手で遺体の鼻を強くつまんだり、胸部を押したりするのである。遺体が津波による溺死であれば、肺や気管に海水が大量にたまっているため、かかった圧力によって白い気泡状の水がチッチッチッと音を立ててあふれ出してくる。これが確認できたものについては死因を「津波による災害死」として処理することにした。その他、ごく一部を引用するが、これはやはり実際に読むべき本だ。とてもじゃないけれど、内容の濃さを引用しきれないのだ。
ヘドロを被った死屍が累々と横たわっていた。民家に頭を突っ込んで死んでいる女性、電信柱にしがみつきながら死後硬直している男性、尖った材が顔に突き刺さったまま仰向けになって転がっている老人。毛布をめくってみた。遺体はどれも硬直して手を握りしめ、押し寄せる水を飲み込むまいとしっかり口を閉じていた。鼻や耳には大量の砂が入り込んでいる。
お腹の膨らんだ若い妊婦と三歳ぐらいの女の子の遺体も横たえられていた。妊婦だった母親が幼い娘を連れて逃げているときに津波に巻き込まれたのだという。まだ二十代だろう。
ある50代の女性は安置所に来てすぐに息子の遺体を見つけ出した。20歳そこそこで、人生これからという年齢だ。母親は息子の遺体を見た途端、かがみこんでこう怒鳴り散らした。
「あんた、なんで死んだんだ! なんでだよ! こんな短い人生でいいと思っているのかァ!」
何度も罵倒するように叫び、声を上げて泣きはじめる。
あまりに膨れ上がった遺体の数は、関係者から遺体に払うべき敬意というものを少しずつ奪い去っていった。安置所にいる者たちはすべての名前を憶えることができずに遺族の前で品物のように「725番」と番号で呼んだり、遺体を飛び越えるように土足で跨いだりすることもあった。また、休憩のときなど周囲に人がいるのを忘れて笑い話をする人なども増えてきた。最初は誰もが遺体が床に横たえられているだけで慄いていたのに、数が増加するにつれて見慣れた風景となってしまい、モノとしてしか感じられなくなったのだ。こういう状況にあって、遺体の名前を憶えて声をかけ続けた人もいる。
例えば子供の遺体には次のように言った。これまで何度も書いてきたが、マスコミは震災直後は津波映像で盛り上がっていたが、すぐに原発問題に飛びついて、津波被害は置き去りにされてしまった感がある。あれから一年以上が過ぎた今、できるだけ多くの人たちに読んで知って欲しい、あの当時の現実がこの本の中にある。
「実君、昨晩はずっとここにいて寒かっただろ。ごめんな。今日こそ、お父さんやお母さんが探しにやってきてくれるといいな。そしたら、実君はどんなお話をするつもりだ? 今から考えておきなよ」
また、隣にいる妊婦の遺体にはこう言った。
「幸子ママは、大槌町に住んでいたんだね。一晩、この寒いところでよく頑張ってくれたね。ママのお蔭で、お腹のなかにいた赤ちゃんは寒くなかったんじゃないかな。この子はとっても感謝しているはずだよ。天国へ逝ったら、今度こそ無事にお腹の赤ちゃんを産んであげるんだよ。暖かいところで、伸び伸びと育ててあげなよ。そしていつか僕がそっちにいったときに赤ちゃんを見せておくれ」
<関連>
三陸海岸大津波 記憶を風化させないために
どうも耐えられそうにありません。
返信削除>佐平次さん
返信削除確かに、ここに書ききれなかったことも当然たくさんあるので、精神的に参ってしまう本かもしれません。
文章で読ませて頂いただけでも、涙が溢れてとまりません。
返信削除災害にあわれなくなられた方々、そして検死をなさった方々、どのような思いであったかと
胸が痛みます。
しかし、全ての国民はこの現実を知るべきです。他人事ではなく、いつ自分の身に
降りかかるかわかりません。同胞の死を、我が事として受け止めたいと思います。
何も出来ませんがせめてそれ位は、と思います。
皆様の御労苦に感謝いたします。
>匿名2012年9月11日 15:43さん
削除ほんと、津波被災者は今や完全に置き去りなんですよねぇ。ほとんど話題に上がってこないし。たまに津波の話題が出てくるかと思えば一本松のことだったり……。もうみんな忘れちゃったのかなぁ、なんて哀しくなります。
私には忘れる事など出来る訳がないし、風化させたりはしたくないです。
削除>匿名2012年9月13日 18:25さん
削除細々とでも発信し続けることが、俺なりにできることかなぁ、なんて思っています。
