2015年12月31日

あらすじとテーマは身につまされるが全体的に深みがない 『虚無』


3歳の娘を殺した男は統合失調症だった……。その男は無差別に12人を殺傷もしたのに、精神鑑定を受けて心神喪失で不起訴になった……。

同じく3歳の娘を持つ父としてはのっけからどえらい描写で読むのが苦しかった。そして統合失調症を治療する精神科医としても複雑な気持ちになった。

統合失調症と心神喪失、刑法39条を主題にしているのだが、多くの統合失調症の患者と実際に接したことがなければリアルに描くのは難しいのだろうと感じた。非専門家が読めばそれなりに真に迫っているように感じるものなのかもしれないが、専門家からすればちょっと違うよなぁという感覚がずっと続いた。

薬丸岳の小説には社会的テーマが含まれるのが良いところなのだが、本書は先にテーマを決めて、そこに付け焼刃でストーリーをくっつけたという感じで深みがないし、ミステリとしても先が読めてしまうしで、星は2つ半といったところ。

2015年12月30日

ジェフリー・ディヴァーの短編集 『クリスマス・プレゼント』


それぞれの短編において、最後の数行でこれまでの展開をガラッと引っくり返される、手品のような楽しさがある。分厚い本だが、短編が16作品も収められているので、時間が空いた時に一つずつ読んでいけばあっという間に終わる。Amazonレビューでいけば星4つかな。

2015年12月29日

篠田節子の短編集 『家鳴り』


篠田節子の7作品が入った短編集。

彼女の長編小説が好きで、特に初めて読んだ『仮想儀礼』には脳天が痺れるほどの興奮を味わった。短編集はどうかというと、決してつまらなくはないのだが、やはり長編小説で見せてくれる大胆な大風呂敷がなく、素っ気なさを感じてしまった。

2015年12月28日

人生の転機を迎える人の周囲が、その人のうつ病予防のためにできることとして知っておいて良いこと 『うつ病と頭の中の喪失感』

精神科医・中井久夫によると、ある棋士が引退した時、それまでに覚えた棋譜が頭の中でガラガラと音を立てて崩れ去る体験をしたそうだ。似たようなことが自身の受験体験にもあり、大学に合格した瞬間に微分積分が解けなくなった気がしたし、実際に問題を見ても頭が反応しなくなっていた。

こういうふうに、「不要なものが頭からなくなる感覚」というのは確かにある。

受験勉強で覚えたことが頭からなくなる程度のことですら、人によっては喪失感をおぼえるだろうし、もしかしたらその喪失感が大学生のいわゆる「五月病」の原因の一つなのかもしれない。

もう少し視野を広げてみると、引っ越しや定年退職といったことがうつ病の引き金になることがあるのも、新しい土地や次の人生に慣れないからということに加えて、この「不要になった知識が頭からなくなることによる喪失感」が関係しているのかもしれない。

この仮定が正しいとすれば(実際にある程度は正しいと思うが)、例えば仕事に関しては、隠居・引退する人に対して、後輩たちが「きっと何かトラブルがあるでしょうし、その際にはご相談に伺います」と声をかけて見送れば、立ち去る人に「知識を保つ意義」を与えることになり、「ガラガラと一気に崩れ去る喪失感」を体験させずに済むかもしれない。逆に、安心感を与えようとして「あとのことは心配いりません、任せておいてください」という声かけは、知識の崩壊を助長し、喪失感からうつ病へと至る危険性を高めるだろう。

「知識の崩壊と喪失感を防ぐ」
これは簡単なようで難しいが、きっと大切なことである。そのためにできることの一つとして、今の立場から大きく変わったところへ行く人に対して、「あなたの頭の中にあるソレが必要な時がくるかもしれませんから、大切に保管しておいてください」と声をかけてあげる。そしてこれは「頭の中の何かがガラガラと音を立てて崩れ去った後」ではダメで、あくまでもそうなる前でないといけない。

これは、人生の転機を迎える人の周囲が、その人のうつ病予防のためにできることとして知っておいて良いことではないだろうか。


棋士の体験については、本書の中にあった。

2015年12月25日

当院に、マタニティ・グリーフケアのチームを築きたい

統合失調症を患いながらも2児をもち、さらにもう一人欲しいと(特に姑が)希望して、減薬にトライして妊娠した女性が流産した。この時に発覚したのが、当院のマタニティ・グリーフケアの乏しさである(※1)。

彼女はいつも精神科の前に産科を受診していた。他科を受診している患者の場合、事前に他科カルテのほとんどに目を通すのだが、今回そこに「胎児心拍確認できず」「稽留流産」という文字があった。彼女を診察室に呼び入れる前に、どう声をかけたら良いものかしばらく思い悩んだ。結局、「寄り添うことしかできない」と半ばあきらめ、半ば覚悟して診察を始めた。

