2015年8月31日

贖罪をテーマにした連作ミステリ 『刑事のまなざし』


罪を償うとは、どういうことだろうか。

自分の幼子が通り魔に遭って植物状態になった後、主人公の夏目は刑事になる。物語は、そんな夏目を中心にして、犯罪の加害者やその周囲の人々の視点から語られる連作短編集。全編を通じて「贖罪」がテーマであり、それをミステリ小説という入れ物におさめてある。

時に切なさに胸が詰まり、時にトリック明かしに唸らせられる。実に良い小説家をまた一人知ってしまった。

2015年8月28日

精神科カルテについて

精神科は他科と違い、患者のことを他の人・後の人に伝えるには自らの言葉しかない。だから、特に初診では、患者の語る内容だけでなく、服装、表情、雰囲気、言葉遣い、そこから受けた自分の印象といったところまでを細かく描写して残すのが大切である。そして恐らく、小説を読まない精神科医はカルテ描写が下手か平板である。

例えば俺の外来カルテでは、初診時の患者ついてこういう描写をする。
パッと見は全体的にルーズ、だらしがない。かなり明るめの茶髪はぼさぼさで、根元から数センチが黒い。服のボタンは中途半端にとめられ、その上からところどころ薄汚れた有名ブランドの黒いベストを着ている。形の良いカーゴパンツはよれよれで、洒落たブーツもくたくたで紐の結びかたが粗雑。
表情は弛緩したような虚ろな感じで、診察机に突っ伏してダルそうに話す。口調はぞんざいで、年齢相応の礼節が伴っていない。
そこに、自分の印象・解釈を書き加える。
もともとはオシャレだが、この数ヶ月はそういうことに気が向かない様子。母の言葉もそれを裏付ける。
二回目以降の受診では、初診時の描写と見比べる。
本日は茶髪が染められ直しており、服装も全体的にこぎれい。イスにきちんと座り、言葉遣いも丁寧になっている。
特に電子カルテになって、手が疲れないし時間もかからないので、描写をたくさん細かく書けるようになった。こういう基本的なことを疎かにすると、後の医師や看護師が困る、ということはつまり、患者にとって不利益になるということだ。

2015年8月27日

偉大なる反戦の書 『風俗ライター、戦場へ行く』

 
失恋したことがきっかけでタイに行き、そこで出会った外国人との会話からカンボジアに行くことに決め、そこで戦争というものに部外者として「ハマって」しまった著者。

風俗ライターという本職(?)を活かした軽い筆致で、戦争の重たい現実が描かれる。時に銃口を突きつけられ、戦車の大砲の向けられたベランダで酒を飲み、爆発に巻き込まれて転がる乳児の足を見て……、そうしたものが筆者ならではの語り口で伝えられる。

筆者は決して義務感や正義感からではなく、あくまでも好奇心で戦地へ行っていると何度となく繰り返す。生々しい戦争の現場が、崇高な目的意識のない人間の目線で描かれる。だからこそ伝わってくるものがある。

これは、偉大なる反戦の書だ。


ちなみに筆者は、スマン、ご主人。 『やってみたら、こうだった 人妻風俗編』の人である。

2015年8月26日

若い内科医との争い(?)の経過報告

若い内科医と争い(?)の原因になっている患者のカルテを今朝見て、ビックリしてしまった。大雑把に書くと、

「精神科の主治医が何もしてくれないため、同じく精神科のY先生にセカンドオピニオンを求めたところ、今後の方針相談等について快く引き受けてくださった。
そのいっぽうでいちは医師は診察もなく助言もなく、何もしてくれない。今後はY先生と協力してやっていく」

といった内容である。言葉遣いもやたらとY先生に敬語を用いており、意図が透けて見えるところが滑稽だった。ここで改めてポイントを箇条書きにすると、

1.内科医から「精神科介入の余地はないのでしょうか?」(これは正確に紹介状の文章そのまま)という紹介状もらったので、「精神科的には外来フォローで対応できます」と答えた。

2.さらに、退院させたくてもさせきれずに困っているようだったので、「院内ケアマネ、担当看護師、施設ケアマネをまじえて、入院主治医が指揮をとってケア会議を開かれてはいかがでしょうか」とアドバイスも付け加えた。

3.すぐにキレ電話がかかってきて、「外来主治医とか入院主治医とか関係ない! 器質的には何もないと言っているでしょ! ケア会議とか関係ない! 聞きたいのはそんなことじゃない! 退院させていいのか? 本当に良いのか!?」とわめくので、「入院主治医の判断で退院させていいと思うのなら良いんじゃないの?」と返答。

4.その後、「長年みている精神科主治医は何もしてくれない」といったカルテ記載があったため、こちらから電話をかけて、「長年と書いているが、初心はいつか知っている?」「そんなの知りませんよ!」のやり取り。

