2015年2月13日

精神科診察における電子カルテの欠点、あるいはリスクのようなもの

言語化することで記憶の改ざんが起こる可能性があることを以前に書いた(言葉にすることで記憶がゆがむことがある)。それを読み返しながら、これは電子カルテの欠点、あるいはリスクの話に通じるのではないかと感じた。

電子カルテは、カルテの書き直し(※改ざんではない)が容易である。患者の話を聞いてパソコンに打ちこんだ後に見直して、誤字や脱字に気づけばすぐに訂正できる。時には前後の脈絡のなさや言葉遣いのぎこちなさ、全体のまとまりの悪さなどが気になるが、そういう時も書き直したり前後の文を入れ替えたりすることが簡単にできる。その結果、臨場感は極端に薄まり、非常に読みやすくまとまってはいるが、現場で交わされた会話とは違った記録ができあがる。

脈絡のなさ、言葉のぎこちなさ、まとまりの悪さをそのままに残しておけば、診察の時点では見落とされても、後の医師が読み直して、例えば話の飛び方の著しさから躁状態を疑ったり、まとまりの悪さに統合失調症の萌芽を見出したりするかもしれない。あるいは、診察医が問診していくときの思考の流れを追いかけたり、その医師の問診の進め方から何かを学んだり逆に呆れたり、そういうこともできるだろう。

「生の記録を残すなんてことは当然であり、改めて強調する必要などない」
と言われそうだが、電子カルテの整然とした文字列と生記録の雑然とした感じは、どうにも据わりが悪く手直ししたくなってしまう。このあたりの感覚、分かってくださる先生は多いんじゃないだろうか。

そういう意味で、精神科の電子カルテでは、あまり文章にこだわりのない人の書いたもののほうが、後の医師が読んで価値あるカルテになるのではなかろうか。

現在の俺は、生記録はそのままに残し、最後に書くサマリにこだわりを持つようにしている。そんなことは当然と言えば当然のことではあるが、文章にこだわりのある医師(精神科医は他科に比べて長文書類を書く仕事が多く、文章に気をつける人が多い)の場合にはこういうこともあるのですよという話。

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