2017年2月28日

発達障害、アスペルガーといった診断がついている人、自分はそうかもと思っている人には共感できる話が多いかもしれない 『世界音痴』


著者はかなり独特な感覚の持ち主である。歌人として「言語感覚」が独特、というわけではない。人としての「五感」がかなり独特なのだ。

コミュニケーション能力はお世辞にも高いとは言えず、神経過敏なところがあるかと思えば、その真逆に過鈍なところもある。味覚の偏りのせいか偏食もするようだ。身の周りのできごとに対する解釈も一風変わったところがある。

こうしたことが原因で、本人が日常生活や社会生活で困難を抱えて診察室に現れれば、発達障害圏の診断をつけてしまうかもしれない。

そんな短歌歌人のエッセイ集である。

タイトルが非常に秀逸だ。いわゆる「発達障害」といわれる人自身が感じる周囲とのギクシャクさ、それから、そういう人の周りにいる人たちの困惑といったものが、「音痴」という二文字でみごとに表現されている。こういう言語感覚は、独特というより、「鋭い」と高く評価されるべきだろう。

一編が3ページほどで、時どきクスッと笑えて、気軽に読めるエッセイ。

2017年2月27日

長女サクラ、5歳になりました!

sketch-1488149178726.png
最近、大好きなプリンセス・ソフィアのケーキ。写真を撮る前に、一部つついたり、イチゴ食べたりしているのはご愛嬌。

DSC_0047.JPG
ほぼ毎月恒例の手形足型。忘れない限り、各月の26日が長女の日。次女は22日、三女は12日。

ラストが駆け足過ぎたか 『警官の条件』


『警官の血』の正統的な続編である。主人公が絞られてはいるが群像劇で、ミステリの要素はそう強くない、というか、ほとんどない。こういうのはハードボイルド小説というのかもしれない。

クライマックスからラストにかけて、ちょっと駆け足になってしまった感があるが、まずまず面白く楽しく読めた。前作に比べればちょっと見劣りするか。

2017年2月24日

語り継がれるべき名著 『精神科看護のための50か条』


精神科の入院治療においては、治療と看護は密接につながっている。いや、「つながっている」というより「一体化している」というほうが正確だろう。いかに名医が素晴らしい薬を処方しても、良い看護なくして充分な治療効果は発揮し得ない。その逆に、凡医による平凡な処方でも、看護次第で目覚ましい結果を得ることも可能である。

つまり、精神科医が精神科看護について勉強すれば、それは「治療を学ぶ」のに等しいということだ。そういうわけで、看護師向けの精神科書籍も過去に数冊読んでいる。中でも中井久夫先生の『看護のための精神医学』は非常に優れている。また、師長に紹介された精神科看護の雑誌連載も面白そうだったが、今のところ手がまわりそうにない。

他職種の業務を勉強するという点では、看護師が医師の仕事を学ぶより、医師が看護師の仕事を学ぶほうが得るものが大きいのではなかろうか。そういう意味で、医師のほうが、勉強することにお得感がある。

本書では、精神科看護のためのポイントを50ヶ条に分けて、読みやすく、分かりやすく、そして頭と心に響くように語ってある。すべてを引用はできないが、各タイトルをいくつか引用。

・ 申し送りについて
・ 何はなくともケース・カンファレンス
・ 違いのわかる看護師と同じのわかる看護師
・ 記録について
・ 夜勤について
・ 家族面会について
・ 病棟規則について
・ 事故について
・ コトバにするコミュニケーションを過信しないこと
・ 沈黙について
・ 常識の大切さ
・ お小遣いなど
・ 外泊について

このような、「格式高い教科書には盛り込みにくいが、現場ではとっても気になっていること」について、やさしく語りかけるように記述されているので、読み手のこころに届きやすい。