5.こちらから「薬の調整はするよ。ただ入院適応はないし、外来で可能だよ」ということを説明するが、「そんなことじゃない! 精神科的に介入できないのかと聞いているんですよ!」「だから薬の調整はするって」「そうじゃない! 介入の話ですよ!」とらちが明かない。

さて、内科医からセカンドオピニオンの相談を受けたY先生はどんなことを伝えたかというと、

1.入院の適応はなく、外来フォローで対応可能。
2.薬の調整をさせてもらう。

以下、Y先生の感想。

「相談を受けて答えながら、さっきいちは先生が返事していたこととまったく同じことを言っているなぁと思いました(笑)」

その流れからの、今日の日記の冒頭にいくわけである。

1週間前に診察はしたし、昨日は文章でも口頭でも助言した。納得いかないみたいだったので、薬の調整が希望なのかと尋ねると「そうじゃない!」「子どもじゃないんだから分かるしょ!?」とわめいてばかりでらちが明かなかった。思うに、精神科病棟で引き受けるか、主治医をかわると言わせたかったのだろう。

直接的な罵詈雑言こそないものの、その患者が入院して3週間でほとんどカルテを書いていない(だけでなく、患者や家族にも会っていない)彼が、ここぞとばかりに「何もしてくれない」ということを手を変え品を変え表現を変えて書き綴る。その長文を読んで、精神科Y先生は一言、

「暇なんですかね(笑)」

一連の流れを最初から知っている精神科スタッフの数名は、呆れて言葉も出ない様子であった。
情けないなと思ったのは、

「精神科医が介入してくれない状況で、どうやって退院させたらいいか分からない」
「入院主治医は初見で何も分からないのに、精神科主治医は院内ケアマネとか施設ケアマネとかケア会議とかの話を出して、こちらに対応を任されてしまう」

こういったカルテを恥ずかしげもなく、むしろ「ボクは一生懸命やっているのに可哀そうでしょ」といった趣きで書いているところ。「何も分からない」って……、過去カルテ読めよ。俺はきちんとサマリーを書いているし、それはすごく簡単に見つけられるぞ。それから、精神科医が介入しないから退院のさせ方が分からないって……。分からないことは仕方がないとしても、どこでどういう修行をしてきたら、そういう泣き言を「カルテに書ける」ように育つんだ?

他科連携、他職種連携を掲げている田舎の総合病院なんだけどなぁ。お題目だけなら生臭坊主でも唱えられるっちゅうの。

ちなみに院長にも相談をしているが、
「医療には白か黒かで割り切れない部分がある。今回のような患者はたくさんいる。そして何科であっても、そういう患者には対応していかないといけない。いい加減、彼にもそういうところを学んで欲しいので、もう少し粘ってみて欲しい」
ということであった(頭を抱えながら)。


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俺には分からない「お医者さま」の感覚

切なくて、切なくて

83歳の寝たきりの父と二人暮らしの46歳男性が、父を放置して死なせた容疑で逮捕された。
寝たきりの父を放置し死なせた容疑 46歳会社員を逮捕

衰弱した父親を病院に連れていくなど適切な処置を取らずに死なせたとして、兵庫県警は25日、神戸市北区南五葉2丁目の会社員、五十川博之容疑者(46)を保護責任者遺棄致死容疑で逮捕し、発表した。容疑を認めているという。
神戸北署によると五十川容疑者は、父の甫(はじめ)さん(83)が8月15日ごろから寝たきりで衰弱した状態だったにもかかわらず放置し、死なせた疑いがある。「24日朝、仕事に行く前には父は生きていた。夜帰ってきたら息をしていなかった」と話しており、自ら119番通報したという。
五十川容疑者は甫さんと2人暮らし。甫さんが寝たきりになった当初はおかゆやうどんを食べさせていたが、次第にスポーツドリンクなど水分だけになり、おむつも長期間替えていなかったという。

http://www.asahi.com/articles/ASH8T3JWMH8TPIHB00B.html(朝日新聞 2015年8月25日11時21分)
同じような環境の家族はたくさんいる。仕事を休んで病院に連れて行っても、その一日で解決するわけじゃない。仕事もそうそう休めない。休むと給与が減るかもしれない。給与が減れば、自分も父も生活できない。

身も心もくたくたになって、どうしていいかも分からない、判断できない、あるいは福祉に相談したり介護認定を受けたりという知識がない。この男性の逮捕は法律的に仕方がないのかもしれないが、それでも俺はこの男性への同情を禁じ得ない。

40年後、自分が寝たきりの80歳になって、すでに40歳をこえた娘が独り身で俺と二人暮らしをしていて、俺の介護と仕事を両立させてヘトヘトになっているとしたら……、そんなことを想像すると、この逮捕された男性と父親のことが切なくて切なくて仕方がない。

衰弱死したお父ちゃんは可哀そう。それと同じくらい、お父ちゃんを衰弱死させてしまったこの男性も可哀そうだよ。

まったくの想像だけれど、

「お父ちゃん、ごめんな、仕事行ってくるわ。ポカリ置いとくから、ちゃんと飲みぃや。暑いからエアコンも間違って消さんようにな。ようやく明日休みがとれたから、明日は病院に連れてったるわ」

