2016年2月29日

ストレス社会を、生きぬくための息ぬき、息ぬいて生きぬく 『ストレス「善玉」論』


「~のである」が多用された、やや癖のある文体が気にはなるが、中身は充分に面白かった。専門家向けではない一般書だが、精神科医である自分が読んでも参考になることは多かった。

中身をあれこれ書くよりも、目次を抜き書きするほうが参考になると思う。以下はあくまでも全部ではなく、タイトルが面白いものを抜き出している。

  • ストレス「悪」論の時代
  • ストレス下で症状を呈す人のほうが正常なのである
  • 恐怖のトイレ人「類」考
  • 主婦と住居と狂気と
  • 蒸発願望について
  • 「正常な心」についての極私的定義
  • 性格に良し悪しはない
  • 心の安定装置について
  • “好き嫌い”に理由はない
  • 自惚れのすすめ
  • 新「親馬鹿」のすすめ
  • 「思いきりの悪さ」のすすめ
  • 病むことのすすめ
  • 安心のための十ヶ条(そのうちいくつかをピックアップ)
  • 逃げられるだけ逃げよ
  • 浮気せよ
  • 時々、自分にきびしく
  • グチをいえる人を二人つくる
  • いつも悪いほうの結果を予測しておく
  • 自分の生活のくせ、パターン分析をしておく
  • 職場の同僚が潰れたとき、復帰してくるとき

文章量もそう多くないので、軽い感じで読める。著者もストレスを抱えている人が気楽に読めるものを意識して書いているとのこと。息抜き読書にどうぞ。

2016年2月26日

不登校治療のゴールはなにかという問題について

「登校すること」は、不登校治療のゴールではない。ではゴールは何か。それは学校教育期間を終えた後の安定した社会生活だろう。

「学校」というものを考える時、いまの俺はどうしても例え話でしか説明できないのでご容赦願いたい。

学校と社会とは、基礎体力とスポーツの関係と同じである。「学校」が体力を養うトレーニングで、学校の後の「社会」がスポーツだ。多くのスポーツで基礎体力があれば有利だし、良いプレイをするためには基礎体力が必須ですらある。しかし、基礎体力がなくても休みをとりながら良いプレイをする人はいるし、基礎体力をあまり必要としないスポーツもないではない(詳しくないので具体的にコレとは言えないが)。

「学校がどうしても苦手」という子は、身体の例えで言えば「基礎体力をつけるトレーニングがどうしてもダメ」ということだろう。そういう子には、体力をあまり使わずに済むスポーツ(つまり仕事や環境など)を探して用意しておいて、ちょっとずつ勧めてあげるのが良いのではないだろうか。

逆に、そういう子に対して、学校教育期間中には「行かなくて良い」と受容しておいて、いざ成人してから体力を要するようなスポーツ(仕事、環境)での頑張りを期待するのは残酷である。

「学校はどうしても無理」という子が少なからず存在するのは確かだろう。「学校以外でも学べるような場所があれば良い」という親の切実な気持ちもよく分かる。ただ、そうした子に「学校以外の何か」を見つけてあげることはできても、就学期間が終わって「社会以外のどこか」で生活させるわけにはいかない。卒業後は、「学校」と「学校以外の学べる場」を出た子たちが社会で合流する。「適切に学びさえすれば適切に合流できる」というのは正しい場合も、そうでない場合もあるだろう。だから、「社会の中のどこか」にはどういう種類があって、我が子はどこに適性がありそうか、そういう目も大事になる。これもまた詳しいわけではないので、具体的にこういう方面が良いとは言えないのだが。

児童思春期は専門外だが、やむをえず不登校治療に携わる時は、この話を本人にも親にも、言い方をあれこれ工夫して伝えるようにしている。

2016年2月25日

代替医療やカルトではなく、病いと回復に関してバランス良く考察された良書 『笑いと治癒力』


「どの患者も自分の中に自分自身の医者を持っている。患者たちはその真実を知らずにわたしたちのところにやって来る。わたしたちがその各人の中に住んでいる医者を首尾よく働かせることができたら、めでたし、めでたしなんです」
プラシーボは、その各人の中に住んでいる医者なのだ。
これは、あの有名なシュバイツァー博士に著者がインタビューしたものの一部である。