非常に良い本なので、『精神保健と福祉のための50か条』も読むことにした。

2017年2月20日

テーマは硬く、描写はラノベ 『臨機巧緻のディープ・ブルー』


登場する人工知能が「ちょっとアンタ!」と喋るなど、小説全体の雰囲気はラノベである。しかし、テーマは真面目。人類が「知は力なり」の信念を携えて宇宙に飛び出し、地球以外の惑星で生命体と遭遇した時、人類と相手の双方にとってどういうことが起こるのかを描いてある。

ラノベではなく、もうすこし硬派なものに仕上げても充分に通用する気がする……。異星人間の重大トラブルが、さして優秀でもない主人公の人柄によってあっけなく解決していくので、そういうお気楽な展開に対して「なんじゃこりゃ!」と思うような人にはお勧めできない。

三女ミィ、無事に生後100日、お食い初め!

DSC_0013
長いようで短く、短いようで長い、そんな100日だった。

DSC_0011
ちょうど日曜日というのも良かった。

DSC_0003~2
この写真のあとは、3姉妹を並べて寝かせ、文字を「3 girls」に作り直して撮った。さらには妻も並んで、我が家の「4 girls」(?)でも撮影。

IMG_-8pvnny
お食い初めは、毎回近所のスーパーで鯛を頼んでいる。裏面は刺身にしてもらう。

DSC_0028
三女ミィがお祝いされるのに焼きもちをやいて、ベビーラックを占拠する次女ユウ(笑)

2017年2月17日

「うつの8割に薬は無意味」というタイトルは煽り気味だし、文章表現にトゲを感じる部分も多く反感を招きそうだが、書いてあることはいたってまとも 『うつの8割に薬は無意味』


タイトルがいかにも煽りという感じだが、序章をきちんと読めば、タイトルの意味が分かる。それを簡単に説明しよう。

治療効果を判定する指標にNNTというものがある。「Number needed to treat」の略で、「その治療を受けた何人に一人が治療効果を得られるか」というものだ。だから「NNTが1」だと全員が治療効果を得られ、「NNTが10」だと10人に1人ということだ。

さて、うつ病に対する抗うつ薬はどうかといと、ある論文で3-8だったとのこと。この中間をとって5とすると、5人に1人が治療効果を得られる、つまり20%だ。だから、タイトルのように、「残り8割には無意味」ということになる。

本書の著者・井原先生の『激励禁忌神話の終焉』は素晴らしい名著で文句なしの星5つだが、こちらは星1つ減じたい。内容はかなりまともなのだが、文章には精神科医に対する刺々しくて皮肉っぽい部分が多々あり、同業者の反発を敢えて煽っているのではないかと思ったほどだ。一応、一般向けの新書ではあるが、精神科医が読むということはかなり意識されているだろう。

「治しながら働く、働きながら治す」、「診断書は戦略をもって記せ」などは、「休職診断書」を乱発するような医師には啓蒙的である。また、患者にとって要注意な精神科医として、
  • 初診で薬3種類。
  • 副作用の説明がない。
  • 不調を訴えるたび薬が増量・変更。
  • 治療についての疑問で機嫌が悪化。
  • 処方のみで、助言・指導・提案なし。
  • 患者の生活を知ろうとしない。
と具体的に書いてあるのは、患者や家族にとっては大いに参考になるだろう。

本書は決して精神科医を批判・非難することに徹している本ではない。どちらかというと、「薬を飲めば治る」と安易に考えている人や「薬を飲んだのに治らないじゃないか!」と憤っている人にとってこそ、耳に痛い話が多いかもしれない。というのも、「薬物療法以上に患者本人の自助努力が大切だ」と強調してあるからだ。もちろん、患者の自助努力を、どう促し、引き出し、継続させるかという部分は精神科医として大切な仕事になるが、それは精神科医だけでなく家族の役割でもあると書いてある。

タイトルは扇情的だが、内容はバランスがとれているように思う。ただし、繰り返しになるが、敢えてなのか、うっかり筆が走り過ぎたのか、トゲトゲしい部分があるので星4つというところ。

