2015年7月30日

我が家に仔ネコがやって来た‏

その仔ネコが我が家に来ることになったのは、金曜日の夜だった。

断乳中の次女ユウを寝かしつけるのが俺の役目で、毎晩、抱っこひもにユウを入れて夜道を散歩する。いつもは家に残る長女サクラが、その夜は一緒に行くと言ってついて来た。

抱っこしたユウの体温をお腹に感じ、サクラの小さな手を俺の左手に包みこみ、それぞれに語りかけながら歩いていると、サクラのよく響く声の隙間を縫うようにして仔ネコの鳴き声が聞こえた。道路の反対側からのようだ。
「サクラ、静かにしてみて。ネコが鳴いてるよ」
「えー? ネコー」
「静かにって(笑)」

二人で耳を澄ますのと、仔ネコの影が道路を横切るのと、軽自動車のライトが迫るのとがまったく同時だった。それから、ゴグッという嫌な音がして、俺は足が動かなくなり、脳裏にはネコの無残な映像が浮かんだ。立ち止まった俺たちの横を、普通車や大型トラックが通り過ぎていく。その轟音に恐怖を覚え、思わずサクラの手を強く握った。サクラが、
「ネコは?」
と言って歩こうとする。
「ダメ、動かないで!」
ゴグッという不吉な音からサクラを守らなければいけない、なぜかそんな気持ちになり、思わず口調が強くなる。

しばらくすると、道路の上の小さな影が少しずつ動き出した。車は来ていない。その影はとうとう俺たちの10メートル先にたどり着いた。
生きている! でも……。
懐中電灯の明かりを向けながら、恐る恐る近づくと、そこには凄く小さな仔ネコが横たわっていた。体をプルプルと震わせ、もの凄くキツそうだが、血は出ていない。どこをひかれたのか観察すると、片方の後ろ足を強く踏まれているようだった。だがとにかく息はしている。

家に帰って妻を呼ぶかどうか迷った。妻の性格からして、連れて帰るとか、動物病院に連れて行くとか、そういうことを言うだろうと分かっていたからだ。その後は飼うことになるのだろうか? 障害のあるネコを? 屋内で? そんな厄介なことを引き受けられるだろうか……。なんだかんだと頭を悩ませながらも、足は家に向いていた。

改めて4人で見に行った。それから妻は家に引き返し、手袋をして、威嚇する仔ネコを抱いて段ボールに乗せた。俺はほとんど喋らなかった。何か話すのが怖かった。こんな仔ネコは連れて帰らない方が良いと思う俺と、妻と協力して何かをなすべきだと考える俺とがせめぎ合って、さらにあのゴグッという音が脳裏にこびりついていて、ただ黙っていることしかできなかった。

サクラは「コネコしゃん、コネコしゃん」と無邪気にはしゃいでいた。仔ネコは水を少し飲んだ。その日、仔ネコは玄関に寝せた。夜は仔ネコの夢を見た。どういう内容だったかは覚えていない。

翌朝、仔ネコは段ボールを抜け出して、玄関の隅の隙間に入り込んで寝ていた。どうやら前足は大丈夫で、体をそれだけ動かす体力もあるようだ。ここまで来たら、最後まで面倒を見ないといけないかもしれない。そんな思いで動物病院に電話をかけ、土曜日も診療しているか確認した。それから家族4人と仔ネコ1匹で動物病院に向かった。

レントゲンを3枚撮った結果は思いがけないもので、後ろ足の片方は大腿部で骨折しているが、その他に大きな損傷はないとのことだった。また骨折も仔ネコなので治りは早く、大きな障害は残らないかもしれないらしい。瞳孔も左右対称で、眼底出血もない。
「内臓はどうですか?」
妻が尋ねた。
「レントゲンだけでは分かりませんが……」
獣医は慎重にそう言って俺を見た。それで俺は「あの……」と切り出した。
「昨夜から吐血はしていません。下痢はしていましたが、血便ではなかったです。水もミルクも飲みました」
自分自身を励ますような、妻を慰めるような、獣医に助け船を出すような、そんな気持ちでそう言うと、優しい目をした獣医は、
「うん、それなら大丈夫かもしれませんね」
と声を明るくした。