タイトルからは代替医療とかカルト的なものとかを想像してしまうが、その中身は非常にバランスのとれた立場で現代医療を見つめて、長所と短所を描き出している。

著者は自分自身が難病にかかり、それを毎日の「笑い」と「ビタミンC」の点滴で克服した。とはいえ、著者はビタミンCの点滴が万病に効くとは考えていないし、もしかしたらプラセボだったのかもしれないという仮説も捨てない。だが、著者が本書で伝えたいことはそういう些末なことではない。もっと大枠で、人のこころと体について語っている。

本書を医療者が読むなら、自らの医療姿勢を見つめなおす啓蒙書になる。非医療者が読むなら、「自分の体の持ち主として、医療とどう付き合っていくのが良いか」を教えてくれる。いずれにしろ、非常に良書である。

2016年2月24日

ゴミ箱に捨ててあった原稿がベストセラーになり映画化された 『キャリー』


スティーヴン・キングといえば、ホラー小説家として有名で、映画『シャイニング』『ミザリー』『ペット・セメタリー』といったホラー・サスペンス映画の原作者である。また『スタンド・バイ・ミー』『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』といった感動系も手がけている。

『キャリー』はキングのデビュー作である。もともとはゴミ箱に捨ててあった書きかけの原稿を妻が見つけ、最後まで書くようにハッパをかけてできあがったのが本作らしい。デビューしてからのキングは破竹の勢いで売れっ子作家街道をまっしぐら。小説は何作も映画化されたが、できあがったものは超名作から超駄作まで幅広い。

『キャリー』も映画化されているが観たことはない。また、キングの映画は何作か観たが、小説は初体験になる。本書の感想は、面白いとも面白くないとも言えないといったところ。Amazonでの評価は非常に高いが、俺にとってはそこまででもなかった。描写の細かさと、ルポ形式の部分を頻繁に挟むという構成の斬新さが良かった。

2016年2月23日

小さな名言がいっぱい 『希望の仕事術』


『ドラマで泣いて、人生充実するのか、おまえ』の著者による本。こちらも小さな名言がいっぱいであった。以下、あれこれ付け足すことなく、いくつかを引用。

問題解決には距離感と方向感覚が必要。
遊びの時間と仕事の時間しかない人生は、違うと思う。 
あなたから何かを奪おうとする者は、まず、あなたを甘やかす。 
考える上で一番大切なのは、考えを聞いてくれる人がいるということ。 
能率を上げるとは作業を速くすることではない。速く目的に達するということである。 
疑問を質問に転化せよ。 
インターネットで調べるように先輩に質問しても、インターネットで答えてくれるような回答しか返ってこないと思え。 

2016年2月22日

加藤文太郎という山男の哀しさや切なさがじわじわと胸にくる 『孤高の人』


最初から最後まで、哀しさと切なさがつきまとった。これは司馬遼太郎の『胡蝶の夢』を読んだ時に感じたこころの動きと似ている。主人公である加藤文太郎の対人関係における不器用さと、そこに感じる読み手のもどかしさが、ひたすらこれでもかと続くのだ。

加藤が山で死ぬということは、上巻の冒頭で出てくるので分かっている。そんな加藤の10代からを丁寧に描写し、ようやく手に入れた幸せを加藤が味わう様子を活き活きと語っている。そして、その幸せを、加藤の不器用な生き方のせいで失ってしまう。

それらすべてが、哀しく、切ない。

もうすぐ冬が終わる。山岳小説は冬に読むのに限る。この冬最後の読書にどうぞ。

2016年2月19日

『ネット禍』 ネットの精霊について

『山月記』(人間が虎になる話。国語の教科書にも載ることが多い)で有名な中島敦の作品に『文字禍』という短編がある。少し長くなるが、だいたいこんな話である。

舞台はアッシリヤという国。毎夜、図書館の闇の中でひそひそと怪しい声がする。そこで国王はエリバという博士に命じて、文字の精霊について調べさせる。エリバ博士は街に出て、最近になって文字を覚えた人々をつかまえては、
「文字を知る以前に比べて、何か変ったところはないか」
と尋ねまわった。その結果、文字を覚えてから急にシラミをとるのが下手になったとか、空のワシが見えにくくなったとか、そういう訴えが圧倒的に多かった。要するに目が悪くなったということである。

