2015年5月29日

藁にもすがる獣たち


面白かった。

この作者お得意のトリックで、後半にいくほど驚きとナルホドが混じり合っていく感じは読んでいて気持ちが良い。ラストもこの作者にしては爽やか。文章量もそう多くないし、ちょっとの空き時間で読むのにお勧めな一冊。

2015年5月28日

精神科の治療には臨機応変が求められるが、とはいえ一度は言語化しておかなければアドリブもできない。 『病んだ家族、散乱した室内』

精神科では完全に型にはまったルーチン治療・看護というのはほとんどないが、ではその場しのぎのアドリブを連発すれば良いかというとそうでもない。このあたりをうまく言い表しているフレーズがあった。
言語化しておかなければアドリブもできない。

精神科ケア、特に訪問看護・介護といった仕事に携わる人たちに向けて、精神科医がざっくばらんで率直な意見を書いている。なかなかに面白くて、これはうちの訪問看護チームにも貸し出そうかと考えている。分量のわりに値段が高いので中古か図書館でどうぞ。

2015年5月27日

初診で嘘をつく人

ある日、診察室にやってきた30代前半の青年はイスに座るなり、こちらが自己紹介をするよりも前にこう切り出した。
「まず3つのお願いがあります」
呆気にとられたが、態勢を立て直して自己紹介をし、改めてその3つのお願いというのが何か聞いてみた。彼の願いとは以下の3つ。

1. 通常の診察を希望する。ただし、ここをかかりつけにはせず、1ヶ月後には都市部に戻る。
2. 今もらっているのと同じ薬を欲しい。
3. 会社に提出する傷病手当ての診断書を病名「うつ病」で書いてもらいたい。

「通常の診察」は言われるまでもなくやるのだが、そこで分かったことは、都市部のクリニックで凄く大量の処方を受けているということだった。紹介状はなかったが、薬の説明書を持参しており、サインバルタ、リフレックス、ジプレキサを最大量、さらにはドグマチール、睡眠薬が数種類、安定剤も数種類が記載されていた。本人によると3ヶ月前から受診開始し、この1ヶ月の間にとんとん拍子に薬が増えたとのこと。

よほどのヤブ医者なのか、それとも何か事情があるのか。いずれにしろ、彼が「通常の診察」を望むのであれば……、はっきりと言うしかない。
「たった1ヶ月でここまでの量に増えるのは普通ではありません。前の先生がどうお考えになって処方されたのか分かりませんが、ここで通常の診察を希望するということであれば、この処方をこのまま出して欲しいという希望には添えません」
すると彼は、しばらく沈黙した後、こう言った。

「すいません、嘘をついていました。実は、20歳の頃からかかっていて、徐々に増えてきたんです」

あまりのことに驚いてしまった。どうして「3ヶ月前に受診開始した」などというプラスにもマイナスにもならないような嘘をついたのか? 理解に苦しむが、それを問い詰めたところであまり有益ではないと考えてスルーした。1ヶ月後にはかかりつけに戻るというので、しぶしぶではあるが現在の薬をそのまま処方した。

さて、休職している彼の現在の生活は、朝から酒を飲んでゲームをしているという。採血をしたところ、なんと中性脂肪は5000(5百の誤字ではなく、5千である!!)を超えていた。酒びたりの生活は、うつ病の療養にはまったく適さないので止めるように伝えるも、やめきれないと言う。そんな状況で「うつ病」と診断した傷病手当ての記載はできない。明らかにアルコール依存症であり、それはハッキリ伝えておかなければいけない。

「前の先生の診察ではどうだったか分かりませんが、朝から酒を飲んでゲームして過ごしているという今の状況で、うつ病の診断書は書きません。本当にうつ病だとするならば、治療のためにもまずは酒をやめること。それができれば診断書の記載も検討しますが、できなければ傷病手当ての診断名には『アルコール依存症』と記載します。そんな診断書で傷病手当てがもらえる会社かどうかは分かりませんが」

