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2019年4月26日

もの足りない…… 『ナイト・アンド・デイ』


キャメロン・ディアスの可愛らしい演技に、トム・クルーズの少しすっとぼけた感じがマッチしたスパイ・アクション・コメディ。
派手さはあまりなく、謎解きもなく、サラリサラリと進んでいくので、物足りなさを感じた。星3つ。暇な人が観れば良いかな。

2019年4月11日

大人も子どもも楽しめる! 『リメンバー・ミー』


手放しで称賛。

上映時間の長さ、テンポ、過不足ない説明、映像美、音楽、そしてストーリーとテーマ。どれをとってもよく練ってあり、さすがピクサーと唸ってしまった。

CG映画は進化しすぎて、『ファインディング・ニモ』のあたりから「いかにCGらしさを残すか」ということも重要になっているのだとか。少し前までなら、ものすごい映像も「どうせCGでしょ」と言われていたのが、いまやCGは「どうせ実写でしょ」とさえ言われるほどなのだ。

またCG映画は俳優を用いた実写の映画と違って、編集のときにシーンをカットすることをほとんどしない。一つのシーンを創るのに手間も時間も金もかなりかかるので、CG制作前に入念に作り込んでおくのだ。

そういうことを知ってからCG映画を観ると、その面白さがなお引き立つかもしれない。

2019年4月5日

今シーズンの映画ドラえもんを絶賛する人には読まれたくないレビュー 『映画ドラえもん のび太の月面探査記』

妻と小1長女、4歳次女、2歳三女の5人で観に行った。

ちまたの評判はけっこう良いが、俺も妻も「???」。

脚本は小説家の辻村深月。ネームバリューがありすぎて、映画に詳しい人がアドバイスできなかったのかなという印象。

映画は「省略の芸術」だ。本作は詰め込みすぎて間延びしていて、映画館では飽きた様子の子どももちらほらいた。子ども向けの映画で1時間51分はちょっとね……。

映画がDVDになるときノーカット版が出ることもあり、それを観ると、いかに劇場版がギリギリまで削っているかが分かる。そして、たいていの場合、劇場版が断然面白い。

ノーカット版は、劇場版でハマった人が趣味で観るのには良いが、ただ映画を楽しむという目的なら、間延びしない劇場版を勧める。

たとえば『ニュー・シネマ・パラダイス』。イタリアで上映された「オリジナル版」が155分。これは興行成績が振るわず、123分に短縮して国際公開すると大成功した。この名作を観ようとレンタル屋に行くと、173分のディレクターズカット版しか置いておらず、その間延び具合にゲンナリしてしまった。

他にも劇場版より長いディレクターズカット版を観たものはいくつかあるが、あんなに好きな『ロード・オブ・ザ・リング』でさえ退屈してしまった。

いままで観たディレクターズカット版で面白かったのはロメロの『ゾンビ』だけ。これはきっと俺がかなりのゾンビ好きだからだろう。

さて『ドラえもん』の話に戻ると、今回は「お約束」なはずののび太やジャイアンの活躍が非常に薄い。ダメっ子のび太やいじめっ子ジャイアンが、ピンチのときに見せる普段とは違う姿に胸打たれることが多いのだが、ちょっと拍子抜けしてしまうくらいに「いつもの彼ら」の枠を出ていない。

俺は少し期待しすぎてしまったようだ。

子どもらは「ドラえもん」というだけで楽しかったらしい。本当は星1つだが、子どもらに免じて1点をプラスしておく。

2019年3月22日

派手で、グロテスクで、下品で、少しロマンチックで、ちょっと吹き出す 『デッドプール』


「デッドプール」はアメコミ「マーベル・コミック」のヒーローで、「第四の壁を破壊する」のが特徴である。これは、自分が劇中のキャラクタであることを認識し、読者や視聴者に語りかけるなどの行動をとることをいう。この映画では、デッドプールが音楽を選択することもある。ふと思い出したが、『ファイトクラブ』のブラッド・ピットも冒頭でこの第四の壁を破壊していた。