また博士は、文字が人間の頭脳を犯し精神を麻痺させているということにも気づく。例えば、文字を覚える以前に比べて、職人は腕が鈍り、戦士は臆病になり、猟師は獅子を射損うことが多くなったというのだ。博士は「文字というのは影のようなものではないのか」と考えた。獅子という字を覚えた猟師は、本物の獅子の代りに獅子の影を狙い、女という字を覚えた男は、本物の女の代りに女の影を抱くようになる。以前は、喜びも知恵も直接に人に入ってきたが、人々が文字を覚えてからは、文字というヴェールをかぶった「喜びの影」と「知恵の影」しか知らない。
人々は物憶えが悪くなった。これも文字の精のいたずらである。人々は、もはや、書きとめておかなければ、何一つ憶えることが出来ない。着物を着るようになって、人間の皮膚が弱く醜くなった。乗物が発明されて、人間の脚が弱く醜くなった。文字が普及して、人々の頭は、もはや、働かなくなったのである。
博士は国王に、
「武の国アッシリヤは、今や文字の精霊のために蝕まれてしまった。しかも、これに気づいている者はほとんどいない。いますぐに文字への盲目的崇拝を改めなければ、後に痛い思いをするだろう」
と報告した。これを文字の精霊が許すはずがなく、数日後に起きた大地震の時に、博士は文字の書かれた大量の粘土板の下敷きになって圧死してしまった。

中島敦は現代のネット文化を予言していたのではないかと、そういう気がしてくる。ネットから情報を得すぎることで、「現実の女性の嫌なところをたくさん知って、バーチャルな女性を求めるようになり」「結婚生活の理想と現実は全く違うということを知って、結婚を避けるようになり」「子育ての大変さと支援の少なさを知って、子どもを欲しがらなくなり」「薬の害を知って、薬を極端に忌み嫌うようになり」……などなど。そして、『文字禍』の結末のように、ネットの精霊は、時に人を死に追いやる……。

ネットを捨てる必要はないが、毎日のネットが当たり前の我々現代人は「ネットの精霊」のようなものがいること、そしてその精霊は、自分自身も含めたネットに参加する者たちで創り上げているということを、意識しておいて良いのかもしれない。

2016年2月18日

中井久夫という魅力的な星の猿マネをすることなかれ 『「伝える」ことと「伝わる」こと』


精神科医・中井久夫の論文・エッセイ集。自分にとって必要な部分を読んだ。以下、読んだタイトルを記載する。これが購入検討する人の参考にもなると思う。

  • 統合失調症患者の回復過程と社会復帰について
  • 精神科の病いと身体 - 主として統合失調症について
  • 解体か分裂か - 「精神=身体と“バベルの塔”」という課題に答えて
  • 神経症概念から出発して精神科疾病概念を吟味する
  • 発達神経症と退行神経症
  • 統合失調症における「焦慮」と「余裕」
  • 精神病水準の患者治療の際にこうむること - ありうる反作用とその馴致(じゅんち)
  • 統合失調症者の言語
  • 関係念慮とアンテナ感覚 - 急性患者との対話における一種の座標変換とその意味について
  • 禁煙の方法について - 私的マニュアルより
  • 看護における科学性と個別性
  • 「伝える」ことと「伝わる」こと
  • 笑いの機構と心身への効果
  • 「こころのケア」とは何か

かつて指導医Y先生に、
「研修医時代に中井先生の本を読んで精神科医を志した」
という話をしたところ、
「あの人は天才だから。マネをしないように」
と言われた。当時はピンとこなかったのだが、あれから臨床経験を重ねるにつれて、Y先生の言わんとするところがなんとなく分かるようになった気がする。Y先生の短い発言に込められた思いは3つある(もしかしたらもっとあるのかもしれないが)。

1. 猿マネをするな。
2. マネをしてうまくいかなかったとしても、落胆しすぎるな。ルーキーがベテランの天才と同じことをして、うまくいかなくても当然である。
3. マネではなく、自分なりのものを築け。

先日、Y先生と二人で飲んだ際、あれこれと相談したり話し込んだりして、Y先生から、
「指導医がいなくなっても、きちんとした診療をしているようで安心した」
という言葉を頂いた。なにより嬉しい一言であった。Y先生の期待を裏切らぬよう、今後も精進。

