2019年9月30日

育児の本だが、あらゆることに応用できる 『世界最高の子育てツール SMARTゴール 「全米最優秀女子高生」と母親が実践した目標達成の方法』


育児についての本ではあるが、あらゆることに応用できそうな考えかたが書かれている。というより、あらゆることの根本は育児なのかもしれない。

SMARTは、specific、measurable、actionable、realistic、time limitedの頭文字。具体的で、計測可能で、自力で達成可能で、現実的で、時間制限付き。こう書くと簡単だが、やろうとするとそれなりに大変だろう。

特に印象に残った以下の二つ。

「毎日の小さな成功の積み重ねが大切。成功の大きさにとらわれない」
「怒りは最初の6秒をやり過ごす」

これは、毎日の育児に取り入れたい。

2019年9月27日

魔使いシリーズ第4弾はスケールアップ! 『魔使いの戦い』


魔使いシリーズの第4作目。魔法ではなく知識で闇と戦う「魔使い」の弟子トム14歳による一人称で語り進められるので、臨場感があって面白い。

現時点では、本作以降まだ文庫化されていない。単行本で読んでみると、挿し絵がいくつか入っていて、ルビのふってある漢字も多く、改めて「児童文学なのだ」ということを実感する。

巻を追うごとにスケールアップしていく闇との戦い。ダークファンタジーとはいえ、児童文学なので極端な残酷描写はなく、それなりに安心して読めるし、読ませられる。シンプルなのでテンポ良く、サクサクと読み進められる。ちょっとあっけないくらいのストーリー展開だ。

次巻ではどうなるのか。さらに強大な敵を持ってきて盛り上げるのか、それとも少し趣きを変えてくるのか。非常に楽しみである。

2019年9月26日

小野不由美による99話の怪談 『鬼談百景』


小さいころから「怖い話」が好きで、大人になってからも怪談は大好物だ。
たくさん見聞きしてきたので人に語るのも得意で、人からはよく「あなたが怖い話をすると、すぐそばにだれかいるような気がしてくる」と怖がられる。実際、語りながらなにかを引き寄せているような感覚がある。

本書は『十二国記』『屍鬼』の小野不由美による怪談99話。鳥肌の立つものも多く、そんなときは、だれかが後ろから覗きこんでいるような気配すらする。分かりやすい怪談話が好きな人よりは、「説明のつかない怪異」を受け入れられる人向け。

そんな99話の中から、分かりやすくて鳥肌の立つ話を二つ引用して紹介する。
踏切地蔵
Kさんの父親は霊感があると自称する。よく「肩が重くなった」と言うことがある。そんなときは数珠を肩に載せる。すると必ず治るのだと、父親は言っている。
その父親が、絶対に通ろうとしない踏切があった。そこを通ると肩どころか頭まで痛くなる、だから嫌だと言って、どんなに遠回りになっても避けて通っていた。事実、その踏切は、事故の絶えない踏切だった。決して見通しが悪いわけではないのに、次々と事故が起こる。だからだろう、踏切の脇には古いお地蔵さまが立っており、常に花や線香が供えられていた。お地蔵さまの周囲には、新旧の卒塔婆が何本も立っている。Kさん自身は、特に気にせずその踏切を利用していたが、新しい卒塔婆が立つたび、ひどく嫌な気分になったものだった。
その踏切でまた事故があった。Kさんが中学校に入った年だ。事故に遭ったのは父親の友人で、スクーターに乗ってその踏切を通っていて転倒してしまったのだ。
警報機が鳴り、遮断機が降りてきたので、おじさんは急いで踏切を渡ろうとした。
すると、思いがけず速いスピードで遮断機が降りてきて、それに頭が当たってしまった。スクーターは横転し、おじさんは軌道上に投げ出された。ふらふらしながら立ち上がり、スクーターを起こしたものの、おじさんはすでに踏切の中に閉じ込められている。スクーターを捨てて逃げようか、しかしスクーターを残していって、そのせいで列車が脱線でもしたら――等々と考えて、おじさんはパニックに陥ってしまった。
列車が来ても、根が生えたように足が動かなかった。足どころか身体も動かず、――そう証言できるのは、おじさんが奇跡的に怪我をするだけで済んだからだ。列車はスクーターに接触し、一緒に撥ね飛ばされたおじさんは踏切脇のお地蔵さんに突っ込んだが、それだけだった。お地蔵さんは壊れ、おじさんもあちこちを痛打したものの、打ち身と擦り傷、軽い骨折があった程度で、ほとんど入院もせずに済んだのだ。
「お地蔵さんが身代わりになってくれたのかねえ」とおじさんは言い、「お詫びに新しいお地蔵さんを寄付しないといけないなあ」と笑っていた。
現場にはしばらくの間、お地蔵さまの台座だけが残されていた。
半年ほどが経った。相変わらずお地蔵さまが立つ気配はなく、残された台座は片隅に移動され、代わりに卒塔婆だけが整然と並べ直された。いつの間にか、ぴたりと踏切での事故がやんでいた。べつに踏切の何が変わったわけでもないのに、父親の友人の事放以来、その踏切で事故があったという話を聞かない。
お地蔵さまはなくなったのにね、とKさんが言うと、お父さんは渋い顔で頷いた。
「だから妙な気がしてたんだ」と、踏切を執拗に避けていた父親は言った。
「あのお地蔵さんの前を通るのだけは、絶対に嫌だと思ってたんだよな」
Kさんは、ぽかんとした。父親が避けていたのは、踏切ではなくお地蔵さまのほうだったのか。
いまも踏切に地蔵が再建される様子はなく、そして同時に、事故があったという話も絶えて聞かない、という。
守ってくれるはずだと先入観を抱いていたものが、実は……、というパターンの怪談。こういう話はオチでゾッとするものが多く、喋って聴かせる場合、語り手の手腕が問われる。