帰宅して……、冷たくなった父のために119番。そして逮捕。

こんな光景を思い浮かべると泣けてくる。


ところで、新聞記事には、「スポーツドリンクなど水分だけになり」と書いてあるが、人は衰弱すると誰でも食欲が落ちる。まして84歳ともなれば、食事が喉を通らなくなるのは珍しいことではない。それから記事をもう少し詳しく読むと、亡くなった父は8月15日に寝たきりになり、24日に死亡している。10日間である。何年もネグレクトしていたわけではない。夏風邪かな、くらいに思っていたかもしれない。水分は摂れるから大丈夫かな、くらいの感覚だったかもしれない。

「おむつも長期間替えていなかった」とも書いてあるが、息子一人で仕事もしながらの介護・看護である。1日2回、多くて3回が限度ではなかろうか。疲れきって1日1回、あるいは「今日はもう勘弁して」となる日だってあったかもしれない。上記したように、父は寝たきりになって10日後に死亡している。ということは、オムツを最後に替えてから、どんなに日にちが経っていたとしても10日である。読んだ人が「長期間」でイメージするのはどれくらいか分からないが、新聞記者は具体的日数まで調べて書いても良かったんじゃなかろうか。

2015年8月25日

俺には分からない「お医者さま」の感覚

またしても内科の後輩医師とバトルになってしまった。

常々、外来クラークさんからは、外来にしろ病棟にしろ、いろいろな出来事に対して、
「先生、よく怒らずにいられますね」
と感心される。今日の場合、そのクラークさんも流れをよく知っていて、
「先生、よく激怒せずにいられましたね」
と言われた(笑)

ある内科医から俺あてへの紹介状があり、こんな返事をした。
「入院主治医が指揮をとって、ケアマネらと連携してケア会議や退院調整をしてはどうでしょうか」
これに対して、もの凄い勢いで電話がかかってきて、
「入院主治医とか関係ない! そっちは精神科の外来主治医だろ! ケア会議なんかもそっちがやるべきでしょ! こっちは器質疾患をみるんだ!! 体をみるんだ!!」
おいおい……、人をみろ、人を……。

俺の感覚では、
「入院主治医は、その人の入院と退院に関して責任を持つ」
ということ。それは「病気をみる」のではなく「人をみる」ということにつながる。入院中の患者に関して、自分の科でやることはやったのだから、あとは他科が責任を持つべきだという感覚は、少なくとも俺の医療観にはない。

最大の疑問は、なぜ同科の諸先輩が彼に厳しく指導しないのかということ。俺は今日、彼と電話していて、年上かつ経験年数も上かつ他科医師である俺に対する彼の言葉遣いのあまりのひどさに、彼のいる場所を確認してビンタを張りに行こうかと思ったくらいだ。では、どういう会話だったのかというと……。

先週、内科から精神科への転棟を断って、今週、同じ患者で紹介状があった。最後の文章はこうだ。
「精神科の介入する余地はないのでしょうか?」
これに対し、
「精神科介入は外来フォローで充分です」
と回答したら、それがどうも彼の気に入らないらしい。まわりまわって聞いた話では、薬の調整を希望(本当は転棟が第一希望みたいなんだけれどね)していたらしい。そこで直接電話した。

向こうはやたらに興奮していて、こちらの話が入っていかない。
「うん、ちょっと聞いて。ねぇ、ちょっと聞けるかな? おーい、ちょっとこちらの話も聞いてねー」
このフレーズを何度も繰り返した。彼に対して、「薬の調整が希望なら、紹介状にそう書くべきなんじゃないの」と伝えると、
「先生、子どもじゃないんだから分かるでしょ? 過去のカルテみました? 患者みました?」
うん、ビンタしようか?(笑) ちなみに彼はカルテはほとんど書いていない。というか、患者が入院した日を除いて、その後の3週間、患者にも家族にも一度も会っていない。

紹介状は小説でも詩でもない。ビジネス文書であり、行間を読むということは要求されない。事前に電話相談でもしていない限り、書かれていないことは書いていないことと同義だ。そして、院内紹介状をもらった医師が、その患者の過去カルテを読むかどうかは任意である。過去カルテを読まなくても、いまの状態と困っていることが具体的にきちんと伝わるように書くのが紹介状である。ザザッと紹介状を書いて「あとは過去カルテを読め」というような姿勢は、俺の医療観および社会人としての常識とは大いに異なるし、そんな雑なパスは受けかねる。

紆余曲折のやり取りの結果、彼はカルテにこう記した。
「長年みている精神科医がなにもしてくれない方針らしい」
そこで改めて電話して聞いてみた。
「この人の精神科の初診、いつか知っているの?」
「知りませんよ!」
おいおい……、「長年」はどこへ行った? 正解は去年の6月である。さすが、過去カルテを読まない医師。ちなみに電子カルテで、今年の4月にさかのぼるだけで精神科に関しては全て分かる。

