2019年3月29日

悪魔憑きは精神病なのか 『バチカン・エクソシスト』


イタリアでの「悪魔祓い」についての本。著者はジャーナリストで、基本的には「悪魔祓いは真の治癒と解放をもたらすという主張は、すくなくともわたしには疑わしく思える」というスタンスで書かれている。

現代において、悪魔憑きは精神病とセットで語られる。そして、イタリアといえば、精神科病棟を全廃したことでも有名だ。ただしそれは「精神疾患への偏見を全廃した」ことを意味するわけではない。こんな記述がある。
大きな恐怖と苦痛を経験してきたにもかかわらず、レンゾ(夫)はルシア(妻)が精神的な病気ではなく悪魔憑きだったことに感謝している。なぜなら、二人の住むイタリア南部では、精神病は耐えられないほどの恥辱だからだ。
「あいつが狂ったわけじゃなくてほんとによかった」とレンゾは言った。
悪魔に憑かれることは本人にとって相当に苦痛であり恐怖のはずだが、家族にしてみれば「悪魔のほうが精神病よりはマシ」というのだ。精神科病棟を閉鎖したイタリアを手放しに称賛できないのは、こういうことがあるからだ。

さて、悪魔憑きは本物か否か。

いわゆるオカルト少年だった自分が精神科医となり、憑きものと祓いをどういう目で見るか、自分のこころがどう動くのかを感じながら読んだ。結論は、冒頭に引用した著者のスタンスに賛成である。ただし著者の言うように、「『祈祷には癒しの力がない』という意味ではない。癒しには精神的なものが重要な役割を果たしている」ことも疎かにできない大切な考えだと思う。

最後に、本書に引用してある社会学者ロレンツォ・モンターリの言葉で結びたい。

心を開いていることが大切だ。しかし、開きすぎて理性をなくしてはならない。

2019年3月28日

「医者は人の気持ちが分からない」と言ってしまっちゃっている人たちへのアドバイスみたいなもの

医者って人の気持ちが分からないよね。

たまにではあるが、こちらが医師であると知っていながら、面と向かってこんなことを言う人がいる。そう言われる医者がどういう気持ちになるか、その人には分からないのかな?

もしかしたら「医者は傷つけても良い」という暗黙の了解でもあるのかな?

「いや、医者のほうが患者を傷つけているではないか、だから……」という人もいるだろう。

しかし、相手に傷つけられたことが、相手を傷つけることを正当化するわけではない。それがたとえ医師と患者の関係であっても、医師の側も、患者の側も。

「それじゃ患者は泣き寝入りじゃないか!」
と怒る人もいるかもしれないが、医師だってさんざん泣き寝入りしているのだ。

だから、改めて。

互いに、相手を傷つける正当性などない。

幸い、こういうことを患者さんから言われたことはない。言われるのは病院外で、しかもたいてい「あなたは」ではなく、「医者は」と一くくりにされる。でもそれは、「だから女性は~」「これだから男は~」と言うのと同じく、ナンセンスだ。

では、もしも主治医に気持ちを分かってもらえていない、傷つけられていると感じた場合、どうしたら良いのか。

そのままを伝えるのだ。

「わたしは、気持ちを分かってもらえていないと感じている」
「わたしは傷つけられたと感じる」

自分の感覚をもとに相手を「気持ちが分からない人」などと評価するのは、相手を傷つけるだけで、言いたいことは伝わらず、互いに無益な時間をやりとりすることになる。いっぽう、自分の感覚そのものは誰にも否定できない。

「先生は人の気持ちが分からないんですね」
「んー(は?  なんだこの人……?)」

となるところ、伝えかたを変えれば、

「分かってもらえていないと感じます」
「どのあたりでしょう、もう少し詳しくお聞かせください」

「傷つけられているように感じます」
「すいません、そういうつもりはありませんでした」

そううまくいくかは分からないが、少なくとも分かり合うための糸口はつかめるのではないか。

2019年3月22日

派手で、グロテスクで、下品で、少しロマンチックで、ちょっと吹き出す 『デッドプール』


「デッドプール」はアメコミ「マーベル・コミック」のヒーローで、「第四の壁を破壊する」のが特徴である。これは、自分が劇中のキャラクタであることを認識し、読者や視聴者に語りかけるなどの行動をとることをいう。この映画では、デッドプールが音楽を選択することもある。ふと思い出したが、『ファイトクラブ』のブラッド・ピットも冒頭でこの第四の壁を破壊していた。