1週間後の再診時にも彼は酒をやめていなかったが、診断書の記載は求められた。当科での診断はあくまでもアルコール依存症であり、うつ病の診断書が欲しいのであれば、かかりつけである都市部のクリニックから病歴が分かるような紹介状を郵送してもらうように伝えた。彼は分かりましたと言って帰ったが、それ以後、彼は病院に姿を見せない。

ところで初診の終了後、同僚精神科医やスタッフに彼が嘘をついていたという話を聞かせたところ、
「先生、試されたんじゃないですか? あの人、学歴高いし頭良さそうだから」
という意見が出た。彼は一流国立大学を卒業し、さらに超一流国立大学院を卒業していた。本当にちゃんとした医者かどうかみてやろう、そんな考えがあったのかどうか……。

彼の希望のすべては叶えることができなかったが、彼の人生のためにも、精神科医として決して間違ったことはしなかったと確信している。

2015年5月26日

晴天の迷いクジラ


面白いとは思うし、この人の他の本も読みたいと感じるのだが、手放しで高評価をつける気にもなれない、そういう意味でムズカシイ小説。

窪美澄(くぼ・みすみ)の本はこれで3冊目で、いずれにも共通しているのは時系列の行きつ戻りつがかなり頻繁だということ。小説としてはそういうところが読みにくいことがあるし、頭の中に思い描く時系列が混乱してしまうこともある。

しかし考えてみると、人は現在を生きているなかでふっと過去を思い出し、しかもその過去は決して古いものから順番に並んでいるわけでもない。そういう意味では、彼女の描く「ストーリー」そのものは現実離れしたファンタジックなものであったとしても、「形式」は非常にリアルと言えるのかもしれない。

2015年5月22日

生活保護の人にギャンブルするな、宝くじ買うなとは言わないが…… 『ギャンブル依存とたたかう』

ほぼすべての自治体で、生活保護の受給者はパチンコをしないよう指導されるが、決して禁止ということではない。基本的には指導止まりだ。これは変だと思うが、「金をどう使おうが自由だ!」「生保の受給者は娯楽すらも禁じられるのか!」と反論する人もいる。いやいや、ちょっと待て。

浪費するだけなら娯楽として認められるかもしれないが、ギャンブルは勝つこともある。勝ったぶんを自治体に返納するというのなら「自由だ」というのも一理ある。しかし、「もらった金は自分のものだからギャンブルにつぎこむのも自由、そしてギャンブルで勝った金も自分のもの」というのでは筋が通らないではないか。極端な話、たとえば生保の受給者が宝くじで1億円当たったら、これまで支給された保護費を全額返納しなければ当選金を受け取れないような制度にしてしまっても良いくらいだ。

なにもギャンブルをするな、宝くじを買うなと言っているのではない。ささやかな夢を買う権利は誰にでもある。ただ、自治体からもらった金を使ってギャンブルに勝ったり宝くじに当たったりしたのなら、せめてこれまでもらった分くらいは自治体に返しなさい、という人として当たり前の感覚の話をしているつもりだ。

俺の患者にも、生活保護をもらいながらパチンコに狂っている人がいる。受給日に一ヶ月に必要な最低限の食料品を買い揃え、あとはその日のうちにパチンコで使い切ってしまう。これはもう病的賭博、ギャンブル依存症である。もともとはアルコール依存症だったが、パチンコにはまってからは酒をほとんど飲まなくなった。酒を飲む金があるならパチンコに、という生き方になってしまったのだ。家族にはとうの昔に見放され、恋人もなく、友人もほとんどおらず、今の生活に本人が悩み苦しんでいるということもない。アルコール依存症に比べれば肝臓には優しいし、それなりに食事もするから体には良いのかもしれない……、そんなことを考えながら、毎回の診察ではいまひとつ釈然としない思いを抱く(もともと躁うつ病もあるが、こちらの症状はもうずいぶん長く落ち着いている)。