診療代7020円なり。
どうやら生後2ヶ月程度のメス。
添え木をして、可愛い包帯を巻かれた仔ネコ。
ようこそ我が家へ。
ビーグル犬の太郎との相性が気になりつつ、新たな家族の一員のために俺は、「屋内で飼うとなると……」など生活設計の修正を始めた。妻もトイレ用の砂を買いに行かなければいけないと張り切っていた。

仔ネコの看病はリビングですることになった。玄関は西日がさして暑いのだ。段ボールから洗濯カゴへ引っ越しすることになった仔ネコは、時々鳴いたり動いたりしていた。最初はサクラも洗濯カゴを触ったり揺らしたりしていたが、
「ネコちゃん、ケガしているから痛いって。なるべくそっとしてあげて」
と何度か伝えると、その後はカゴの近くに横になって頬杖をつきながら、
「コネコしゃん、コネコしゃん」
と言っていた。そんなサクラの優しさが愛らしく、また誇らしくもあった。

俺と妻とで名前をどうするか話し合った。交通事故から生還したのだからと、「幸運」をいろいろな外国語でどう言うか調べてみたが、あまりピンとくるのがない。「出会い」「運命」といったものも調べたが良いのがみつからない。とうとう、
「太郎がいるから、花子にするか」
という意見まで出たが、友人の飼っている犬がハナちゃんなので却下。なかなか決まらず保留となった。
「おいお前、しばらくは名無しのゴンベだな。キツイだろうけど、がんばれよ」
そう声をかけると、目が合った。

午後になり、妻は出かける準備をする前に仔ネコを覗き込んでいた。
「どう?」
「寝てる」
それから妻がシャワーを浴び始め、しばらくしてから俺も仔ネコの様子を確認した。
仔ネコは息をしていなかった。
死んでいた。
俺はため息を一つつき、風呂場へ行き、淡々と事実だけを告げた。妻はしばらく呆然とし、「さっきまでは息していたのに……」と呟き、「心マは!?」と顔を上げ、首を振る俺を見て、それから、泣いた。まだ死の意味を分からないサクラの「コネコしゃん、コネコしゃん」という陽気な声が切なかった。

交通事故から保護して17時間。ようこそ我が家へという気持ちになって4時間。仔ネコは、名無しのゴンベのまま、あっという間に我が家を通り過ぎて逝ってしまった。

保護されなければ、道路脇で暗い中うずくまり、初夏の太陽に照らされ、喉の渇きを感じたまま死ぬ運命だったと考えると、我が家に来たことは決して悪いことではなかったはずだ。妻と二人でそう話し合いながら、気持ちの整理をつけた。

「なぁ、またネコ、我が家に来てくれるかな?」
「来てくれると良いね」
「わざわざ探して飼うもんじゃないと思うんだよなぁ」
「うん」
「今回みたいなさ……」
「そうだね」
うまく言葉にできないが、縁というか、運命というか、いつかそういうものがキッカケで、犬派の俺もネコを飼うことになるのかな、そんなことを考えた。

さようなら、名無しのゴンベ。

夜の散歩で、君が横たわっていた場所を通るたび、
「コネコしゃん、いるかなー?」
サクラはそう言って、懐中電灯で君のことを探しているんだよ。

さようなら、コネコしゃん。

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2015年7月29日

邦題が購買層をミスリードしているが、中身は非常に良い! 『ポジティブな人だけがうまくいく 3:1の法則』


本書のメインテーマは、ポジティビティである。ポジティビティとネガティビティの比率が3:1以上、つまりポジティビティがネガティビティの3倍以上ないと人生が「繁栄」せず「沈滞」するというのがタイトルにもなっている「法則」である。

ポジティビティがちょっと減って、たとえば2:1ではダメなのか? ダメなのだ。では2.5:1ではどうか? やはりダメなのだ。とにかく3:1以上ないと良い循環に結びつかないことが多くの研究・統計で明らかになった。つまり「3:1の法則」である。

ただし、ネガティビティをゼロにする必要はない、というよりゼロにすることは不可能であるし、ネガティビティが絶対悪というわけでもない。むしろ人生に必要なネガティビティだってある。