部屋に入ってきた彼女は、うつむいてはいたものの挨拶はしっかりできていた。席についたのを確認して、「産科のカルテは見ました」と声をかけた。彼女は下を向いたまま頷いた。俺自身、その後はしばらく言葉が出なかったが、ようやく「精神的につらいですよね」と言葉をかけた瞬間に、彼女は声を殺して、しかし激しく崩れるように泣きだした。何も声をかけることはせず、しばらくはそのまま泣いてもらった。

結局、“赤ちゃんのため”にという想いをこめて、
「いっぱい泣いてあげましょう」
と言うのが精一杯で、それ以上に何か言うのは自分も泣きそうだった。これはかなり感情的、感傷的な自分である。それと同時に、「グリーフケアとしてはこれで良い」という、そんな冷静な判断をしている自分もいた(※2)。

自分自身、いろいろな想いがよぎった。気持ちが安定しないためわりと薬が多めになっていた彼女が、姑の期待に応えるために減薬にトライし、そのせいで時どきイライラ感が出ながらも頑張って……、という姿を見てきたから。どう声をかけて良いか分からないまま、彼女は診察室で泣き続けた。

しばらくして、ようやく自分なりにかける言葉が見つかった。
「いまの状態で、家に帰って家族に報告するのはきついですね」
と尋ねると、ポロポロと涙をこぼしながら頷く。こういうケースでのケアは、産科の、特に助産師で得意な人がいると考えた。そこで流産と診断した産科医に電話して聞いてみたが、その日は「スタッフが少なく、外来が多い」ということであった。

自分の中では、流産・死産した女性へのケアも含めての産科だと思っていたので、この回答には正直ちょっと不満をおぼえた。
「なんだよ、赤ちゃんが死んじゃったら、もう産科には関係ないってことかよ。生きている赤ちゃんがお腹にいる妊婦を待たせないことが優先かよ」
みたいな。そうは言っても、産科の忙しさを考えると、現実的に死産・流産のグリーフケアにまでは対応不可能というのも理解できるし、責められない。

もちろん産科医に対しても他意はない(大学時代からの後輩でもあるし)。それどころか彼の彼女への対応は素晴らしくて、
「統合失調症の薬とは関係なく、全妊婦の15から20%は染色体異常などで自然流産してしまう」
と説明してくれていた。彼女のこころを正確には知りようがないが、自分が統合失調症であり薬を飲んでいることは、亡くなった胎児に対する罪悪感となっていたのではないだろうか。だから、産科医のかけてくれたこの言葉は、彼女のこころをいくばくか慰めたはずである。もしも、「統合失調症の薬が悪さをした可能性は低いけれどもゼロではない」ということをにおわす説明があれば、きっと彼女は自分自身を許せなくなる。

結局、精神科のK看護師にお願いすることにした。ゆっくりできる部屋が見つからず、病棟の面談室を貸し切りにした。俺と看護師とで彼女を部屋に案内して席に座らせると、K看護師は自然と彼女の隣に座った。こういうケアは女性同士のほうが良いと考えて部屋を出た。彼女は堪えに堪えていたのだろう。扉を閉めるとすぐに、悲痛な嗚咽が外にまで漏れ聞こえてきていたたまれなくなった。

彼女が帰宅した後、K看護師には、
「きつい仕事をお願いしてすいません」
と謝った。その看護師は、
「いいえ、大丈夫ですよ。実は私も死産したことがあって、その時には女性の産婦人科医が『いいのよ、ここで泣いても』と言ってくれて、エコー室をしばらく貸し切りにしてくれたんです」
とのことであった。

「私にも経験があるんだけれど」「流産はあなたのせいじゃない」「家族も分かってくれる」
そんな声かけをしたそうだが、それはその看護師の実体験に裏打ちされたからこそ通じた言葉であって、男の俺が言っても空々しいどころか有害ですらあるだろう。では、男性の精神科医として、どういう声かけが正解だったのかというとそれは分からない。ただ、少なくとも「流産はあなたのせいじゃない」「家族も分かってくれる」というのは不正解だろう。お前に何が分かる、と怒られて当然である。分からないものを分かったふりして慰められるほど腹立たしいことはない。

自分に何ができるか。敢えて表現するなら、お地蔵さんみたいな存在になるしかない。無力なお地蔵さんには、目の前で泣いている人を見つめるしかできないし、手を差し伸べるどころか表情すら変えられない。それでもきっと、お地蔵さんに涙を打ち明けることで救われる人がいる。だから、こういうケースの時には、次からもお地蔵さんになろうと思う。

