2015年3月31日

それは本当に物盗られ妄想ですか……?

ある日、一人暮らしの高齢女性が、離れた所に住む息子さんに連れられてやって来た。問診票には「妄想を言う」と書いてある。

息子さんによると、最近になって電話で「小屋の中のものを盗まれる」などと言うようになったそうだ。泥棒する奴なんかいないと何度言い聞かせても、本人は頑なに「盗まれた」と繰り返した。それでついに、これは精神科に連れて行った方が良いということになった。

診察室で実際に女性の話を聞いてみると、なんだか妄想っぽさがない。この感覚の説明は難しいが、敢えて言えば「都合の良い決めつけ」がない。例えば、「いつ盗られたことに気づいたのか」という質問にはきちんと答えられるのに、「犯人の目星はあるか」という問いには「さっぱり分からない」と言う。物盗られ妄想の人だと、これが逆になる印象がある。「現場を見たわけじゃないが、盗んだのはアイツだ」と、嫌いな人を犯人扱いするなど自分の感情にとって都合の良い決めつけ方をする。彼女の場合、それが全くなかった。

認知症検査では、軽度の認知機能障害はあるものの、年齢のわりにはしっかりしたほうだった。それでとりあえず診断は保留にし、幻覚妄想を改善するような薬は処方しなかった。ただし最近は夜の睡眠が浅いというのでロゼレムという睡眠薬だけを処方して2週間後に予約をとった。

そうしたら、なんと次の診察の時に息子さんが、
「先生、どうやら本当に盗まれているみたいです」
と言うではないか。近隣の人たちも似たような被害に遭っており、そう高価でもないが、かといってガラクタでもないというようなもの(田舎の物置きにはそういうものがたくさんある)が盗まれていたらしい。

息子さんに信じてもらえたことが良かったのか、薬を飲まなくてもぐっすり眠れるようになったそうでめでたく終診となった。もし初診の時点で物盗られ妄想だと判断して薬を処方していたら、彼女の残りの人生は大きく損なわれていたのではなかろうか。

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高齢者の物盗られ妄想の診察で気をつけていること

アッと驚くラストや社会風刺のきいた短編小説 『鼻』


社会風刺のきいたものや、アッと驚くラストのミステリ(?)ありの短編集。特に表題作『鼻』は、俺としては実に面白かった。この作者の本はこれで2冊目で、あと1冊を積読している。文字数は多くないので読むのに時間はかからない。

2015年3月30日

現場ではない周りの環境・風景にも目を向けろ 『12番目のカード』


「犯行現場の鑑識に入る前に、現場ではない周りの環境・風景にも目を向けるんだ。そこから重大な事実を得られることもある」

これは脊髄損傷によって、首から下が動かなくなった天才鑑識員リンカーン・ライムが、弟子であり恋人でもあるアメリア・サックス(映画ではアンジェリーナ・ジョリー)に与えたアドバイスで、我々医療従事者にとっても有意義な考え方である。

これでこのシリーズを読むのは3冊目になるが、やはり面白い。まずミステリとしての伏線と伏線回収、どんでん返しが優れている。本書はこれでもかというくらい引っくり返される。それから、人間をよく描いている。単に仕掛け重視な小説ではなく、人の心の中を描こうとしているところが良い。その他にも、随所に著者の博識ぶりが嫌味なくちりばめられていて、なんとも唸らせられる小説である。

ただラスボスの行動は日本ではあまり考えられないものだったが……。

2015年3月27日

ニッポンの書評


このブログは書評ブログではないが、連日のように読んだ本の感想や紹介を書いている。そして本書はそういう匿名の書評(のようなもの)を無責任、卑怯だという。

ふざけんなこのヤロウ。

こちらは本を読むのに金を払っている。プロ作家は文章を書いて金をもらっている。読者が読んで面白くなければ、それをそのまま感想として書く。それのどこが卑怯なのだ。

こんなことを書くと、金を払えば何を言っても良いのか、という批判を受けそうだ。確かにどんなレストランや食堂に行っても、食べ終わったら「ごちそうさま」と言う。でも美味しくなかったら二度と行かないし、それは他の人にもアドバイスしたくなる。それが人情。まぁ食べログ問題のように、食べずに批評だけ書くというのは卑怯だが。

そもそも、金をもらって本を書くプロの物書きが、
「面白くなかったなんて匿名で書くな、卑怯者!」
と批難するのはあまりに情けない。もちろん、品性下劣な文章で著者をこき下ろすなんてのは、書評うんぬん以前の問題で、そういうことをするのは低俗だとは思うけれど、本の中身に関してはいくらでも正直に書いて良いはずだ。