次に紹介するのは、その情景が怖いというものだ。
密閉
Kさんは秋以来、自分が住んでいるマンションの部屋に気味の悪いものを感じている。元凶はクローゼットだ。Kさんの部屋には押入サイズのクローゼットがある。二つ折りになって開く折り戸が二枚付いていて、左右から中央で合わさって閉じるようになっている。その折り戸が、気がつくと少しだけ開いている。
隙間があると、そこから覗く薄闇が気味悪く思える。だから必ず閉めるのだが、やはり気がつくと、いつの間にかほんの少し開いている。建付が緩いとは思えない。自分の手で試してみても、勝手に開くとは思えない。なぜ開くのかが分からない。
最初は、別れた彼が留守中に部屋に入っているのかな、と思った。少しの間、転がり込んできて生活をしていた。別れるときに合鍵は返してもらったが、どうやらほかにもスペアを作っていたようで、何度か留守中に荷物を取りにきた様子があった。勝手にスペアを作っていたのも腹立たしいし、それを黙っていたことも許せない。勝手に入ってくるのも我慢できない。おまけに扉をきっちり閉めておかない。そういうルーズなところが耐えられなくて別れたのに。
あまりに腹が立ったので、管理会社に「鍵を矢くした」と言って、錠を取り替えてもらった。これで勝手に出入りできない。扉が開くこともないはずだ。
なのに、やはり開いている。
鍵は替えたから、誰かが忍び込んでいるはずはなかった。だったらなぜ、閉めても閉めても扉が開くのだろう。クローゼットの中は、押入のように上下二段に分かれている。そのせいで、扉が細く開いているとき、上段はまだしも、下段は本当に暗い。
そこに何かが潜んでいそうな気がする。我優できずに、お菓子の箱に繋っていたリボンで取っ手同士を括り合わせた。これでもう、開くことはないはずだ。
実際にそれで開かない日が続いた。そんなある夜、Kさんは風呂から上がって姿見でドライヤーを使いながら、何気なく目を上げた。すると、自分の背後にクローゼットが映り込んでいた。扉は閉まっている。二つの取っ手はリポンで括り合わせてある。だが、そのリボンが解けかけていた。
サテンのリボンは滑る。それでかな、と思っていたら、解けた片方の先が扉の間に挟まっているのが見えた。いや、片方の先が扉の間から中に引き込まれているのだ。誰かが中からリボンを引っ張っている。ゆっくりと音もなく、リボンが解けていった。
驚いて振り返った。とっさに膝の上に乗せていたタオルを投げつけていた。さっきまで髪を拭いていたせいで湿気を含んだタオルは、音を立てて扉に当たった。
はらり、とリボンの先がクローゼットの中から出てきた。
まさかとは思うが、誰かが中にいるのだろうか。確認せずにはいられなくて、飛びつくようにクローゼットに這い寄り、リボンを引っ張りながら扉を開いた。Kさんは膝を突いていたから、ちょうど下段を覗き込む恰好になった。
下段にはいろんなものが入れてある。衣装ケースや季節外れの家電。空き箱やスーツケース。そのスーツケースが、いましも閉まるところだった。立てて置いてあるスーツケースの蓋がわずかに開いて、その隙間に長い黒髪と白い手が吸い込まれていった。唖然としている目の前で、ぱたんと蓋が閉じた。
あいつ、と思った。
そのスーツケースは、彼氏がどこからか拾ってきたものだ。怒りにまかせて引っ張り出した。スーツケースは軽かった。――当然だ。何も入っていない。
引っ張り出したスーツケースをガムテープでぐるぐる巻きにした。何重にも留め付けて、その夜のうちにドアの外に放り出した。
翌日、彼に送りつけてやりましたと、Kさんは言う。
「彼が拾ってきたんだから、当然です」
小野不由美の巧みな描写で、リボンがクローゼットに引き込まれていく様子がまざまざと目に浮かぶ。なんとも怖い。