ただ、もっとグリーフケアを充実させられないかと考えて、その翌日に産科の医師と立ち話だけれども話し合いをした。問題点はたった二つ。
1.人の確保
2.部屋の確保
言葉にすればこれだけなのに、壁は高く厚い。

部屋の理想は、ベッドがあること。ベッドがムリなら、かなりくつろげるソファがあること。ケア担当者の理想は言い出せばキリがないが、やはり女性が良いだろう。今回はたまたまK看護師が死産経験者だったが、担当者自身の流産・死産を条件にすることはおかしいし、現実的でもない。とはいえ、そういう経験のある人のほうがグリーフケアに強く興味を持つだろう。それから精神科医としては、「隣でそっともらい泣きしてしまう人」をメンバーにしたい。「隣で」「そっと」「もらい泣き」という3つの条件が大事である(※3)。

チームの全面指揮は、自分の能力的に足りず、キャラ的にも合わないので、まずはチームを立ち上げるところを目標にしたい。具体的には、産科と精神科から看護師を2名ずつと、精神科から心理士を1名。それから、他職種でも有志を募る。精神科医と産科医はリーダーというより、上層部との交渉やチームのバックアップをするための顧問として活動する(産科医はリーダーをやれそうだが)。

また、自分がずっとこの病院に留まるわけではないので、無理なく続けられることが最低条件である。現時点での自分たちの人数や能力、モチベーション、勤務体系をもとに「最大限の理想形」を目指して、場合によっては完成させて、「あとはヨロシク」と立ち去るのでは無責任すぎる。

田舎の総合病院なので、マタニティ・グリーフケアのチームができたとしても、メンバーがケア専従になることはあり得ない。通常業務にプラスして、臨時・緊急の仕事と役割が求められる。恐らく、相応の手当てがつく可能性も低い。だから、モチベーション維持とインセンティブも課題だ。

「命をあずかる医療従事者なのだから、文句言わずにやれ」
という人は最近は減ったと思いたいが、これは例えるなら、
「マラソン選手なのだから、42キロ走った後も、文句言わずにあと20キロ走れ」
と言うようなものである。無理は崩壊につながる。まずはゼロを1にする。そこから1を10や20に上げることは考えず、1を維持する。

モチベーション維持やインセンティブに関しては、上層部との交渉で研修費を出してもらうことができないかと考えている。凄い赤字らしいので快くオーケーはされないと思うが、ここでグリーフケアをやっていることの評判が、都会に流れがちな患者を地域につなぎとめて、結果として利益になるのではないかと期待したいし、そういうふうに説明・説得するだろう。

現在、少しずつ進めているところで、今年度末あたりにここで良い報告ができるよう尽力したい。


※1 マタニティ・グリーフケアとは、残念ながらも流産・死産・人工死産・新生児死という結果になった際にお母さんの精神的なケアをするものである。

※2 これは今ふり返ると、自分自身の気持ちを崩れ落ちさせないようにするための「こころの防衛」といった面があるかもしれない。

※3 時どき本人や家族より先に泣き出したり、時には取り乱したりする医療者がいるらしい。さすがに取り乱す人は見たことがないが、研修医時代には女医が家族より先に泣きだしてしまった場面に出くわしたことがある。

2015年12月24日

B級映画を観終わった後のような感覚 『ナチの亡霊‏』


戦闘訓練を受けたアメリカの科学者チーム『シグマ・フォース』の活躍を描いたシリーズ第2作。1作目は『インディ・ジョーンズ』と『ダ・ヴィンチ・コード』と『ミッション・インポッシブル』を足して3で割って、少し割引きしたくらいの内容で、映画にするならB級というクオリティだった。

本作もやはり内容的には似たようなものだが、クオリティ的には前作よりは少し上がっていた。ただし、科学史的(「科学的に」ではなく)に明らかな間違いがあり、それがまた物語の核心に近い部分だったので、「あれ?」という違和感があった。

アクションと科学・歴史っぽいものの融合した小説を読んでみたい人には良いかもしれない。

2015年12月22日

とにかく冬に読め! 名作『北壁の死闘』


邦訳の初版が1987年と古いが、舞台が第二次大戦中のドイツやスイスであるため、古くささはない。というより、むしろ名作。

本書は山岳冒険小説というジャンルに入ると思う。そして、山岳小説を読む時の鉄則。

とにかく冬に読め。

それもちょっと肌寒いくらいの場所で読めるなら、そのほうが良い。そうすると、高所で寒さと戦っている登場人物と一体化しやすく、自分まで山の中にいるような気持ちになれる。