胸打たれました。
返信削除是非読みたいと思います。
我が子がこんなことになったら…
私そんなことなど、将来に不安も感じました。
是非広めたいです。
>匿名2012年9月18日 13:51さん
削除この本、ぜひ広めてください。
少しでも多くの人に知ってもらい、そして忘れず、孫子の代に伝えていくというのが大切かなと思っています。
友人は母上と妹夫婦が津波にのまれ、遺体が見つかりDNA鑑定で全員の遺体が確定したのは9月。その際の話を聞いて、遺体発見に尽力された方、区の職員さん、鑑定した医師等、関わった方々の心中を察するだけで胸が締め付けられる思いでした。できることしかできないけれど、細々とボランティアさせていただいている状況にいて、わずか2年にも満たないのに、既に風化されようとしている『事実』に違和感を感じていたので、活字で形に残しておくのはとても大切だと思います。ブロガーの皆さんがどんどん取り上げて、広まって行くといいですね。私もツイッターでご紹介しようと思います。
返信削除>Kasumiさん
削除南三陸町に支援に行ったとき、360度パノラマでの被災光景を見て愕然としました。テレビでは分からなかったことでした。せめて文字で広めていけたら良いなと思います。こうした本がもっと広まって、忘れないということをみんなに意識して欲しいと思うばかりです。
初めまして。
返信削除twitterでTLに流れてきた「赤ちゃんがいない!」を認知症の親のことに重ねながら拝読したあと、横のメニュー欄にあった記事を読み始めたら止まらず、
仕事の合間合間に読み続けました。
なかなか答えの出せない問いや過酷な現場の状況に、
ひとつひとつ考え込んでしまいます。
こちらの本も、調子が安定しているときにぜひ読んでみたいと思います。
なお、こちらのブログからリンク致しました。
何か差し支え等ありましたらお知らせ下さい。
>カリノさん
削除リンク、ありがとうございます。こちらからもリンクしておきます。
精神科領域のことには、正解がないかわりに、ヒントはたくさんあると思っています。また「これは間違いだ」というのは少ないけれど、「絶対的な間違い」というものも確実に存在していて、考えることが多くてとても楽しいです。
調子が安定されたら、ぜひ本書のご一読を。
ご紹介して頂きありがとうございます。読みました。今さらかもしれませんが、風化してはいけないなといことと、自分も消防団員なので涙しながらもいろいろ考えさせらました。
返信削除ありごうございます。
>匿名2015年12月14日 20:58さん
削除ありがとうございます。
風化させてはなりませんね。当事者にとっては忘れたいことも多いかもしれませんが。
弟も消防団員なのですが、無給なのにあれこれ行事や訓練があって、それを文句ひとつ言わずにやる姿を見ているので、消防団員の人たちには頭が下がります。
はじめまして。ツイッターから先生のブログに飛んできまして、多くの記事を読ませていただきました。震災で亡くなった方のことは、「死者○○名」という数字でしかわかりませんでした。
返信削除でも、ブログや動画、本などを読んでいくうちに、震災とは関係ありませんが、亡くなった父のことを思い出しました。人ってこんなに冷たくなるんだなと…今でも感触を思い出します。
こんな悲しい想いをした人が、本当に多くいたんだと。
父のことを忘れないように、震災で亡くなった方たちのことも忘れません。
生きている私に出来ることを探して、傷ついている方を癒し、少しでも力になりたいと思います。
>岩崎莉穂さん
削除ご来訪、ありがとうございます。
いわゆる「おじいちゃん子」だった俺も数年前に祖父を亡くし、とんでもなく悲しく辛い思いをしましたが、でも祖父は80歳を過ぎていたし、突然ではあったけれど、決して不自然ではなかったと思います。しかし、震災で亡くなった方々には若い人どころか赤ちゃんまでいて……。
こうやって文字にされてものを紹介したり、自らの支援体験を文章にしたりすることで、記録と記憶が引き継いでいければと思います。
このブログ内で、自分の支援体験を書いておりますので、お時間のある時にでもご覧になってください。
http://psichiatra.blogspot.jp/search?q=%E5%8D%97%E4%B8%89%E9%99%B8%E7%94%BA