とにかくもう、ふざけんなこのヤロウ、という本だった。

2015年3月26日

精神科患者の家族による秘密投与の切なさと後ろめたさ

ちょっと前、長女サクラが食欲低下するほど便秘した。そこで寝る前にマグミットという薬を1錠飲ませてみたのだが、「おすくり」大好きなサクラがペッと吐き出した。これは困ったということで、いつも飲んでいるタンポポ茶に溶かして飲ませようとした。しかし3歳ながらに怪しいと思うのか、
「パパものんで」
と普段は言わないようなことを口にする。仕方がないので、そのお茶はそのまま枕もとに置いて寝た。

翌朝、目が覚めたサクラは、枕もとのお茶を美味しそうにゴクリゴクリと飲み、半分ほど飲んだところで俺に向かってニッコリと笑った。よほど喉が渇いていたのか、ふたたびコップに口をつけ一気に飲みほした。そんなサクラの姿を見ながら、俺はひどく切なくて後ろめたい気持ちになった。いくらサクラのためだとはいえ、俺を心から信じきっている我が子に、だますようにして薬を飲ませてしまった。そう考えると涙が出そうになった。

そしてふと、何人か患者の家族の顔が思い浮かんだ。彼らは統合失調症を患った人のご飯やお茶にこっそりと薬を混ぜて飲ませている。これを「秘密投与」(呼び方は地域によって違うかもしれない)という。そうでもしないと患者が薬を飲まないからで、薬を飲まないと幻覚や妄想が出たり、時には家族に攻撃的になって暴れたりする。家族は自分たちの身を守るという目的もあるだろうが、それ以上に、患者のために飲んで欲しいという気持ちが強いだろうと思う。そんな彼らも、俺が感じたのと同じような切なさや後ろめたさを抱えているのだろうか。それともそういう感覚は、とうの昔に擦り切れてしまっているのだろうか。

俺は秘密投与を勧めないし、できればやめたほうが良いと思っている。患者にばれた時に「やはり毒を飲まされていた」「もうこの家のご飯は食べない」と思わせてしまうことがあるからだ。そうはいっても、それぞれの家族にはそれぞれの、やむにやまれぬ事情というものがある。家族というのは、時に切なく哀しいものだ。

サクラの笑顔を見つめながら、秘密投与を続ける家族の辛さに少しだけ触れた気がした。

暗号解読


暗号に興味があったわけではないが、『フェルマーの最終定理』『代替医療解剖』でサイモン・シンの実力は分かっていたので、今回も期待して読み始めて、やはり彼の凄さに唸らされた。

最終章の量子暗号のあたりは難解で少しすっ飛ばした。

文庫版のちょっとだけ残念なところは、本文中の注釈である「補遺」がすべて下巻に納められていること。上巻だけ持ち歩いていた時には同時進行的に補遺を読めなかった。とはいえ、それを差っ引いても素晴らしい本だった。

2015年3月25日

精神科医は儲けるために大量処方するのか?

精神科について、薬をたくさん出せば病院が儲かると誤解している人は未だにたくさんいるが、医師は薬を一錠処方すれば何円もらうというような商売ではない。

それどころか、薬を増やせば、そのぶん副作用の訴えが増える可能性が高くなる。そうすると診察時間が延びてしまい、結果として一日でみられる患者数が減る。精神科の外来は「通院精神療法」というものが主な収入源なので、患者数が増えないのは致命的である。

患者数を多くみようと思うなら、つまり儲けたいなら、シンプル処方にしておいたほうが良い。これは精神科医なら誰もが知っていることである。つまり、「儲けるために大量処方にしている」というのは真実の真逆であり、まったくの誤解なのだ。

神様の御用人


野球をあきらめ、おまけに就職先まで失った萩原良彦。彼がある日突然命じられたのは、神様の願いを聞く“御用人"の役目だった。人間味溢れる日本中の神様に振り回され東奔西走する、ハートウォーミング神様物語。
ストーリーは可もなく不可もない。
ただ、語彙や文章をもう少し鍛えてほしい。たとえば語彙に関しては、「胡乱な目で」というフレーズが、本文中に何度となく出てくる。こんな短いラノベで、そんな目立つ言い回しを繰り返すと、
「ああ、作者ってこの語句を使ってみたかったのねぇ」
という変な感想が漏れてしまう。