戦争に翻弄されながらも山と戦った男たちと一人の女性の物語。読めばきっと胸が熱くなるはずだ。

2015年12月21日

サラッと読んで、どこかで活きる 『野村の流儀 人生の教えとなる257の言葉』


野村克也は監督時代、試合をやっている間に終了後のインタビューでどんなことを話すかコピーライターのように考えていたというから感心する。彼の発言がマスコミに取り上げられるためには、どういう風に言えば良いかと作戦を練るのだ。そこにはもちろん選手の名前が出てくる。田中将大を評した「マー君、神の子、不思議な子」はまさにキャッチーで、あまりプロ野球に興味のない俺でも覚えているくらいである。そうやってテレビや新聞で自分の名前が出た選手はモチベーションが上がる。野村克也にとっては、試合後のインタビューすら、チーム指揮の一環なのだ。

普段はプロ野球も高校野球も見ないが、ピッチャーとバッターの駆け引き、サヨナラのかかった打席での選手心理、プロ選手の心構えや監督のチーム運営といったものには興味があって、時々データに見入ったり、野球がらみの本を読んだりする。それらは実は精神科での臨床や治療の考え方にもけっこう役立つ。

プロ野球の歴代監督の中でも野村克也には以前から関心があった。試合後のインタビューでの言葉選びが面白かったし、あちこちで見聞する監督の名言も良かったからだ。ただし、本書の著者は野村克也となってはいるが、実際には彼の言葉を集めたものである。

たまにはこういう本をサラッと読むのも良いものだ。

2015年12月18日

精神科の診断と老いについて

精神科の診断について、色のスペクトラムを用いて自分の考えを説明したことがある。

精神科の診断

これは今でも概ね間違っていないと思っているが、先日、改めてスペクトラムの画像を検索しながら非常に興味深いものを見つけた。
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統合失調症、躁うつ病、強迫性障害、人格障害、発達障害など、精神科にはさまざまな病気がある。それはこの画像で言えば、円の外側のスペクトラムで表される。そして、健常人であれ精神障害者であれ、人間は歳を重ねるごとに円の中心部へと向かっていく。そうするとどうなるか。

画像を見て分かるように、中心部に行けば行くほど混沌となる。色の境目がなくなり、元が何色だったか分からなくなる。極端な例は「認知症が進んだ人」で、その人が昔は統合失調症だったのか、それとも躁うつ病だったのか、発達障害だったのか、もはやそういうことは治療するうえで大きな意味は持たなくなる。安らかな老後のために医療は何を提供できるか、ということが主眼になる。

大御所の精神科医の本には、統合失調症は歳をとると病勢が弱まる、といったことが書いてある。症状そのものが軽くなるということも確かにあるだろうが、この図で示されるように、健常人も他の病気の人も年老いてみんな中心部に集まるので、それぞれに特徴的な症状が「目立たなくなる」ということかもしれない。

精神疾患は、社会や人とのつながりが強くて濃い人ほど症状が目立つ。子どもが巣立ち、友人知人との交流が減っていき、配偶者に先立たれ……、そうするうちに症状が目立たなくなっていくのではなかろうか。逆に、それまで健常人として生きてきた人も、この段階に至れば時に古くからの精神科患者のように見えることもある。

人は歳を重ねて赤ん坊に戻っていくと言われる。できていたことができなくなり、分かっていたことが分からなくなる。個々の赤ん坊にほとんど差がないのと同じように、老人になるということは、それまでにできたいろいろな差、知能的、体力的、社会的な違いが埋まっていく過程なのかもしれない。そしてそれは、厄介ながらも愛おしい「心」というものを持ったヒトにとって、きっと幸せなことなのだろう。

2015年12月17日

この面白さは読んでみないと分からない。Amazonの紹介文や文庫本の裏の筋書きを読んでも、これがもの凄く面白い本だということには気づけないはずだ。井上ひさしのユーモラスな昔話 『新釈 遠野物語』


この本を買ったのは、井上ひさしの『腹鼓記』(Kindle版)が非常に面白かったからだ。『腹鼓記』はタヌキとキツネの化かし合いをユーモラスに描いたもので、映画『平成狸合戦ぽんぽこ』に通じるところがあって、この映画が好きな人なら『腹鼓記』も気に入ると思う。

話がそれたが、本書はタイトルからも分かるように柳田国男『遠野物語』のパロディであるが、本家を読んだことがなくてもまったく問題にならないくらいできが良い。実際に俺も本家は読んだことがないが、始まりからグイグイと引き込まれて、あっという間に読み終えてしまった。

主人公は大学生で、学費が払えないのと勉強がつまらないのとで休学して実家に戻る。たまたまアルバイト先の近くの山に住む老人と知り合い、その老人がこれまでに体験してきた不思議な出来事の数々を聞いていく。こういう大枠は平凡なのだが、老人の語る奇想天外な話がそれぞれすごく面白い。