こうした筆者の主張を踏まえてみると、この邦題『ポジティブな人だけがうまくいく』はトンデモなく購買層をミスリードしている。筆者は決してそのようなことは主張していない。

ポジティビティとネガティビティの比率を3:1にするためには、ポジティビティを増やすか、ネガティビティを減らすか(ゼロにできないことは筆者が繰り返し強調している)しないといけない。どうすればそうできるか、そうしたことに関して様々な実験と統計から得られたことを解説している。

本書の原題は『Positivity』と非常にシンプルである。邦題をつけた人間は筆者の意図をはき違えているか、売るための手段としてそうしたのか……。後者なのかなぁ。

2015年7月27日

90代は人類のエリート

さすが、90歳まで生きる人というのは危機察知能力が高い。今回はそんな話。

90歳の女性が、自宅での不穏興奮が著しいため入院となった。家族の話からすると、どうやら40代後半から自宅にバリケードを張るなど精神病を思わせる症状があったようだが、未治療のまま半世紀(!)近くが経ってしまった。

興奮が強いので保護室に隔離したが、薬を飲むことを徹底的に拒否するので、幻覚妄想症状が一向に治まらず、敵対的かつ攻撃的そして暴力的である。やむなくネオペリドールという筋肉注射を打つことにした。これは1回打てば効果が1ヶ月持続するという優れた薬である。ただ90歳なので恐る恐る25mgという少量にした(※)。ところが10日ほど待っても、これがまったく効かない。

このままではとても退院できそうにない。そこで「秘密投与はしない」という俺の診療ポリシーを曲げて、リスパダールという液剤を味噌汁に入れてみた。するとどうしたことか、いつもは味噌汁をすんなり飲む彼女が、この時は口もつけずジャーッと捨てたのである。ニオイでバレたのかもしれないが、それよりは、自分の望まないことに関する「気配」のようなものを感じ取った可能性のほうが高い気がする。まるで忍者かサムライである。いや、仙人か。なにせ90歳だ。

「90代は人類のエリート。ここまでくると、そう簡単には死なない」

かつて外科研修をしていた頃の先輩医師の言葉を思い出す。そんな危機察知能力が高いからこそ、彼女もまた90歳まで元気に生きてきたのだろう。ずいぶん前に他界した夫を含め、周りはかなり振り回されてきたようだが……。

※その数日前にセレネースを筋肉注射し、副作用がないことは確認済み。

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精神科患者の家族による秘密投与の切なさと後ろめたさ

2015年7月24日

医師は、手術や処方を間違うのと同じように、患者への言葉かけでも間違うことがある 『病を癒やす希望の力』


本書のタイトル『病を癒やす希望の力』は、希望を持つだけで病気が治ってしまうと思わせるようなものだが、これは著者の意図とはまったく違う。

確かに著者は患者が希望を持つことは大切だと述べている。また医師や看護師が患者に希望を持たせるための言動についても詳しく書いている。ただの楽天主義ではダメであり、また患者に病名を知らせなかったり経過や予後に関して嘘をついたりして「偽りの希望」を与えることにも異を唱えている。

ではどういう希望が良いのか、そのあたりの詳しいことを知りたい人には本書を読んでもらおう。不治・難治の病気を抱える人と関わることの多い医療者にはぜひ読んでみて欲しい一冊である。
医師は、手術や処方を間違うのと同じように、患者への言葉かけでも間違うことがある。
これは著者が自分自身の臨床経験と、自分が患者として体験したことから痛感したことである。この非常にシンプルな一文が、俺にはずしりと重かった。医療者として決して疎かにしてはいけないことだと思う。

本書の原題は『The Anatomy of Hope』。これを『病を癒やす希望の力』という邦題にした出版社は、本書の意図をはき違えているのか、それとも代替医療やヒーリング大好きな人を購買層に入れるために敢えてこういうタイトルにしたのか……? きっと後者なんだろうなぁ……。

