2016年2月26日

不登校治療のゴールはなにかという問題について

「登校すること」は、不登校治療のゴールではない。ではゴールは何か。それは学校教育期間を終えた後の安定した社会生活だろう。

「学校」というものを考える時、いまの俺はどうしても例え話でしか説明できないのでご容赦願いたい。

学校と社会とは、基礎体力とスポーツの関係と同じである。「学校」が体力を養うトレーニングで、学校の後の「社会」がスポーツだ。多くのスポーツで基礎体力があれば有利だし、良いプレイをするためには基礎体力が必須ですらある。しかし、基礎体力がなくても休みをとりながら良いプレイをする人はいるし、基礎体力をあまり必要としないスポーツもないではない(詳しくないので具体的にコレとは言えないが)。

「学校がどうしても苦手」という子は、身体の例えで言えば「基礎体力をつけるトレーニングがどうしてもダメ」ということだろう。そういう子には、体力をあまり使わずに済むスポーツ(つまり仕事や環境など)を探して用意しておいて、ちょっとずつ勧めてあげるのが良いのではないだろうか。

逆に、そういう子に対して、学校教育期間中には「行かなくて良い」と受容しておいて、いざ成人してから体力を要するようなスポーツ(仕事、環境)での頑張りを期待するのは残酷である。

「学校はどうしても無理」という子が少なからず存在するのは確かだろう。「学校以外でも学べるような場所があれば良い」という親の切実な気持ちもよく分かる。ただ、そうした子に「学校以外の何か」を見つけてあげることはできても、就学期間が終わって「社会以外のどこか」で生活させるわけにはいかない。卒業後は、「学校」と「学校以外の学べる場」を出た子たちが社会で合流する。「適切に学びさえすれば適切に合流できる」というのは正しい場合も、そうでない場合もあるだろう。だから、「社会の中のどこか」にはどういう種類があって、我が子はどこに適性がありそうか、そういう目も大事になる。これもまた詳しいわけではないので、具体的にこういう方面が良いとは言えないのだが。

児童思春期は専門外だが、やむをえず不登校治療に携わる時は、この話を本人にも親にも、言い方をあれこれ工夫して伝えるようにしている。

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