派手で、グロテスクで、下品で、少しロマンチックで、ちょっと吹き出しつつ、最後までイイ感じで惹きつけてくれる映画。設定も映像も好みだった。妻と一緒に観る予定だったが、妻は先に寝てしまったので一人で鑑賞。想像以上にグロかったので、そういうのが苦手な妻は観なくて正解だったかもしれない。

2019年3月18日

人間の弱さ、愚かさ、強さ、気高さを、上手く描いている 『氷壁』


山男である魚津の朴訥とした雰囲気、その魚津に惚れる小坂かおるの純粋さ、魚津の上司である常盤の熱情や優しさ、富豪ながらエンジニアとしての一本気をもつ八代。そんな好感のもてる登場人物らのなかにあって、ただ一人フラフラと若い男に惹かれてしまう芯のない八代の妻・美那子に苛立ってしまう。

ところが、この美那子の存在が、物語全体にピリッとした緊張をもたらし、面白さを引き立てるのだから不思議だ。表向きの主人公は山男の魚津であるが、井上靖が描きたかった本当の主役は、人間としての未熟さを抱えて生きる美那子だったのかもしれない。

2019年3月16日

アブない人には近づかない、それが最善の自衛

好意を寄せる女性がいる。
ところが、この女性には仲の良い男がいる。
だから、その男のことが憎たらしい。
そして、そんな男と仲良くしているその女性が憎たらしい。

こういう思考の流れの人、いるんじゃないかな。

「憎たらしい」という感情が、もともとの「好き」という気持ちを凌駕して、本人は純粋に「憎たらしい」としか感じられなくなってしまった状態。
ただ、そもそものキッカケは「好き」という感情。

攻撃される女性としては理由が分からず、
「本当は好きなんだろう」「好きの裏返しだ」
そう考えたり言われたりすることがあるかもしれない。

しかし。

加害者の中では「憎い」という強烈な感情が、そもそもの「好き」を焼き尽くしているので、残っているのは「純粋な憎悪」。

加害者も、もはや「なぜそんなに憎いのか」が分からなくなっている。ただ、「理由なく憎い」というのは脳内のおさまりが悪いので、なんだかんだと理由や難癖をつけることになる。

ある知人女性が向けられている攻撃を見てきて、こんなことを考えた。

こういう状況のとき、憎まれる女性と同じく、憎まれる男性にも身に覚えがない。だから、二人とも困惑する。そのいっぽう、加害者のほうは「憎む理由」を次から次へと後付けするので、本人なりに「筋の通った憎しみ」だと感じる。なんなら「正義は我にあり」とさえ思っているかもしれない。

こういう人に遭遇したら、とにかく関わらないことがベスト。なにをしても、なにを言っても、それは後付けで「憎む理由」にすり替えられてしまう。こういう人が相手だと、「関わらない」ことさえ「憎む理由」にされかねないが、それでも「関わらない」が最善だ。


<関連>
暴力への正しい向き合いかた 『暴力を知らせる直感の力 悲劇を回避する15の知恵』

2019年3月15日

B級映画の王道!? 『ヘンゼル&グレーテル』


約90分のコンパクトな映画で、テンポは良いはずなのに、なぜかちょっと退屈してしまうあたりがB級映画のご愛敬。

お菓子の家で有名なヘンゼルとグレーテルが成長し、魔女退治の賞金稼ぎになったという話。

兄のヘンゼルが、子どものころ魔女につかまったあと、お菓子を食べさせられ過ぎて糖尿病になっているという設定は吹いた。インスリン注射までしているし(笑) いつの時代だよ。ちなみに、インスリンの抽出に成功し製品化されたのは1922年ころである。

世界各国から悪い魔女が集まるシーンでは、下半身のない魔女や、シャム双生児と思われる魔女、小人症の魔女など、ポリティカルどうなの~、と思うような大胆な攻め口が良かった。

ただ、全体的には、よほど暇な人向け。

ぜったいに さわっちゃダメ?