怪談好きにはぜひとも読んでみて欲しい一冊。

2019年9月25日

育児書は書くほうも、読むほうも、売り手も、レベル選びが難しい……。 『児童精神科医ママの子どもの心を育てるコツBOOK 子どもも親も笑顔が増える!』 『小児科医ママの「育児の不安」解決BOOK 間違った助言や迷信に悩まされないために』


Amazonレビューで星5つが多いので、我が子の子育てと、自分の仕事で役立てられないかと思って読んでみたが、星5つはちょっと過剰評価ではなかろうか。同じような内容で、もっと安い本はけっこうある。ちなみに本書は定価1400円。

専門が異なるとはいえ同じ精神科医だから、評価がちょっと厳しくなるのかなぁ……。


いっぽう、こちらは星4つくらい。専門家にとっては当たり前で気にすることがないのに、親は気になってしまうというポイントをよく押さえてある。「薄毛ってなおるの?」「おへそがきれいになりません」「頭の形がいびつです」といった体の話、「母乳に食べたものの味が出る?」「授乳中の嗜好品はダメ?」といった食事の話、「新生児は、いつから外出OK?」「おしゃぶりはよくない?」「ベビーバスっていつまで?」「かぜのときの入浴はダメ?」といった生活の話、おむつかぶれや乳児湿疹、汗疹と言ったトラブルの話など。

新米パパ・ママが読むには分量もほどほどで良い本だと思った。


久しぶりに育児書を読んだが、こういう本はターゲットをどういう人にするかで中身も大きく変わる。上の2冊はおそらく普段あまり本を読まない人向けであり、文字は少なく、挿し絵が多い。また情報過多にならないよう、かなり抑えてあるように感じた。本を読み慣れた人にとっては物足りないだろう。しかし、情報満載の育児書が良いかというとそうでもない。本を読み慣れてはいるといっても、それが普段は小説メインという人の場合、膨大な情報を処理するのに一苦労するだろうし、情報の洪水に呑みこまれる恐れもある。

育児書というのは、書き手も読み手も、そして売り手も、選別というのが難しいものだと感じた。

2019年9月20日

医師が一流になれるか、なれないか、その要諦は受け持った患者にもよる。患者によって医師も育てられるのだ。 『打撃投手 天才バッターの恋人と呼ばれた男たち』


打撃投手と精神科医は似ている。
一流の打撃投手は、いかに打者にとって打ちやすい球を多く投げられるか、打者の要求するコースに確実に投げられるか、とこれまで私は考えていた。(中略)
だが、これは土台と言うべきであって、それだけでは条件を満たさない。これにプラスアルファして、打者といかに意思の疎通をはかることができるか、という能力が必要だとわかった。(中略)
投げながら打者を育ててゆく、同時に打者に助言もする。ここに打撃投手の技術の神髄がある。
精神科医も、患者や家族が理解できる言葉を探りつつ、答えやすい質問を選んで投げかけ、その様子から言葉を選びなおし、質問の内容を変え、助言するときにも同じように配慮する。そして、打者である患者が病院外でヒットを打ってくれれば嬉しい。

また著者はこんなことも書いている。
打撃投手が一流になれるか、なれないか、その要諦は組んだ打者にもよる。打者によって打撃投手も育てられるのだ。
これを医師と患者に置き換えても、まったく違和感ないものになる。

