2017年2月1日

読み通すには、それなりの努力が必要 『シャルコー神経学講義』


神経学(精神科ではなく、神経学である)に興味のない人には、まったくもって退屈な本だろう。多少興味があるくらいでも、読むのは苦労する。医学史的な本なので、現代の我々から見ると明らかに間違いというものも多い(注釈で訂正はしてある)。だから、関心が高い人でも、きちんと読み通すのには、それなりの精神的努力が必要である。

ただし、本書のあちこちにちりばめられたシャルコーの素晴らしい言葉は、現代の医学にも通底するところがあり、一部だけでも紹介しておきたい。

脊髄瘻(せきずいろう)の患者について。
この患者に施せる治療はほとんどないと言いましたが、それは椅子にふんぞり返って何もしなくて良いといことではない。私は脊髄瘻患者に、「病気を治せると自慢するような人には近寄らないように。そんな連中を信用してはいけません。ひどい目にあいますよ」と忠告します。
当時もいまも、代替医療の中にはトンデモないものが多い。100年以上たっても、状況はそう変わらないようだ。
脊髄瘻にかかってから何年もたっているのに、かかっていることを知らない患者もいます。そんな患者にはすぐに告知したりはしません。病気のことをまったく知らずに、死ぬまで元気に過ごすかもしれないのですから。
また、病気とうまくつきあって、比較的幸福に過ごす患者もいます。脊髄瘻であることを自分でも知っていて、経過を先取りして悩んだりはしない患者です。
これらは、現代のインフォームド・コンセント重視の考えからは外れるかもしれない。ただ、なんでもかんでも早期発見して侵襲的な治療を行なえば患者は幸せになるのか、という疑問を投げかけてくれる。

それから、患者の病気を「診断する」、あるいは新たな病気を「発見する」ことについて。
病気の治し方を学ぶには、病気の見つけ方を学ばねばならない。診断とは、治療における最高の切り札なのだから。
感情は、多くの神経疾患で病因となる重要な要素です。しかし、それが原因だとむやみに決めつけてはいけません。患者はしばしば自分で物語をつくってしまい、それは必ずしも事実を正しく解釈したものではないということを忘れないでください。
みなさんは次のような言い方を想像できますか?
「私は医師です。それは確かです。しかし不幸なことに、あなたには何もしてあげられません。あなたは、私たちが関われない、治療がまったくできないほうの病気にかかっているんです!」
諸君、それは違います。それでは責任を果たしたことにならない。批判をものともせずに観察を続けましょう。研究を続けましょう。これこそが、発見をするための最良の方法です。そしておそらく、努力をすることによって、将来私たちがこうした患者に下す判決は、今日下さざるを得なかった判決と同じではなくなるでしょう。
実際、シャルコーの講義から130年近くたった現在、先人たちのたゆまぬ努力のおかげで、多くの疾患の治療法が発見され、予後が改善されている。医学・医療に携わるものとして、襟を正すきっかけになるような本だった。

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