三人娘のひな飾り

DSC_0065.JPG
左から長女、次女、三女の飾り。

長女のは小ぶりで上品、次女のはいかにも可愛らしい、三女のは高級感がある(実際、一番高い)。

大きさもだんだん大きくなっている。長女のと同じ大きさを探すと種類が大幅に減る。どうやら、一度はコンパクト化したものの、だんだんと大型化しているようだ。

台座がそのまま収納箱になっており、さらにそれを段ボールに入れて押し入れにしまう。この段ボールに、妻がそれぞれの子どもたちへの想いや思い出を書いている。

今週末は三女のお食い初め、来週は長女の誕生日、再来週はひな祭りと、イベントの多い2月と3月である。

2017年2月16日

『リレンザ服用の男子中学生が転落死』というニュースを読んで思うこと

リレンザ服用の男子中学生が転落死

インフルエンザそのものに異常行動を引き起こす何かがあるとか、タミフルやリレンザとの関連性が明らかでないのにマスコミが騒ぎすぎとか、あれこれ言われている。

でも一番大切なのは、異常行動があってもなくても、病気で寝込んでいる子の側には、誰かがついていてあげるということではかなろうか。

異常行動が原因で亡くなる子も可哀想だが、側に付き添うことができない事情のある親も可哀想である。そこを考慮せずに、「薬のせいだ」と騒いでも、「いや、インフルエンザそのものに原因があるんだ」という反論で議論しても、誰も幸せにならないんじゃないのか?

病んだ子に必ず家族が付き添えるようにするには、どうしたら良いだろうか。

「医学」ではなく「医療」では、人を救うためにこういうことも考えるべきではなかろうか。もちろん、「医療」という枠だけではおさまらず、もっと大きな話が必要にはなるだろうけれど。

リレンザ服用の男子中学生が転落死 産経新聞 2/15(水) 12:04配信
東京都品川区で14日、インフルエンザ治療薬「リレンザ」を服用した中学2年の男子生徒(14)がマンション4階の自室から転落し、死亡していたことが15日、警視庁大井署などへの取材で分かった。同署が事故とみて詳しい状況を調べている。
大井署によると、14日午後0時50分ごろ、品川区大井のマンションで、男子生徒の母親(53)から「息子がいない」と110番通報があった。駆けつけた警察官が捜索したところ、敷地内のフェンスに服などが引っかかり、宙づり状態になっている男子生徒を発見。搬送先の病院で死亡が確認された。
生徒は同日午前、病院でインフルエンザの診断を受けてリレンザを処方され、薬を飲んで自室で1人で休んでいたという。部屋の窓が開いており、真下に転落したとみられる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170215-00000529-san-soci

次女の寝かしつけ

DSC_0062.JPG
ある朝、起きて気づいた。
どうやら次女が寝かしつけてくれたみたい。

2017年2月15日

持ち帰れないチョコ

若い看護師が診察室にきて、恥ずかしそうに顔を赤くしながらチョコを置いていった。

普段から仲良くしている看護師なだけに、困ったなぁ、妻になんて言おうと悩んだ挙句、やっぱりこれは受け取れないと決断した。

本人しかいない時を見計らって、

「ごめん、嫁さんに怒られるわ」

と返すと、

「いや、それ僕も妻に怒られそうで持ち帰れないので、先生もらってくださいよ……」

バレンタイン・デー (平成29年)

DSC_0063
妻、長女サクラ、次女ユウによる手作りバレンタイン・チョコ&クッキー。

作るそばから、ユウはパクパク食べていたそうな(笑)

2017年2月14日

エコ・ツーリング

_20161218_122055
ある日曜日、長女サクラと次女ユウとでツーリング(笑)

_20161218_122756
拾った小枝を使って、打楽器演奏会。

_20161218_123917
ママの手作り弁当で昼ごはん。

_20161218_125506
メインエンジンが燃料切れの時には、こうしてサブエンジンが稼働する。


※平成28年12月18日撮影。

2017年2月13日

医学生から脳外科医になるまでに出会った人々やできごとを、ドラマチックに描き出す名著 『脳外科医になって見えてきたこと』


医学生時代の思い出からスタートし、研修医として脳外科、一般外科、小児科、神経内科などをまわったときの話、脳外科レジデントになってからのエピソードなどが、どれもドラマチックに、ときにユーモアをまじえて描かれている。