地雷医師を踏まない、ということは医療ユーザーにとっては大切な情報、というか、名医を探すよりも切実かもしれない。相談される医師としても、自信をもって名医と言うのは難しいけれど、地雷はしっかり指摘できる。そういう意味で、医師と仲が良いとあれこれ教えてくれますよ。

2015年8月24日

ツッコミどころはあったけれど、充分に面白かった! 『インターステラー』


世界観、ストーリー、映像ともに大満足。ただし、ツッコミどころは多かった。

以下、ネタバレ。

2015年8月21日

精神科医は海賊船「治療号」の船長である‏

入院患者を受け持つ精神科医は、「治療号」という名の海賊船の船長である。

船長は地図・海図を読み、宝島の場所を乗組員に示す。宝島の正確な場所が分からない場合でも、あの海域にありそうだというわりと確度の高い推測をしてみせる。出発前には、乗組員たちを焚きつけ、盛り上げる。恐れるな、錨をあげろ、帆を張れ、さぁ出発だ。

乗組員とはもちろん病棟スタッフである。各自に持ち場があり、役割がある。そして忘れてならないのは、それぞれが個別の経験と、そこから得られた知恵を持っているということだ。ベテランのスタッフだと、くぐり抜けてきた修羅場の数は船長を超えることも多い。

入院患者の調子が悪いのは、海賊船「治療号」が嵐に遭っているようなものだ。波風に翻弄されながら大揺れする船の上で、「宝島を目指せ!」と指示し続ける船長は滑稽である。こういう状況で「治療号」の船長が伝えるべきメッセージはただ一つ。

船を沈めるな。

「船が沈む」というのは、患者の死という最悪の事態から、スタッフのモチベーションの消失まで、ありとあらゆることが含まれる。ここで大切になるのが、常日頃からの乗組員とのコミュニケーションである。それさえあれば、船長が事細かに指示を出す必要はない。そもそも全てのことに細かい指示を出すことは不可能だし、嵐の中にあって細部に口を出してくる船長は邪魔者になりかねない。ベテランの経験、中堅の知恵、ルーキーのパワーといったものを信頼して、任せるべきは任せるほうが良い。

これが俺の病棟における治療観である。

恐れるな、錨をあげろ、帆を張れ、さぁ出発だ。

ヨーソロー!


※例えとしては海賊船でなく普通の船の船長でも良いのだが、ワンピースが人気なので海賊船に喩えてみた。

小学生ならきっと楽しめるはず 『幽落町おばけ駄菓子屋』


うーむ、褒めきれぬ……。
Amazonレビューの星2つの意見に賛同といったところ。まだ読書体験の少ない小学生なら多少は面白いかもしれないが、ちょっと読書経験のある中学生なら楽しめないだろう。

2015年8月20日

なぜ人は人と戦い殺すのか。そして、なぜ人は人を殺さないのか。 『戦争における「人殺し」の心理学』

なぜ人は人と戦い殺すのか。この問いと同じくらい重要なことは、なぜ人は人を殺さないのかということである。

本書では、実際に戦闘した兵士たちへのインタビューや過去の記録などから、戦争における殺人や殺人拒否、指揮官と部下、殺す側と殺される側、その他の戦争にまつわるあれこれについて数多くのエピソードが記載されている。いくつか印象深かったものを紹介する。

第二次大戦で部下とともに全滅する道を選んだアメリカ軍の指揮官がいる。デヴェール少佐は日本軍と戦い、とうとう制圧される前に打電した最後の通信文には、ただ一文、こうあった。
SEND MORE JAPS (もっと日本人を送りこめ)

第一次大戦では、ホイットルシー少佐の指揮する部隊がドイツ軍に包囲された。この部隊は決して精鋭ぞろいではなく、寄せ集めの民兵集団にすぎなかったが、少佐は降伏を拒み、救出されるまでの5日間、次第に減っていく生存者を絶えず激励し戦わせ続けた。軍事史に残るほどの偉業を残せたのは、少佐の常人離れした不屈の精神のおかげだと生存者は口をそろえた。少佐は軍人に与えられる最高の勲章を授与された。そして、戦後まもなく、ホイットルシー少佐は自殺した。

同じく第一次大戦中のクリスマスには、戦争状態にあったイギリスとドイツの前線兵士たちが非公式に停戦し、防衛区域で平和的に会い、プレゼントを交換し、写真を撮りあい、サッカーの試合さえしたそうだ。

こうした悲劇的な話、勇気を与えられる逸話、考えさせられるエピソードなど具体例を丁寧にたどりながら、なぜ人は人を殺すのか、そして、なぜ人は人を殺さないのかということが考察してある。