本書は小説家で、精神科医でもある帚木蓬生が書いたギャンブル依存に関する本。読んで思うが、日本は身近にギャンブル多すぎる。どうにかならないものかねぇ。

2015年5月21日

天国までの百マイル


あっさり読み終わるが、それなりに面白かった。ストーリーを大雑把に書いておく。

主人公の男性は、俺と同じ40代。世代的には少し上。バブルがはじけて自分の会社を倒産させ、別れた妻子への仕送りもままならぬほど落ちぶれている。ある日、心臓病で入院する母について、主治医から病状の深刻さを告げられ愕然とする。100マイル離れた病院でバイパス手術を施してもらうため、彼は衰弱した母をワゴン車に乗せて走る。さて、どうなるのか。

設定自体は小説としてそう特殊でもないが、出てくるキャラがなかなか魅力的。とはいえ、分量がそう多くないので凄く深いということもない。面白い暇つぶしという感じかな。

2015年5月20日

「Staff Only」 案の定の結末‏……

当院改築にあたって、あちらこちらに「Staff Only」の標示がなされることの愚かしさについて以前書いた。「Staff Only」とは「関係者以外立ち入り禁止」という意味だが、田舎の病院のユーザーは基本的に高齢者がメインであり、そのメインユーザーに対してこの標示は不親切である。

精神科に関して言えば、「精神科受付 Staff Only」と書かれたドアから入ってくる人が続出している。受付には個人情報が記載された書類などが多数あるため、部外者が入り込んでくるのは非常にまずい。

結局、現在は病院のあちこちの「Staff Only」標示の近くに、「関係者以外立ち入り禁止」のステッカーを貼りまくって対処しているところである。設計した人間がアホなのか、それを許可した人間がバカなのか……。ただただ苦笑するばかりである。

<関連>
『Staff Only』を採用した責任者、出てこい!!

2015年5月19日

「こわいもの知らず」とプロは違う。ベテランの精神科医だって、怖いものは怖い 『病んだ家族、散乱した室内』

まだ精神科医として2年目だった時の話である。

30代の男性が突然の幻覚妄想状態になったということで、妻に連れられて受診した。患者をみて、妻から詳しく話を聞いて、実は数年前から発症していた統合失調症であると診断した。その時にはセレネースという注射を打つことで落ち着いた。以後、定期的な外来治療の開始となったのだが……。

この男性、肉体労働をしているのでかなり体格が良いうえに、人相も良くない。中学・高校生の不良がそのまま30代になったような顔つきである。そんな彼は、幻覚妄想は速やかに改善したものの、焦燥感というかイライラというか、そうした症状がなかなかとれなかった。それで妻に対して攻撃的な言葉を投げつけたり、ささいなことをきっかけに「もう離婚じゃ!」と言って役所に走って行ったりということが続いた。困った妻が本人抜きで診察室に相談に来たのだが、その途中で廊下の方から、

「おいこらー! 俺の嫁を出せ!! ここにいることは分かってるんだ!!」

と怒鳴り声が聞こえてきた。結局は診察室に招き入れて、長々と話をすることになった。上述したように、凶悪な顔と凶器的な体つきであるから、正直ちょっとビビっていた。しかし自分は精神科医であり、患者に対して怖いなんて感情を抱くことは恥ずべきことである。そんな風に考えていた。診察が終わって部屋を出ると、すぐ外で指導医のY先生と男性看護師2名が身構えて待機してくれていた。

後日、Y先生との酒席で、この男性の話題になった時に、Y先生があっさりと、

「あの人、怖いよねぇ」

と苦笑されたのを見て、一気に肩の力が抜けた。そうか、怖いって感じても良いんだ。

ちなみに、この男性の治療は上手く行き、ずいぶん親しくなってから、
「顔が怖いって言われませんか?」
と尋ねたら、
「昔からよく言われます」
と笑っていた。逆に彼からは、
「先生は頑固者ですね」
と言われた。まだ攻撃的だった時期の彼から、どんなに薬(安定剤)を増やしてくれと凄まれても、
「飲まないほうが良いと思う薬は出さない」
と言って拒否し続けたからだろう。幻覚妄想が重度だったわりに、入院も要さず、薬もよく効いて、しかも治療関係が今も円滑にいっている貴重なケースである。