文章については、クライマックスで妙にセンチメンタルな文で盛り上げようとしてくるのが鼻につく。著者の気持ちがヒートアップしているのは伝わってくるが、読者としては無理やり「ここ感動するところ!」と押しつけられているようで逆にしらける。

続編も出ているようだが、買わない。

2015年3月24日

あなたのアイデアを、相手の記憶に残すには 『アイデアのちから』

ジャーナリズムの教師が生徒らに課題を言い渡した。それは新聞記事のリード(その記事の最も重要な要素が盛り込まれた冒頭文)を書くことだった。
教師は事実をまくし立てた。
「ビバリーヒルズ高校のケネス・L・ピータース校長は今日、次のように発表した。来週木曜、同校の教員全員がサクラメントに行き、新しい教授法の研修を受ける。研修会では、人類学者のマーガレット・ミード、大学の学長であるロバート・メイナード・ハッチンス博士、カリフォルニア州知事のエドマンド・パット・ブラウンらが講演を行う」
さぁ、皆さんがこれを学生新聞の記事にするとして、リードをどう書くだろうか? 大半の生徒のリードは、事実を並べ替えてまとめたものだった。生徒らの解答に目を通した教師は、しばし沈黙してこう言った。

「この記事のリードは、『来週の木曜は休校となる』だ」


上記は本書の中で紹介されていたエピソードの一つで、『恋人たちの予感』『めぐり逢えたら』『ユー・ガット・メール』などを書いたノラ・エフロンという脚本家が高校時代に受けた実際の授業である。


本書によると、記憶に残るアイデアには6つの特徴(頭文字を並べてSUCCES)があるという。

1.単純明快(Simple)
2.意外性がある(Unexpected)
3.具体的(Concrete)
4.信頼性がある(Credentialed)
5.感情に訴える(Emotional)
6.物語性がある(Story)

冒頭の逸話は意外性を説明する章で紹介してある。

その他にも、本書では上記6項目に関して、非常にシンプルに、そして具体的に説明してあり、また時にあっと驚くような意外性をもった物語が提示される。

例えばシンプルさについて、本書では飛行士でもあった作家サン・テグジュペリ(『星の王子さま』で有名)のこんな言葉を紹介している。
「設計士が完璧さを達成したと確信するのは、それ以上付け加えるものがなくなったときではなく、それ以上取り去るものがなくなったときだ」
あなたがもし、こういう面白くてためになる話が読みたいなら、ぜひ本書を手に取るべきだ。子どもへの躾をもっと効果的にしたい、夫(妻)にもう少しちゃんと話を聞いて欲しい、上司(部下)にきちんと考えを伝えたいなど、分野を問わず、あなたの役に立つこと請け合いである。

2015年3月23日

キレない大人になるために

子どもの「言葉による表現能力」を伸ばすことは、その子が肉体的暴力や「キレる」に至ることを少しでも減らせるんじゃないかと考えている。

家庭内あるいは校内での暴力を起こした子と話して思うのは、彼らが「言葉であれこれ伝える」のがすごく下手だということ。彼らは決して我慢できないワガママな子ではなく、「言葉の基礎体力」というものがないので、てっとりばやく体で表現してしまうという感じ。

だから、厳しく躾けて我慢することや耐えることを身につけさせる以上に、我慢できないことや耐えきれないことを言葉であらわしてみる教育を勧めたい。

人間はどこまで耐えられるのか


ちょっとコミカルな雰囲気の絵とタイトルのわりに、妙にしっかりした中身だなと思ったら、それもそのはず、著者はオックスフォード大学の生理学部教授であった。生理学をきちんと学んでいる医師であれば、ところどころの細かい説明は読み飛ばしながらすらすらと面白く読める。生理学を学んでいない人(生理学で手抜きした医師も含む)でも、分かりやすい文章で書いてあるので理解に苦しむことはないだろう。

生理学を学ぶ前の医学生の必読書にしても良さそうな一冊。

2015年3月20日

乱読のセレンディピティ


ロングセラー『思考の整理学』で有名な著者だが、本書はちょっとあんまりだった。外山滋比古は認知症になったんじゃなかろうか……、と感じてしまったほどだ。書いたのが恐らく90歳前後、多少の物忘れはあっても仕方がない。というか、それが自然だ。

読みながら、
「この本は連載エッセイあるいは何回か行なった講演会を一冊にまとめたものか?」
と思うくらい、たいした分量もない本書の中でいくつか同じようなエピソードが繰り返し取り上げられるのだ(あとがきには、すべて新稿であると明記してある)。また前後の主張のつながりが弛緩してしまっているところも散見され、とても理路整然とまとまったエッセイとは言い難い。

しかし、である。

Amazonレビューの評価は異常に高い。読者は見て見ぬふりか、気づかないのか。いや、それ以前に、編集者は変だと思わなかったのか。それとも大御所には意見できなかったか。

ただし、内容は決して陳腐ではなく、学ぶべき点も多々ある。そして、著者が主張するような心構えで読むならば、本書の評価は★3つである。

2015年3月18日

あなたが伝えたいこと、本当に伝わっている!? 『アイデアのちから』

あなたが伝えたいことは、本当に相手に伝わっているだろうか?

