2016年10月20日

見ず知らずの人が殺傷された2件の怖い事件から考える、幻覚妄想状態での暴力について

昨日、怖い事件が二つあった。一つは千葉県の路上で、32歳の女が面識のない通行人3人を刺傷。もう一つは大阪で、24歳の見知らぬ男がいきなり家に入ってきて一家を殺傷。

この二つの事件、両方とも精神科がからんでいる、あるいは今後からんできそうな気がする。ただし、あくまでも初報だけからだが、性質は異なっている。どういうことかというと、どちらも「無差別」に見えるが、実はそうではないということだ。

千葉県の女は「病院探しに絶望した」と言っているらしく、大阪の男は「だまされた」という趣旨のことを供述しているそうだ。

話をシンプルにするために、この二人に同じ妄想と幻聴があったとする。妄想は「自分は世界を守るべき使命を背負っている」というもので、幻聴は「ただの通行人に見せかけて、実はお前を狙っている暗殺者だぞ」と語りかけてくる。

この妄想と幻聴に直接に反応して通行人を襲った場合、あくまでも加害者にとってはだが、決して無関係の人を攻撃しているわけではない。つまり本人にとっては「無差別」ではないのだ。今回のケースでは、大阪の男がこれに当てはまりそうだ。

いっぽうで、同じような幻覚妄想があって、その人が、
「こんな世界に生きている意味はない。でも自分だけ死ぬのは悔しいから、子どもたちを道連れにしてやる!」
と見ず知らずの子どもたちを殺せば、それは無関係の人を巻きこむ、理由なき「無差別」である。この場合、幻覚妄想はともかくとして、その人のもとの人格・性格の影響は大きいと思う。千葉の女はこちらのタイプな気がする。あくまでも個人的意見ではあるが、こういう人は、たとえ「絶望」しなくても、何かの理由をつけて無関係の人を攻撃するのではなかろうか。もともと内面にあった攻撃性が、「絶望」という言い訳を見つけてしまった。そんな気がする。

想像してみよう。

もし、自分にそんな妄想や幻聴が始まったとしたら、どうするだろうか? 俺ならまずは警察に行く。そこから病院を勧められて治療が始まるかもしれない。それは幸運なケースだ。

でも、妄想の中では警察も敵で信用できなければどうだろう? 世の中のほとんどの人が自分を狙っているように見えて、標識や看板を見ると敵の暗号のように感じられて、電車で隣に座った人がアクビをしたのが「今からみんなで殺るぞ」のサインだと確信したなら……。

こういう場合の恐慌状態での粗暴行為には、心身耗弱・喪失が認められることが多いし、精神科医としては認められるべきだとも考えている。心身耗弱・喪失というものに批判があることも承知している。

もちろん、「もし自分の家族が巻きこまれたら……」とは考える。しかし、こういう議論をする場合、そこは封印しないといけない。なぜなら、それを言い出してしまえば、逆にこちらが被害妄想的になってしまって、多くの場合は無害である精神障害者への差別につながりかねないからだ。

ところで、過去に何回か精神鑑定(簡易)を行なった。最大の事件は、数年前に地方ニュースにもなった学校爆破予告事件で、自分が主治医をしていたのでそのまま担当することになった。もう二度と鑑定はしたくない。勉強にはなるけれど、とにかく大変だから……。

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