2016年2月17日

井上ひさしの「人をみる目」の温かさが伝わってくる 『東慶寺 花だより』


離婚を望むものの夫が許してくれない。そんな女たちが逃げてきて、寺の中に入るか、あるいはその手前で夫につかまったとしても身につけているものを境内に投げ込めば、駆け込みが成立する。そんな縁切り寺「東慶寺」に駆け込んできた女たちと、その夫や家族との人間物語。それを寺の隣に立つ宿に居候する「半人前の医者」兼「半人前の作家」の若者視点で描いてある。

連作短編集で、それぞれが短く読みやすい。爆笑するほどの滑稽さも、号泣するほどの悲哀もない。思わずクスリと笑ったり、時にじんわり目頭が熱くなったり、その程度であるが、だからこそ「ああ、そうそう。これが世の中、人の仲だよな」と思わされる。

井上ひさしの「人をみる目」の温かさを感じる一冊。

2016年2月16日

ミステリとしての仕掛け、人物描写、社会問題の三つのバランスがうまくとれている 『天使のナイフ』


この作家は、ミステリとしての仕掛け、人物描写、社会問題の三つのバランスがうまくとれている。伏線回収と種明かし、人の織り成す喜怒哀楽、深刻なテーマへの問題提起とを、同時に味わえる贅沢な読書時間になる。

本書は特にテーマとして「贖罪」「更生」「少年法」を軸にしている。つい先日、少年Aが手記を出版したりホームページを作って有料メルマガを開始しようとしたり、少し前には女子高生コンクリート殺人事件の首謀者が恐喝相手に「俺はあの事件の首謀者だ」と言って脅しをかけるなど、触法少年を守るために声高に主張される「更生」というのは一体どんなものなのだろうと考えさせられることが多い。

主人公は28歳の男性で、4歳の娘がいる。妻は3年半前に中学生の男子3人組に殺された。事件から3年半後、娘と二人で一生懸命に生活している中で、3人組のうちの一人が殺害される。しかも、事件現場が自分の職場の近くであったため、警察からは疑いの目を向けられてしまう……。こうして物語はスタートし、退屈させられることなく一気にラストまで引っ張られた。

2016年2月15日

「こんな戦争、誰が始めた」と怒鳴って逝く人がいたことを忘れてはいけない 『十七歳の硫黄島‏』

「死んでね……。意味があるんでしょうかねえ。どうでしょうねえ。だけど、無意味にしたんじゃ、かわいそうですよね。それはできないでしょう。“おめえ、死んで、意味なかったなあ……”っていうのでは、酷いですよね。家族に対してもね。そして、どんな意味があったかというと……これは難しいんじゃないですか?
まぁ、(死んだ戦友たちに対しては)俺はこういう生き方しかできなかったんだ。勘弁してくれって言うだけです。これで許してくれ、これで精一杯なんだ、と」

これは著者の秋草鶴次氏がNHKスペシャルに登場した際、インタビューで答えたものである。オンエアはされなかったが、さらに秋草氏はこう続けたそうだ。
「どんな意味があったか、それは難しい。でもあの戦争からこちら六十年、この国は戦争をしないですんだのだから、おめえの死は無意味じゃねえ、と言ってやりたい」
本書は硫黄島での戦いに参加した秋草氏による体験記である。著者の筆力が巧みで、小説のようにページがすいすい進む。しかし、そこに描かれているのは戦場であり、多くはないが直接的でグロテスクな描写もあり、決して明るくなれるようなものではない。

冒頭で紹介したのは石田陽子氏による「おわりに」からの引用である。その後に、秋草氏の「謝辞」があるが、ここで語られる内容も心に訴えかけることが大きいので紹介する。
重傷を負った後、自決、あるいは他決で死んでいくものは「おっかさん」と絶叫した。負傷や病で苦しみ抜いて死んだ者からは「バカヤロー!」という叫びをよく聞いた。「こんな戦争、誰が始めた」と怒鳴る者もいた。
「こんな戦争」を再び繰り返さないために、思想や立場の違いに関係なく、多くの日本人に読んで欲しい。