「叩き手」と「聴き手」という実験ゲームがある。叩き手は、「ハッピー・バースデー」や「メリーさんの羊」など誰でも知っているような25曲のリストの中から1曲を選び、声を出さずにリズムだけ、指で机を叩く。聴き手は、そのリズムを聞いて音楽を当てる。

聴き手が答える前に、叩き手に正答率を予測させたところ、予想正答率は50%だった。実際にはどうだったのかというと、120曲のうち正解はたった3曲、2.5%だけであった。

叩き手には曲名(知識)が与えられており、リズムを叩く時には頭の中でその音楽が流れている。しかし聴き手にしてみれば、モールス信号のようなコツコツという脈絡のない音を聞かされているだけで、そこから正確な曲名を推測するのは至極困難である。叩き手がそのことに気づかないと、自分の伝えたいことはちゃんと伝わっていると誤解したままになってしまう。

「叩き手」を「話し手」に置き換えても、同じようなことが言える。


本書では、上記のように、自分の知識を他人と共有することの難しさを「知の呪縛」と呼んでいる。「知っている者」から「知らない者」へ知識を伝えるのは並大抵のことではないのだ。そしてこれは、医療全般において使える考え方のヒントでもある。

本書はこうしたヒント満載の本であった。

ちなみに上記実験は1990年にスタンフォード大学で行なわれたものである。

2015年3月17日

患者や家族から贈り物をもらうことが増えた

同じ病院で勤務して、もうすぐまる5年になる。そしてこの1年間、患者や家族から贈り物をもらうことが格段に増えた。ただし、金銭は受けとらず、また入院患者の家族からの場合はなるべく断るようにしている(※1)。いただくものは主にお菓子だが、時にサツマイモ、シイタケといった農産物、イカ、ウニといった海産物、ジュースやチョコやマフラーなどの購買品もある。

これらは同じ患者や家族と5年つきあった結果、親しみを感じてもらっているからだ、ということであれば話はシンプルなのだが、そうでもない。というのも、付き合いの短い人たちからも頂くことが増えたからだ。

この現象について考えてみたが、きっと俺自身の診療能力が上がった、つまり名医になったからだ、という結論は短絡的である。確かに1年目、2年目より腕は上がったかもしれないが、贈り物をそう頻繁にもらえるほどのレベルアップは自覚していない。

ではどうしてかというと、おそらく「医師が土地に馴染んだ」ことの影響が大きいのではなかろうか。たとえば喋るときには土地の方言がかなり混じるし、イントネーションはほぼ完全にこの土地のものになっている。そういう些細な要素が絡まり合って、俺を「土着の名医」のような存在にしてくれているのかもしれない。

だから、数年後に俺が転勤した場合、その病院で今のように贈り物をもらえるようになるにはきっと5年かかるのだろうと思っている。それまでは、精神科医としての経験年数がそれなりにあったとしても、「その土地の医師」としてはきっと未熟者なのだ。

そんなことを考えていると、ふと先輩K先生の仰った言葉が甦る。

「医者ってのは、患者さんに育ててもらうもんだ。伸び悩んでいるなぁと思う時、なぜかその壁を超えさせてくれる患者さんがやって来る。真面目にやっていれば、そうなるんだよ」(※2)

※1 特に高齢者の入院直後に金銭を持ってくる家族が多く、そこには「なるべく長く置いてください」という賄賂的な意味合いが込められているような気がする。そうではなく、たとえ純粋な感謝だとしても、受けとるこちら側が「もう少し入院させてあげなきゃかな」と余計なことを考えるようになりそうなので、入院家族からの贈り物は受け取らないようにしている。