この面白さは読んでみないと分からない。Amazonの紹介文や文庫本の裏の筋書きを読んでも、これがもの凄く面白い本だということには気づけないはずだ。

この本で井上ひさしの評価が確定して、他にも数冊買うことにした。

2015年12月15日

バカバカしいものから、しんみりとするものまである梶尾真治の短編集 『恐竜ラウレンティスの幻視』

恐竜ラウレンティスの幻視 

8つの短編が収めてある。バカバカしいものから、しんみりとするものまである。梶尾真治といえばSFだが、本書にはまったくSFと関係のない話もいくつかある。

エマノン・シリーズをはじめとして、梶尾真治の本を数冊読んで思うのが、この作家は「人と人との出会いと別れ」を描くのが上手いということ。ありきたりな表現であるが、「切ない別れ」の演出が巧みなのだ。

本書で言えば、最後の短編『時尼(ジニイ)に関する覚え書』はSFと恋愛、ミステリのような謎が絶妙にブレンドされていて、非常に好きな作品だった。

2015年12月14日

赤ん坊はなぜかわいい?―ベイビー・ウォッチング12か月

赤ん坊はなぜかわいい?―ベイビー・ウォッチング12か月

人が生まれる少し前から一人で立つ頃までの12か月を大雑把に「赤ん坊」と定義して、赤ん坊にまつわる素朴な「なぜ?」を58コ集めて回答した本。著者が独自の意見を述べているわけではなく、各分野の研究結果を一般向けに分かりやすく解説している、のだと思う。というのも、巻末に参考資料が明記されていないので、実際にどういう資料を見ての解説なのかよく分からないのだ。

 一次資料や参考文献が明記してあるからといって、それだけでその本が科学的で信用できるものであるという根拠にはならないが、少なくともこういう類いの本では資料を載せるべきだと思う。翻訳書の場合、原著には資料が明記してあっても、翻訳家や出版社の判断で省略されていることがあるが、非常にマズイ判断である。本書がどうなのかは分からないが……。

明らかに著者自身の意見で、かつ凄く同意できる部分があった。それは母性、父性に欠ける人がいるということ。著者は、そういう人は何らかのトラウマを負っていて、本来持っているはずの感情がなにかの形で損なわれているのだろうと解説する。そしてこう結ぶ。
酷なことを言うようだが、赤ん坊をかわいいとはまったく思えないなら、子供はつくらぬほうがいい。
ちなみに原題は『Babywatching』である。「赤ちゃん観察」といったところか。子育てしながら読むと、面白いですよ。

2015年12月11日

ペットボトルの水に「ありがとう」とか「ばかやろう」とか、声をかけたり張り紙をしたりすることで味が変わるのは科学的か? 『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学』

ペットボトルの水に「ありがとう」とか「ばかやろう」とか、声をかけたり張り紙をしたりすることで味が変わる。

そんな話を聞いたことがないだろうか。これの延長線上の話として、二つの瓶にご飯を入れて、それぞれに「ありがとう」「バカ」と張り紙をしておくと、「バカ」の張り紙をされた瓶のご飯のほうが早くカビる、というものがある。

ある小学校で、教師がこの話をしたところ、男子児童が「バカの瓶にはツバがかかったんじゃないの?」と発言した。この子どもなりの着眼点と指摘は教師から黙殺されたうえ、その授業を見学していた別の教師から「関係ない話をするんじゃない!」と叱られたそうだ。

水にしろ、ご飯にしろ、荒唐無稽でバカげた話ではあるが、これを大まじめに信じ切っている人たちがいる。

 
さて、科学的であるとはどういうことか。メディアに踊らされることなく、科学とエセ科学をきちんと見分けて吟味するための知識はどうすれば得られるのか。本書は日本人にとって身近な健康や食品を中心に論を進めてあり、メディア・リテラシーを身につけるための、とっかかりやすい最初の一歩としてお勧めである。身近で言えば、妻や同僚の奥さんたちに読んでみて欲しい一冊。

2015年12月10日

ジョークから得るリーダー論 「善意のネガティブ」に目を光らせろ!