専門用語も多少は出てくるが、たいていは本文の中で自然に、読みやすく分かりやすく解説してある。これはおそらく、医師として数多くの患者説明を、相手が理解しやすいように試行錯誤しながら行なって身につけたものだろう。Amazonレビューには「専門用語が多く」という評もあるが心配無用。専門的な知識を教授するための本ではなく、あくまでも「医師全般に通底する想い」を語ったものなのだから。

翻訳も良く、文句なしで星5つ。こういう本は、ぜひとも文庫化、電子書籍化して欲しい。

歩道で影遊び

_20161217_141327
右が長女サクラで、真ん中が次女ユウ。サクラが手に持っているのはタンポポ。

それぞれの影の中に、宇宙があるみたい。

2017年2月10日

くだらない決まりとクレーマー

  • エレベーターで患者・家族と一緒になったら「何階ですか」と尋ね、「失礼します」と一声かけてボタンを押す。
  • 廊下で患者や家族を追い越さない。

これは、研修医として勤務した国立病院で、接遇委員会が話しあってビラまで配った、非常にくだらない決まりの例である。患者や家族からの苦情を受けた結果らしいので、こんなことにクレームをつける人がいたということなのだろう。

ところで、クレーマーは患者や家族だけとは限らない。

医学生時代、「食堂では白衣を脱ぎなさい」と教わった。「白衣は作業着なのだから、着たまま食事をしないように」ということだった。ところが、研修医になると、「休憩時間に白衣を脱いでいる研修医がいる」と先輩医師からクレームがついた。

そう、クレーマーは医師にもいるのだ。

2017年2月9日

病院の未収金の話

病院に金を払わない人たちがいる。診察や検査を受け、説明を聞き、処置をされ、処方箋をもらった後に、会計は済まさずにスタコラサッサと帰っていくのだ。処方箋は病院の印鑑が押していないと無効なことがあるのだが……。

コンピュータ管理されているので、そういう未払い常連の人は受付けで分かる。
「あ、この人、未収金の人だ」
しかし、だからといって、
「前回までの分を支払っていないので、受診は拒否します」
とはできない。

当院の場合、今までに積もり積もった未収金が3700万円以上。ド田舎の病院でこの状況。

「病院は金儲け主義」「医は算術になり下がった」なんて、どこの世界の話だろう?


ところで、入院患者の家族が長年にわたって入院費を滞納している。家族の生活ぶりからするに、金がないわけではないが、毎回のらりくらりと逃げていく。この件について、病院の事務から、
「家族が来たら、看護師から入院費を請求するように」
という指示が出たので、それはオカシイだろうと反発を招いた。そこで、
「家族が来たら事務を呼ぶように」
という方針に変わったのだが、それも俺が却下した。看護師が請求するにしろ、事務を呼ぶにしろ、そんなことをしたら、その家族が面会に来なくなる。そちらのほうが不利益が大きい。家族が面会に来る来ないに関係なく、病院の取り立て屋が自宅まで出向けば良いのだ。こうすれば、「借金は、待ち伏せではなく、追いかけてくるものだ」と認識してもらえる。

2017年2月8日

将棋そのものではなく、小池重明の人格破綻ぶりが痛快で面白い! 『真剣師 小池重明』


いやー、面白かった!!