派手で、グロテスクで、下品で、少しロマンチックで、ちょっと吹き出しつつ、最後までイイ感じで惹きつけてくれる映画。設定も映像も好みだった。妻と一緒に観る予定だったが、妻は先に寝てしまったので一人で鑑賞。想像以上にグロかったので、そういうのが苦手な妻は観なくて正解だったかもしれない。

2019年3月15日

B級映画の王道!? 『ヘンゼル&グレーテル』


約90分のコンパクトな映画で、テンポは良いはずなのに、なぜかちょっと退屈してしまうあたりがB級映画のご愛敬。

お菓子の家で有名なヘンゼルとグレーテルが成長し、魔女退治の賞金稼ぎになったという話。

兄のヘンゼルが、子どものころ魔女につかまったあと、お菓子を食べさせられ過ぎて糖尿病になっているという設定は吹いた。インスリン注射までしているし(笑) いつの時代だよ。ちなみに、インスリンの抽出に成功し製品化されたのは1922年ころである。

世界各国から悪い魔女が集まるシーンでは、下半身のない魔女や、シャム双生児と思われる魔女、小人症の魔女など、ポリティカルどうなの~、と思うような大胆な攻め口が良かった。

ただ、全体的には、よほど暇な人向け。

2019年3月8日

絶対にネタバレしたくない! コンパクトな名作『プリデスティネーション』


ネタバレ許すまじ。

ここまでの内容を、よくまぁ90分程度にうまく収めたものだと感心した。最近の映画は長いものが多いし、本作もやろうと思えば、もう少し丁寧な説明描写を加えて120分から150分の映画にすることもできただろう。

それを敢えてこのコンパクトさにしたことで、話の展開が速くなる。省略された説明は、観客が自分の頭で考えて補わないといけない。その思考がついていけるか振りきられるか、そんな絶妙なラインを突いてきている。

物語の核となる二人(イーサン・ホークとサラ・スヌーク)の演技が素晴らしく、仮にネタバレしたとしても、彼らの演技を観るだけでも価値はあるだろう。どちらも初めて観る役者だったが、特にサラの演技にはこころ惹き込まれるものがあった。

とはいえ、やはり中身を知らずに観るのが絶対に良い。

俺の中では、名作として記憶にとどめたい作品。

2019年3月4日

ダサいSF 『マイノリティリポート』


SFは映画も小説もマンガも、「ありえるか、ありえないか」のギリギリ、あるいは思いきって「ありえない」ほうに振りきれるほうが面白いのに、この映画は中途半端でなんともダサい。そして、そのダサさでもって2時間半も引っ張られるのだからたまらない。

CG全盛の時代。映像は製作者がどう頑張って派手にしても、それで観客が驚くことはない。だからこそストーリーに期待するのだが、これはちょっと……残念だった。1時間半くらいのコンパクトなものにしていれば、もう少しマシだったかもしれない。

と書いてみて、人によっては「名作!」「感動した!」と評価するスピルバーグの『A.I. Artificial Intelligence』を思い出した。これもワクワクしながら観始めたのに、ダラダラと2時間半も引きずられて辟易したのだった。

星1.5。0.5のぶんは、トム・クルーズが好きだから。

2019年2月28日

強すぎる主人公を安心して眺める映画 『イコライザー』


ホームセンターの従業員として、皆から慕われ穏やかに生活する主人公のマッコール。実は、元CIAエージェント、それもかなり凄腕。

というベタベタの設定からスタート。

行きつけの深夜営業レストランで親しくなった少女がロシアン・マフィアに売春させられて、ひどく殴られたことをきっかけに、「世直し」に乗り出すようになる。

というベタベタな展開。

最初から最後まで、徹頭徹尾ベタベタで、深みゼロという映画なのに、なぜか俺はこの映画が好きで、続編も絶対に観ると決めている。

というのも、この映画の主人公マッコール、強すぎるのだ。ピンチがほぼない。『ランボー』の現代都市版といった身体と精神と頭脳のタフさで、敵を一切寄せつけない。彼のド派手な勧善懲悪を安心して眺めていられるのが、この映画のウリだろう。

