2015年1月30日

イジけたサクラ & 寝ないユウ

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帰宅すると、サクラがイジけていた。
泣くのでもなく、グズるのでもなく、口をへの字にして、じっと一点を見つめて、
「どうしたの?」
と聞いても、目を合わせようとしない。妻が、
「イジけてるみたいよ」
と言う。なるほど、確かにイジけている。

理由はともかくとして、そういう態度をとれるようになったことにまた一つの成長を感じて、ちょっとだけ嬉しかった。


みんなで布団に入って寝ようとすると、ユウがとにかくハイテンションになった。
泣くのでもなく、グズるのでもなく、目をランランと輝かせて、あちこちを見つめて、
「フギャー!!」
「フォーーッ!!」
「ヒャッハー!!」
など叫んでいる。俺が、
「我が家にエアロスミスがいるな」
そう言うと、妻が爆笑して、それを聞いたサクラもテンションが上がってしまい、収拾がつかなくなってしまった。


なんだかんだで、我が家は平和です。

2015年1月29日

医師の暴言と、「先生には失礼ですが」という口癖

ある患者家族と話していて、その人が何度となく、
「先生には失礼ですが……」
と言って話し始めるので、そのたびに身構えるのだが、出てくる質問や言葉は別に失礼でもなんでもなかった。とはいえ、そうやって何度も身構えるうちに、だんだんと気持ちが守りの姿勢になってきて、そのうち厳しいことを何か言われるんじゃないかと不安になってしまった。

本人は気づいていないと思うが、このような相手を防衛的にさせる口癖というのは、自らを不利にしてしまうんじゃなかろうか。

このことについて、
「その人は、過去に医師から手ひどく叱られたことがあるのではないか?」
という推察をした人がいた。そして、自分を守るための事前防衛としてそういう口癖ができあがったのかもしれないというのだ。それが正解かどうかは分からないけれど、自衛のための口癖によって相手が防衛的になってしまうというのは皮肉なものだ。

ところで、医師が暴言を吐いたというニュースと動画がある。
医師がブラジル人患者家族に「クソ、死ね」?
正直、こうやって動画を撮られて晒されたことは、同じ医師として同情してしまう。時間外の受診で緊急性がないと判断したのに紹介状を書くように求められたら、さすがにムッとする気持ちも分かる。でもそこは抑えて、もっと上手いやり方があることも確かだ。

ただまぁ、ぶっちゃけ、こういう態度をとりそうな医師がいることも確かである。医師だって全員が慈愛にあふれているわけではないし、使命感と優しさが比例するわけでもない。

「クレイマー製造機みたいな医師、あなたの知り合いにいませんか?」

この質問を医師にしたら、8割くらいの人がYESと答えるんじゃないだろうか。そして、この質問を看護師や事務員にしたら、きっとほぼ10割がYESと断言するだろう。



以下、蛇足ではあるが、問題の医師らの発言や態度はともかくとして、彼らの診断力についての名誉のためにどうしても書いておきたい。このニュースには、
 ブラジル人少女はその後、静岡県内の別の病院で診療を受け、3週間入院したという。事実関係ははっきりしないが、少女は、強いウイルスに感染して内出血しており、手当が遅ければ命の危険もあったとこの病院から説明を受けたとしている。
と書かれている。良識ある医師の頭の中には「後医は名医」という言葉がある。後からみるほうが症状も検査結果もはっきりしてくるし、前にみた医師の診察や治療の結果を参考にできるので、より正確な診断や治療にたどり着きやすいということだ。ただし、自分が前医の場合、このことを言い訳に使ってはいけない。そして自分が後医だったなら、この言葉を決して忘れず謙虚であらねばならない。

ボーン・コレクター


映画の『ボーン・コレクター』がいまいち面白くなかった記憶があって、少々敬遠していたのだが、原作はけっこう面白かった。映画と違うのは、主人公が恐らく白人のハンサム男性だということ。ただ、読みながらキアヌ・リーブスがブラッド・ピットで脳内再生しようとしても、どうしてもデンゼル・ワシントンになってしまう……。