医師が一流になれるか、なれないか、その要諦は受け持った患者にもよる。患者によって医師も育てられるのだ。

精神科医としてストンと納得のいく話を、落合博満の打撃投手だった渡部司がこう語っている。
打者が打ってくれた球がストライクなんです。打者が打ってくれるところに投げればいいんです。たとえボールでも、ワンバウンドしても、打者が打てばこれはストライク。
精神科でも、患者さんや家族の心に届いた言葉がストライクである。そして、届くような態度と言葉を選べば良い。たとえ不器用でも、下手くそでも、患者さんや家族に届けばこれはストライク。そういうことだ。

さて、前著『この腕がつきるまで 打撃投手、もう一人のエースたちの物語』では長嶋、王など往年の名選手たちがメインであったが、今回は松井秀喜、イチロー、清原和博といった自分と同世代の野球選手の名前がたくさん出てきた。その中でも印象に残ったのが、先日、覚醒剤で逮捕・起訴された清原和博のエピソード。巨人軍で清原の打撃投手をつとめた田子譲治の父親が、平成18年に他界した時のことだ。この当時、すでに清原は巨人軍を去っていた。
巨人軍から大きな花束が届けられたが、選手からは「選手会一同」という形で届けられた。その中に交じって一つだけ花束が別に届けられた。そこには「清原和博」と書かれてあった。清原とはそんな心遣いをする人間だった。
覚醒剤に手を出したのはバカだと思うけれど、清原の人物伝を読むと、この人のことを嫌いにはなれない。むしろ、叱りつつ応援し続けたくなる。

精神科医は専門書以外からでも学べること、学ぶべきことがたくさんあるので、「精神科専門書」だけでなく「小説」「ノンフィクション」「サラリーマン向けの本」などにも手を出すほうが良い。本書はその点でも素晴らしい一冊だった。

2019年9月19日

おもしろくて切ない介護の記録 『認知の母にキッスされ』


ねじめ正一と認知症の母の記録で、おかしかったり、切なかったり。読みながら、どうしても精神科医としての視点が入るので、「これは、いったいどのタイプの認知症なのだろう?」と疑問に思った。レビー小体型のような気もするし、前頭側頭型のようにも感じられるし……。作家が作品として書いたものだから、多少の脚色もあるだろうし……、などと、あれこれ考えてしまう。

俺の母はまだまだ元気だが、ねじめ正一と同じ長男として、なんだか他人事とは思えない内容だった。

2019年9月17日

「うつ病患者に家族はどう接したら良いのか?」への答えがナルホドだった! 『誤解だらけのうつ治療』


うつ病を経験した精神科医と、同じくうつ病を患っているライターの対話。

タイトルだけだと、精神医療を攻撃する本かもしれないと身構えたが、決して一方的に精神科医や精神医療を批難するものではなかった。それどころか、精神科医、患者、社会にとって、それぞれ耳に痛いところのある内容でありながらも建設的で、偏ったところのないものであった。トンデモ臭さがなく、過激なタイトルに比べて内容はわりとバランスがとれていた。

本書の中で、特にナルホドと膝を打ったのは、うつ病患者の家族から「どう接したら良いのか」と尋ねられた時の蟻塚医師の答え。

「居心地の良い旅館の仲居さんをイメージしてください」

仲居さんが気を遣いすぎて、こちらがゆっくりしたい時に頻繁に話しかけられたり、あたりをウロチョロされたりするのはウザい。しかし、こちらが必要としている時にいないのも困る。デキる仲居さんになったつもりで対応してあげてください、というものだ。

偏りの少ない本なので、いろいろな人にお勧めできる良書である。

2019年9月13日

医療系学生は必携! 『病気がみえる 〈vol.7〉 脳・神経』


医療系の学生向けのテキストではあるが、卒後10年目の精神科医が読んで充分に勉強になる本だった(それだけ知識がなくなっている証拠でもある……)。

最初から最後まで分かりやすさに重点を置いてあり、イラストもカラフルで視覚的に理解しやすい。

このボリュームと内容で4000円であれば、充分にもとがとれる。最初から最後までザッと読み終えて、学生時代に出会っていれば神経系の勉強がもう少しスムーズだったかもしれないなぁ、なんて思った一冊。

2019年9月12日

精神科医は、プロ野球の打撃投手に似ている 『この腕がつきるまで 打撃投手、もう一人のエースたちの物語』


打撃投手は、バッターの調整のために存在している。プロのピッチャーが打たれないことを目的にするのに対して、打撃投手はバッターに「気持ちよく打たせる」ことが目標になる。自らが試合に出ることはなく、自分が調整役になったバッターが試合でヒットを打つと気持ちが良いし、打てないと落ち込む。

