2016年6月22日

「僕は小さくなって、もう一度、お母さんのおなかから生まれたい」 里子たちとの生活を描いた生活記録 『ぶどうの木』


23歳の時、5歳上の夫と結婚した著者は、夫婦そろって不妊の原因になる体質だった。著者の理想の結婚生活にとって、子どもという存在は必要不可欠で、ショックを受けた著者は道で見かけるお腹の大きな犬にさえ嫉妬を抱くようになってしまう。
あの犬でさえ子どもができるのに、なんで私はできないんだろう。あの犬がもうすぐ母親になれるのに、どうして私だけ永遠に母親になれないんだろう……。
そして夫婦は話し合った末、里親になることを決心する。
私は、いつしか自分の葛藤を親のいない子どもたちに重ね合わせるようになりました。
「どうして友だちにはお父さんと母さんがいて、私(僕)にはいないんだろう?」
きっと、親のいない子どもたちはそう思っているに違いない。子どもたちは、子育ての道を断たれた私たち夫婦と、似たような苦しみを背負っているはずだと思い至ったのです。
「他の夫婦には子どもがいるのに、どうして私たちには授からなかったのか?」
そんな懊悩を抱える私たちなら、子どもたちに歩み寄れるような気がしたのです。
著者のこの考えを自分勝手とか独りよがりとか、そういうふうに言う人もいるだろう。確かにそういうところもあるかもしれない。しかし、俺は著者のこういう考え方、人生の捉え方を支持したい。

彼女らが初めて里子として引き受けた純平が幼稚園の頃に、著者と交わした会話が胸を打つ。
クリスマスの時期になると、純平は決まって私に聞いたものです。
「どうやったら、小さくなれるの?」
「いやあ~、小さくなるのはちょっと無理だよね。でもどうしてなりたいの?」
「僕は小さくなって、もう一度、お母さんのおなかから生まれたい」
時に涙を流しながら読み終えた。

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