真剣師とは、賭け将棋(他にも囲碁や麻雀)で生計を立てている者のことである。44歳という若さで亡くなった小池重明は「新宿の殺し屋」という異名を持ち、プロ棋士さえも何度となく打ち破った、まさに天才と言っても良いアマ棋士であった。

その破天荒な生きざま、いや、そんな表現では生ぬるい、性格破綻者としての人生の乱れぶりは、読んでいて痛快ですらあった。団鬼六の文章もさすが読ませるもので、思わず吹きだしてしまうことも何度となくあった。

将棋そものもの話はほとんど出ないので、将棋をほとんど知らなくても読めると思うが、少しでも将棋を知っている人ならなおさら面白いのではなかろうか。

2017年2月7日

精神科医がみたホームレス 『漂流老人ホームレス社会』


著者はホームレス支援のNPO法人「TENOHASHI」の代表であり、精神科医でもある。精神科医としての視点で、特に精神疾患に着目して、ホームレスの高齢者について語られている。

あれこれ考えさせられることが多く、大いに感銘を受けたし、著者の活動を尊敬もするのだが、良くも悪くも「大都会・東京の話だな」というひねた感想も抱いてしまった。東京は、人口に比べれば福祉が足りないのかもしれないが、ド田舎では福祉が「足りない」のではなく「ない」。一般的にいって「足りない」は「ない」よりマシである。田舎にホームレスがいないのは、福祉や支援が充実しているからではなく、そもそも東京のようには福祉も支援もないからだろう。炊き出しもない、シェルターもない、残飯を漁るような店もない。そんな田舎でホームレス生活はできない。

ド田舎の愚痴はさておき、本書で一番考えさせられたのが、精神疾患のある人を受け容れてくれる総合病院が少ないという話。「精神科医がいないから対応できない」と言われてしまうのだ。そして、その逆に、救命センターなどで治療を受けた精神疾患患者を精神科病棟へ転院させようとすると、精神科は「身体の合併症管理ができない」という理由で渋る。こうして患者は宙ぶらりんにされてしまう。

精神疾患は、関わる人の冷静さを少し奪う。精神疾患を敬遠する人からだけでなく、支援する側の人からも冷静さを奪うので、互いにヒートアップしやすい。こういう状況はホームレス問題と違って、都会だけに限った話ではない。ド田舎の総合病院の中でも日常茶飯事で、身体科医と精神科医、身体科病棟と精神科病棟が、それぞれの得意・不得意分野をめぐって、押したり引いたりしている。

冷めた目と一歩引いた態度も大切だよな、なんてことを考えさせられた。

2017年2月6日

精神科の大御所による被災記録 『災害がほんとうに襲った時 阪神淡路大震災50日間の記録』


精神科医の大御所、中井久夫先生による阪神淡路大震災の被災記録で、それに東日本大震災に対する所感を追加したもの。

いかにも中井先生らしい文章で、被災当時のことが綴られている。それに加えて、神戸という街への愛情というか、優しい眼差しというか、そういうものも感じられる。

こうしたことはともかくとして、「中井先生は躁うつ病的だ」というのは恩師の言葉である。本書の中で中井先生が自身の常用薬としてリーマス400mgを挙げられていたのには驚いた。リーマスは主に躁うつ病の治療薬なのだ。おー、恩師の推測は当たっていたようだ。ちなみに、躁うつ病的な中井先生に対して、「神田橋先生は統合失調症的だ」とのこと。

しかも、就寝前にはデパス3mgとあったので、なかなかの向精神薬の飲みっぷりである。

精神科医がみた大震災なので、外傷や遺体の話はほとんどなく、そういう話が苦手な人には読みやすいだろう。また、精神科専門の話もほとんど出ないので、医療関係者でなくても興味深く読めると思う。

2017年2月4日

研修指定病院に、「指導スタッフ」の配置を義務づけ、「指導スタッフ講習会」を開きませんか? → 厚労省

研修医を受け容れる病院には、「指導医」の認定を受けた医師がいなければならない。このため、認定を受けるべく指導医講習会に参加した。

たくさんの医師の話を聞いて気づいたのが、あらゆる規模の病院の、多くの医師が、
「研修医は指導医から指導を受けるだけでなく、看護師などのスタッフからも学ぶことが多い」
と考えているということ。講師陣も同様のことを思っているようだった。