続編を観るのが楽しみだ。

2019年2月15日

『シックス・センス』と『コンスタンティン』を足して割ったような映画 『オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主』


ブルース・ウィリス主演『シックス・センス』キアヌ・リーブス主演『コンスタンティン』を足して割ったような映画。とはいえ、二番煎じ、三番煎じといった感じではなく、テンポのいい展開、小気味いいカメラワーク、ちょっとしたジョーク、独自の世界観、登場人物の好感度の高さなど、良いところが多々あり、非常に面白い映画だった。

ちょっと惜しいのは、ミステリ要素がやや単純で、そこをもう少し複雑にして欲しかった。

エンドロールで原作がクーンツであることを知り、それなら原作も読んでみようと思っている。邦訳は4冊出ているようだ。

2019年2月14日

スーパーノーマルなピカード艦長を知る一冊 『自叙伝 ジャン=リュック・ピカード』

診断 アルコール依存症

50代男性。実家は酒造を営んでおり、6歳上の兄がいる。幼少期から兄との折り合いが悪かった。また、その兄を父が可愛がり信頼しており、父や兄に対しては疎外感を抱いてきた。この感覚は成人以後も続いた。
一浪して東京大学へ進学したが、父からは一言も褒められず、むしろ冷ややかな反応を受けてしまった。帰省するたび、父や兄との確執は深まるばかりであったが、母との関係は良好だった。
父の死後、本人にあてた唯一の遺品である箱を開けると、中には東京大学不合格の通知が入っていた。自分が一浪したときの不合格通知を保管してあったのかと思ったが、よく見ると、亡くなった父が何十年も前に受験して不合格だったときのものであった。父が、東大に合格した自分に対して、密かに嫉妬していたことを知り衝撃を受けた。
警察庁にキャリアとして就職したが、配属先では野心が仇となった挫折を味わい、また自らのミスによって腹心の部下が刺殺されてしまうという事件もあった。

以下略。

と、ここまで書いて、アルコール依存症になるのも頷ける生育環境とキャリアだな、と感じてしまう。しかし、これはもちろん架空の病歴で、もとは『スタートレック』の有名艦長・ピカードの自伝を日本風にアレンジしたものだ。そして、ピカードはアルコールに溺れることはなかった。


機能不全とも言えるような家庭で育ち、キャリアでは挫折し、部下を死なせ、それでも折れなかったピカードは「スーパーノーマル」と言える。おそらく、彼に変わらぬ愛を注ぎ続けた母の存在が大きいのだろう。

スタートレックを改めて観たくなる本。

2019年1月28日

悲運の天才アラン・チューリングの半生 『イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密 』


ナチスが開発した最強の暗号機「エニグマ」。そのエニグマを解読するために集められた天才たちのうち、特に有名な数学者アラン・チューリングを主人公にした物語。チューリングは数学者としてより、コンピュータの生みの親としてのほうが知られているかもしれない。

地味な映画だが、非常に素晴らしい内容だった。唯一、ちょっと惜しい点を挙げるなら、チームの男たちが一丸となるシーンがちょっと唐突というか、安っぽいというか……。彼らが団結していく様子をもう少し詳しく描くほうが、もっと感情移入できたかもしれない。

サイモン・シンの名著『暗号解読』を事前に読んでおくと、映画の面白さがより一層引き立つはずだ。

2019年1月22日

高評価の理由はイマイチ分からないが、観て損したとまでは思わない(笑) 『パシフィック・リム』


ロボット vs 怪獣。

いかにも子どもっぽい設定だが、Amazonではえらく高評価だったので、いったいどんなものかと観ることにした。

その結果、高評価の理由はイマイチ分からなかった。映像はけっこう見ごたえがある部分が多かったが、それも最初のうちだけで、だんだんと飽きてしまった。ストーリーやセリフは、まさに「ザ・定番」というもので、ちょっと厳しい言葉を使うなら陳腐であった。

