2015年4月23日

精神科医の観察は時に探偵のごとくあらねばならない 『シャーロック・ホームズの冒険』‏

ある日、母に連れられて診察室を訪れた新患の若い男性。母が記入した問診票には「様子が変」としか書かれていない。

パッと見た目は全体的にルーズというか、だらしがない。かなり明るめの茶髪はぼさぼさ、服のボタンは中途半端にとめられて、その上からところどころ薄汚れた黒いベストを着ている。ズボンはよれよれ、ブーツもくたくたで紐の結びかたが粗雑。さらに細かく見れば、髪は根本から数センチが黒くなっている。ベストは有名なブランドロゴが小さく入った若者向け。シャツも洒落た感じだ。ズボンもわりと形の良いカーゴパンツ。ブーツも雑誌に載っていそうな流行ものだ。

こうしたことから、本来はオシャレなのに、この2-3ヶ月はオシャレに手が回っていないのだろうと思えた。また机に両肘をついてかったるそうにするなど、態度もぞんざいであった。

本人への問診を終えて、母だけを診察室に残し、
「息子さん、本当はオシャレなんじゃないですか?」
母に問うと、
「そうなんです」
と頷いた。
「でも、この2-3ヶ月はオシャレにも無関心なんじゃないですか?」
「そうそう、そうなんですよ!」
「もしかして、普段はもっと礼儀正しい?」
「えぇ、こんなんじゃないです」

毎回こんなに観察がうまくいくわけではないし、「黙って座ればピタリと当たる」みたいな魔術めいたことは、患者に対して「お見通しだぞ」といった恐怖や不安を与えるのでしないほうが良いとも言われている。

彼の診断は、おそらく2-3ヶ月前に発症した統合失調症。薬を処方した2週後の外来では、根元まで染まった茶髪をきちっとセットし、若者らしいファッションをバリっと着こんだ青年がやってきた。これで一件落着、ではなく、ここはまだ「医療-彼・家族-病気」の三角関係で進んでいくデコボコ道の出発点である。

ところで、精神科医が観察対象とするのは会話の内容だけでない。患者の言葉遣い、語調、喋っている時と黙っている時それぞれの表情、仕草、服装、におい、本人が喋る時の付き添い家族の様子、それから患者と接した時の自分自身の心の動き(これが意外に重要)といったことまでを、診察室に呼び入れる時から、場合によっては診察室で待っている間(座って待てずに立ってウロウロするなど)もみている。精神科医が何をみているか知らない人からすると、ちょっと驚きではなかろうか。

「きみはあの娘について、ぼくの目には見えなかったことをずいぶんと読みとったようだね」
「きみに見えなかったんじゃなくて、注意が足りなかったんだよ、ワトスン。どこを見るべきかを知らないから、大事なところをみな見落としてしまうんだ」

ホームズの作者アーサー・コナン・ドイルは実は医師であった。だからだろう、ホームズの言葉には医師としても役に立つ凄い教訓がこめられている。この歳になって初めて読むホームズだが、これからこの全集を少しずつ集めて読み進めていこうと思う。

翻訳は他にもいろいろなものがあり、他の訳は読んだことがないので分からないが、本書は日本語に違和感がなく充分に楽しめた。ホームズ初心者にお勧めというネット評を読んで買ったのだが正解だったと思う。

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