2018年5月3日

長女の宿題をみながら、思わず涙ぐんでしまった話

小学校には順調に行き始めた長女。毎日、ひらがなの書き取り宿題を持ち帰ってくる。これを妻と俺とで教えるのだが、どうしてもうまくいかない。ついイライラして、教える声にトゲが混じってしまう。それどころか、声を荒げてしまうこともあり、そのたびに自己嫌悪に陥る。

なぜ書き取りがうまくいかないのか、しばらく観察してみた。理由の一つとして、マスの中にある点線の十字リーダーが長女を惑わせているようだと気づいた。あの点線につられて、点線をなぞったり、変な位置に筆先を持って行ったりしているようだ。試しに十字リーダーのないマスで書かせてみると、十字リーダーがあるよりは多少マシである。

とはいえ、やはり下手は下手。うまく教えられないもどかしさから、またしてもイライラ……。そこでハッとして、いろいろなことが頭を駆け巡った。

長女が初めて字を書いたときのこと。誰も教えていないのに、いつの間にか見よう見まねで文字らしきものを書き、それからグングンと読める字、書ける字が増えていったこと。絵を描き、そこに文章をそえて、オリジナルの絵本を創ったこと。その絵本を読み聞かせてあげるときの、長女の嬉しそうな顔。

いま俺はいったいなにをしているのだろう。「お手本に近いきれいな字」を書かせるために、トゲトゲしい言葉を使ったり、声を荒げたり……。長女は、決して字を書くのが嫌いではない。むしろオリジナル絵本を創るくらい、字や絵や本が好きな子なのに、俺のせいで嫌いになってしまうかもしれないではないか。

書き取りの宿題が憎らしくなり、自分が情けなくなり、思わず涙がにじんでしまった。

その日の夜、となりで眠る長女を抱きしめながら、他界した祖父のことを思い出した。祖父は生前、俺を一度たりとも怒らなかった。声を荒げたこともなかった。そんな祖父が、いまの俺を見たらなんと言うだろう。俺が長女を教えるときの態度を見ながら、祖父は哀しんでいるのではなかろうか。

子どものために「良かれ」と思ってやることが、逆に子どもを傷つけて、その子の長所をダメにしてしまうことがあるかもしれない。
「害をなさない」
まずはこれが大前提にあるべきではないのか。

ふと、「角を矯めて牛を殺す」という故事成語を思い出した。牛の曲がっている角をまっすぐに直そうとして牛を死なせてしまう話で、小さな欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうことのたとえだ。最近の自分が、まさにこれに陥りかけていた。

では、いまの俺はどうすれば良いのか。

あれこれ考えた結果、書き取りを教えるときの肩の力を、意識してかなり抜くことにした。それでもまだまだリキんでしまうけれど、一時のプレッシャーからは解放された気がする。

それから、絵本創りが好きな長女に最適のツールかもしれないと考え、絵日記を買ってみた。これからの絵本創りは、コピー用紙や落書き帳ではなく、絵日記でやってもらうのだ。字は下手でも良い。文章を書く楽しさ、それを誰かに読んでもらう喜び。長女がもともと持っている、こういう素質や気質を大切にして、伸ばしてあげたい。

長女による絵日記、ワクワクしながら待つことにする。


妻が、こんなことを言っていた。
「生まれる前は、元気に生まれてきてくれたら良いなんて思ってたのに、あれこれ要求が増えてしまって、字がきれいなほうが良いとか、宿題ちゃんとやってほしいとか……、ずいぶん勝手だけど、でも親ってそういうもんなのかもね」
本当にそう思う。こころの底から同意。

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