2016年2月12日

妄想の治りかた

精神病性の妄想は薬で良くなることが多い。その治り方であるが、ある日を境にして、
「今までの考えは妄想でした、勘違いでした」
となることはほとんどない。多くの場合、妄想が減ったりなくなったりすることに対して、“患者なりに”合理的な解釈をつけていく。

例えばもの盗られ妄想では「最近は盗られなくなった」と言うし、被害妄想では「攻撃が減った」とか「向こうも諦めたのかもしれない」とか、そういう風に考えるようになる。

ある日、頭髪の減少が気になる女性が精神科にやって来た。夫も子どもも髪の毛の量は変わっていないし、抜けている量も普通だと言う。精神科にかかる前に数人の皮膚科医にもみてもらっていたが、いずれも異常はないという診断だった。それでも本人は納得がいかない。髪の毛のことが気になって憂うつになり、不眠にもなり、家事も手につかなくなってしまった。診察の結果、妄想を伴ううつ病と診断した。そして、妄想も抑うつ気分も抗うつ薬で改善するだろうと判断した。診察の最後に、夫と本人から「どんな感じに治るのか?」と尋ねられた。

「あくまでも抜けているのが気のせいだとしての話ですが(※)、薬が効いてきて、ある日を境に『髪の毛が抜けていたのは勘違いだった』となることはないと思います。抜ける量が減ってきたとか、抜けても気にならなくなったとか、そういう風になるのではないでしょうか」

こんな感じで説明した。抗うつ薬を飲み始めて1ヶ月後、それとなく患者に髪の毛のことを尋ねたところ、
「相変わらず抜けているけれど、気にしても仕方ないですからね」
と笑顔であった。それに伴って憂うつも不眠も改善した。

こんなふうに妄想の改善のしかたを観察するのはなかなか面白いもので、これは精神科医の役得である。


※患者へ説明するにあたってのこういう前置きは、抜け毛に関して悩んでいる本人にとっては非常に大切である。こういう細やかさは絶対に忘れてはいけない。

2016年2月10日

中井久夫になることを目指すのではなく、自分なりの良い医療を模索するためのガイドの一つ 『「伝える」ことと「伝わる」こと』

治療者は、自分にできもしないことを患者に求めないほうが良い。それと同時に、自分にできるからといって患者にも同じことを求めるのは良くない。

本書で特に印象に残った教えである。

医師の中には、勉強も運動もやすやすとトップを獲り、すんなりと医師人生に踏み込んだ人もいるし、何度も挫折を乗り越えて艱難辛苦の末に医師免許を取得した人もいる。実際にはその中間くらいの人が多数で、いずれにしろ、患者に対して「自分のできないこと」を強く指導したり、「自分がやれたこと」を気安く勧めたり、そういう罠に陥らないよう気をつけないといけない。

人には、その人にしか分からない苦しみがある。頭では分かっているつもりでも、ふと我が身の過去、あるいは自分の親族・知人で苦労している人と引き比べてしまいそうになる。そういうことは絶対にしてはいけない、ということではない。ただ、思わずそういう比較をしてしまうことがある、と意識しておくことは大切だ。意識するだけで、立ち居振る舞いというのはだいぶ変わるものである。

2016年2月9日

多くの日本人に読んで欲しい、涙を誘われる一冊 『心のおくりびと 東日本大震災 復元納棺師 ~思い出が動きだす日~』


東日本大震災の直後から、復元師としてボランティア活動を行なった女性の話。

それぞれのエピソードに涙が誘われる。

2011年4月の終わりに、俺も南三陸町へ医療支援として派遣された。当時は医師としても、精神科医としても未熟な部分が多々あって、チーム・メンバーにも迷惑をかけたり不快な思いをさせたり、避難所に集まった人たちや自宅に残る被災者への支援や配慮も足りなかった。今ならもう少し違うこと、もっと役に立つことができると思う。とはいえ、こんな災害はもう起きて欲しくない。

文章量は少なく、あっという間に読み終えるので、決して負担にはならないはずだ。多くの日本人に読んで欲しい一冊。

2016年2月8日

それは本当に認知症なのか?

