2017年2月3日

カルテの会話文章中に「(流涙)」と記す意味

診察中に患者が泣いた場合、カルテに「流涙」と書く。たとえば「そうです(流涙)」というように記す。この情報に意味があるのかどうか。カルテの最後に、総括として「時おり流涙しながら語る」と記載するのとどう違うのか。それを、以下のケースを2つのパターンに分けて考えてみる。

2週間前に夫が自殺したという30代の女性。診察の最初から淡々としていて、夫の自殺が事実なのかさえ疑わしく思えるほど。しかし、関係機関に確認すると、確かに夫は自殺している。

この患者の診察の中で、「ご主人さんのご家族とは何か話を?」と尋ねた時、初めて涙を流しながら「責められてばかりです(流涙)」という場合。

次に、同じ女性が同じ質問では「責められてばかりです」と淡々と答えたとする。その後、話を進めるうち、夫の話題になり、何かの拍子に「カレーが好きな人でした(流涙)」と涙を流した場合。

この2つを比べると、「流涙」のタイミングがどこかによって、その女性の抱えているものが少し違いそうだと感じられる。その違いがなにかは、受けとる人それぞれだろう。ただ、ここで「違いなんてまったく感じられない」ようなら、精神科関連の援助職にはあまり向いていないと思う。

どのような感じかたが正しい、あるいは間違っているということはないはずだ。その後の関わりを通じて、主治医も患者もそれぞれが互いに変わっていき、だから関係性も少しずつ変化する。そうするうちに少しずつ、あるいはある時フッと、患者の肩の荷が軽くなる、というのが今の自分の治療観である。

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