二人乗りの自転車でゆるやかな坂を登る男性たち。ようやく頂上にたどり着き、前に座った男が言う。
「見かけは楽そうだったのに、けっこうキツい坂だったな」
後ろの男が答える。
「あぁ、まったくだ。俺がずっとブレーキをかけていなかったら、下に落ちていただろう」

これは俺の好きなジョークの一つで、医療現場にも通じるところがある。

後ろの男はマヌケだが、決して悪意があるわけではない。医療の場でも、誰かの善意による行動がネガティブに作用していて、しかも前方でリードする者がそのことに気づいていない、ということがあるのだ。

リーダーにとっては、たまに後ろを振り返ることも大切な仕事の一つであり、「善意によるネガティブ」がないかにも目を光らせる必要があるということだ。

2015年12月9日

未来のためにやるべきこと、やめるべきこと、できること、できないこと 『百年の愚行』


この100年で人類が犯した愚行の数々を、これでもかとばかりに見せつけられる。つい先日読み終えた『ピュリツァー賞 受賞写真 全記録』では、時代背景や撮影エピソードがそこそこの分量で付記されていたが、本書では短いキャプションのみ。だからこそ、写真そのもののインパクトが高まる。

「愚行」と銘打ってあるだけにショッキングな写真が多い。特に幼い子を持つ父親として、胸が痛くなる写真も何枚かあった。この愚行を止めるために、繰り返さないために、何をすべきで、何ができて、何ができないだろうか。そういうことをしみじみと考えさせられる一冊。

2015年12月8日

病棟スタッフを耕す 「笑い」を処方するということ

精神科において、「病棟を耕す」という表現を最初に用いたのが、どの大御所先生かは分からないが、「病棟スタッフを耕す」という表現を日本で最初に使うのは、きっと俺が初めてだ。

この病院に赴任した6年前、最初に感じたのが病棟スタッフの緊張感ある雰囲気だった。これは良く言えば「引き締まった」、悪く言えば「ピリピリしている」。最大の理由は、俺が敬慕し続ける指導医Y先生が放つ空気感だったと思う。そしてその雰囲気は、俺が理想とするものとは少し違っていた。まだ駆け出しのペーペーだった俺が、指導医の創りあげた病棟を見てこんな感想を抱くのは身の程知らずも良いところだが、とにかく俺は病棟を自分の理想に近づけたいと思った。そんなに小難しい理想ではなかった。ただただ、もっと「笑い」のある病棟にしたかったのだ。

それから3年間、Y先生のもとで学びながら、地道に「病棟スタッフを耕す」ということを意識した。といっても、これもまた難しいことは考えていない。ただジョーク、ジョーク、とにかくジョーク。病棟で、飲み会で、休憩室で。医師のジョークでスタッフが笑う。スタッフの笑顔は患者に伝わる。ある患者が笑えば、別の患者が笑う。笑顔の連鎖が病棟全体を柔らかくする。きっとそうなるはずだ。

Y先生が去られて「独り医長」になり、一気に40人の入院患者を受け持つようになった時、
「自分が耕してきたところに種をまいて花を咲かせるのは今だ!」
そう考えた。とはいえ、やはり大したことはない。日中だけでなく、毎朝のミーティングでもスタッフの笑いを引き出すよう心がけただけだ。

表情というのは不思議なもので、本物の笑顔ではなく「笑顔っぽい顔」をつくるだけで気持ちが少し明るくなり、「しかめ面のような顔」をするだけで気分まで悪くなる。これは多くの科学的研究で確かめられている。また、人は無意識に相手の表情のマネをすることも分かっている。ということは、医師が朝のミーティングに笑顔を持ち込むか、しかめ面を持ち込むかで、スタッフの表情に影響が出て、それはそのまま患者の表情になるということだ。

だから、毎朝、笑いを処方する。

ちなみに。

「笑われる」のではなく「笑わせる」。

こんなこだわりは芸人だけが持てば良いと思っている。誰かが笑顔になるのなら、笑わせるでも笑われるでもどっちでも良いじゃないか。この境地に達したオッサンならではの精神医療が、うちの病棟の持ち味である(今のところ)。

こうして書いてみると、俺にとって「病棟スタッフを耕す」というのは、つまるところ「笑い」を大切にするというだけの簡単な話であった……。でもまぁ、日本で最初に「病棟スタッフを耕す」を使ったのは俺だからね!!


<関連>
精神科診療における笑いについて

長女サクラの成長!?

昨日の朝、長女サクラがパンを食べながら、
「あのね、ママがパパのこと大好きなんだって」
と言うので、おかしくて、
「へぇ、そうなんだ」
と笑顔で答えると、
「ママね、パパに玄関でいってらっしゃいしたいって、言ってたよ」
なんてことまで言う。

ちなみにその時間、妻は前日の日曜日にあった幼稚園のお楽しみ会と、その後のあれこれの疲れ(よその子を4時間くらい預かったり)から、まだお布団の中だったんだけどね(笑)

あと2ヶ月ちょっとで4歳になるサクラ。ある本には、4歳くらいから「他人の気持ちが分かるようになる」というようなことが書いてあった。相手の気持ちをただ感じるのではなく、具体的に分かる、ということだろう。そして「ママがパパのこと大好きなんだって」と教えてくれたのは、その第一歩みたいなものなのかもしれない。