良くも悪くも想定内からまったくはみ出さない映画。

2019年1月21日

登山ドキュメンタリ映画 『MERU/メルー』


人類未踏の山メルーの頂上を目指す三人の男たちの物語。

ドキュメンタリ映画で、監督は頂上を目指す男の一人であるジミー・チン。映像が美しいというだけで観る価値はある。それに加えて、三人の人生という糸が寄り集まって織り成すロープがメルーの頂きに届くまでの過程に魂を打たれる。

登山や雪山に興味のない妻でさえ、「うわぁ、きれい」を連発し、最後まで観入っていた。

2018年9月11日

怪物の独白が凄まじい 『フランケンシュタイン』


フランケンシュタインというと「頭に釘の刺さった怪物」を思い浮かべる人も多いかもしれないが、『フランケンシュタイン』はヴィクター・フランケンシュタイン博士の苗字であり、博士によって創りだされた怪物には「怪物」という名前しか与えられていない(これもまた「怪物」の哀しみを引き立てる)。

大雑把なストーリーは、ロバート・デ・ニーロの映画『フランケンシュタイン』がわりと忠実になぞっている。ただ小説では、怪物を創りだす工程についての記述はほとんどない。映画のほうが人体を継ぎあわせたり電気を用いたりと「もっともらしく」描かれていた。それもそのはず。この小説はいまから200年前の1818年に発表されているのだ。そんな古い時代に、これほどのものが書かれたのだから驚きである。

さらに驚くのは、この小説を書いたのが、当時まだ20歳だった女性作家メアリー・シェリーだということ。20歳! しかも処女作である。おそろしい才能だ。

構成は大きく三つに分かれており、まず怪物を生み出すまでのフランケンシュタイン博士の青春が語られる。次に怪物が、生まれてから博士に再会するまでの苦労を独白する。この部分が本当にすごい。苦しみや哀しみがひしひしと伝わってくる。後半は博士と怪物の静かなる対決で、現代人の感覚からすると怪物に同情的になるのではなかろうか。
「博士、可哀想じゃないか、どうにかしてやってくれよ!」


映画でも感じた切なさは、小説のほうがより強く滲み出ている。改めて、デ・ニーロの映画を観たくなった。

2018年2月20日

ジブリ映画の舞台裏が面白い! 『ジブリの仲間たち』


スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫が、『風の谷のナウシカ』から『思い出のマーニー』まで、主に宣伝にまつわる裏話を紹介している。

ジブリのデビュー作であり、名作かつ代表作と言っても良いであろう『風の谷のナウシカ』は、実はタイトルが『風の戦士ナウシカ』になるかもしれなかったという話。いまとなっては『風の谷のナウシカ』以外に考えられない素晴らしいタイトルと思えるが、当時は大まじめに議論されたらしい。

ファンが多く、妻も大好きな『魔女の宅急便』は、ヤマト運輸の出資ありきで始まった企画だった。「なるほど、だから『宅急便』なのか」と思いかけたが、そもそも角野栄子による児童文学『魔女の宅急便』が原作である。

この映画に関して、さすが宮崎駿だなと思うエピソードがあった。ヤマト運輸の幹部らとの初顔合わせで、宮崎は、
「タイトルに宅急便とはついていますが、ヤマト運輸の社員教育のための映画を作るつもりはありません」
と宣言したそうだ。今でこそアニメ映画界の大御所・宮崎駿という感じだが、『魔女の宅急便』はまだジブリ5作目で、ジブリも現在のような絶対不動の王者ではなかったはずだ。その時点でここまで言い切るところがスゴい。というより、そういう気概があるからこそ、現在の高みにまでのぼれたのだろう。

俺自身が大好きな映画『千と千尋の神隠し』の裏話も面白い。鈴木敏夫が宮崎駿から最初に聞かされたストーリーは、「名前を奪われた千尋が湯婆婆を倒す。しかし、その背後にはもっと強い銭婆婆がいた。千尋はハクと二人で銭婆婆をやっつける」というものだった。うわー、まったくもって面白くなさそうだ。聞かされた鈴木もピンとこない。そんな鈴木の様子を見た宮崎駿は、その場ですぐに新しい案を考える。
「あ、そうだ! 鈴木さん、こいつ覚えてる? 橋のところに立ってたやつ」
そう、カオナシである。ここから一気に映画の雰囲気が変わって、あの名作が誕生! と思いきや、話はもう少し続く。