入院中の高齢女性が認知症の疑いで紹介されてきた。そこで事前にカルテをチェックした。

彼女は精神科受診の12日前に40度の発熱があって救急車で来院した。初期対応のカルテは2年目の研修医が記載していた。そしてそこに気になる単語を見つけた。
「高度認知症」
“疑い”は付いておらず、確定したような書き方であった。

内科診察の結果、発熱の原因精査のため入院となった。翌日の看護記録には、
「認知症で不穏あり」
との記載があった。この当時、抗生剤での治療が始まっていたが、まだ40度の発熱は持続していた。

さて、精神科での診察時はどうだったのかというと、話しぶりはしっかりしており、長谷川式と言われる認知症検査で30点満点中の21点。日時は完全に把握しており、4桁の数字の逆唱(「3529」を逆から言ってください)もできた。網膜色素変性のため目があまり見えず、箱の絵を描き写す検査はできなかった。軽度認知機能障害と診断したが、短期記憶の障害はあるようで、認知症のごく初期という印象だった。

この時に付き添った家族(遠方に住んでいる娘と孫で、この入院で久しぶりに患者と再会)に、主治医からはどういう説明を受けているか尋ねたところ、
「ひどい認知症かもしれないと言われました」
とのことだった。家族の話では、入院翌々日に面会した際、病室で「餅を焼く」と言ってオーブンを探すなどの行動があり、それを見た家族は「知らないうちに、こんなにボケが進んだのか……」と思ったらしい。それで内科主治医に相談して精神科受診となったようだ。ちなみに、この時点でも39度近い発熱があっている。

家族には、
「それは“せん妄”という状態です。例えば若い男性でも、交通事故を起こしてICUで目を覚まして『殺される!』と叫んだりします。それと同じです。今回は40度の発熱があってボーッとするのは当たり前で、さらに環境が変わったということもあって、せん妄を起こしたのだろうと思います」
と説明した。そして、
「実際に今日の診察を見て、どう思われますか?」
と尋ねたところ、
「意外にしっかりしていました」
と笑顔を見せた。

翌日、初期対応にあたった研修医を精神科診察室に呼んで、高度認知症と記載した根拠を尋ねてみた。ドギマギしていた研修医はすぐにこちらの意図を察したようで、「判断するのが早すぎました、すいません」と答えた。そこで以下のようなアドバイスをした。

1. 身体診察は過不足ないと思うが、この時点で高度認知症と判断するのは早すぎる。敢えてキツイ言葉を用いるが、明らかな誤診である。
2. この誤診のせいで、治療・看護者の目が曇り、その後の状態がすべて認知症のせいにされる恐れがある。実際に、入院後の看護記録には「認知症で不穏あり」と記載されてしまっている。
3. 家族に無用の動揺をさせてしまっている。そういう時に、「今の状態はせん妄であり、一時的に混乱しているだけだと思うので、もう少し体の状態が良くなってから認知症の検査をしてみましょう」と家族を安心させるのも医師の大切な仕事である。
4. こういうことは君が研修医だから教えられるが、研修医を終えてから数年も経って今回のようなことがあっても、こうやって教えることは難しい(紹介状の返事を辛辣に書くことはあるが)。
5. 良い医者になってください。

このように、研修医のうちにしか教えられないことというのがあるので、研修医には精神科にも遊びに来て欲しいのだが、なかなか実現しない。これはPR活動が下手、というか、まったくやらない精神科医長が悪いのだ、きっと……。

感染症と人類との果てしなき戦いを描くノンフィクション 『カミング・プレイグ』


面白かった、が、疲れた。

ページの文章構成が上下二段組みで、びっちり詰まった単行本。1冊が約450ページで、さらにそれが上下2巻組ときている。読み始めたのが平成27年11月8日、読み終えたのが同月19日で、12日近くかかったことになる。

寄生虫、細菌、ウイルスといった微生物に関する科学・政治・政策などの歴史をひもといて教えてくれる、非常に優れた啓蒙書だった。医歯薬の学生にはぜひとも読んで欲しいが、それだけでなく、もっと幅広い人たちにも読んで……、いや、チャレンジしてみて欲しい。読み応えは充分にあるはずだ。

※平成27年12月20日時点で、下巻はAmazonで取り扱っていない。

2016年2月4日

面白い!! 『もうぬげない』


面白い!!