これを本当に読むべきは、医療者である。

2015年7月23日

謝るなら、いつでもおいで


長崎県佐世保市で起きた小学生女児が同級生の女児を殺害した事件に関するルポタージュ。

被害者の父は毎日新聞・佐世保支局の局長だった。当時の佐世保支局には局長と記者2名(うち1名が著者である)、受付の女性の4人が勤務していた。建物は3階建てで、1階が駐車場、2階が事務所、3階が局長の社宅という造りで、著者は頻繁に局長宅に遊びに行き、被害女児とも食事したり喋ったりしたことがあったそうだ。

この事件の数年前に被害女児の母は乳癌のため他界しており、社宅には局長と被害女児、それから当時14歳の次男が一緒に住んでいた。本書の最後には、事件から歳月が経ち大学生になった次男へのインタビューもおさめられている。この内容が、ものすごく良い。感動するとか、胸を打たれるとか、そういうものではなく、ただ「良い」としか表現できない。俺なんかが飾った文章で評価してはいけない、そんな気持ちにさせられる。

毎日新聞は好きじゃないが、この本はものすごく良かった。著者が公平な視点を持った良い記者に育っていることを期待する。

ちなみに、著者と俺とは同じ年の生まれであった。

2015年7月22日

99%の人がしていない たった1%のリーダーのコツ


まず本書はタイトルが秀逸だ。なんだか読みたくなるようなタイトルである。

内容も多すぎず少なすぎず、読んでいて的はずれと感じることもなく、むしろ「うん、なるほど」と思うことも多く、そして適度な時間で読み終えた。Amazonの中身検索で文章の雰囲気や目次が分かるので参考にして欲しい。

値段は1500円。これはどうだろう……? 分量のわりにはちょっと割高かなとも思うが、著者に教えを請うのだと考えればこの値段が高すぎるということもなかろう。

2015年7月21日

グロテスクな一冊 『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』


すごくモヤモヤする一冊で、Amazonでは高評価だが俺は本書に対しては批判的である。

平成13年にレッサーパンダ帽の男が起こした殺人事件のルポである。俺がすごくモヤモヤするのは、著者がこの犯人Yは自閉症であったとほぼ決めつけて話を進めているところ。著者は本文中では何度となく「医師でもない自分が診断を下せるわけもないが」といったことを書いているが、実際の中身としては加害者Yは自閉症であるとして持論が展開されている。

確かに、自閉症や精神遅滞の容疑者・加害者を取り調べる際には、警察や検察の「創作」「作文」が入り込みやすいのだろうし、そのぶん冤罪の危険性も高まるだろう。だから細心の注意を払う必要がある。その点については大賛成だ。

しかし、あくまでも本件に関して言えば、冤罪ということはありえず、また責任能力についても、本書に記載された加害者にまつわるあれこれのエピソードを読んだ限りではあるが、俺が簡易鑑定を担当したなら「完全責任能力あり」と判断するだろう。

裁判では真実を明らかにすることが大切、と言う。本件での真実は、このYが見ず知らずの女子短大生を殺害したということである。ところが弁護士も著者も動機にこだわる。殺人事件の動機なんか重要ではない、とは思わないが、本件と本裁判においては弁護側も著者も些事に捕らわれすぎているように感じられてならない。

思うに「精神障害者の事件・取り調べ・裁判」といったテーマを掘り下げていくのに、本件はふさわしくなかったのではなかろうか。著者の「精神障害者と司法」に関する日頃の考えと、本件の裁判を傍聴し続けた故の思い入れの深さ、この二つが混じり合ってこんなグロテスクな内容の本ができあがったのだろう。

少々皮肉めいた言い方になるが、精神障害者の犯罪に対する偏見と憤りを深めたい人にはうってつけの本かもしれない。しかし、その真逆にある、精神障害者の支援者的な感覚を持つ人にとっても「人の振り見て我が振りなおす」ために読んでおいて損はない一冊。

2015年7月17日

読んで心がポッカポカ 『こころのチキンスープ』


ずいぶん前に話題になった本を、今さらながらに読んでみた。たくさんの小話を集めたもので、玉石混淆といった感じ。読んでものすごくガツーンとくるような自己啓発の本ではなく、じんわりと沁み入ってくるような、まさにチキンスープを飲んでお腹がポカポカなるような、そんな本だった。

