2015年7月30日

我が家に仔ネコがやって来た‏

その仔ネコが我が家に来ることになったのは、金曜日の夜だった。

断乳中の次女ユウを寝かしつけるのが俺の役目で、毎晩、抱っこひもにユウを入れて夜道を散歩する。いつもは家に残る長女サクラが、その夜は一緒に行くと言ってついて来た。

抱っこしたユウの体温をお腹に感じ、サクラの小さな手を俺の左手に包みこみ、それぞれに語りかけながら歩いていると、サクラのよく響く声の隙間を縫うようにして仔ネコの鳴き声が聞こえた。道路の反対側からのようだ。
「サクラ、静かにしてみて。ネコが鳴いてるよ」
「えー? ネコー」
「静かにって(笑)」

二人で耳を澄ますのと、仔ネコの影が道路を横切るのと、軽自動車のライトが迫るのとがまったく同時だった。それから、ゴグッという嫌な音がして、俺は足が動かなくなり、脳裏にはネコの無残な映像が浮かんだ。立ち止まった俺たちの横を、普通車や大型トラックが通り過ぎていく。その轟音に恐怖を覚え、思わずサクラの手を強く握った。サクラが、
「ネコは?」
と言って歩こうとする。
「ダメ、動かないで!」
ゴグッという不吉な音からサクラを守らなければいけない、なぜかそんな気持ちになり、思わず口調が強くなる。

しばらくすると、道路の上の小さな影が少しずつ動き出した。車は来ていない。その影はとうとう俺たちの10メートル先にたどり着いた。
生きている! でも……。
懐中電灯の明かりを向けながら、恐る恐る近づくと、そこには凄く小さな仔ネコが横たわっていた。体をプルプルと震わせ、もの凄くキツそうだが、血は出ていない。どこをひかれたのか観察すると、片方の後ろ足を強く踏まれているようだった。だがとにかく息はしている。

家に帰って妻を呼ぶかどうか迷った。妻の性格からして、連れて帰るとか、動物病院に連れて行くとか、そういうことを言うだろうと分かっていたからだ。その後は飼うことになるのだろうか? 障害のあるネコを? 屋内で? そんな厄介なことを引き受けられるだろうか……。なんだかんだと頭を悩ませながらも、足は家に向いていた。

改めて4人で見に行った。それから妻は家に引き返し、手袋をして、威嚇する仔ネコを抱いて段ボールに乗せた。俺はほとんど喋らなかった。何か話すのが怖かった。こんな仔ネコは連れて帰らない方が良いと思う俺と、妻と協力して何かをなすべきだと考える俺とがせめぎ合って、さらにあのゴグッという音が脳裏にこびりついていて、ただ黙っていることしかできなかった。

サクラは「コネコしゃん、コネコしゃん」と無邪気にはしゃいでいた。仔ネコは水を少し飲んだ。その日、仔ネコは玄関に寝せた。夜は仔ネコの夢を見た。どういう内容だったかは覚えていない。

翌朝、仔ネコは段ボールを抜け出して、玄関の隅の隙間に入り込んで寝ていた。どうやら前足は大丈夫で、体をそれだけ動かす体力もあるようだ。ここまで来たら、最後まで面倒を見ないといけないかもしれない。そんな思いで動物病院に電話をかけ、土曜日も診療しているか確認した。それから家族4人と仔ネコ1匹で動物病院に向かった。

レントゲンを3枚撮った結果は思いがけないもので、後ろ足の片方は大腿部で骨折しているが、その他に大きな損傷はないとのことだった。また骨折も仔ネコなので治りは早く、大きな障害は残らないかもしれないらしい。瞳孔も左右対称で、眼底出血もない。
「内臓はどうですか?」
妻が尋ねた。
「レントゲンだけでは分かりませんが……」
獣医は慎重にそう言って俺を見た。それで俺は「あの……」と切り出した。
「昨夜から吐血はしていません。下痢はしていましたが、血便ではなかったです。水もミルクも飲みました」
自分自身を励ますような、妻を慰めるような、獣医に助け船を出すような、そんな気持ちでそう言うと、優しい目をした獣医は、
「うん、それなら大丈夫かもしれませんね」
と声を明るくした。

診療代7020円なり。
どうやら生後2ヶ月程度のメス。
添え木をして、可愛い包帯を巻かれた仔ネコ。
ようこそ我が家へ。
ビーグル犬の太郎との相性が気になりつつ、新たな家族の一員のために俺は、「屋内で飼うとなると……」など生活設計の修正を始めた。妻もトイレ用の砂を買いに行かなければいけないと張り切っていた。