安保法案がらみで戦争についての意見がかわされている今だからこそ、こういう本を読んでみるのも良いのではなかろうか。

2015年8月19日

旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。


いわゆる終末世界もので、舞台は「喪失症」という謎の奇病(?)に世界が襲われた後の日本。この病気は、まず名前が消える。誰もその人の名前を思い出せなくなり、あらゆる書物や電子情報からも記述が消え失せる。次にその人を撮った写真などから顔が消え、色が消え、影が消え、最後には存在そのものが消えてしまう。

映画も小説もマンガも、終末世界を描いた物語が好きで、ゾンビ系とか『マッド・マックス』とか、そういうのには目がない。だから本書を見つけたときにはすぐにクリック&購入。

普通の小説を読み慣れた者にとって、ラノベ(ライトノベル)のもつ独特の雰囲気と文章は少々読み疲れてしまう。Amazonレビューでは大絶賛だが、俺は星2つ。投げ出しはしないが、スキップ読書(ところどころ飛ばす)でなんとか最後まで読み通せるレベル。

似たような世界観で、同じように恋愛が絡む小説で、もう少ししっかりした作品として有川浩の『塩の街』がある。こちらは断然お勧めできるので、終末世界が好きな人はぜひどうぞ。

2015年8月18日

子どもが高校生になったら読ませたい 『未来を発明するためにいまできること スタンフォード大学 集中講義II 』


目からウロコ、という表現がある。本書を読むことで目からウロコがとれるわけではないが、視力に合ったメガネを手に入れた気分にはなる。というのも、本書は思い込みを取っ払ったり既成概念をひっくり返したりという類いのものではなく、誰でも身につけることができる思考の「技術」を教えてくれるからだ。

例えば名札についての話。もっと良い名札を考案できないかと学生たちに提案する。名前だけでなく出身地、趣味などが書いてあるようなのはどうだろう。他には? どうしてネームプレートにする必要がある? そうか、だったらTシャツに顔写真や名前などをプリントしても良いじゃん。といった具合にアイデアをどんどんと出させる。

分量は多くないが値段はやや高め。それでも読んで良かったと思う。我が子が高校生くらいになったら読ませたい一冊。

2015年8月11日

スマン、ご主人。 『やってみたら、こうだった 人妻風俗編』


スマン、ご主人。

随所に出てくるこの一行に、思わずプッと吹き出してしまう(妻を持つ身としては笑ってばかりもいられないのだが……)。

人妻ホテトル(ホテルに呼び出して本番の性行為をする)を実際に体験し、取材した13人分の話がおさめられている。筆致は軽妙で、女性らの発言や自らの行為に対する心のツッコミ、その他の感想も冴えている。たとえば、きれいな人妻ホテトルと話していて、
「こんなきれいな女性に何人もの男が乗っかったのかと考えると、憤慨してしまう」
同じ男として何となくよく分かる、そんな素直な感想に思わずニヤリとしてしまう。

この著者、なかなか良いゾ。

2015年8月10日

安保法案にまつわるニュースが多いので、そのからみで視点をかえて民間軍事会社に関するルポを読んでみてはどうでしょうか? 『戦場の掟』


安保法案にまつわるニュースが多いので、そのからみで視点をかえてPMC(Private Military Company 民間軍事会社)のことを読んでみようと思った。本書はイラクで活動するPMCに迫ったルポで、同国に展開するアメリカ軍をはじめとする多国籍軍との関係なども分かる。

その中で驚くのは、PMCが正規軍の警護もしているということだ。一体どういうことだと思ったが、本書を読んでみるとギスギスした現実が見えてくる。正規軍に被害者が出ると正式な数字として発表されるが、PMCの被害者は表に出にくい。イラクでPMCのアメリカ人が何人も殺されるような戦闘が繰り広げられていても、アメリカ本土の人たちはそのことを知らず、「米軍の被害がこれくらいで済んでいるのだから、きっとイラクでの活動はうまくいっているのだろう」と思う。政府は正規軍に被害が出ると困るから、PMCに多額の金を出して警護させるのだ。

正規軍の給与が月額日本円で30万円くらいなのに対し、PMCの傭兵の給与は70万円から80万円以上。そんな大金を国家が負担して雇っているのだから、このねじれた構造には皮肉な笑いさえ漏れてしまう。ちなみに、PMCの傭兵の給与は当初は月額数百万円だったようだが、しばらくすると戦争に参加したい民間人(退役軍人含む)は無尽蔵にいることが分かり値下がりしていったそうだ。今や、各企業としても傭兵より装甲車両のほうが遙かに高価で失うと痛いという様相である。

日本が、理由はどうあれ自衛隊を海外展開する場合にも、このPMCにはかなり依存すること必至である。安保法案に賛成の人も反対の人も、知っておいて損はない事実と現実が書いてある。

2015年8月9日

くだらないクレームにディズニー謝るなよ……

こういうことに食いつくのは、沖縄県民でもないくせに「ヘノコハンターイ!」とか言っている連中と同レベルなんだよ。

だいたいね、まず、原爆の直接被爆者はディズニー公式のツイッターなんて見ないの、ていうか、ツイッターやっている人が少ないわけ。こんなこと言い出したら、このツイートを出せる日なんて一日もないんじゃないの? 