2015年7月16日

さすがディーバー 『石の猿』


脊髄損傷して全身麻痺となった天才犯罪学者リンカーン・ライムを主人公としたミステリ・シリーズ。

相変わらずのドンデン返しはさすが。人物の描写もしっかりしており、そしてやはり社会問題をきちんと取り込み織り込みしている。今回は不法移民がテーマとなっている。

安定した面白さであった。

2015年7月14日

小粒ぞろいの短編集 『家族写真』


荻原浩の短編集で、ものすごく良いというわけでもないが、第一話『結婚しようよ』はグッときた。妻を亡くして娘と二人暮らしをする父親が主人公で、娘から婚約相手を紹介されるという話だ。思わず我が身と置き換えて(俺の妻は健康ばりばりだが)、ジーンと涙ぐんでしまった。

2015年7月13日

イジメられても家族の前で明るく振る舞うのは心配をかけたくないから?

7月10日の産経抄(『優しい心があれば』)より。
家族の前で気丈に振る舞ったのは、心配をかけたくなかったからだろう。
イジメを苦に自殺した少年についてこんなことが書いてあったが、ちょっと紋切り型で安易な発想ではないかな?

13歳には13歳なりの、家族に対するプライドがある。「僕イジメられてるんだ」なんて家族には死んでも言いたくない気持ちはよく分かる。それから、家庭にイジメの影を持ち込みたくない気持ちもある。家族に打ち明けた時点から、家庭の中でもイジメが話題にのぼるようになる。数少ない大切な安息の場なのに。

でも、きっとこれも違うよな。
彼にしか分からない。
分からなかった。

今になってあれこれ推測したところで、それが的外れでも的を射ていても、彼にとっては意味がない。意味がないことを、したり顔で分析して書いてみせる。

ライターも俺も五十歩百歩だな。

ただ、イジメについてはこう思う。

イジメはなくならないし、なくせない。その前提に立って、自殺という最悪の結果を避けるためにどうすれば良いか、イジメをより軽症で済ませるためにはどういう方法があるのか、そういうことを模索するほうが有益だろう。

<関連>
イジメの深刻化を防ぐために
いじめ問題を考える 『十字架』
「イジメは犯罪」「大人と同じに厳罰を」の限界

2015年7月10日

起業やマーケティングに興味がある人にはかなり役に立つはず 『史上最高のセミナー』


人々を“完全なる無関心”、つまり、あなたのことをまったく知らない状態から、今すぐ買いたいという気持ちにさせるには、あなたのメッセージが人の心に9回浸透しなければならないということだ。これは実にいい知らせだね。
だが悪い知らせもある。あなたが送るメッセージの3回につき2回は、人々は注意を払っていないということだ。
これはつまり、27回メッセージを送らないと、相手の購買行動にはつながらないということである。だから、レビンソンはこう言う。

成功したゲリラ(※ここではゲリラ・マーケティングを利用する人のこと)の第一の人格特性とは、明らかに“忍耐力だ”。

毎回、成功者にインタビューするアメリカのラジオ番組『マイク・リットマン・ショー』の中から、9人を選んで、その内容を文字起こした本。冒頭の言葉は、ジョン・コンラッド・レビンソンのインタビューを抜粋。

俺は開業を意識することはあっても、起業を考えることはない。ただ、こういう本も何かの時に役立ちそうだからと思って読んでみた。起業やマーケティングに興味がある人はかなり有益ではなかろうか。

2015年7月9日

味そのものより、歯ごたえを楽しむような本 『バースト! 人間行動を支配するパターン』


本書を料理に喩えるなら、味そのものよりも歯ごたえを楽しむ一品。もちろんマズいわけではない。それだと歯ごたえも楽しめない。味は充分に及第点で、さらに歯ごたえが良いのだ。

難点は値段が高いところ。中古でも送料入れれば1000円くらい。

2015年7月8日

ホメオパシーとプラセボと悪魔と魔術師 (後編)