著者のジェフリー・ディーバーは元弁護士というだけあって犯罪や犯罪捜査に関してすごく詳しく描かれているが、それ以外にもかなり博識だということが感じられる。また人間の苦悩というものもうまく描かれているように感じた。ドンデン返しも良かったし、ラストも秀逸。

思わずブックオフで続編のうち高評価のものを数冊購入。

2015年1月28日

過去を聞くことの効用

認知症の高齢者を診察室に連れてきた家族が、
「何回も同じことを言うんです」
とウンザリしたように訴えることは多い。だが、その繰り返される内容がどんなものなのかを尋ねても、
「いやー、そう聞かれても、パッとは思いつかないけど……」
そう言って苦笑されることが少なくない。家族にしてみれば患者から何度も同じ話を「聞かされている」のかもしれないが、何回聞いても覚えないような聞き方をされて、はたして患者としては「聞いてもらった」という感覚はあるのだろうか。

うつ病、認知症、それからターミナル・ケアにも通じることだが、「話を聞いてもらうこと」は、それだけで大きな慰めになる。そして特に認知症や終末期の患者にとって、「過去を語る」ことには強い癒しの効果がある。

高齢者を病院に連れてきた家族が、患者本人の生活歴を詳しく知らないということは珍しくない。どこの小中学校を卒業したか、高校や大学はどこだったかということにとどまらず、職歴、結婚・離婚・死別時の年齢なども明確でないことが多い。

認知症の人がいる家族としては、何度も同じことを言われて嫌気がさすならば、違うことを話したくなる話題をふってみるのも一つの手である。「老いた人の過去」をこちらから積極的に聞き出すのだ。
「小学校の時にはどんなことをして遊んだの?」
「あそこの高校に行った理由は?」
「なんでお父さん(お母さん)と結婚しようと思ったの?」
「仕事で大変な時にはどうやって乗り切ったの?」
その人の伝記を書くくらいのつもりで聞いてみれば、質問が尽きることはない。また、気に入ったエピソードは何度も繰り返し尋ねて良い。もしかしたら聞くたびに細部が変化するかもしれないが、そこにツッコミを入れるのは野暮である。

「過去を尋ねられ」「過去を語る」ということは、患者にとって癒しになるだけではない。歳老いた父母や祖父母の知られざる過去、悲喜こもごもの思い出を聞くことは、家族にも何かしら良い影響があるはずだ。

2015年1月27日

心にナイフをしのばせて


1969年、高校一年生の男子が同級生に殺され、さらに首を切り落とされるという事件があった。その事件から28年たった1997年、いわゆる酒鬼薔薇事件が起きる。本書はその酒鬼薔薇事件をきっかけにして、28年前の事件の遺族、特に被害者の妹を中心に取材したものをまとめたものである。主に妹の一人称で描かれる事件後の生活は、生々しい苦悩に満ちたもので、読む者の胸が苦しくなるほどであった。

その一方、加害者Aはどうしていたのか。30年近く、謝罪の手紙も電話もよこさなかったAの経歴を筆者が追っていくと、少年院を出た後に有名私立大学を2つ卒業し、なんと弁護士になっていた。Aの現在を知らされた被害者の母とAとが、事件後初めて電話で会話する場面があるのだが、なんとも胸くその悪い展開で思わず手足が冷えてしまった。

読後感は決して良くない。しかし、一読の価値はある。

少年法に違和感をおぼえる人と、少年法を守るべきだと考える人、両方にお勧めできる。

2015年1月26日

本が好きなサクラ & 何でも食べるユウ

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スーパーに行くと、本棚にある子ども向け雑誌を欲しがるサクラ。いったん持たせておいて店内を歩きまわると、今度は妖怪ウォッチのお菓子を見つけて、
「ようかいおっちだ!」
と手にとる。そこで、俺が両方を持って、
「どっちが良い?」
と聞くと、ためらうことなく本を選ぶ。

先日、もうすぐ3歳になるからということで文字を教えようとしたのだが、うまくいかず断念。でもそこで少し考えてみたら、俺はサクラに「文字を読めるようになって欲しい」わけではなく、「本の面白さを伝えたい」のだと気づいた。そしてそれは、今のところうまくいっているようでもある。