俺の義祖父母は被爆一世で、死ぬまで聡明だった義祖父は数年前に他界して、生きている義祖母も未だボケていないが、このツイートを見せても恐らく何も思わないだろう。義祖父が生きていたとしても、きっと問題視しない。むしろ、こんなくだらないことにワーワー言っている世代を心配すると思う。

妻は被爆3世ということになるし、娘らは被爆4世、俺は被爆4世の父ということになるんだけど、ディズニー公式ツイッターのこんなことに食いつく奴らの頭の中のほうがよほど怖いよ。

で、ディズニーも謝ってんじゃねぇよ。そもそも、

「なんでもない日おめでとう」

これってすごく素敵な言葉じゃないの? 敢えて原爆記念日に呟くだけの価値がある言葉だと思うんだけど。

それに、

「なんでもない日おめでとう」

被爆犠牲者の本当の気持ちは分かりようがないけれど、いまの平和な日本人に向けて、こう思っている人は決して少なくないと思うよ。

<参考>
ディズニー公式が「なんでもない日おめでとう」を謝罪 「不適切な表現がありました」


※くだらないニュースすぎて、休日だけれど臨時更新。

2015年8月7日

読んで良かった。心からそう思う「文章を書くための本」 『いますぐ書け、の文章法』


読んで良かった。心からそう思う。

これは「文章を書くための本」である。

著者の最大の主張は、
「文章を書く人は、読み手の気持ちになれ」
というもの。このブログも自分なりに読者視点に気をつけて書いてきたつもりだったが、本書を読んで意識も心がけもまったく足りなかったと気づかされた。

ところで本書は、「これから何か書こう」と思っている人が手始めにと読んでも、きっとあまり役に立たない。そういう人は「書くこと」に対する意識のハードルが高いので、作者の「書くこと」に関する考えにはついていけない、あるいは反発するだろう。

本書は、今すでに何か書いているが、どうにも読み手のハートをつかみきれないと悩んでいる俺みたいなアマチュア・ライターこそが読むべき本である。

さぁ書き手の皆さん、買って読みましょう。

2015年8月6日

ほとんどの若手医師が必ず一度は味わう「自分が主治医」という苦悩

隔離した統合失調症患者が、主治医に対して敵意むき出しで攻撃的となった。そして主治医に対し「お前は信用できん! 主治医を代われ!」と怒鳴り散らしたということで、主治医から相談を受けた。その内容は概ね以下の通り。

1. このまま自分が主治医を続けて長く隔離になるのは本人にとって良くないのではないか。
2. 主治医としては、自分が妄想対象になっていると考える。こういう場合、主治医の交代をしたほうが良いのかもしれないと悩んでいる。

俺は主治医を替わらないほうが良いと考えた。理由は二つある。

まず、すでに俺の受け持ち患者が23人いること。一方で彼の担当は10人なので、多少きつくてももう少し踏ん張れると思ったし、踏ん張らなければならないとも考えた。振り返れば、俺が独りでやらなければいけなかった一昨年は、患者40人を受け持つところからのスタートだった。いずれ彼にも同様の事態が起きる可能性は大いにある。だから今の彼にもう少し負荷が必要だ。そういう判断があった。

もう一つの理由は、少し複雑だ。看護師の「早く隔離したほうが良いのでは?」という不安や提案を押し切って、なるべく隔離や抑制をせずにきた粘り腰のスタンス(※1)と、「悪くなるのは想定内」(※2)という彼の治療方針で現在の状態になった。ここで主治医を交代するとなれば、スタッフからは「ほらみろ、やっぱりダメだったじゃないか」と、良くて冷笑を浴びるか、悪くすれば信頼を失いかねない。だから困難はあっても、自分なりの方針を貫いて改善・退院までもっていくのが、今後の彼と病棟スタッフとの信頼関係にとっても大切だと考えた。

病棟に患者をもつ精神科医には、自分なりの治療観や人間観の他に、病棟運営論(病棟論)というものも必要になる。また、臨床の現場で柔軟に対応するには、逆説的なようではあるが、自らの中にブレない信念のようなものを持たなければいけない。そうしたことを、この難局に対処していく中で身につけていってもらえたらという願いもある。

これまでは彼の治療にほとんど口出しせずにきた。しかし今回は、本人にとっても、患者にとっても、病棟スタッフにとっても、少し口出しすることで何か良いほうに変化があればと期待して、上記の他にいくらかアドバイスした。以下、いくつか要点を挙げる。精神科に関わる人だけでなく、そうでない人にも何らかの参考になることを祈る。