悪魔は自らの名前を知られると、魔術師に服従しなければならない。

世の中には人を不安にさせる正体不明のものがある。これに名前をつけることで人は少しだけ安心する。さらに仕組みや正体を知ることで、そういう不安は人に「服従」する。例えば原因不明の熱や痛みは苦しい上に不安だが、病院で診察を受けて病名がつくと、たとえ熱や痛みがそのまま変わらなくても少しだけ安心できる。これは一般の人にとって、「病名がつく」=「原因が分かる」=「対処法がある」と思えるからだろう。(※)

精神科の診察室でも、病気ではないと判断して「病名はありません」と告げるとガッカリした表情をする人がいる。「この悩み、この辛さ、この苦しみが病気でないのなら、いったい何なんだ!?」という不安や憤りや失望があるのだろうし、「性格傾向や生活習慣の問題」とは考えたくないという心理もはたらくだろう。いずれにしろ、病名を欲しがる人は少なくない。

まるで魔術師が悪魔の名前を知って服従させようとするのと同じだ。というより、「得体の知れないものに名前をつけることで安心する」という人間の性質が、メタファー(隠喩)として悪魔と魔術師の関係になったのだろう。

ところでその逆、つまり「安心感を与えるもの」に名前をつけるとどうなるのだろうか。典型例が偽薬「プラセボ」であるが、これはあまりに広く認知されてしまっており、患者は「あなたが与えられたのはプラセボです」と言われた途端に効果を感じなくなるだろう。この「プラセボ」に巧妙な化粧を施したものがホメオパシーである。患者は「あなたが与えられたのはプラセボです」と言われても、「いいえ、そんなインチキではありません。ちゃんとホメオパシーと“名前のついた”治療です」と反論するだろうし、プラセボ効果は簡単には消えない。

同様に、ほぼ全ての代替医療において「名前をつけた」ことは意義深い。名前がなければプラセボとも言えないただのオマジナイだったものが、名前を持つことによって効力を発揮するようになったのだ。少なくとも一部の信心深い、あるいは騙されやすい人にとっては。

前後編のまとめとして思うのは、論文の著者・板村論子先生は一般精神医学で充分に多くの患者を救えるだけの人柄精神療法を身につけていらっしゃるのだから、よりによってホメオパシーなんかに手を出されなくとも……といったところである。精神医療界は、貴重な人材をあっち側にとられてしまったのだな、きっと。


※実際には原因不明の病名もたくさんあり、原因が分かっていても治療法・対処法がないことも多々ある。

<関連>
ホメオパシーとプラセボと悪魔と魔術師 (前編)
プラセボ薬の凄さ



2015年7月7日

ホメオパシーとプラセボと悪魔と魔術師 (前編)

ホメオパシーでうつ病を治した、という論文が『精神科治療学』の2015年5月号に載っていた。その中でも、「おい、これはないだろ!」とツッコミを入れたくなった部分を紹介する。

患者は36歳の男性で、意欲低下と集中力低下を訴えている。うつ病の診断で多剤による治療を行なわれていたが良くならない。そこでホメオパシーに期待をかけて、論文筆者のもとへ来院した。

男性はこの時点で休職中なのだが、療養態度がひどい。
ビールが非常に好きで1日1000ml以上、ワイン1本、昼から飲酒している。
おいおい……、休職中だろ……。俺ならこの時点で、うつ病の診断は一旦保留にし、何よりもまずアルコール依存症だと告げて断酒を勧める。仕事を休んで好きな酒を昼から飲むなんて、仮に本当にうつ病だとしてもこんな生活で病気が治って復職できるはずがない。

この男性はホメオパシー薬(Aurum sulphuratum 30Cを1日1錠 ※本文末で補足説明)の治療を開始してから順調に回復していったようだが、これは本当にホメオパシー薬の効果なのだろうか? 論文筆者はホメオパシーについて概ね以下のように書いている。

ホメオパシーでは疾患そのものを治療対象とはせず、診察では病気の人を全体的に理解し、病気の人の全体像を一つのパターンとしてとらえる。

こんなキレイごとはホメオパシーに限ったことではなく、どんな治療学の本にも書いてある。試しにこの文章の「ホメオパシー」を「精神科」に置き換えれば、数多の精神科テキストの巻頭の言葉として何度も目にするようなものである。ただし、実際にこの理想を現場で常に実践する(できる)こととは別の問題であるが。

