2015年8月5日

学び、トライし、エラーし、フィードバックし、アレンジし、また学ぶ。こうして自分なりの診療ができあがる

隔離や抑制の法的指針や学会などのガイドラインは見たことがあるものの、「○日までに薬を飲まなければ抑制する」という脅迫的提案などの実践的なことや、その時の心構えといったものは読んだことがない。前回書いた俺の考えや方法は、ほとんどが指導医Y先生や他の先輩医師から教わったり盗んだりしたものだ。本としては精神科医・計見一雄のものに急場の具体的な話があり、数年前に読んだことが熟成して今の診療に活きているように思う(『急場のリアリティ―救急精神科の精神病理と精神療法』)。

若い精神科医が諸先輩の著した本を読んだり、後ろ姿を見たりして、
「よし明日からやってみよう」
と思い立ってマネしてもうまくいくことはほとんどないし、漫然と待って熟成するというものでもない。学び、患者に対して恐る恐る小出しにトライし、エラーからフィードバックし、自分の個性に合わせてアレンジし、そこにまた別の本から学んだことを追加し、トライしフィードバックしアレンジし、この積み重ねを続けるうちに、何年かして、
「あっ、なんだか身についている! 大御所とはちょっと違うけれど、これが自分なりにしっくりくるやり方だ!」
となる。そういうことを最近感じる。

ある精神科の先生が若手時代、計見先生のセンターで実習された時に、計見先生がこんなことを仰っていたそうだ。
「君らは何かといえば様子を見ましょうと言う。そうじゃない、介入しなきゃ、介入を!」
計見先生の著書では戦争、特に戦術の話がたくさん出てくる。その中でこんな話が書かれていた。

昔の海戦では、一発目の大砲は当てることを目的とはしていない。一発目がどれくらい的から逸れたかで二発目、三発目を軌道修正する。そのために一発目がある。だから、まず一発目を早く撃たないといけない。一発目から正確に当てようとして慎重に狙いを定めていると、その間に撃沈されてしまう。

計見先生が「介入しなきゃ、介入を!」というのは、まさに「一発目を撃て!」ということだろう。




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