そういうことなら、研修指定病院には「看護師、放射線技師、検査技師、事務職員、看護助手等に指導スタッフが各一名いること」という配置基準を設けて、「指導スタッフ講習会」を開催すべきではなかろうか。

「指導するのは上級医だけじゃないよね」
「うん、看護師も看護助手も、事務職員からも、いろいろなことを学べる」
「そういう人たちにも、研修医の指導や評価をお願いしよう!」
みんなそう考えているのに、そういう職種向けの「指導・評価」の講習会がないのはおかしい。

研修指定病院に指導スタッフの配置を義務づけ、また講習会を開くことの利点は、スタッフに「研修医を育てる」という意識がより強く芽生えることと、研修医が「自分は医師だ」という驕りを捨ててスタッフに対して謙虚になれること。

講習最後のアンケートに一応書いてはみたものの、どうせ実現はしないだろうな……。でも、厚労省は本気で「指導スタッフの配置と講習会」を検討してみませんか?

臨床研修病院の指定基準
第一 施設、人員等に関する基準
一般病床約300床以上、又は年間の入院患者実数が3000名以上であり、かつ、病床数及び患者実数が診療各科に適当に配分されていること。
 内科、精神科、小児科、外科、整形外科、皮膚科、ひ尿器科、産婦人科、眼科、耳鼻いんこう科、及び放射線科の各診療科がそれぞれ独立して設置されていること。
常勤医師が医療法上の定員を満たしていること。
2の各診療科について、それぞれ適当数の常勤医師が配置されていること。
2の各診療科毎に十分な指導力を有する指導医が配置されていること。
年間の剖検例が20体以上であり剖検率が30%以上であること、又はその他剖検に関する数値が相当数以上あること。
救急医療の研修が実施できること。
臨床検査室、放射線照射室、手術室、分娩室等の機能を示す数値が相当数以上であること。
研究、研修に必要な施設、図書、雑誌の整備及び病歴管理等が十分に行われていること、かつ、研究、研修活動が活発に行われていること。

2017年2月3日

カルテの会話文章中に「(流涙)」と記す意味

診察中に患者が泣いた場合、カルテに「流涙」と書く。たとえば「そうです(流涙)」というように記す。この情報に意味があるのかどうか。カルテの最後に、総括として「時おり流涙しながら語る」と記載するのとどう違うのか。それを、以下のケースを2つのパターンに分けて考えてみる。

2週間前に夫が自殺したという30代の女性。診察の最初から淡々としていて、夫の自殺が事実なのかさえ疑わしく思えるほど。しかし、関係機関に確認すると、確かに夫は自殺している。

この患者の診察の中で、「ご主人さんのご家族とは何か話を?」と尋ねた時、初めて涙を流しながら「責められてばかりです(流涙)」という場合。

次に、同じ女性が同じ質問では「責められてばかりです」と淡々と答えたとする。その後、話を進めるうち、夫の話題になり、何かの拍子に「カレーが好きな人でした(流涙)」と涙を流した場合。

この2つを比べると、「流涙」のタイミングがどこかによって、その女性の抱えているものが少し違いそうだと感じられる。その違いがなにかは、受けとる人それぞれだろう。ただ、ここで「違いなんてまったく感じられない」ようなら、精神科関連の援助職にはあまり向いていないと思う。

どのような感じかたが正しい、あるいは間違っているということはないはずだ。その後の関わりを通じて、主治医も患者もそれぞれが互いに変わっていき、だから関係性も少しずつ変化する。そうするうちに少しずつ、あるいはある時フッと、患者の肩の荷が軽くなる、というのが今の自分の治療観である。

2017年2月2日

タイトルはうさん臭いが、きちんとしたサイエンス・ノンフィクション 『アンティキテラ 古代ギリシアのコンピュータ』


1901年、地中海の海底で沈没船の残骸が見つかった。その中に、とても奇妙な機械が含まれていた。それは、精巧な歯車を組み合わせて作られており、機械に刻まれた文字からすると2000年ほど前のものと推測された。このような精巧な歯車を作る「技術」が2000年前にはあったとしても、歯車を組み合わせて複雑な機械に仕立て上げる「知識」はあったのだろうか? そもそも、この機械は何のために作られたのだろう?