仔ネコの看病はリビングですることになった。玄関は西日がさして暑いのだ。段ボールから洗濯カゴへ引っ越しすることになった仔ネコは、時々鳴いたり動いたりしていた。最初はサクラも洗濯カゴを触ったり揺らしたりしていたが、
「ネコちゃん、ケガしているから痛いって。なるべくそっとしてあげて」
と何度か伝えると、その後はカゴの近くに横になって頬杖をつきながら、
「コネコしゃん、コネコしゃん」
と言っていた。そんなサクラの優しさが愛らしく、また誇らしくもあった。

俺と妻とで名前をどうするか話し合った。交通事故から生還したのだからと、「幸運」をいろいろな外国語でどう言うか調べてみたが、あまりピンとくるのがない。「出会い」「運命」といったものも調べたが良いのがみつからない。とうとう、
「太郎がいるから、花子にするか」
という意見まで出たが、友人の飼っている犬がハナちゃんなので却下。なかなか決まらず保留となった。
「おいお前、しばらくは名無しのゴンベだな。キツイだろうけど、がんばれよ」
そう声をかけると、目が合った。

午後になり、妻は出かける準備をする前に仔ネコを覗き込んでいた。
「どう?」
「寝てる」
それから妻がシャワーを浴び始め、しばらくしてから俺も仔ネコの様子を確認した。
仔ネコは息をしていなかった。
死んでいた。
俺はため息を一つつき、風呂場へ行き、淡々と事実だけを告げた。妻はしばらく呆然とし、「さっきまでは息していたのに……」と呟き、「心マは!?」と顔を上げ、首を振る俺を見て、それから、泣いた。まだ死の意味を分からないサクラの「コネコしゃん、コネコしゃん」という陽気な声が切なかった。

交通事故から保護して17時間。ようこそ我が家へという気持ちになって4時間。仔ネコは、名無しのゴンベのまま、あっという間に我が家を通り過ぎて逝ってしまった。

保護されなければ、道路脇で暗い中うずくまり、初夏の太陽に照らされ、喉の渇きを感じたまま死ぬ運命だったと考えると、我が家に来たことは決して悪いことではなかったはずだ。妻と二人でそう話し合いながら、気持ちの整理をつけた。

「なぁ、またネコ、我が家に来てくれるかな?」
「来てくれると良いね」
「わざわざ探して飼うもんじゃないと思うんだよなぁ」
「うん」
「今回みたいなさ……」
「そうだね」
うまく言葉にできないが、縁というか、運命というか、いつかそういうものがキッカケで、犬派の俺もネコを飼うことになるのかな、そんなことを考えた。

さようなら、名無しのゴンベ。

夜の散歩で、君が横たわっていた場所を通るたび、
「コネコしゃん、いるかなー?」
サクラはそう言って、懐中電灯で君のことを探しているんだよ。

さようなら、コネコしゃん。

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4 件のコメント:

  1. 人も動物もロウソクの火を消すように命が消える瞬間がありますね。コネコちゃんも「問題ないでしょう!大丈夫!」と、最初のケガが命まで取られるものではないかと思いきや…。何だか切ないお話ですね。

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    1. >やまさんさん
      言われてみて、ふと祖父の亡くなった時のことを思い出しました。
      そういえばあの時も、あれよあれよと心拍が下がり……、医師も看護師も驚きの去り方でした。
      ああいう最期は素敵だなと我が祖父ながら思った記憶がよみがえりました。

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  2. Ciao いちはさん
    涙、、、
    なんか切ないです
    いちはさんちに、また家族が増えると思って読み進めていたら、、
    あーあー、、、助かってさくらちゃんと一緒に大きくなって欲しかったなあ

    実は今日 偶然 庭の水撒きしながら、私が救えなかった鳥のこと考えていました
    巣から落ちたらしく、庭で見つけて 工夫してご飯とかあげてたけど、二日目に ちょっと外出して帰ってきたら事切れていました
    いまだにもっと何か出来なかっただろうか? と救えなかった自分を悔やみます
    庭の片隅に埋めて上げて お水をあげるたびに 申し訳なかったと思うのです
    だから わたしは 絶対医者にはなれないだろうなあと そう考えていたところのこのお話

    切ないけど 最後にいちはさんたちの愛情に触れて嬉しかったと思います

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    1. >淳子さん
      怪我した動物と出会う人、というのは、もしかしたらそういう星のもとに生まれてくるのかもしれませんね。子どもの時に、やはり交通事故で死にかけた狸を、弟が小屋に連れ帰って水をあげていたことを思い出しました。あの時、俺は弟に心ない言葉を投げつけたなぁと反省しきりです。

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返事が遅くてすいません。