では何が効いてこの男性が回復したのかというと、それはきっと理想をキレイごとで終わらせず、日々の診察で真摯に実現・実行しようとする先生の人柄であろう。これを精神科では皮肉っぽく「人柄精神療法」とも言うが、ここには多かれ少なかれ敬意も混じる。そしてこうした真面目な先生なのだから、ほぼ間違いなく断酒するなどの生活指導もしているはずだ。

つまりホメオパシー薬が効いたわけではなく、ホメオパシーの理念を丁寧に実行された先生という「人薬」が男性の人生の立て直しを支えたのだ。では、ホメオパシー薬はまったくの無力だったのかというとそうでもない。プラセボとしての効果は充分にあったはずだ。

このあたりが次回の話になる。


※Aurum sulphuratum 30Cを1日1錠。この「30C」についてだが、1Cとは成分の入った溶液を「100倍希釈」したという意味で、「30C」はそれを30回繰り返したということだ。つまり「100の30乗」(10の60乗)に薄めたものということ。「10の60乗」というと、1mlの成分を薄めるのに地球上の海水でも足りない(詳細は各自調査・計算されたし)。ウンコまみれの下水や福島の汚染水ですらここまで薄めればまったく無害である。つまり中身はただの水で、飲み過ぎなければ副作用もない。ちなみに飲み過ぎた場合の副作用も成分とは無関係で水中毒だ。

<関連>
ホメオパシーとプラセボと悪魔と魔術師 (後編)

さすらいエマノン


エマノンシリーズは毎回面白いと感じるのだが、今回はちょっといま一つだった。

2015年7月6日

出口のない海


横山秀夫、こういう本も書くんだなぁといった感じではあったが、ストーリー的にはいまひとつ盛り上がれなかった。ただ、特攻隊(本書の場合は人間魚雷『回天』での特攻)に乗る人の心理描写というのが凄かった。ああ、自分だったらこういう心理状態で正気を保てるだろうか……? そんな戦慄を感じながら読んだ。

2015年7月3日

自立支援医療の審査組織にクレームの電話を入れた

「そんないい加減な審査なんですか?」
俺がそう尋ねると、担当者は、
「いえ……、いい加減というわけではないんですが……」
そう言って口ごもった。

精神科の患者には通院医療費を補助する制度がある。これには主治医の診断書が必要で、この診断書をもとに県の担当者が会議を開き、補助対象に該当するか非該当かを決定する。診断書内容が不十分な場合には「保留」となって、主治医のもとに「もう少し詳しく、具体的に記載すべし」と返却される。

ある患者の診断書が保留として戻ってきた。その患者が初めて申請し、俺が書いた診断書が戻ってきたのなら納得できる。ところが、その患者の場合はすでに何回も継続されており、前回の診断書は県内でも有名な病院の院長である大御所のT先生が記載してサインして難なく通過している。電子カルテなので、T先生とまったく同じ内容の診断書を提出したのに「もう少し詳しく、具体的に」という理由で保留になったことが頭にきたのだ。

前回の審査が甘かったのか、今回の審査が厳しすぎるのか、毎年そんなにコロコロと基準が変わるようなものなのか。そんな腹立ちから、冒頭のように、そんないい加減な審査なのかと聞くことになった。

結局、相手側の言い分としては、「前回の審査が甘かったと言わざるを得ない」というものであった。そこで俺は、
「そういうことであれば、T先生のほうには、『前回の審査ではT先生の診断書が通ったが、実際には通るような内容ではなかった』という連絡はされるのでしょうね」
と尋ねたが、そういう予定はないとのこと。俺の追求は容赦ない。
「T先生が記載したような内容では診断書が通らないということを、T先生に教えてあげないといけないんじゃないですか? そうしないと、T先生は自分の診断書の書き方に不備があることを知らないままになってしまいますよ」
「はい……、まぁ……、そうですね……」
担当者は返答に窮し、ついに組織トップの人に取り次ぐことになった。

そこでの回答は、概ね以下の通り。
1.審査する医師は2名で、2年ごとに交替する。
2.なるべく標準化しようと努力するものの、医師の考えでバラツキが出る。
3.過去の診断書と比べることはしない(※)ので、前回通った診断書でも今回不可ということがあり得る。
4.当該患者には迷惑がかからないようにするので、なんとか訂正をして提出して欲しい。