1.患者に対してもっと毅然とした対応を。患者から言われたとおりにする必要はないし、少なくとも今は患者が現実的な判断をできる状態ではないのだから、主導権はこちらが握っておくほうが良い。
2.隔離・拘束に関してはもっと柔軟に考えて良い。法的ガイドラインは尊重しなければならないが、同じ人の同じ症状でも、部屋に余裕があるから隔離、逆に状態の悪い人が入院して部屋がないから押し出しで解除ということもあるのだから。大切なのは、それが治療的かどうか。
3.「悪くなるのは想定内」だとしても、それをスタッフには言わない方が良い。「悪くなるのが分かっているのに、どうして何もしないのか?」と不信感を持たれる。また、悪くなる想定があるなら、悪くなる前に手を打つほうが良い。
4.精神科医としての治療観、人間観、病棟運営論、リーダーシップに関する考え方などを形成するために、専門書以外の組織論やリーダー論といった本も読むほうが良い。
5.病棟スタッフ、担当看護師と密に連携をとるべきである。朝のミーティング、仕事中、休憩中、個人的な飲み会などを利用して、自分の治療観や病棟論といったものを少しずつ伝えていき、自分が働きやすい環境を作る(※3)

最後に、こういう指導(?)や指摘やアドバイスをすることは凄く気をつかうことだが、自分自身にとっても良い経験になったと思う。

※1 こういった主治医の治療観、方針、姿勢は尊重されなくてはならない。また、粘ることは決して悪いことではなく、むしろ精神科では賞賛されることでもある。

※2 上記3で述べたように、今回は本人に対しきちんと指摘した。

※3 これは俺が医長になる前から水面下で熱心にやってきたことでもある。病棟で常にユーモアを意識することもそうだし、言葉で伝える以外にも、看護師に知って欲しい内容の書かれた本のコピーを休憩室に置いておくなどして知識や知恵の普及に努めた。


<関連>
学び、トライし、エラーし、フィードバックし、アレンジし、また学ぶ。こうして自分なりの診療ができあがる
「経過観察」「様子を見る」を何もしないことの言い訳に使ってはいけない

2015年8月5日

学び、トライし、エラーし、フィードバックし、アレンジし、また学ぶ。こうして自分なりの診療ができあがる

隔離や抑制の法的指針や学会などのガイドラインは見たことがあるものの、「○日までに薬を飲まなければ抑制する」という脅迫的提案などの実践的なことや、その時の心構えといったものは読んだことがない。前回書いた俺の考えや方法は、ほとんどが指導医Y先生や他の先輩医師から教わったり盗んだりしたものだ。本としては精神科医・計見一雄のものに急場の具体的な話があり、数年前に読んだことが熟成して今の診療に活きているように思う(『急場のリアリティ―救急精神科の精神病理と精神療法』)。

若い精神科医が諸先輩の著した本を読んだり、後ろ姿を見たりして、
「よし明日からやってみよう」
と思い立ってマネしてもうまくいくことはほとんどないし、漫然と待って熟成するというものでもない。学び、患者に対して恐る恐る小出しにトライし、エラーからフィードバックし、自分の個性に合わせてアレンジし、そこにまた別の本から学んだことを追加し、トライしフィードバックしアレンジし、この積み重ねを続けるうちに、何年かして、
「あっ、なんだか身についている! 大御所とはちょっと違うけれど、これが自分なりにしっくりくるやり方だ!」
となる。そういうことを最近感じる。

ある精神科の先生が若手時代、計見先生のセンターで実習された時に、計見先生がこんなことを仰っていたそうだ。
「君らは何かといえば様子を見ましょうと言う。そうじゃない、介入しなきゃ、介入を!」
計見先生の著書では戦争、特に戦術の話がたくさん出てくる。その中でこんな話が書かれていた。

昔の海戦では、一発目の大砲は当てることを目的とはしていない。一発目がどれくらい的から逸れたかで二発目、三発目を軌道修正する。そのために一発目がある。だから、まず一発目を早く撃たないといけない。一発目から正確に当てようとして慎重に狙いを定めていると、その間に撃沈されてしまう。

計見先生が「介入しなきゃ、介入を!」というのは、まさに「一発目を撃て!」ということだろう。




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「経過観察」「様子を見る」を何もしないことの言い訳に使ってはいけない

サクラ、初の独りお泊り

昨日、妻と娘二人で幼稚園の同級生Sくんの家に遊びに行ったらしいが、帰り際になって長女サクラが、
「もっと遊びたい! 泊まる!」
と言い出したらしい。どうせ無理だろうと思って置いてきたそうで、俺が帰宅した時には妻と次女ユウしかいなかった。

ご迷惑をおかけしていないか、泣いていないか、あれこれ気になってソワソワしていたのだが、夜の九時半頃には先方のママさんから、
「寝ました~」
と、二人仲良く寝ている写真が送られてきた。安心しつつも、ちょっと寂しいような……。