援助の対象者である患者を怖いと感じることについて、本書にも記載があった。
「こわいもの知らず」とプロは違う。
合点のいかないシチュエーションにおいてこわいと思うことは、ある意味で世間一般の感覚そのものであり、それを失ってしまっては相手に適切なアドバイスもできまい。(中略)率直な気持ちを押し殺してしまっては、納得のいく援助活動など不可能となってしまうだろう。

2015年5月18日

「いまの自分」を好きになるメリット

「いまの自分」を好きになるメリットは大きい。

好きになるということは、「いまの自分」を肯定的に評価するということである。それは「過去の自分の失敗や辛い出来事」を前向きに捉えることになる。なぜなら、そういう過去がなければ「いまの自分」というものはありえないからだ。

そしてまた、「いまの自分」を好きになることは、未来に向けた努力への原動力にもなる。誰だって、嫌いな人のためより、好きな人のために頑張りたいものである。「嫌いな自分」と「好きな自分」を並べてみて、あなたが何かしてあげたいと思えるのはどちらだろうか。

たいていの場合、「過去」のせいで「いまの自分」が上手く行かないわけではなく、「いまの自分」を好きでないから、その責任を過去に求めているだけなのだ。そういう人は、きっと「未来の自分」が「いまの自分」を責めることになるだろう。

自分を好きになることのデメリットはナルシストだと思われることくらいで、そんなマイナスを補って余りあるくらいの効用があるのだから、自分を好きにならない手はない。

羆嵐(くまあらし)


大正4年12月に起こった羆(ひぐま)による日本獣害史上最大の惨事を描いた吉村昭のドキュメンタリー小説。その筆致は素晴らしく、凄惨さがひしひしと伝わってくる。見てきたように書いてあるのだが、俺が吉村の小説に対して「見てきたように書いている」というのは褒め言葉である。

2015年5月15日

文章を書くということ

文章を書くということは、ロック・クライミングのようなものである。

一語を手がかりに、次の一語を手探りしてつかむ。
一文を足がかりに、次の一文へ足を踏み出していく。

そうやって登りきったところから素晴らしい景色が見えるかどうかは分からないが、山を登るプロセスそのものを楽しめる人がいるように、書くことそのものに喜びを感じる人たちがいる。

「“文章を書くのが好き”なんて変なの」
と思う人もいるかもしれないが、例えば絵や音楽などの趣味ならどうだろう。イラストを描いてはアップする「絵師」と呼ばれる人がいたり、YouTubeで「歌ってみた」「弾いてみた」と題して歌ったり演奏したりする人たちがいる。また「お菓子作りが好き」という女性もいるし、料理が好きという男性も多い。他にも写真撮影に力を注いだり、陶芸を生きがいにしたり、園芸が趣味だったり。そういう趣味人たちとほぼ同じ感覚で、「文章を書くのが好き」という人がいるわけだ。

どんな駄文もネットにアップすれば、数人から数十人、場合によっては数百人が目にし、その中の一部の人がちゃんと読んでくれる。そしてさらにその一部の人の心の琴線に触れることがある、かもしれない。

プロではない人たちが生み出した絵や歌や音楽、写真や陶芸や園芸、お菓子や料理といったものを、見たり聴いたり食べたりして感心・感動する人がいるのと同じように、プロ作家ではなく市井に生きる無名の誰かが書いた文章を読んで感銘を受ける人たちがきっといる。もしかすると、自分の書いたものが誰かの心を打つかもしれない。そんな誰かの存在を信じることは、ブロガーの心の支えでもある。

