2017年1月4日

大人がしゃがむことで気づくこと、子どもが抱っこされて広がる視野、そして精神科診療

長女サクラとATMに振り込みに行った。サクラがタッチパネルを押したがるので、指示しながらやらせてみると、暗証番号の数字は完ぺきに押せた。金額もバッチリ。最後は確認ボタンだ。
「緑のボタン押して」
ピッ、と間違ったボタン(戻る)を押す。改めてやり直して、
「緑のボタンだよ」
ピッ、また間違う。やり直し。
「緑だって」
ピッ、また違う。だんだんイライラしてきて、
「もういいっ、パパがやる!」
声を荒げてしまった。サクラは女の子にしては珍しい色盲なのかもしれない……、そんな不安も頭をよぎった。

振り込みが終わり、機械が処理しているあいだに、ハッと思い当たった。もしかして……。

しゃがみ込んで、サクラの視点の高さに合わせてみた。すると、液晶画面の数字は判別できるが、色が分からなくなった。だから緑が分からなかったのか……。

大人は時どき、比喩ではなく本当に物理的な意味で視点を下げて、子どもたちの高さで世の中を眺めてみることが必要なのだと実感した。きっと、見えるものや感じるものが、今とはずいぶん違うはずだ。

そういえば、サクラは探しものも下手だ。もしかすると、これも視点の高さが大きく関係しているのかもしれない。大人だって、探しものをするときには立つことが多いのだから。ということは、子どもがどこにやったか分からなくなったオモチャを、親が一緒になって探す時には、子どもを抱っこして視点の高さを上げてあげると、見つかりやすくなるのかもしれない。

精神科の診療やカウンセリングでは、この「抱っこ」に近いことをやって、患者の視点を少しだけ高くしてあげられたら、探している答えは案外と簡単に見つかるのかもしれない。探しものが一段落したら、援助する側、される側とで、
「困ったときに抱っこしてくれる人がいなくても大丈夫なように、自分なりの踏み台を持つ」
これを共有する目標にしていくべきだろう。いつまでも抱っこ係になっている援助者は、どうしたって二流以上にはなれない。


子どもとのやりとりで気づかされることは多く、「子育て」を通じて「親育て」をしてくれる子どもたちには感謝の限りである。

同じことが、医師と患者にも当てはまる。診療を通じて医者育てをしてくれている患者たちへの感謝の気持ちを忘れないようにしたい。

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返事が遅くてすいません。