2015年12月7日

時間にまつわる文化の違いへの入門書 『あなたはどれだけ待てますか - せっかち文化とのんびり文化の徹底比較』

世界には、今でも「時計時間」ではなく、「出来事時間」で生活がまわっている地域・文化がある。例えば、牛を畑に連れて行って働かせる。その牛が疲れて水を飲みたがる時間はだいたい同じなので、待ち合わせの時間を「牛が水を飲みに行くころ」といった風に設定するのだ。それより細かい設定は、「飲みに行く前」「飲んでいる間」「飲み終わり頃」となるが、いずれにしろかなりアバウトで、1時間や2時間のずれは当たり前。こういう生活もたまには良いかもしれないが、多くの日本人にとって長期間はもたないだろう。

こういった時間の流れ、時間のとらえ方、時間にまつわる作法やマナーなどは、国によっては日本と大きく違う。例えば、約束をして時間通りに来ることがマナー違反になる国もあり、ならば遅刻せずに早めに来るのが良いかというとそういうわけでもなく、少し遅れるくらいがちょうど良いそうだ。

この「時間」、単位できちんと測定できるようになったのが300年ほど前のことである。最初期の機械時計は14世紀頃にヨーロッパで作られたが、それには針も時刻表示もなかった。現在の時間を知るためではなく、定められた「祈りの時刻」に鐘を鳴らすためだけに生み出されたのだ。16世紀末になってガリレオが振り子の働きを発見し、17世紀半ばに振り子時計が開発された。


そうした「時間」に関する本書の著者はアメリカの大学教授で、一年間の休暇をブラジルで過ごすうちに「時間」と「文化」というものに惹きつけられ、それを研究の専門分野にすることになった。本書は「時間」にまつわる地域・文化の違いを研究したものを、一般向けに分かりやすく解説してある。学術的な言葉はほとんどないが、学問の世界への入門書(それも所々のジョークが面白い入門書)といった趣きがある。

残念なのは『あなたはどれだけ待てますか せっかち文化とのんびり文化の徹底比較』という邦題。いまひとつ興味を抱かせないヤボなタイトルである。絶版になってしまった原因はこのあたりにもありそうな気がする……。原題は『A GEOGRAPHY OF TIME』といたってシンプル。Geographyとは「地理学」のことで、そのまま訳せば「時間の地理学」といったところだろうか。

2015年12月4日

「一般教養としてギリシャ神話に軽く触れておきたい」という人にはうってつけ 『私のギリシャ神話』


阿刀田高によるギリシャ神話の軽い解説エッセイ。同じく阿刀田の『ギリシア神話を知っていますか』を、もう少しシンプルにして、カラーの絵や写真を盛り込んだ感じ。

研修医時代に1ヶ月ほど師事した精神科の先輩がギリシャ神話に関する本を愛読しており、その先輩が、
「精神科のエッセンスはすべてギリシャ神話に詰まっている」
と言っていた。それよりずっと以前に上記の『ギリシア神話を知っていますか?』は読んだことがあったので、その時には「そんなものかなぁ」という感想で終わった。

自ら精神科医となり、当時のことを思い出して、改めて『ギリシア神話を知っていますか?』を読み、それからまた数年して本書を読んでみて、やっぱり感想は「そんなものかなぁ」というものである。本書は面白いし、ギリシャ神話も興味深いのだが、俺くらいの洞察ではギリシャ神話から精神科のエッセンスのすべてを抽出することは困難であった。

「一般教養としてギリシャ神話に軽く触れておきたい」という人にはうってつけの本である。

<関連>
ギリシャ神話を知っていますか(ブログ内レビュー)
インセプション

2015年12月3日

看護師が自分の悪口を言っている場に出くわしたら……

病棟である看護師が同僚先生の悪口を言っていたら、なんとすぐ後ろに立っていたらしい。周りの看護師は青ざめた。これは気まずい。言った方も言われた方も居心地悪い。周囲の看護師らもいたたまれない。結局、そこで互いにフォローすることなく、散り散りになったらしい。この報告をクラークさんから聞きながら、俺ならこうするなと考えた方法がある。

その看護師の首を後ろからしめるのだ。もちろん本気ではなく、北野たけしみたいな感じにおどけながら。
そうやって一旦は本人と周りの緊張を緩和させておいて、
「大切な話だと思うので、改めて話し合ってみますか」
と持ちかける。

こういうのは、日頃からのキャラ作り(!)やコミュニケーションのあり方で各人に合ったやり方があるはずだが、とりあえずわずかでも笑いを生み出せれば、あとはどうにかなる。このブログで紹介した固有反射心理学の応用みたいなものだ。大切かつ難しいのは、どうやって緊張緩和と少しの笑いに持ちこむか。これは日ごろから意識することで、感覚と腕とを少しずつ磨くしかない。

魅力的なキャラたちが大暴れ! 『荒野に獣慟哭す』


もともと新書5冊分であったものを1冊の新書にまとめた、1000ページ近くあるかなり分厚い本。腕の疲れとしては、辞書を読むような感覚である。

夢枕獏は独特な息遣いのある文章を書く人だが、本作では中盤から後半にかけては、わりと普通の小説の文体に近くなっている。著者がのっているからなのか、その逆なのか……?