最近、サクラは絵本を持ってきて、
「これ、なんてかいてある?」
と尋ねることが増えた。効率的な教え方は知らないし、やろうとも思わないが、聞かれるたびに、絵本の内容に沿ったプチ演技を盛り込みながら、
「ガオーッ!! て書いてあるよ」
とか、
「たいへんたいへん!! て書いてあるよ」
とか、そんな具合に、文字そのものより本の面白さに寄り添った答え方をしている。英才教育とは縁遠い我が家では、まぁこんなもんだろう。

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一方その頃、次女のユウはというと、現在離乳食がガンガン進行している。サクラの時は口に物を入れることにあまり興味を示さず、離乳食もなかなか進まなかった。よく赤ちゃんはなんでも口に入れるから気をつけなさいという警句を耳にするが、サクラはそういうことはほとんどしなかった。今でもプリンやケーキなどを食べないくらい口に関しては保守的だ。

ところがユウといったら、ティッシュを見つけようものなら口に入れずには気が済まないようで、いつの間にかガムのように噛み捨てられた濡れティッシュがあちらこちらに……。小物や危険物を手が届かないところに置いても、それでもまだ目が離せない冒険野郎である。

サクラとユウ、どちらもスクスク育っていて、父としてはとても生きがいのある毎日である。

眠れない一族 食人の痕跡と殺人タンパクの謎


致死性家族性不眠症の話題をスタート地点にして、クールー病(ニューギニアで死者の脳を食べることで感染)、クロイツフェルト・ヤコブ病、狂牛病といった病気、そしてそれらの原因であるプリオンの発見にまつわるエピソードなどを描いてある、医学系ノンフィクション。

致死性家族性不眠症は統合失調症やうつ病などと診断されていた時代もある。そんな病気の原因を追い求めていく科学者・化学者・獣医師・医師らが奮闘したり醜く争ったり、そういった人間くさいところも面白い。

面白いのだが、翻訳がいまいちこなれていないので、★4つ。それから、翻訳タイトルが良くない。原題は、
『The Family That Couldn't Sleep: A Medical Mystery』
「食人の痕跡」というのは本書の印象をミスリードしかねない。こういうのをまさに蛇足というのだろう。

2015年1月23日

質の異常と量の異常

病気は、大きく「量の異常」と「質の異常」に分けられる。

糖尿病、高脂血症、高血圧、良性腫瘍などは量の異常の典型例で、これらは薬を飲むなり手術をするなりして、量を適正に戻すことが治療になり、多くの場合それで改善させることができる。放っておくと危ないが、コントロールはしやすい。

質の異常は、例えば眼科の網膜色素変性症、アイスバケツで有名になった筋萎縮性側索硬化症や多発性硬化症などの神経疾患などがあり、量の異常よりは治療に難渋する、あるいは治療法がないことも多い。また、癌は質の異常をもった細胞が量的に異常増殖する重大事態である。

では、精神科における「量の異常」と「質の異常」はどうか。「落ち込み」と「気分高揚」で考えてみる。

たとえば、嫌なことがあって落ち込みがひどい、あるいは嬉しいことがあって異様なほどはしゃぐ、といったことで精神科に来る(連れて来られる)人がいるが、これは「量の異常」だろう。身体疾患と同じで、放っておくと危ないかもしれないが、診察時点で心配しすぎる必要はない。また、もともとの性格的なものも関与している場合などは、身体疾患と違ってコントロールが難しいことも多い。

その逆、嫌なことがあったのにテンションが上がった、あるいは嬉しいことがあったのに喜べない、という「質の異常」は何らかの精神疾患による躁状態やうつ状態を示唆し、早期の精神科的な治療介入が必要である。ただ身体の質の異常と違って、これらは薬への反応がわりと良いことが多い。

その病気が「量の異常」なのか「質の異常」なのか、あるいは両方を備えたものなのか。心身両方の病気をそういう視点で考えてみると、またあれこれ違ったアプローチ(患者説明の仕方、薬の選び方、生活指導の仕方など)が見えてくるんじゃないかな。