そして、たとえ自分の書く文章を好きな人たちがいなかったとしても、それはそれで良いのだ。最初に述べたように、書くことが好きな人にとって、書くことそのものが刺激的でワクワクする体験である。それに加えて、そんな人たちにとっては、自分で書いた文章を自分で読むという楽しみもあるのだから。それはまるで、自分で描いた絵を自分で眺めて、あるいは自分で作った料理を自分で食べて楽しむようなものだ。その感覚が高じて俺は、患者の入院時記録を看護師が読んで面白いように、内科や外科からの紹介状の返事は紹介元の先生が興味深く読めるように、自分なりの工夫と努力をするようになった。

そういうわけで、今日も俺は書いている。

アイデアのつくり方


ものすごく薄くて、中身検索でも分かるように文字数もすごく少ないので、定価で買うと損した気分になりそうな本。解説などを抜いた著者オリジナルの文章は50ページちょっと。ちょっと割高かな。

2015年5月14日

たとえ住所を知っても、主治医の家には行ってはいけない

ある日、仕事中に妻から連絡があった。
「Aさんという患者さん(男)が家に来て、ミカンをくださったんだけど……」

患者からどこに住んでいるか尋ねられることは多いが、いつもさらりと嘘をつく。まして細かい住所を教えるなんてことは絶対にしない。もちろんAさんに教えたこともない。それなのに、どうしてAさんは俺の自宅を知っているのだ……?

Aさんは変な人ではない。むしろ真面目な人だ。それでも俺は正直「怖い」と思った。妻も同じように「怖い」と感じたそうだ。Aさんが怖いわけではなく、もしかすると多くの患者から自宅を知られているかもしれないということが怖いのだ。

精神科の診察室で、俺は患者を支持するだけでなく、時には厳しい態度で接することもある。嫌がる患者を引きずっていって強制的に入院させることもある。こちらは良かれと思ってやったことでも、逆恨みされる要素はふんだんにある。

逆恨みを買ってでも必要な治療を行なう。そんな覚悟には、家族や自分のプライベートなところは安全であるという安心感が必要だ。その安心感が揺るがされると、逆恨みを買う覚悟ができず、腰のひけた治療になってしまう。そういう意味で、Aさんの行為はとんでもないマナー違反である。

Aさんに悪気がないことくらい百も承知であるが、それでも、「妻と娘しかいない家に男性患者がやって来た」ということが、俺に与えた衝撃と恐怖と不安感はとてつもなく大きい。実際、この件以来、妻は俺が出張の時の夜が非常に怖くなり、落ち着いて過ごせないという。

そういえば、以前に勤務した病院では、先輩医師が患者に自宅を知られ、さらに脅迫を受けたため県外に転勤していった。俺もそろそろ潮時なのかもしれない。


<関連>
プライベート時間に侵入してくる人たち‏

アイデアのヒント


アイデアには常に飢えている。いや、この言い方はちょっと違う。精神科の診療に使えそうなヒントを常に探しているというほうが正しいか。

一貫した姿勢に基づきながら、常に新しい何かを補給して、診療にあたっては臨機応変さと柔軟性を心がけたいと思っている。そのためには常にあらゆるものからのヒント収拾が必要である。

本書はアイデアを見つけるための姿勢、考え方が簡潔に書かれている本。ちょっと冗長な部分もあったが、このての本を読んだことがないという人には面白いかもしれない。

2015年5月12日

マギの聖骨


「殺しの訓練を受けた科学者」の集団である架空のアメリカ機関シグマ・フォースの活躍を描いた物語で、『ダ・ヴィンチ・コード』や『インディ・ジョーンズ』や『トゥーム・レイダー』を混ぜこぜにしたような感じ。テンポはわりと良いが、ストーリーやどんでん返し的には可もなく不可もないといったところで、根強いファンのいるB級映画という趣き。続編『ナチの亡霊』は購入済みなので、機をみて手にとることにしよう。