※2 いつか電子書籍でも出せたら良いなと夢物語を描いているが、そのときのタイトル候補の一つは、『わたしが出会った患者(せんせい)たち』である。


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これから「名医」を目指すあなたへ

戦艦武蔵


第二次大戦で撃沈した戦艦武蔵が、シブヤン海の底で発見されたことで話題になっている。この波に乗って、買っておいた本を読んでみるかと取り出した。

結論としては、俺はこのての話が好きではなかった。人名と地名が多く、また日付けも多数出てきて、歴史が大の苦手な俺の心には入ってこないのだ。それでも最後の撃沈時の描写は圧巻。吉村昭の描く凄惨な場面描写は、淡々と簡素でありながら「見てきたような」変な迫力をもっているので、読んでいて思わずため息が漏れそうになる。

戦史・戦記に詳しい人、戦艦ものが好きな人にはお勧めできる本。

2015年3月16日

「しずかにー。ねんねするよー」

我が家では寝るとき、寝室の奥から順にユウ、妻、サクラ、俺となっている。まだチビすけのユウを、寝相の悪いサクラから守りつつ、サクラは父母の両方に挟まれるという陣形である。

ところが先日、いつものように布団に入ろうとすると、
「パパはこっち」
と言って、サクラが一番はしっこに寝てしまった。久しぶりに隣同士で寝ることになった俺と妻は、サクラのこの態度の変化はなんだろうと話し合ったり、妻が「久しぶりに隣でなんか緊張する」と言って二人で笑いあったりしていた。するとしばらく黙っていたサクラが、

「しずかにー。ねんねするよー」

これに思わず吹き出してしまって、妻と二人でクスクス笑いながら「どうしたんだろね?」なんて話していると、また、

「しずかにっ! ねんねするよ!」

サクラの思いがけない成長にはほんのり感動した。ところが、かなり寝つきの良い俺がウトウトしかけていたら、サクラがムクッと起き上がり、

「こっちくる」

と言って、俺と妻の間に入ってきた。やっぱりまだまだ3歳だなぁ、なんて微笑ましく思いつつ、サクラより早く、あっという間に眠りに落ちた俺であった。

ふがいない僕は空を見た


世の中にある面白い本の数と、自分の残りの人生の時間が釣り合っていない、どうしたって足りない気がする。そんなことを改めて感じさせられた一冊。

少し独特の長短織り交ぜた文体が、わざとらしさもなく、リズム感よく並び、ふと気づくと作者の描く世界に引き込まれている。R-18文学賞を受賞している本書は、女性が読むとなお面白いのかもしれないが、男が読んでも時どき下半身が疼くような描写があり、ついつい周りを気にしてしまった。

Amazonの購入履歴を見ると、平成25年4月に買っていた。2年近く待機させちまったか……。同じ作者の本を何冊か買ってみる予定。

2015年3月13日

屋根裏に誰かいるんですよ。

「家の中に誰かがいる」
「知らない人が忍び込んできて悪さをする」
そんなことを訴える患者が時どきいる。

「冷蔵庫の野菜を新鮮なものに入れ替えられる」
「買い置きのゴミ袋を増やしてあった」
「床にこっそりホコリを置いて行く」
はた目には荒唐無稽に見えることを熱弁する姿が、おかしくも切ない。

そういった患者が薬を飲むとどうなるか。
「家の中に人がいるというのは、私の妄想だったみたいです」
となることはあまりない。それよりは、
「些細なことだし、もう気にしないことにしました」
と気持ちが緩やかになったり、
「最近は忍び込まれなくなりました」
そんな解釈をしてみたり、聞いていて微笑ましくなるようなことを言うことが多い。

そうしてしばらくすると、再び、
「先生、また家の中に人が……」
と言いだして、詳しく聴いてみると案の定、薬をしばらくやめている。こういうことの繰り返しが精神科ではしばしば見られる。

こういう患者と接することは、滑稽なようで切なくて、シリアスなのに微笑ましい。彼らが上手くバランスをとる手伝いをすることは、医療者としてなかなかやり甲斐のある仕事だ。


精神科医・春日武彦の本。一般の人が読んでも面白いと思う。

2015年3月9日

精神科は、患者にとっての杖でありたい

摂食障害という診断で精神科に5年くらい通っていて、前主治医から引き継いで2年近くになる女性がいる。初診時は内科入院の検討が必要だった体重も、今では「やせぎみ」程度をキープできている。そんな彼女から、
「なんだかんだで食べられるようになった。でも今は、精神科の薬が効いているかどうか分からないので、できれば減らしていきたい」
と相談された。そこで、途切れ途切れではあるが、以下のようなことをお伝えした。