仕事は楽しいかね? 《最終講義》


無知は、知識よりずっと人に自信を与えるものである。
これは本書の中の一節であり、非常に印象に残る名文であった。 前作の書評でも言ったことだが、自己啓発本はあくまでもヒント集であり、正解が書いてあると思ってはいけない。

2015年1月21日

買って良かった、ハンドブレンダ―

ブラウン ハンドブレンダー マルチクイック MQ500
妻が欲しいと言っていたので、去年の10月の誕生日にプレゼントした。次女ユウが少し前から離乳食を食べるようになったのだが、その離乳食作りに大活躍している。

「一回やってみてよ、なんか楽しいから」

炊き立てのご飯をいれた容器を妻から手渡されて、半信半疑でブレンダ―のスイッチオン!! 

あっ、アッーーーーーーーーーーーーーーーー!!

なにこれ、気持ち良い!!

ご飯がウニャーンって、グニョーンって、ブリョブリョってなって、あっ、あっ、あっという間に病院や施設のトロミ食みたいになったよ!!

これは使ったものにしか分からない快感かもしれない。ブレンダ―なんか使わずに離乳食は手ですり潰すのが正解と信じている人には勧めても仕方ないかもしれないが、忙しい現代のママにはかなりの強い味方になると思う。

インディゴの夜


舞台は少し変わったホストクラブ、主人公は30代の女性オーナー。さらっと読めるプチドタバタ劇で、ちょっぴりミステリ風味ありだが、ミステリ・ファンには物足りなさすぎるだろう。

内容は可もなく不可もなく、ただ続編を買おうとまでは思わなかった。

2015年1月20日

事故して入院中

といっても、入院しているのは愛車のミニ・クーパー。

日時と現場は平成27年1月18日の朝、病院の駐車場。
相手は78歳の男性が運転する軽トラ。

どちらが悪いとここで言っても仕方がないが、俺としては納得のいかない状況であったということ、駐車場整理をしている事務の人も、
「あれは向こうが悪いでしょ……」
と言っていたことは書いておこう。もちろん事務員は同じ病院で働く身内でもあるから、この言葉がすべて正しいわけではないと分かっていても、そう言ってもらえると少し癒される。

今回の事故で痛感したことや面白かったこと。

1.やはり田舎の高齢者が運転する軽トラは無保険なのか!?
どう考えても事故のハイリスク群であるはずなのに、保険に入っていないとはどういうこっちゃ。そのせいで状況が若干ややこしい。

2.事故の相手に連絡先や住所を教えるのは気持ちが悪い。
相手は俺が医師だと気づいたようで(後に、数年前に精神科の受診歴があり、俺も一度だけ処方していたことが分かった)、こちら側の保険の担当者には、
「先生に修理代を請求する」
と言っていたらしい。保険の担当者からは、もし相手から連絡があっても、とにかく保険会社に任せているの一点張りで通すようにとアドバイスされた。医師ということで吹っかけて来ないとも限らないし、相手の家族が厄介な人でないとも限らない。
そんな状況で、相手が俺の電話と住所を知っているのは気持ちが悪い。

3.我が家のビーグル犬の太郎、けっこう頭が良い!?
代車で帰宅すると、太郎が一向に小屋から出ようとしない。俺が玄関から入っても、その後に散歩のために出てきてものんびり構えている。クーパーの時にはワンワン吠えるのに。あぁちゃんと俺だと分かっているんだなぁ……、って、いやちょっとまて、お前もっと番犬しろ!!


以上、今年、前厄である俺の事故トーク。

ちなみに、事故した瞬間、ああ、また日記のネタが増えたなぁと思えるのは、精神衛生上、非常によろしいと感じた。

パライゾの寺


人の世の哀しさや卑俗さや切なさをブレンドして、エロスというスパイスを振りかけたといった感じの小説。

民俗学者の聞き歩いて書いていくという設定の短編集で、時代は明治、主な舞台は土佐である。ジワーッと心に残るような作品。

2015年1月19日

ふりかけの袋の裏面にビックリ!