映画の内容が決まったので、宣伝もカオナシを最大限に使っていく方針とした。そのことを宣伝関係者に伝えると、みんな怪訝そうである。
「え? なんで? 千尋とハクのラブストーリーじゃないの?」
という感じ。挙げ句、普段は宣伝に興味を示さない宮崎駿までが、わざわざプロデューサー室までやってきた。
「鈴木さん、なんでカオナシで宣伝してるの?」
「いや、だって、これ千尋とカオナシの話じゃないですか」
「えっ!? 千尋とハクの話じゃないの……?」
宮さんはショックを受けた様子でした。
これには思わず吹き出した。

こんな感じで映画の制作順にジブリ裏話が描いてある。ちゃんとジブリ映画を観たのは『ハウルの動く城』が最後だったので、後半にいくにしたがって面白さは減退していった。映画を観た人なら、きっとすべてを楽しく読めるのではなかろうか。

2017年10月31日

キャスティングや雰囲気はサム・ライミ版のほうが好きだが、チャラい感じのスパイダーマンもそれはそれで良い感じ 『アメイジング・スパイダーマン』


サム・ライミ監督の『スパイダーマン』に比べると、ちょっと軽薄な感じでよく喋るスパイダーマンだが、こちらのほうが原作に近いらしい。確かにDlifeで放送されているアニメのスパイダーマンもペラペラとよく喋る。本作で気になったのは、スパイダーマンのときと素顔のときとでキャラがだいぶ違うこと。素顔ではそうたくさん喋らないハニカミ屋で、決して明るい性格というわけでもないのに、スパイダーマンになると身振り手振りをまじえた饒舌家。これも原作でこういう設定なのかな? マスクをかぶると大胆になる、というのは人として決して変なことではないので、これが設定であればナルホドという感じ。

細かいツッコミどころは多々あったが、そこはアメコミ映画なので目をつむろう。しかし、ラストは……。

ヒロインであるグウェンの父・ジョージが死の間際、パーカーに対して切実に「娘にはもう近づかないでくれ」と頼んで約束したのに、最後の最後で「守れない約束もある(ニヤリ)」なんて軽くナシにしてしまう。おいおいおいおい……。

でも、この結末、一緒に観た妻は「わたしは好き」と言っていたし、感覚の違いがあるのかなぁ。特に俺は、ジョージ目線というか、可愛い娘を危険から守りたい父親の気持ちが痛いほど分かるだけに……。愛する娘のパートナーとして、俺こんな男イヤだ……。

こういう難点はあったものの、スパイダーマンの動きや映像はかなり良かった。クモの糸で飛び回るシーンは、サム・ライミ版も含めて、気持ち良いの一言に尽きる。

2017年10月23日

原作ほど独善的ではないが、勧善懲悪的な描写が残念 映画『アメリカン・スナイパー』


クリス・カイル本人の自伝を原作にした映画。自伝では「悪者をやっつける」という独善っぷりが目立ち、まったく非のない市民を傷つけたことに対する反省の弁も一切ないものだったが、映画のほうではその独善ぶりはかなり薄められていた。

この映画を戦争賛美と責める意見もあるようだが、それはあまり感じなかった。むしろ、クリスの弟が軍隊に嫌気がさしたと吐き捨てるシーンもあるくらいで、決して戦争を煽ったり美化したりはしていないほうだろう。ただ、独善性は薄められているものの、「悪者をやっつける」という典型的で残念な構図が用いられていたのは確かである。

その最たるものが、非常に優秀な敵スナイパーの存在だ。映画の中では、彼にも家族がいて、オリンピックの射撃選手だったことを示す写真が出るなど、彼が「ただの敵スナイパー」ではなく「ムスタファという個人」であることが一応の申し訳程度に描かれてはいた。とはいえ、思い出す限り、彼は一度も言葉を発さず、家族とのやり取りも描かれていなかった。観客がムスタファに感情移入する要素は、ほとんどないと言って良い。