精神科医も、患者と症状、患者と家族、患者と社会などの間にたつ調整役のようなものだし、打撃投手の生き方から学べることも多いかもしれない。そう思って本書を読んでみたら、「学ぶ」なんて硬いものではなく、ひたすら楽しい読書になった。

多くの打撃投手の生き様だけでなく、王・長嶋といった往年のスター選手の逸話もたくさん出てくる。それを読んで、彼らが野球のプレーだけでなく、人間的にも素晴らしい人だったのだと知った。王や長嶋が引退して何十年たった今でも、熱いファンがいるのも頷ける。

野球ファンでなくても楽しんで読めるお勧めの本。

2019年9月10日

一般医師向けで、深すぎず浅すぎず、神経疾患のスクリーニングを求められる人たちにはぜひ勧めたい! 『みるトレ 神経疾患』


精神科と神経内科では、患者さんの訴えが重なることが多々ある。そして、神経内科疾患の人がいきなり精神科に来ることもありえる。そういうときに、精神科医が神経疾患をまったく念頭におかず、精神科的なみかただけで対応してしまったら、その患者さんは大いに不利益を被ることになる(だから通常は先に内科を受診してもらう)。そんなイヤな事態にはなりたくないので、神経内科についても勉強が必要だ。

本書は、神経内科の専門分野についてかなり忘れてしまっている精神科医でも、充分に理解しながら通読できる優れた教科書であった。

タイトルに「みるトレ」とあるように、症例写真が豊富で非常に参考になった。ただし、各疾患の症状の根拠となる神経解剖を概説する図は一切ないので、神経解剖の簡単な本が手もとにあると理解がよりスムーズで、記憶に定着しやすいだろう。改訂版では付録に簡単な図があると良い気もするが、そもそもこういう本を読もうとする人なら、すでに手もとに1冊くらいは神経解剖の本を持っているかな……。

専門医ではなく、一般医師向けに書かれていて、深すぎず、かといって浅すぎることもない。精神科医を含め、神経疾患のスクリーニングを求められる人たちにはぜひ勧めたい本。

2019年9月9日

通訳者のエッセイなのに、対人援助職の教科書としても一流! 『魔女の1ダース』


著者の米原万里はもともとロシア語通訳者である。通訳者の仕事は、異なる言語と文化を持った人たちを仲介することだが、それは単に言葉を置き換えるだけで成り立つものではない。Aという国の言葉・文化・歴史にも通じていて、さらにはBという国の言葉・文化・歴史にも造詣が深くて、それでようやくAとBの仲介者になれる。

米原女史の本を読むと、患者と家族、患者とスタッフ、患者と他科の医師、患者と社会などの間に立って、通訳者のような仕事をする精神科医としてどうあるべきかを教えられる。同じ日本語を話す人同士であっても、土地柄や出自、育った環境、現在の境遇、その他もろもろの違いが影響しあって、常にスムーズに通じ合えるというわけではない。それどころか、精神科臨床では、「通じ合わない」ことの苦労を抱えている人のほうが多いくらいだ。そしてそこに、精神科医としての自分の役割、「通訳者」としての存在意義があるような気がする。

『不実な美女か、貞淑な醜女か』での切れ味鋭い舌鋒は今回も変わらず。この2冊は単なるエッセイではなく、多くの対人援助職が読んでおくべき一流の教科書である。

2019年9月6日

患者説明やプレゼンテーションと「冗語性」について

同時通訳では、原稿を読む人の通訳はほぼ不可能らしい(事前に原稿を渡されている場合を除く)。

話し言葉には、同じことを言い換えたり繰り返したりと「冗語性」があり、そのおかげで「会話の主旨」をつかんだ同時通訳が可能になるそうだ。原稿を読む人のプレゼンが頭に残りにくいのも、きっと同じ理屈だ。

病気や治療について患者さんに説明する時、以前はいかにスムーズにすらすらとできるかを目指していた。そのほうが「デキる医者」に見えそうだと思ったから。しかし、耳から入る情報はなるべく冗語性のあるほうが頭に残りやすいようだと気づき、流暢さを捨てた。文章に書き起こせばクドクドと長ったらしいはずだが、相手の頭には残る。

逆に、読んでもらうための文章からは、冗語性をなるべく排除する。

会話は肥らせ、文章はスマートに。

これが理想である。



通訳の話は本書から学んだ。