「精神科の薬も診察も、杖みたいなものです。杖に効く効かないはないですよね。あなたの病気は足のケガと同じで、ある時期には杖が必要だったけれど、時間がたって必要なくなるということもあります。もちろん、杖なしではフラついたり、もしかするとまた転んでしまうかもしれません。それでも、フラついては立てなおし、転んでは立ちあがる、というのを繰り返すのが人生というものかもしれません。今こうやって、あなたが独りで立って歩いてみようと思われたのはすごく良いことだと思います。今後は少しずつ薬の量を減らしていって、最終的には精神科から卒業という方向で進めていきましょう。ただし、焦らずに」

精神科の患者にとっての「杖」とは、薬だけではない。診察室での医師との関わりはもちろん、入院やデイケアでのスタッフとの人間関係、あるいは患者同士の関係も「杖」となる。医療者としては、その人にとって必要な「杖」を快適に提供できれば最高である。また、不必要だからといって「杖」をむやみに取りあげるのではなく、できればさりげなく遠ざけていくような配慮も大切である。それから、生涯にわたって「杖」を必要とする病気があるのも確かだ。

そして、地味だし些細だし医師は一見なにもしていないようなのに、患者がいつのまにか元気になっていて、皆から「これは治療の結果というより、本人の持つ自然治癒力のおかげなんじゃないのか」くらいに思われるのが俺の理想でもある。

ぼんくら


江戸を舞台に、ぼんくらだけど人情味と人間味のある同心・平四郎が、面倒くさいなぁ、関わりたくないなぁなどと思いながらも、捨て置けずに活躍(?)する物語。素晴らしいと思ったのは、すべてがスッキリ解決というわけではなく、どこかモヤッとしたものが残ってしまうところで、それを主人公の平四郎は、まぁそういうこともあるわな、と呑み込んでしまう。現実ってきっとこうだよなぁ、なんて、そんなことを思わされた。

2015年3月6日

子どもはなぜ嘘をつくのか‏


子どもが嘘をついた時、どうやって対応するのが良いのか。それは子どもの年齢はもちろん、嘘に関する考え方の発達の程度、あるいは社会・学校・家庭状況によっても違ってくる。

言われてみれば当たり前のことだが、大人だってたくさん嘘をついている。嘘のない一日を過ごしたと胸を張れる日がどれくらいあるだろうか。セールスの電話に対してごろ寝をしながら「いま手が放せない」と答えたり、「似合う?」と聞かれて「とっても似合っているよ」と笑顔を作ったり、そんな大人の姿を子どもたちは見ている。許される嘘と許されない嘘の境界線について、どうやったら子どもたちに伝えることができるのだろうか。本書にでは、そんなことへのヒントが書いてある(もちろん絶対の正解ではない)。

嘘に関する研究で世界的な権威である心理学者ポール・エクマンが、子どもの嘘に関して真剣に取り組んで本にまとめたものである。翻訳のせいか、それとも元々の文章のせいか、ちょっと回りくどかったり、何度か読み返さないと意味をとれないところがあったりしたが、全体的な内容としては充実していた。

また、これから離婚しそうな、あるいはすでに離婚した、もしくは再婚した父親・母親にはぜひとも読んで欲しい章がある。そういう人たちには、その章を読むためだけでも本書を手にとる価値があるはずだ。

2015年3月5日

読書灯を買いなおしたら、これが非常に良かった!!

ちょっと奮発して買った読書灯が大当たりだった。

エル光源LED寝室読書灯 LFX1

以前に紹介した読書灯は、一人で使う分には明るくて良いのだが、隣で家族が寝ている状況では明るすぎた。早い時には朝3時半から読書を開始するので、そういう時には布団をかぶってその中でライトを灯けて読む必要があった。

電池で使える利点はあったのだが、俺のが不良品なのか、それともそういう仕様なのか、電池だとすぐに明るさが弱くなった。また、買ってそう長いわけでもないし雑な扱いをしたわけでもないのに電源コードの本体部分のカバーが破れてしまって中の配線が丸見えになってしまった。メイド・イン・チャイナの限界か。

そういうわけで新しい読書灯を探して見つけたのがこれ。ちょっと値段は高いが、隣に人が寝ている状態で本を読むことが多い人には大いにお勧めできる。主な利点は、
1. 光が柔らかい(寝ているときの光に敏感な妻も満足するレベル)。
2. 3段階の調光ができる。
3. 光の指向性が高い(光を向けたい部分だけ明るくなる)。
4. 土台が重い(俺が買ったのはクリップ式ではない)ので、安定している。
5. 形がスマート。
6. メイド・イン・ジャパンの安心感。