サクラがふりかけごはん大好きで、それを見ていて、たまには俺もふりかけごはんを食べようかと思って買ったのがこの2つ。

美味い! ちょっとだけピリッとするが、子どもでも食べられると思う。俺と妻専用なのでサクラには食べさせないけれど。

ところで、ビックリしたのがふりかけの袋の裏面。

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「本商品で使用している海苔は、えび、かにの生息域で採取しています」

アレルギーに悩む人たちの苦労と、永谷園の企業努力をひしひしと感じた。

私のフォト・ジャーナリズム


19歳、大学1年生の時に出会った長倉洋海の『フォト・ジャーナリストの眼』に心を鷲掴みにされた。今ほどフォト・ジャーナリストがメジャーではなかったし、俺自身が世間知らずだったこともあって、写真と言葉の両方を駆使して何かを伝えるという方法が新鮮で憧れになった。

アルバイトをしてお金を貯めて、キヤノンの一眼レフを買った。あれが俺の写真ライフの始まりだった。あれから20年、今では家族の歴史を撮ることがメインである。

本書は長倉洋海の駆け出しから世に出るまで、どういう苦労や苦悩があり、どんな出会いがあったかをザザッと記された新書。分量は多くないのであっという間に読み終える。やっぱりフォト・ジャーナリストは凄い、なんてマヌケな書評。

2015年1月16日

錯覚の科学


・バイクや自転車の多い地域のほうが、それらが車にぶつけられる事故が多い。
・平凡な日の記憶より、衝撃的な出来事のあった時の記憶のほうが鮮明で正確である。
・経験を積んで優れた医師ほど、自らの診断に絶対の自信をもつ。
・あなたは、自転車や水洗トイレの仕組みを知っている。
・「サブリミナル効果」は悪用されると怖い。

一見すると当然のようであり、どこかで見聞きした話であるこれらのことは、実は錯覚である。バイクや自転車の多い地域のほうが、それらが巻きこまれる事故は少なく、衝撃的な出来事のあった日の記憶も平凡な日と同じくらい間違いが多いし、経験を積んだ医師ほど絶対の自信から距離を置くし、自転車や水洗トイレの仕組みを図解できる人は少ないし、サブリミナル効果は実は否定されている。

バスケットボールの実験(『となりの車線はなぜスイスイ進むのか』のレビューで紹介した)で有名な教授らが書いた人間の錯覚に関する本。

このての本で、最初は単行本で出版されて、後に文庫化されたものは概して質が高いように感じる。本書もお勧めの一冊である。

なお、文庫化されてからのレビューは少ないので、単行本のほうも参考に

2015年1月13日

子どものヒーロー・オリンピック ~アンパンマン~

「第1コース、アンパンマン!」
「こんにちは、ぼくアンパンマンです。今日は一生懸命がんばります」
拍手喝采。

「第2コース、アンパンマン!」
「こんにちは、ぼくアンパンマンです。今日は(以下略)」
拍手喝采。

「第3コース、アンパンマン!」
「こんにちは(以下略)」
拍手喝采。

「第4コース、アンパンマン!」
「こん(以下略)」
拍手喝采。

「第5コース、アンパンマン!」
以下略。

実況「さて、世紀の一戦となりました、なぜか5人のアンパンマンによります100メートル自由型。まもなくスタートの合図です」

ピッ、と笛が鳴り、飛び込み台に上がる5人のアンパンマン。
「テイク・ユア・マークス」
いっせいに前かがみになる5人のアンパンマン。
ピーッ!
一斉に飛びこむ5人のアンパンマン。

「「「「「 顔がぬれて、力が出ない…… 」」」」」

実況「出るなや!!」

見下ろす交差点

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2015年1月9日

ズームレンズと単焦点、そして患者との距離

先日、中古で買ったズームレンズ(倍率を変えられるレンズ)。長女サクラの七五三ではけっこう便利で活躍したので、病棟のクリスマス会にも付けていったら、これがとんでもなく大失敗だった。