2015年5月11日

家族で初めての山登り

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週末に家族で山登り。往復3キロで、大人でもけっこう疲れる急な上り坂。サクラも何度となく抱っこをせがんだけれど、石蹴りなどでごまかしたり励ましたりしながら、頂上まで登りきった。

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頂上では直前に買ったオヤツを皆で食べて、夕日を眺めた。展望台にはサクラの大好きな双眼鏡もあって大満足。翌日、俺も妻も足がだるかったけれど、サクラは元気に走り回っていた。子どものパワーはすごい。

ちなみに、次女ユウは俺が抱っこしている。

脳の中の天使


脳神経科学者ラマチャンドランによる『脳の中の幽霊』(ブログ内では、『足の裏と性感帯、それから脊損患者の性感帯』で紹介)の続編のようなもの。原題は、
『The Tell-Tale Brain A Neuroscientist’s Quest for What Makes Us Human』
邦題はあまりに前著を意識しすぎな気がする。

切断された後の腕が痛む幻肢痛、数字や音と同時に色を感じる共感覚、自閉症、ミラーニューロン、美と脳神経学、言語の進化など、題材は他方面に及ぶがメインテーマは脳そのものと、脳の進化についてで、緻密な観察と深い洞察による鋭い考察がなされている。脳構造や機能に関しては冒頭で多少の説明があるものの、やはりある程度の知識がないと読み進みにくい部分がある。そういう時にはあまり細かいところにこだわらず、ラマチャンドラン博士の「知のジャグリング」とでも言うべき知的妙技を楽しみながら脳の不思議に触れるのが良いだろう。

精神科医としては、臨床における思考のヒントとなるような部分が多数あり有意義であった。

2015年5月8日

前医で「うつ病」と診断されていても、それを鵜呑みにしてはいけない

うつ病ということで精神科を紹介された高齢男性が、中年の娘さんと一緒に受診した。男性は腰椎の黄色靱帯骨化症のため他の病院で手術を受け、そこで入院中に「うつ病」になったということで薬を処方されていた。確かに彼の表情は非常に暗い。ついでに言えば、娘さんの顔も深刻である。

処方内容と紹介状を見ると、現在はパキシル20mg、ドグマチール150mg、アモキサン(量は忘れた)を内服中であり、また少し前にトレドミンも試みたが、効果がないということでアモキサンに変更したとのこと。この処方内容を見た瞬間に頭の中に「!?」が浮かんだ(多剤かつ中途半端な量なので)が、それを正直に患者や家族に告げると話がこじれる。前医をあからさまに批難しないのはマナーであると同時に、そのほうが今後の治療もスムーズにいくことが多い。

さて、男性が今一番困っているのは、日中にボーっとすることと、体がだるいことである。もともとは凄く元気な男性で、体を動かすのが大好きな彼は、若いころにはテニスも野球もやり、手術前にはゲートボールもグランドゴルフも積極的にやっていた。ところが手術を終えると、非常に頑強なコルセットをつけて、寝返りをうつのも一苦労、呼ばれて振り返るのさえ体ごとという不自由な生活が続いている。

この話を聞いて真っ先に口をついて出た言葉は、
「うわぁ……、そりゃ大変ですね……、それだと気分が落ちこむのも無理ない話ですよ」
というものであった。そしてこれを聞いて、それまで暗い表情をしていた男性がどんな顔をしたかというと、にっこり微笑んだのである。さらに続けて、
「こころの病気というより、これはむしろ正常な反応だと思いますよ」
と言うと、男性はなお安心した表情になった。それを見た付き添いの娘さんは、
「あぁ、良かった……、やっとこういう笑顔が見れた。最近ずっとふさぎこんでいたから……」
と少し声をつまらせながら喜んでいた。

患者の「いまの状態」だけでなく「いままでの流れ」もみる。その流れの中にあれば、誰だって気持ちが沈むだろうと感じた。その自分個人の感想を、精神科医という肩書きのもつ効果とともに患者に伝えた。そうすることが治療的だとは思っていたが、まさか男性の笑顔を取り戻すことになるとまでは想像していなかった。