伝奇アクション・バイオレンスであり、グロテスクな描写も多々あるので苦手な人は避けるが吉。
御門周平は大脳病理学研究所所長の川畑総一郎の助手だったが、自ら志願してニューギニアの奇病ウィルス独覚菌を、脳に植えつけられた。ために超人的な肉体と格闘能力の保持者となる。その代わり記憶を失い、何者かに襲われる。川畑と手を組んだ土方重工業は、兵器産業にも手を染め、戸籍上死んでいる自衛隊の幽霊部隊ゾンビストを組織し、彼らに独覚菌を接種して獣化兵と呼ばれる獣人たちを造りだした。獣化兵は牛、虎、鳥などの姿を体現している。御門を襲ったのは、彼らだったのだ……。

2015年12月2日

ボディ・ランゲージに関するライトな専門書 『本音は顔に書いてある』


人が情報を伝える時、言葉そのものが果たす役割は全体のわずか7%に過ぎず、声の調子やイントネーション、声以外の音が38%、言葉以外の表情や態度が55%もの割合を占めているらしい。

本書はいわゆるボディ・ランゲージに関するライトな読み物である。情報伝達において役割の55%を占めるという表情や態度に関して、参考になる話がわりと多い。ただし、すべてを完全に真に受けるのは問題だろう。というのも、お国柄、国民性というものもあるからだ。

本書の中から精神科臨床に役立ちそうな話を一つだけ紹介。

ノースカロライナ大学の心理学教授が行なった実験で、うつ病の初期症状を示している人を二つのグループに分けた。それぞれにコメディ映画とそうでない映画を3週間にわたって観てもらったところ、コメディグループのほうは明らかに症状が改善した。また同教授は潰瘍患者がそうでない人に比べて眉をひそめる表情が多いことにも気がついた。

これは以前に紹介した固有反射心理学に通じる話だ。固有反射心理学の研究で分かっているのは、気分とは無関係に意図的に笑顔を作るだけで、脳が刺激を受け幸せな気持ちになるということだ。これを精神科に応用するなら、例えば精神科の作業療法の一環として映画鑑賞があるが、患者の精神衛生を改善させるにはどういう映画が良いかの参考にできそうだ。

本書はタイトルからすると表情に関する本のように見えるが、原題は、『The Definitive Book of BODY LANGUAGE』であり、表情以外にもたくさん記述してある、というより表情に関する記載はごく一部である。目次から抜き書きして紹介してみると、

・手のひらと握手で相手を支配する
・笑いという魔法
・腕が発するシグナル
・手と指に注目
・嘘は手と顔に出る
・本音は脚に聞け
・なわばり感覚とパーソナルスペース
・動きをまねれば心が通う
・タバコ、メガネ、メーク - 雄弁な小道具たち
・高さと地位の微妙な関係
・仕事に役立つボディランゲージ

興味がある人は読んでみると良い。量は多くないしイラストもたくさん使われているので簡単に読み終えることができる。ちなみに著者は、一時期有名になった『話を聞かない男、地図が読めない女』を書いた人である。

2015年12月1日

トリックの連続に警察も読者も翻弄される 『魔術師』


脊髄損傷によって、首から上と左手の薬指しか動かせなくなってしまった天才犯罪学者リンカーン・ライムを主人公にしたシリーズ。小説の中では美形の白人男性という設定だが、映画の影響で俺の脳内変換ではずっとデンゼル・ワシントンになっている。

著者のジェフリー・ディーバーは弁護士で、これまでのライム・シリーズの多くが社会問題を扱っていた。しかし、本作はひたすら手品やイリュージョンに関する雑学と、それらを駆使したトリックに終始している。普通のミステリ小説としてストーリーを追いかける分には、最高級と言って良い面白さだが、社会問題への切り込みがなかったぶん物足りなかったことは否定できない。

シリーズ初期と比べて翻訳もだんだん巧みになっている。そりゃそうだ、プロだって成長し続けるのだから。もちろん、精神科医も成長する、しなければいけない。そんな変なところでプロ意識を刺激された一冊。