仕方がないと言えば仕方がない、でもちょっと不満が残る、そんな一連のやり取りであった。


※これはかなり疑わしい。というのも、時どき、「前回の診断書記載では〇〇とありますが、今回は××となっている理由を明記してください」といった理由で保留になることもあるからだ。

2015年7月2日

得られるものは読む人次第。 『史上最高のセミナー』

現在ついている仕事を好きになる必要はない。その仕事を始めるきっかけとなったチャンスや機会を愛すればいい。というのは、スタートした場所は今から一年後、五年後、十年後に自分が行き着く場所であるとは限らないからだ。

毎回、成功者にインタビューするアメリカのラジオ番組『マイク・リットマン・ショー』の中から、9人を選んで、その内容を文字起こした本。冒頭の言葉は、ジム・ローンのインタビューを抜粋。

得られるものは読む人次第だろうが、起業やマーケティングに興味がある人は特にかなりおもしろく読めるのではなかろうか。

2015年7月1日

精神科医は病棟で患者に殴られてはいけない‏

ある夕方、入院中の男性が興奮したため、主治医のY先生、俺、師長で対応することになった。看護師(ほとんど女性)の意見としては、これから夜にかけて人手も少なくなるので隔離(個室に鍵をかける)して欲しいというものだった。その判断は主治医のY先生に任せることにした。

男性とY先生はウロウロと歩きまわりながら30分近く話し合った。といっても男性は聞く耳を持たず、Y先生には終始攻撃的であった。最終的にY先生が出した結論は、このまま様子をみる。俺が主治医なら早い段階(恐らく最初の10分程度)で隔離していたが、その理由は後で述べる。病棟スタッフも俺も、Y先生の主治医としての判断に従った。

翌日、Y先生がこんなことを言っていた。
「あの時、僕を殴ってくれていれば隔離した。殴ってくれないかなと待っていた」
Y先生とは1期しか違わないので普段はあまり治療に口出しをしないのだが、この時は大切なことをどうしても伝えなければいけないと思った。

精神科医として、患者に殴られるかもしれないと覚悟する心意気は素晴らしい。

しかし。

「殴られてはいけないよ。先生が殴られたら、それを見たスタッフはどう思うだろうね? それで隔離できたとしても、スタッフは彼のことが怖くなる。近寄りがたくなる。男性スタッフが多い病院なら、そのやり方もありかもしれないけれど、ここは女性スタッフばかりだから。男性医師にさえ殴りかかるような人となると、女性スタッフからしたら怖くて、今後のケアが安心してできなくなるよ」

たとえ殴られはしなくても、医師が激しく怒鳴られている光景というのも、女性スタッフが長いこと見ると少々怯むものがあるだろう。「俺が主治医なら早い段階で隔離していた」と書いた理由がこれだ。とはいえ、Y先生にも考えがある。
「あの時点で隔離していたら、今後の治療関係が難しくなるかもしれないと思った」
これは確かに一理ある。ただし実際には、殴られた後の治療関係のほうがよほど難しい。殴られた者にとっても、患者にとっても。それから周りの人たちにとっても。

この男性、その後は興奮することなく一夜を過ごし、翌日も落ち着いていた。ということは、Y先生の「隔離しない」という判断のほうが正解で、「俺だったら隔離する」という判断は間違いだったのだろうか。いや、そんなことはない。

精神科では完璧な「正解」というのは少なく、たいていは皆で頭をひねって最善、次善、より良い選択を暗中模索する。例えば隔離すべき患者の状態について法的には明記されているが、現実には病棟の状況(男性スタッフの数や時間帯、保護室の空き数など)によって大きく違う。だからこそ医師の治療観と同時に、病棟観、コミュニケーション力も問われる。これが病棟治療の醍醐味であり、基本的に1対1で完結する外来治療とは違うところである。

箱庭旅団‏


朱川湊人の短編集。可もなく不可もない。シリーズもののようだが、他も読みたいとは思えず、これ一冊で充分といった感じ。