いっぽう、クリスのほうは少年時代から私生活がふんだんに描かれ、父との関係、弟との仲、妻との出会いや愛や葛藤、同僚兵士との友情など、感情移入できる部分が多々ある。クリスの自伝が原作なのだから、それは当然のことではある。

しかし、考えてみて欲しい。シリアの代表選手だったムスタファが、なぜイラクで人を撃つスナイパーなんてやっているのか。きっとムスタファにも「彼のみが語ることができる自伝、物語」があったはずなのだ。

さらに言えば、原作にムスタファと交戦したという記述はない。ムスタファという元オリンピック選手の一流スナイパーがいて、それを米軍の誰かが倒したということが書いてあるだけだ。そのムスタファを、映画ではわざわざ特別な敵役として登場させ、何人もの米兵を無慈悲に殺させ、そして最後にクリスに見事な退治を遂げさせる。

なんだこれ……。

この映画は「戦争賛美」でこそないものの、そして原作ほど独善的ではないものの、やはり一方的な「勧善懲悪」映画ではある。ムスタファさえ出さなければ、あるいは、ムスタファをもう少し丁寧に描いていれば、この映画は「互いに家族と守るべき信念のある者同士が殺し合う戦争の悲惨さと虚しさ」をうまく訴えられたのではなかろうか。そして、ムスタファをはじめとしたイラク兵士たちを軽視した本作がそれなりの評価を受けるところが、いかにも無邪気な保安官アメリカ、まさに監督イーストウッドが主人公を演じた『ダーティ・ハリー』の国という感じである。


<関連>
「イラク人のために戦ったことなど一度もない。あいつらのことなど、くそくらえだ」 政治的に大義名分を与えられて他国に乗り込む優秀な兵士は、これくらい独善的な単純バカでなければいけないということか…… 『アメリカン・スナイパー』

2017年9月22日

善悪の判断基準を自らの良心ではなくランプに任せてしまうのは、映画の中に限った話ではなく、現実世界に生きる俺たちの中にもあるじゃないか!! 『エクスペリメント』


被験者らを看守役と囚人役に分け、数日のあいだ生活させると、だんだんと看守役は支配的に、囚人役は被支配的な言動となる。そんな実験の話を聞いたことがないだろうか。この映画は、実際にあったその実験を映画化したもので、『es[エス]』というドイツ映画のハリウッド・リメイク版である。

本物の実験は1971年にスタンフォード大学で行なわれたが、被験者らが禁止されていた暴力行為に及んだため危険として中止された。

本作のストーリーは、大方の予想どおりに進んでいく。いろいろとツッコミどころは多かったものの、非常に面白いシーンがあった。

実験前に、看守役にはいくつか指示がなされる。その中には暴力禁止という項目がある。そして、
「指示に反した者がいれば、あの赤いランプが点灯して実験中止になる。その場合、報酬(日給1000ドル)は一切支払われない」
と念を押される。物語が進むにつれて、看守役の一人が特に支配的行動をエスカレートさせていく。囚人役になった主人公の顔を便器に突っ込んだり、皆で小便をかけたりする。明らかな暴力行為だが、赤ランプはまったく点灯しない。ここで看守役の男が自信満々の表情で言う。

「ランプが点灯していないから、ルール違反じゃないんだ。判断基準は、あのランプなんだ!!」

深い。
なんとも深い言葉だ。
看守にこれを言わせるために、監督はこの映画を創ったんじゃないかと思えるくらいだ。

彼らは「模擬刑務所」という特殊な環境だから、こういう心理状態になったのだろうか?