去年は50mmの単焦点(倍率が変えられない)で患者や看護師を撮って、それを印刷してプレゼントした。それが想像以上に喜ばれたので、今年も写真療法をやるぞと意気込んでいた。ところがズームレンズだと、どうにも患者との物理的・心理的な距離がうまくつかめない。望遠で撮ると、なんだか盗撮しているような気になるし、広角で寄って撮るとでかいズームレンズが圧迫感を与えていそうで気がひける。結局、数枚撮っただけで自分の気持ちが盛り上がらずにやめてしまった。

50mm一本勝負だと、寄るにも引くにも自分が動かなければならない。確かに、不便さはある。しかし、人を撮らせてもらう時には、この不便さが良い。こちらが気軽に近づいて撮れる人、遠慮して少し遠目から撮らないといけない人がいて、物理的な距離をそのまま自分と患者との心理的な距離として感じることができる。

それから、50mmレンズで胸元から顔にかけて納まるように撮られる距離というのは、カメラを意識しすぎるほどには近くなく、かといって無視できるほど遠くもない。俺がこれくらいの距離に親しみを感じるのは、それが実は診察室での患者との距離、病棟で患者と立ち話をする時の距離に近いからかもしれない。

心機一転、次回は50mm一本でいこう。


2015年1月8日

言葉にすることで記憶がゆがむことがある

あなたが犯罪の現場を目撃したとする。

ケース1
事件の数日後、あなたは警察に呼ばれ、マジックミラーの向こうにいる数人の男性の中から容疑者を選ぶように言われる。

ケース2
あなたは事件直後に警察から容疑者の特徴を尋ねられ、記憶を頼りに言葉で説明する。それから数日後、ケース1と同様に数人の候補者の中から容疑者を選ぶ。

上記2つのケースを比べると、容疑者の特徴を言葉で説明したケース2のほうが、しなかったケース1の場合より誤答が多いそうだ。特徴を敢えて言語化することで、記憶が誤った方向に書き換えられることがあるらしい。

これは、精神科外来が終わった後の初診サマリや入院カルテにも似たようなことが言えるのかもしれない。

とはいえ、他の医師やスタッフと情報を共有しないわけにはいかない。だから大切なのは、こういう「言葉によって患者の情報を伝え合うことのリスク」を、発信側・受信側の双方が意識しておくことだろう。

観覧車

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大きいものを撮るのは楽しい。

2015年1月7日

小さなけじめが、全体に良い影響をもたらす

患者として、その医師が率いるチームで大惨事が起きるかどうかを見抜く一つの方法として、医師が看護師にどう接しているか、看護師が医師に妙にビビッていないかを見れば良い。

医師と看護師が、緊張関係を保ちつつ和気あいあいとしているのが理想。馴れ合いだとずさんな医療によるミスが起こる。医師が恐怖政治をやっていると大惨事の礎になる。

医師と看護師が、患者の前であだ名で呼び合ったり、タメ語で語り合ったりする場合は「馴れ合い」と判断して良い。接客業では必ず、客に見える「表」では「同僚の苗字にさん付け、丁寧語」と指導される。

些細なことではあるが、些細であるだけに、「それくらいのことができている」か、「それくらいのことさえできていない」のかが分かる。

ふたたび医療者側の話に戻るが、俺の場合で言えば、例えば新人の心理士Mくんのことを普段は「Mくん」と呼ぶが、患者の前でMくんに電話をかける場合には「M先生」と呼び、丁寧語で話すように心がけている。

これは接客業と同じで、顧客からの信頼感を得るためのある種のテクニックであるが、そういう小さなけじめは、自然とその他の部分にも良い影響をもたらすものだ。

小暮写眞館


何回か泣きました。

主人公は高校生の英一。写真屋の建物をほぼそのまま残したという変わった新居に戸惑う彼に、一枚の写真が持ち込まれる。それはあり得ない場所に女性の顔が浮かぶ心霊写真。不動産屋の無愛想な事務員・垣本順子に見せると、その顔は泣いていると言う。その写真の謎を追ううちに「心霊写真バスター」みたいな立場になってしまった英一と友人らの青春、それから彼をかこむ家族たちの物語。