こうして「いままでの流れ」と「いまの状態」をみたら、次は「いまからの流れ」をみるのが定石である。男性と娘さんによると、このコルセットは一生つけるものではなく、あと数週間後には手術を受けた病院に行き、検査の結果次第では外されるとのことであった。コルセットが外れた段階で患者のうつ状態は改善する可能性が高いのではなかろうか。その結論も含めて、男性と娘さんに「いままでの流れ」「いまの状態」「これからの流れ」(これらをまとめて「みたて」という)についての見解を伝えた。

なお一番困っているという「日中にボーっとする、体がだるい」に関しては、
「気分が落ちこんでいるせいかもしれないし、もしかすると薬のせいかもしれない。どっちかは分からないけれど、どちらにしても薬は減らしていけそうです。ただ、いきなり全部やめるのは良くないので、しばらく通ってもらって、少しずつ減らしていきましょう」
という方針で締めくくった。

診察室に暗い表情で入ってきた患者から笑顔を引き出す、あるいは明るい顔で入ってきた患者から本音の涙を誘い出す。初診時点でこのどちらかに成功すれば、半ば勝負はついたようなものだ。


※もちろん、人生における一大イベントと同時期に、それとはまったく無関係にうつ病が発症したという可能性は常に念頭に置いておくべきである。

小田嶋隆のコラム道


文章を書くということを改めて見つめ直したいと思って、何冊か買ったうちの一つ。面白かったし、参考になったような気もするが、文章量に比べると値段が高いのが気になる。

2015年5月7日

覇王の番人


明智光秀と光秀に仕えた忍びを主人公にした歴史小説。両方の視点を交互に切り替えながら話が進んでいく。光秀の視点では知略・調略が、忍びの視点では真保裕一らしいアクションシーンが、そしてそれぞれに心情・人情が適度な割合で織りこまれる。

すごく面白かったのだが、残念なことに俺がまったくもって歴史に疎く、登場人物の9割くらいを知らなかったので、かなり雰囲気だけで読み切ってしまった。言い方を変えるなら、そういう歴史愚者の俺でさえ楽しめる小説だったということ。俺のこれまでの光秀イメージとは違って、かなり人情味のある温かい人物として描かれている。

光秀を主人公にしているだけに決して完全なハッピーエンドとは言えないものの、ただのバッドエンドでもないところが好き。

2015年5月1日

街中で主治医を見かけても、病気の相談は禁忌である

出張診療先のホテルから早朝ジョギングに出発したところ、患者の母が走り寄ってきてあれやこれやと相談された。どうやら待ち構えていたようだ。彼女からは以前にも同様のかたちで路上相談を受けたことがある。その時は診療終了後で、ホテルへ歩いている途中だった。こちらは心身ともに完全なプライベートモードに入っているので、ただただ迷惑としか感じられない。

「患者のことを心配する気持ちはよく分かりますが、こういうことはきちんと診察室に来て話してください」
そう伝えることさえ億劫になるのがプライベートモードである。仕事と関係のない自分のための時間に、こんな業務用トークはできない。もしここまで冷静な対応ができる医師がいるとしたら、それは仕事モードとプライベートモードの切り替えが上手くいっていないのではなかろうか。

プライベートな時間に侵入してくる人に対して俺は容赦なく冷たいが、だからといってその感情を診察室に持ち込むことはない。ただし、こういう出来事は無視せず、患者の家庭環境を推測する手がかりにする。今回の例でいえば、ホテルの前で医師を待ち構えるような母のいる家庭とはどんな雰囲気なのかを想像できる。

結局、俺は彼女に対して、路上でキャッチセールスに声をかけられた時くらいのリアクションしかとる気になれなかった。仕事もプライベートも区別せず、24時間営業で優しい精神科医を継続していくのは無理だ。

少なくとも俺の場合は。