いや、そうじゃない。

今まさに俺たちが生活している日常にだって、似たようなことがあるじゃないか。バレなきゃ良い、いや、バレても罰されないこともある。「暗黙の了解」で、ここまでは違反してもオッケーというのが実際にある。たとえばスピード違反。50キロ制限を60キロで走っていても普通は捕まらない。では、65キロは? 70キロは? どの時点で赤ランプが光るのか。

「判断基準は、あのランプなんだ!!」

自らの良心ではなく赤ランプに善悪の判断基準を任せてしまった彼の弱さ、愚かさは、多かれ少なかれ、現実世界に生きる自分たちの中にもあるのだ。

2017年4月17日

流行りものを観た、読んだ 『シン・ゴジラ』『この世界の片隅に』


全体的な雰囲気は嫌いじゃないが、いかんせん演技がどうしようもない。ひとまず主な俳優陣の良し悪しは置いておいて、エキストラ(?)とか、レポーターとか、よくこの演技でオーケー出したなぁと苦笑してしまい、まったくもって現実味をもって観られなかった。現実ではありえない話なだけに、逆にそういう細部のリアルさにこだわることで、グッと引き込まれると思うんだけどなぁ。

それから辟易したのはセリフの聞き取りにくさ。うちの子どもたちがうるさいので、セリフがちゃんと聞こえず字幕設定にして観た。しかし、途中で子どもたちが静かになった時でも、あまりきれいには聞き取れないことが多かった。俺が歳をとったからというのもあるかもしれないが、一緒に観た妻もちょっと聞き取りにくいことがあったようだ。現実での会話は演劇のようにハキハキとは喋らないが、だからといってリアルさを追求してボソボソ喋られても、観るほうにはたまらない。「リアルさ」と「聞き取りやすさ」を両立できる人が「名優」なのだろう、きっと。

エヴァンゲリオンのファンであり、ナウシカも好きな俺としては、庵野監督らしい場面や音楽が出たときには、思わず口もとがほころんでしまった。とはいえ、何回も観なおしたい映画ではなかった。



こちらは映画ではなくマンガ。一気読みして、決して面白くなかったわけでもないのだが、正直、映画がこれほどまでにヒットしている理由はいまいち分からない。

2016年11月18日

本そのものが統合失調症のメタファー! 発症前の功績で、発症から数十年後にノーベル賞をとった数学者ナッシュを描いたノンフィクション 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』


前半は数学の専門用語が頻出して、少々難解に感じられることがある。数学の本ではないので、それらの用語が詳しく解説されることはほとんどなく、ナッシュがそういう「専門外にはチンプンカンプン」という高度な数学にのめりこんで研究していたことが強く印象に残る。ところが、発症してからは、ナッシュの日常生活を中心に描写され、前半とは一転して専門用語がほとんど出なくなり、圧倒的に読みやすくなる。ナッシュ自身の人生としては、超高度を飛んでいたジャンボ機が、緊急着陸して地面をノタノタと進んでいるような、そんなイメージである。

本書は、まるで本そのものが統合失調症のメタファーになっているかのようだ。これはおそらく作者が意図したものではなく、統合失調症を発症した人の一代記を丁寧に書けば、どれも統合失調症のメタファーのようになるのだろう。

例えば、ナッシュほどの天才ではないにしても、精神科医をしていると、統合失調症を発症した秀才たちと出会うことがある。たとえば、国立大学の医学部に現役で入学したものの、在学中に発症して国試には受からず、障害者年金で生活している初老男性。現在の彼はあまり外出しないのだが、家では英語の医学テキストを読みながら生活している。また、元プロのピアニストという人もいた。彼の演奏力はほぼ無に帰していたが、病棟のピアノの前に座ると、人差し指一本で鍵盤一つだけを楽しそうに押している姿が印象的であった。それから、旧帝国大学の一つに現役合格したが1年で退学し、さらにまた同じ大学の別の学部を受けて合格・卒業したという人もいる。彼は障害年金をもらいながら、タバコ代のために塩ごはんや砂糖水で生活している。

本書は、数学の知識がなくても充分に興味深く読めるが、統合失調症の知識があるほうがより深い感動を受けると思う。また、躁うつ病や発達障害についても知っていれば、ナッシュの診断が正しいのかどうかも考えながら読める。さらに、統合失調症治療の歴史という点でも、インシュリン療法や発熱療法、電気ショック療法という話も出てくる。

ラッセル・クロウ主演の映画も素晴らしかったが、本はさらに濃密で面白かった。非常に良い、心に残る一冊だった。