宮部みゆきの長編。単行本で713ページあった。家族と離れて過ごす土日を狙って土曜日の昼から読み始め、目論見通りに日曜日の朝に読み終えた。分量は多いけれど、読みにくいものではないし、文字がぎっしり詰まっているわけでもないので、思いのほか早く読み進めることができる。

ユウ、お宮参りのリハ

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平成26年7月20日撮影。

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2015年1月6日

心と女

書道を習っている男性患者が、師範からこんなことを言われたらしい。

「心」と「女」という漢字は、バランスが難しい。

彼はその話を聞いて、自らの心の病気のこと、自分の娘との親子関係のこじれ、そういったことを思い出して、しみじみ納得したそうだ。

俺は漢字がけっこう好きで、「『幸せ』から一本引くと『辛い』になる」とか、「愛はまごころ、恋はしたごころ」とか、そういうこじつけめいた解釈のできるところが素敵だと思っている。



寒そうに震える捨てイスたちの写真

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捨てイヌではありません。

2015年1月5日

ずる 【TED】


行動経済学者ダン・アリエリーの本で、彼の本を読むのはこれで3冊目になる。どういう人かはTEDの動画を見るのが手っ取り早いかもしれない。



高校時代の恩師であるI先生から、以前、
「心理学に興味のある高校生に読ませるなら、どんな本が良い?」
と尋ねられたことがある。「心理学に興味がある」という場合、その意味するところはかなり幅がある。フロイトやユングといった硬派なものから、精神疾患を対象とする精神科関連のもの、それから「話しながら無意識に顎に手をやる人は~である」といった合コンで受けるようなネタが豊富なものまで。

そして、「心理学に興味がある」という人の多くが意図しているのは、たいていライトでネタ的なものである。そういう人にこそ、行動経済学関連の本は非常にお勧め。行動経済学は決してチープなものではないのだが、少なくとも本で紹介されているものに限って言えば、研究手法や結果が非常に分かりやすくて身近である。

もし周りに「心理学に興味がある」という人がいたら、ぜひとも行動経済学の本を勧めてみて欲しい。たとえその人の意図した心理学ではなかったとしても、読んでみれば行動経済学の面白さにきっと気づくことだろう。

2015年1月4日

正月休みの読書は不作だった

年末年始で6日間の休みをもらったのだが、その間の読書がどうにも不作続きで哀しかった。

面白くなくて途中で放りだした(損切り)本について書くことはしないようにしていたのだが、今回は4冊連続の損切りだったため書いておくことにする。

いずれもAmazonレビューの評価が高いので、ぜひそちらも確認して欲しい。

Amazonで★4.2
途中から流し読み。作者がユーゴスラヴィアに興味があるのはよく分かった。だが、小説としては非常に説明くさい。チンタラした進行、そう驚愕でもない結末と、その結末を知ってもさほど大したこともないと感じる伏線。こういう小説で★5つと4つが多いことに驚かされる。


Amazonで★4.2
難解な宗教SF。これを楽しむためには宗教や哲学に関して相当の造詣の深さが求められるだろう。★5が圧倒的に多いところに、レビュアーの誇り高さ、というか、鼻高々さを感じてしまう卑屈な俺。


Amazonで★3.9
『反・進化論講座』という難しそうな主題に惑わされてはいけない。むしろメインは副題の『空飛ぶスパゲティ・モンスターの福音書』のほうである。内容はバカバカしいものの、決してただのバカ話ではなく、進化論を否定したインテリジェント・デザインに対する痛烈な皮肉である。非常に優れた皮肉ではあるのだが、1冊丸ごとを時間をかけて読むほどの価値はないと判断した。


Amazonで★4.6、ただし母集団は平成26年1月4日時点で7人。
吉村昭の短編5つをおさめた本。表題作の『磔』と、実在したやや破天荒な医師の哀しい最期を描いた『コロリ』は面白かったが、その他のはちょっと楽しめなかった。最後の『洋船建造』は流し読みさえしなかった。


現在、積読の本が200冊くらいあるので、そのうち4冊が短期にはけたというところに、ささやかな慰めを感じる今日この頃であった。


【教訓】
Amazonのレビュー・トラップには気をつけなければいけない。