タイトルが『古代ギリシアのコンピュータ』なので、なんとなくうさん臭さく感じる人がいるかもしれない。実際、「宇宙人が地球に遺したもの」という説を唱えた人もいて、しかもそれが意外に広まったせいで、この機械が考古学における「キワモノ」扱いになってしまったという経緯もある。

本書は「潜水服の歴史」から始まり、地中海近辺の政治史、そして歯車の数学的な話、考古学研究をめぐる学者たちの戦いと人間模様、といった具合に話が展開される。読みながら、『フェルマーの最終定理』や『暗号解読』といった名作ノンフィクションを思い出した。本書も紛れもなくサイエンス・ノンフィクションであり、サイモン・シンを好きな人なら楽しめる一冊だろう。

2017年2月1日

読み通すには、それなりの努力が必要 『シャルコー神経学講義』


神経学(精神科ではなく、神経学である)に興味のない人には、まったくもって退屈な本だろう。多少興味があるくらいでも、読むのは苦労する。医学史的な本なので、現代の我々から見ると明らかに間違いというものも多い(注釈で訂正はしてある)。だから、関心が高い人でも、きちんと読み通すのには、それなりの精神的努力が必要である。

ただし、本書のあちこちにちりばめられたシャルコーの素晴らしい言葉は、現代の医学にも通底するところがあり、一部だけでも紹介しておきたい。

脊髄瘻(せきずいろう)の患者について。
この患者に施せる治療はほとんどないと言いましたが、それは椅子にふんぞり返って何もしなくて良いといことではない。私は脊髄瘻患者に、「病気を治せると自慢するような人には近寄らないように。そんな連中を信用してはいけません。ひどい目にあいますよ」と忠告します。
当時もいまも、代替医療の中にはトンデモないものが多い。100年以上たっても、状況はそう変わらないようだ。
脊髄瘻にかかってから何年もたっているのに、かかっていることを知らない患者もいます。そんな患者にはすぐに告知したりはしません。病気のことをまったく知らずに、死ぬまで元気に過ごすかもしれないのですから。
また、病気とうまくつきあって、比較的幸福に過ごす患者もいます。脊髄瘻であることを自分でも知っていて、経過を先取りして悩んだりはしない患者です。
これらは、現代のインフォームド・コンセント重視の考えからは外れるかもしれない。ただ、なんでもかんでも早期発見して侵襲的な治療を行なえば患者は幸せになるのか、という疑問を投げかけてくれる。

それから、患者の病気を「診断する」、あるいは新たな病気を「発見する」ことについて。
病気の治し方を学ぶには、病気の見つけ方を学ばねばならない。診断とは、治療における最高の切り札なのだから。
感情は、多くの神経疾患で病因となる重要な要素です。しかし、それが原因だとむやみに決めつけてはいけません。患者はしばしば自分で物語をつくってしまい、それは必ずしも事実を正しく解釈したものではないということを忘れないでください。
みなさんは次のような言い方を想像できますか?
「私は医師です。それは確かです。しかし不幸なことに、あなたには何もしてあげられません。あなたは、私たちが関われない、治療がまったくできないほうの病気にかかっているんです!」
諸君、それは違います。それでは責任を果たしたことにならない。批判をものともせずに観察を続けましょう。研究を続けましょう。これこそが、発見をするための最良の方法です。そしておそらく、努力をすることによって、将来私たちがこうした患者に下す判決は、今日下さざるを得なかった判決と同じではなくなるでしょう。
実際、シャルコーの講義から130年近くたった現在、先人たちのたゆまぬ努力のおかげで、多くの疾患の治療法が発見され、予後が改善されている。医学・医療に携わるものとして、襟を正すきっかけになるような本だった。