抱え込むということだから。
だから手相ばかり観てもらうような自分から卒業しなきゃあね。
そして自分のことより人のことを考えなさい。
生きる勇気が湧くからって。
子供を産んではじめてあの言葉の意味がわかりました。

<関連>
渋谷
黄泉の犬  メメント・モリ

2013年1月27日

昨日で11ヶ月!!

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昨日でサクラは11ヶ月となった。あっという間、て感じでもないが、それでも振り返ると早かった。最近は離乳食もモリモリ食べて、ウンチもモリモリ。ウンチする時に動きが止まって、「ウーン、ウーン」と唸ったり顔をしかめたりする姿がまたなんとも可愛い。

言葉を出すことも増えてきたし、テレビを指差しながら「アッ」とか「オッ」とか言う。

俺の両手を取ってパチンと叩き合わせるのが好きで、それから俺の無精ひげを触ったりつねったりするのが楽しいみたいでケラケラ笑う(こちらはかなり痛い)。

ごはん時に「おいしい?」と問いかけたり、「サクラはお利口さん?」と聞いたりすると、「ウン」と頷くことがある。理解しているのかどうか分からないが、タイミングの良さに妻と二人で笑い転げる。

「いただきます」はなかなか成功しないが、「ごちそうさま」と言うと手を合わせるのはかなりの確率(と言っても、50%もないかな……)でできるようになってきた。

そして、あと一ヶ月で、とうとう1歳になる!!

ツイートまとめ

精神科医の仕事は、患者の心の松葉杖になることではない。松葉杖の使い方を教えることでもない。松葉杖を作ることでもない。では何か。一緒に歩き、ともに杖に使えそうな木を探し、手ごろなものが見つかればそっと見守る。「それを杖にしろ」とは決して言わない。もの凄く地味なものだ。
「先生の髪の毛が薄いのはなぜですか?」 「抜けた毛で患者さんの心の隙間を埋めてるんだよ」 「患者さんをハゲましているってことですね」 「う……、うん」 
他院から患者が紹介されてきた場合、前医の診断をまず疑ってかかるのは癖みたいなもので、これは多分ほとんどの医師が身に覚えのあることじゃないだろうか。
兄弟姉妹というのは面白いもので、自然と趣味や好みが違ってきて、仕事の中身も全く異なれば共通の話題もなくなるのだが、それぞれに子どもができると、教育番組や育児方針などをネタに遠慮なく盛り上がれる。弟と妹を生んでくれた母に感謝である。
俺に「偽医者だ」と攻撃してくる人たちの面白いところは、ブログやプロフィールを拾い読みして、あそこが変だ、ここもおかしいと突っ込みながらも、時には「医者の風上にもおけない」「こんな医者にみてもらう患者が不幸だ」と、スタンスがぶれまくるところだ。いろいろ不安定すぎる。

ディズニー・シー 風景編

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がっくりドナルド。

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白黒だと妙にマヌケに見える。

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我らが日本。

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たそがれ時のミッキー。

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夕陽が創りだす陰影って大好き。

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空が暗くなると、ミッキーはまた別の表情を。


今回の旅は、「物がなくて片付いている妹の家を見学して来い」という母の勧めがあったのが理由の一つ。それから、来年度はいわゆる「一人医長」になる可能性が高く、おそらく夏休み期間を除いて一日たりとも島から出られない(まさに島流し、幽閉である)ので、最後に東京を見納めておこうという目的もあった。やはり東京は人も物も建物も多くて、良いような悪いような……。妹の家は片付いていたので、目標にして鋭意片付け中。