ネットで評判になっていたので買ってみた。
自分自身が初めて読むと同時に、娘らにも読み聞かせたのだが、思わず読んであげている自分のほうが笑ってしまった。特に長女は気に入った様子で、「もう1回読んで!」とせがまれた。

値段は1000円と手頃で、絵本のカバーがないのも俺的に好感がもてた。というのも、絵本のカバーはたいてい子どもの手で破れてしまうし、だからといって捨てがたいし、結局はみすぼらしい感じのまま棚に並ぶので好きではないからだ。

この人の本はいずれも面白いようだし、あと何冊か試してみる予定。

2016年2月3日

感動を与えて逝った12人の物語


終末医療に携わる医師によって書かれた11人の患者にまつわる物語。

あれ? 12人目は?

それは、あなた自身である。

と、ちょっとクサイ締めくくりがなされている本書ではあるが、中身はそれぞれに考えさせられることがあって面白かった。分量は少なめで、ゆっくりした時間があれば一日で読み終わる。

2016年2月2日

貧困の原因について社会制度の責任論に寄っているので、読んでいて、なんとも言えないモヤモヤ感がつきまとう 『現代の貧困』


当院の精神科患者には経済的に貧しい人が多い。まず生活保護受給者の割合が高い。正確な数字は把握していないが、外来の約2割くらいだろうか。生活保護を受けていなくても、障害年金だけの「貧困」と言える生活をしている人たちもけっこういる。そうしたこともあって、本書を手にとった。

著者は、
「長い人生で、絶対に貧困にならない人、一時的に貧困に陥る人、そして常に貧困に固定されている人がいる。若い一時期に貧乏を経験することは悪いことではない」
と言っており、それには俺も賛同する。若さゆえの体力と気力があれば、貧乏暮らしも面白いものだ。俺にしても、九大経済学部時代の家賃1万5千円のアパート暮らしは良い思い出である。

著者が問題視するのは、固定化された貧困である。そして、著者の意見としては、こうした貧困の固定化はとにかく社会制度に問題があるということだが、果たして本当にそうなのだろうか? 例えば貧困の原因として低学歴が挙げられており、親の貧困が原因で教育を受けられず、そのせいで自らも貧困に陥り、そして貧困が連鎖していく、固定化する……。確かにそういう人もいるだろうけれど、いわゆる低学歴の人たちの中で、純粋に本当に「貧困が原因」で高校への進学を諦めたという人はどれくらいいるのだろうか?

貧困の全てが自己責任と言うつもりはないが、全てが社会制度の責任ということもないだろう。本書はかなり社会制度の責任論に寄っているので、読んでいて、なんとも言えないモヤモヤ感がつきまとった。

2016年2月1日

病気の家族に嘘をつきとおす自信のない人が、医師に嘘をつくよう頼んではいけない

もの盗られ妄想がひどくて入院になった高齢女性。
採血すると、あるウイルスに感染していることが判明。今のところ体に悪さはしていない。そのことを息子に伝えると、

「先生、おふくろはもの凄く気にするタイプだから、ぜっっっっったいに本人には教えないでください」

「分かりました、ぜっっっっったいに、ですね」

その後、女性と話をしていると、なぜだか分からないが、
「以前に手術した時に、なんという名前だったかウイルスにかかっていると言われた」
とか、
「先生、隠さずに本当のことを言ってくだされ」
とか、そんなことをやたらしつこく口にする。最初は誤魔化していたのだが、とうとう女性もしびれをきらしたのか、

「息子に聞いたんです。先生が息子には教えたそうじゃないですか」

そして彼女は息子の口調を真似て、

「“Hなんとかのウイルスにかかってるらしいけど、心配は……、あっ、しまった! 先生に口止めされているんだった!!” と言っておりましたよ」

息子のオッチョコチョイぶりには苦笑するしかなく、しかし治療関係のためにも誤解はハッキリ訂正しておかなければいけない。

「確かにウイルスにはかかっています。でも、まったく悪さはしていません。そして僕は息子さんに口止めなんてしていません。それは逆で、息子さんから“おふくろは気にするタイプだから”といって口止めされていたんです」

これを数回繰り返し説明し、やっとのことで納得してもらえた。

医師に何かを隠すよう頼む時には、家族のほうもそれ相当の覚悟を持って欲しいものである。