本なんてリビングに出て読めば良いではないか。そう、確かにその通りなのだが、隣で寝ているサクラは俺が横にいないことに敏感で、5時とか6時とかに「パパーッ!」と言って起きてしまうのだ。添い寝するほうがずっと安眠できるらしい。ちょっとしたパパノロケである。


ちなみに、上記リンクはAmazonですが、エル光源ダイレクトショップでは送料無料でした。

コフィン・ダンサー


職務中の事故によって首から下が麻痺した天才的な科学捜査官リンカーン・ライムが主人公の犯罪ミステリ。前作は映画化され、そして映画は面白くなかった(主人公をデンゼル・ワシントンが演じたこと以外、内容のほとんどを覚えていないほどだ)。

たまたまネット上で原作小説の評価が高いことを知り、好奇心にかられて読んだところツボにはまった。そこで2作目を買ってみたところ……、やっぱり面白い!! 今回はリンカーンと犯人による一騎討ちでの騙し合い……、そして、なんというドンデン返し!!

このシリーズはあと4作買っており、いま本棚で出番を待っているところである。

2015年3月4日

足の裏と性感帯、それから脊損患者の性感帯 『脳の中の幽霊』

これは脳のどの部分で体の刺激を感じるかということを示したものだが、見ると分かるように、足、それも足の尖端の近くに性器がある。

あっ!!

これを見て、もの凄く驚いた。
10人に1人くらいの割合で、足の裏をくすぐってもらうのが好きな人がいる(実際に俺もそうだ)。このことと、足の裏と性器の刺激を感じる大脳皮質がこれほど近いことは、決して無関係ではないのではなかろうか。


不幸にも手や足を切断した人には幻肢痛といわれるものが起こることがある。そのとき、たとえば手を切断した人の大脳皮質では、失われた手を司る大脳皮質部分の隣にある顔面や体幹の皮質が再配置される(グーッと侵食してくるようなイメージ)。本書の中に、腕を切断した後、顔を触られると手を触られたような感じがするという患者の話があった。

あっ!!

そういえば過去に読んだ障害者のセックスに関する本のどれかに、脊髄損傷後の性感帯の話があった。脊髄損傷すると、損傷した脊髄の高さに応じて運動や感覚が麻痺する。そして、感覚の麻痺した部分と正常部分との境い目に強烈な性感帯ができるというのだ。冒頭に紹介した足の裏と性器、それから皮質の再配置と合わせて考えると、幻視と同じようなメカニズムが関与しているのではないかと思えてくる。

本書はそれ以外の話題も豊富で、もの凄く知的刺激に満ちた本だった。『レナードの朝』で有名な神経内科医オリヴァー・サックスの本が好きな人なら、同じくらい楽しめると思う。

その発想はなかった! 3歳になったサクラが年齢を聞かれて……

さる2月26日で3歳の誕生日を迎えたサクラ。
我が家を訪れた俺の後輩であるチョッキ先生から、

「サクラちゃんは何歳?」

と聞かれて、

「2歳“でした”!!」

たっ……、正しい!!

2015年3月3日

初めて読んだ『ねないこだれだ』


生まれて初めて読んだ。

サクラに読み聞かせながらだったのだが、怖い、マジで怖い。

最後から3ページ目。

よなかに あそぶこは おばけに おなり
我知らず鳥肌がたった。

最終ページでは、子どもがオバケに連れ去られている。思わず、

「こわーーーーいっ!!」

と叫んでしまったのだが、そうしたら隣で聞いていたサクラが飛びついてきて、しかも泣き出してしまった。

以後、ちょっとしたトラウマである。サクラにとっても、俺にとっても。

ただ、怖いもの見たさというのは3歳にして備わっているようで、何度となく、

「おばけさん、よんで」

と持ってくる。そして、オバケ登場のページでは、必ず顔を手でおおって背けるのだ(笑) でも一番のお気に入り絵本(笑)


せっかくだから、この恐怖をしつけに活かそうと思い立った。ただ、子どもにして欲しくないことをした時に、
「そんなことをするとオバケが来るよ!!」
というようなやり方は嫌だったので、その反対で、やって欲しいことをすればオバケが来ない、という方向性で進めている。
「上手にご飯食べたらオバケこないよ」
「お片付けしようか。ちゃんとできたらオバケこないよ」
こんな感じ。

いやー、それにしても、初読者には要注意の絵本ですわ。

熱帯夜


ミステリ、社会風刺、ゾンビものの3つの中編からなる。こんな小説を書く人がいたのか、という感じ。またしても一人、お気に入り作家を発掘してしまった。同じ作家の評判の良い作品を何冊か読んでみることにする。

