2015年7月1日

精神科医は病棟で患者に殴られてはいけない‏

ある夕方、入院中の男性が興奮したため、主治医のY先生、俺、師長で対応することになった。看護師(ほとんど女性)の意見としては、これから夜にかけて人手も少なくなるので隔離(個室に鍵をかける)して欲しいというものだった。その判断は主治医のY先生に任せることにした。

男性とY先生はウロウロと歩きまわりながら30分近く話し合った。といっても男性は聞く耳を持たず、Y先生には終始攻撃的であった。最終的にY先生が出した結論は、このまま様子をみる。俺が主治医なら早い段階(恐らく最初の10分程度)で隔離していたが、その理由は後で述べる。病棟スタッフも俺も、Y先生の主治医としての判断に従った。

翌日、Y先生がこんなことを言っていた。
「あの時、僕を殴ってくれていれば隔離した。殴ってくれないかなと待っていた」
Y先生とは1期しか違わないので普段はあまり治療に口出しをしないのだが、この時は大切なことをどうしても伝えなければいけないと思った。

精神科医として、患者に殴られるかもしれないと覚悟する心意気は素晴らしい。

しかし。

「殴られてはいけないよ。先生が殴られたら、それを見たスタッフはどう思うだろうね? それで隔離できたとしても、スタッフは彼のことが怖くなる。近寄りがたくなる。男性スタッフが多い病院なら、そのやり方もありかもしれないけれど、ここは女性スタッフばかりだから。男性医師にさえ殴りかかるような人となると、女性スタッフからしたら怖くて、今後のケアが安心してできなくなるよ」

たとえ殴られはしなくても、医師が激しく怒鳴られている光景というのも、女性スタッフが長いこと見ると少々怯むものがあるだろう。「俺が主治医なら早い段階で隔離していた」と書いた理由がこれだ。とはいえ、Y先生にも考えがある。
「あの時点で隔離していたら、今後の治療関係が難しくなるかもしれないと思った」
これは確かに一理ある。ただし実際には、殴られた後の治療関係のほうがよほど難しい。殴られた者にとっても、患者にとっても。それから周りの人たちにとっても。

この男性、その後は興奮することなく一夜を過ごし、翌日も落ち着いていた。ということは、Y先生の「隔離しない」という判断のほうが正解で、「俺だったら隔離する」という判断は間違いだったのだろうか。いや、そんなことはない。

精神科では完璧な「正解」というのは少なく、たいていは皆で頭をひねって最善、次善、より良い選択を暗中模索する。例えば隔離すべき患者の状態について法的には明記されているが、現実には病棟の状況(男性スタッフの数や時間帯、保護室の空き数など)によって大きく違う。だからこそ医師の治療観と同時に、病棟観、コミュニケーション力も問われる。これが病棟治療の醍醐味であり、基本的に1対1で完結する外来治療とは違うところである。

4 件のコメント:

  1. いちはさま


    先生方が思っている以上に、わたしたち患者は「見て・感じて」います。

    主治医の考え方・自分への向き合い方・さらにはその人となり… など
    心の目で、感性で、いつも見ています。


    色々な考え方・それぞれの立場・たいへんな労働環境・複雑な事情を抱える中で
    今日もわたしたち患者と懸命に向き合ってくださっている先生方に、頭が下がる思いです。

    たくさんの先生方へ、いちは様へ、ずっと診てくださったわたしの主治医へ、
    この場をかりて 感謝の気持ちをお伝えさせていただきます。

    ありがとうございます。











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    1. >果穂さん
      ありがとうございます。
      確かに患者さんは見ていますね。このやり取りの時にも、周囲の患者さんたちはスーッといなくなるか、逆にそーっと近づいてくるかでした。
      どう見えるかを意識して立ち居振る舞うあたりは、役者と同じだと常々思っています。

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  2. 主治医の先生も大変だったでしょうね(スタッフからの信頼、患者さんとの治療関係、いちはさんとの関係など・・・)。結果的に、患者さんが殴らずに感情コントロールできたことが隔離不要という主治医の決断の決め手になったのでしょう。殴ってきたら、コントロールできないという判断のもと隔離にされたんでしょうが。

    何が正解かっていうのは、ないと思いますし、結果論で何が良かったかなんてのもないとおもいます(結果論で言ってたら、医療はギャンブルと同じになってしまう・・・)。結果が良くても悪くても、その場で考えられるBetterな方法をとるというのが医療だと思います・・・

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    1. >匿名2015年7月2日 22:16さん
      正解のないところでも、医師が結論を出さないといけない、というのが医療ですね。
      不確定の部分が非常に多いからこそ、考えに入れるべき事柄は無限にあるといった感じになります。

      後日譚として、
      「あの人はあんだけ先生に食ってかかったのに隔離されないで、なんで俺が……」
      という苦情を言う人も現れ、なかなか難しいもんだと思いました。

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