2015年1月8日

言葉にすることで記憶がゆがむことがある

あなたが犯罪の現場を目撃したとする。

ケース1
事件の数日後、あなたは警察に呼ばれ、マジックミラーの向こうにいる数人の男性の中から容疑者を選ぶように言われる。

ケース2
あなたは事件直後に警察から容疑者の特徴を尋ねられ、記憶を頼りに言葉で説明する。それから数日後、ケース1と同様に数人の候補者の中から容疑者を選ぶ。

上記2つのケースを比べると、容疑者の特徴を言葉で説明したケース2のほうが、しなかったケース1の場合より誤答が多いそうだ。特徴を敢えて言語化することで、記憶が誤った方向に書き換えられることがあるらしい。

これは、精神科外来が終わった後の初診サマリや入院カルテにも似たようなことが言えるのかもしれない。

とはいえ、他の医師やスタッフと情報を共有しないわけにはいかない。だから大切なのは、こういう「言葉によって患者の情報を伝え合うことのリスク」を、発信側・受信側の双方が意識しておくことだろう。

6 件のコメント:

  1. 言葉にすると認知が歪むってよく分かります。ブログに日々の事を記事にしても、たまに感じます。

    感覚で捉えている事を文章にした時に、言葉に出来ない感覚を文字にするもんだから「あれ?何か違うな…。」と思いながらも文章にしなきゃと文に起こして。後から見直して、目に入る文字の方が何だか正しい気がして…。

    感覚で捉えてる事と、文字などで具体的に捉える感じ…とまた違いますよね。感覚を人に伝えるって難しいですね。

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    1. >ゆうさん
      ブログにすると、というの、すごく分かる気がします。
      書きながら、こうじゃない、そうじゃない、違うんだよなぁ、なんて思うことありますもん。いかに自分の思ったとおりに書けたとしても、読んだ人がそのとおりに受け取ってくれるかはまた別問題になってくるし……。
      そして、後日に読み直すと、それはそれでまとまっていてちゃんとしている、というところがまた怖いですね。

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    2. ああ、もうまさにそうですね!
      何度か書き直したブログよりも、一発目で何も考えずに書いたブログを時間が経って読み直すと伝えたい事が素直に伝えられてて、案外まとまってたりして。

      何回か書き直してると、あれ?結局何を書きたかったんだっけ?の迷宮に入ります。
      その何度か書き直しをしている過程で認知が歪むんですかね~?記憶を確認しようとする回数を増やせば増やすほど、自分の中で反比例して鮮明から遠く曖昧になる感じです。

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    3. >ゆうさん
      自分が書く文章とも、ある意味、「出会い」ですよね。
      書いてみて気づくこと、逆に分からなくなること、いろいろありますが、やっぱり俺は書くことが好き、という変な結論に(笑)

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  2. 結局、自分で説明したことを固辞するあまり、自分の記憶をねじまけてしまう可能性があるということでしょうね。
    自分が一度言ったことでも、誤っていると思ったときに、いかに訂正できるかどうかにかかってくるかということですね。普通の人は、初めに行った自分の主張をなかなか訂正できないと思います。

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    1. >正木泰輔さん
      完璧な正解なんてない、くらいのスタンスのほうが自説にとらわれずに済むような気がしています。
      自説に固持することなく、柔軟に考えたいです。自戒を込めて。

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