2015年3月2日

靄の中のバス停

数十メートル先を行くバスの後姿を見ながら、俺は思わず舌打ちした。今のバスを逃したら、次のバスまで二時間半以上待たなくちゃいけない。なんだってんだ、こんちくしょう、このド田舎バス停め。時刻表のポールを蹴っ飛ばすと、爪先が痛くて顔をしかめた。ため息をつきながらベンチに座った。見上げれば、きれいな青空にパンのような雲がいくつか浮かんでいて、春の終わりの日差しが気持ち良い。先ほどまでの苛立ちも少し治まり、小さくため息をついて伸びをした。少しぬるめの風が頬を撫でた。

はっと目が覚めると、動き出したばかりのバスの背中が見えた。追いかけようかと思ったが、バスはぐんぐんとスピードを上げて走り去っていく。あーもう。自分のバカさを呪いたくなる。時刻表によると、次のバスが来るまで四時間近くある。あまりの待ち時間の長さにうんざりする、と同時に腹が鳴った。腕時計を見ると、もう一時前だ。どこかでメシでもと思いあたりを見渡しても、それらしき建物なんてどこにもない。ベンチに座りなおしてどうしたものかと考えていると、見知らぬ中年女性が近づいてきた。
「どうかされました?」
「いや、お恥ずかしい話なんですが」
俺は女性に、うっかりバスに乗り遅れたこと、それから腹が減ったけれど近くに店がないことなどを話した。女性は優しげに、そうですか、と言って、石釜工房と書かれた紙袋からパンを二つ取り出した。
「よかったらどうぞ」
見知らぬ女性から食べ物をもらって良いものかどうか。俺はほんの少しだけ迷ったが、空腹には勝てなかった。女性は俺が食べ終えるのを見届けると、そそくさと帰っていってしまった。
焼きそばパンのタマネギが奥歯の間に挟まっている。舌をもぞもぞさせたり、指でつかんでみようとしたりしたがなかなか取れない。口をすぼめて吸引してみる。ダメだ、取れない。気持ち悪い。舌をまた動かす、指を入れる、吸引してみる、舌を……。

カクンと頭の落ちる感覚で目を覚ますと、バスがもうずっと先を走っていた。あぁ、行ってしまった。時刻表を見ると、どうやらこれが最終便のようだ。一日に三回もバスに乗り過ごすなんて……。ここで野宿はさすがに風邪ひきそうだし、なによりまたちょっと腹が減ってきている。困ったな……、と途方に暮れていると、学校帰りだろうか、制服を着た少年が声をかけてきた。
「どうしたの?」
いきなりの馴れ馴れしい言葉遣いに思わずムッとしかけたが、困っているのはこちらだし、それを助けようとしてくれているのだから、本当はきっと良い子なのだろう。
「いや、実はね」
俺はバスに三回も乗り遅れたことを正直に話し、しかも泊まる場所も食べるものもないのだということを説明した。すると少年は、
「じゃ、うちにおいでよ」
そう屈託なく笑って、すたすたと先を歩き始めた。少し戸惑いはしたが、ここで野宿するわけにもいかず、なにより空腹がどんどん増していく。背に腹はかえられない。俺は少年のあとについて行くことにした。

「ただいまぁ」
少年が元気よく声をあげる。
「お邪魔します」
俺はおずおずと家に上がった。畳敷きの居間にはちゃぶ台があり、その上には石釜工房と書かれた紙袋が置いてある。台所から出てきた女性が、エプロンで手を拭きながら、
「ささ、座って座って」
そう言って俺に座布団を勧め、湯飲みに茶を注いだ。俺は奥歯に挟まったタマネギを舌でもぞもぞしたり、指を入れてつかもうとしたり、吸引したりしながら考えた。なんか変だぞ。

「お母さん。おじいちゃん、今日もバス停で寝てたよ」
「うん、知ってる、お昼ご飯もいつものようにあげたから。今日はパンよ」
「お父さんの運転するバスに乗りたがるのって、何か意味があるのかな」
「どうだろうねぇ、それは本人のみぞ……、いや本人にも分かってないかも」
そう言って笑いあう二人を見ながら、俺はなんだか居心地の良いところだなぁと思うのだが、はて、どうしてこんなところにいるのだか。なにはともあれ、明日こそは早起きしてバス停に行こう。妙に手になじむ湯飲みを傾けて、俺はグイと飲み干した。

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