いつも隣で寝るサクラがいないせいか、サクラがいなくなってしまう夢を見て目を覚ました。うーん、大丈夫かな俺……。サクラが大きくなるにつれ俺も徐々に子離れしていくんだろうけれど……。

ていうか、まだ3歳半なのにホームシックなしでお泊りするって早すぎないか……?(笑)

2015年8月4日

「経過観察」「様子を見る」を何もしないことの言い訳に使ってはいけない

強制入院後に隔離(個室に鍵をかける)した統合失調症患者が薬を拒否し、どんどん状態が悪くなっていった。不安になったスタッフが主治医にこのままで良いのか、何か積極的な治療(手足を縛る抑制など)はしないのかと問うと、主治医は、
「これから悪くなるのは想定内。予定通りです」
と答えていた。これを横で聞いていて違和感があった。しばらくその理由が分からずにモヤモヤしていたが、自分なりに答えらしきものが見えてきた。

恐らく主治医としては、このままかなり悪くなれば抑制も検討する方針なのだろう。しかし、「悪くなるのを待つ」のは「治療」と言えるのだろうか。もしかして、誰からも批難されないような「抑制する言い訳」ができるのを待っているということはないだろうか。だとするならば、その方針は誰のためなのだろうか? 患者自身のためというより主治医のため、つまり、抑制が絶対的に正当化される状況になるのを待つことで主治医が悪者にならないためではないか……、そんな風にも感じられたのだ。ただ、これはあくまでも俺の主観であるし、精神科医の「治療観」の差異もある。

こういう患者に対して、俺ならもっと早い段階で「このまま薬を飲まないなら抑制して点滴で薬を入れる」という提案(脅迫?)をする。結果としての抑制は勇気の要る選択だが、その方が患者は早くに軽快し、保護室からも出られるだろうし、退院も早まる。強制入院や隔離が長引くことは、医師にとってはありふれた日々の診療の一コマに過ぎないが、患者にとっては貴重な人生の浪費である。医療として打つ手がない状況での隔離の長期化は仕方がない面もあるが、打つ手が残っているのに何もしないというのは「患者の人生の浪費」であるし、医師の怠慢あるいは臆病さだと俺は考える。

もちろん、精神科医は結果を出すことにせっかちではいけない。ただそれと同時に、「経過観察」という言葉を何もしないことの言い訳に使ってはいけない。これは俺も都合良く使いがちなので、自戒を込めてそう思う。ましてや「悪くなるのが想定内」で、抑制する言い訳ができるのを待つようではいけない。患者の貴重な人生を守るために。

そこまで言うなら、お前が主治医にかわって抑制して治療を開始すれば良いではないか、という指摘はもっともであるが、やはり治療観の違いはあるし、主治医の経験にもつながらない。患者の利益と、経験不足な医師の成長に必要なこと(失敗体験ともいう)は相反することが多いもので、患者には申し訳ないが今回はギリギリまで見守らせてもらうつもりだ。

と、ここまでを書いた数日後、患者が薬を飲むと言い出した。主治医の方針通り抑制しないほうがより正しかったのか、積極的に治療(抑制)して隔離期間を短くするほうが良かったのか。正解がないだけに、医師それぞれの治療観や人生観、病棟論が大切である。

この話、あと数回にわたって続く。

<関連>
精神科医は病棟で患者に殴られてはいけない‏

2015年8月3日

久しぶりに長女サクラの寝かしつけ散歩

断乳中の次女ユウを寝かしつけるため、抱っこひもに入れて夜道を散歩するのが、このところの俺の日課である。そして仔ネコに関する日記で書いたように、ここ最近は長女サクラも付き添うようになった。

先日は、出発前にサクラから、
「ユウちゃんがねんねしてー、かえってきたらー、次はサクラがだっこひもにはいってー、おそとにいって-、さんぽしてー、ねんねするね」
「わかった、わかった」
サクラもどうせすぐ忘れるだろうと思ってそう答えた。

ユウが寝たので散歩を終えて家に帰り、俺はユウと寝室へ、サクラはリビングに行った。ユウをベッドに寝かせ、しばらくゆっくりしているとサクラの足音が聞こえてきた。部屋に入ったサクラは小声で、
「パパ……、パパ……、サクラまだ、だっこひもしてないよ、パパ、おそといってないよ」
しっかり覚えていて、ここまで言われたら腰を上げるしかない。

サクラを抱いて、玄関で靴をはいて立ち上がるとサクラが言った。
「パパ、かえるのうた、うたってね」
これを聞いて、思わずサクラの目を見つめてしまった。というのも、サクラが断乳にチャレンジした時も俺が抱っこひもで寝かしつけ散歩をしていて、その時にひたすらずっと歌って聞かせていたのが「かえるのうた」だったのだ。偶然? それとも漠然とでも憶えていたのかな? どちらにしても、当時を思い出してちょっと胸がジーンとなった。

ちなみに、「かえるのうた」を選んだ理由は特になく、なんとなく寝かしつけ散歩の歩調に合っていたからである。