2歳の三女に読み聞かせ。

最初は喜んでいたが、途中からは読み聞かせ「したがる」ようになり、俺を子どもに見立てて「はい、さわって~」とやり始めた(笑)

もう少し遊び心やインパクトのある本かと思ったが、中身は非常にシンプル。表紙だけがマット仕様で凹凸あり。

2019年3月14日

束縛のない好奇心は素晴らしいが、方向性のない好奇心は不毛! 『子どもは40000回質問する ~あなたの人生を創る「好奇心」の驚くべき力~』


邦題が「育児本」を連想させるが、実際には「好奇心」についての良質なノンフィクション。もちろん「我が子の『好奇心』を伸ばす」ために有用なことも書いてはあるが、本題はもっと広く深く「好奇心」を突き詰めている。

「好奇心は個性ではなく状態」
「束縛のない好奇心は素晴らしいが、方向性のない好奇心は不毛」
「良質な好奇心のためには知識が重要」
「知識は知識を呼び寄せる」

こうしたことが目からウロコだったり、強く共感したりで、とても良い本だった。

2019年3月11日

ウイルスによる人類滅亡を描く 『復活の日』


ウイルスによる人類滅亡を描く、いわゆる「終末世界」もの。

舞台設定が1960年代で、社会情勢などやや古くさい点があるものの、人のこころの動きは50年経ったくらいで大きく変わることはなく、いま読んでも充分に真に迫る内容であった。

メインとなる登場人物はいるにはいるのだが、それぞれの描写はそう多くなく、感情移入することはあまりない。ではつまらないかというとそんなことはなく、個々の登場人物よりも状況に重きを置いて綿密に描いてあるので、世界滅亡のさなかに自分がいるかのような絶望的な感覚になれる。そんな少し独特な持ち味のある小説であった。

2019年3月8日

絶対にネタバレしたくない! コンパクトな名作『プリデスティネーション』


ネタバレ許すまじ。

ここまでの内容を、よくまぁ90分程度にうまく収めたものだと感心した。最近の映画は長いものが多いし、本作もやろうと思えば、もう少し丁寧な説明描写を加えて120分から150分の映画にすることもできただろう。

それを敢えてこのコンパクトさにしたことで、話の展開が速くなる。省略された説明は、観客が自分の頭で考えて補わないといけない。その思考がついていけるか振りきられるか、そんな絶妙なラインを突いてきている。

物語の核となる二人(イーサン・ホークとサラ・スヌーク)の演技が素晴らしく、仮にネタバレしたとしても、彼らの演技を観るだけでも価値はあるだろう。どちらも初めて観る役者だったが、特にサラの演技にはこころ惹き込まれるものがあった。

とはいえ、やはり中身を知らずに観るのが絶対に良い。

俺の中では、名作として記憶にとどめたい作品。

2019年3月5日

自分にはまだ遠い話、だと思いたい 『死のメンタルヘルス 最期に向けての対話』


石川文洋(戦場カメラマン)、香山リカ(精神科医)、椎名誠(作家)、臺弘(100歳現役の精神科医であり著者の恩師)、末期がん看護師との対談がメインの本。これまで何冊も著者の本を読んできたが、他書に比べれたやや精彩を欠いている印象。しかし、それはもしかすると、まだ自分が43歳で死を「本格的に意識する」ことがないからかもしれない。20年後、30年後、40年後に読めば、また違う感想になるのだろうか。

2019年3月4日

ダサいSF 『マイノリティリポート』


SFは映画も小説もマンガも、「ありえるか、ありえないか」のギリギリ、あるいは思いきって「ありえない」ほうに振りきれるほうが面白いのに、この映画は中途半端でなんともダサい。そして、そのダサさでもって2時間半も引っ張られるのだからたまらない。

CG全盛の時代。映像は製作者がどう頑張って派手にしても、それで観客が驚くことはない。だからこそストーリーに期待するのだが、これはちょっと……残念だった。1時間半くらいのコンパクトなものにしていれば、もう少しマシだったかもしれない。

と書いてみて、人によっては「名作!」「感動した!」と評価するスピルバーグの『A.I. Artificial Intelligence』を思い出した。これもワクワクしながら観始めたのに、ダラダラと2時間半も引きずられて辟易したのだった。

星1.5。0.5のぶんは、トム・クルーズが好きだから。

2019年3月1日

一読の価値あるマンガ。ただし…… 『本当の依存症の話をしよう ラットパークと薬物戦争』


「はじめに」「おわりに」を含めて104ページの本のうち、68ページが海外作家によるマンガである。
あとは松本俊彦先生と小原圭司先生によるちょっとした解説。

マンガはシンプルながら、どこかこころに訴えかけるものがあり、特に依存症に詳しくない人や「依存症のことなんか勉強するまでもなく分かってるわぃ」というような人には一読の価値がある。

ただ、本の分量にすれば、ちょっと値段が高く感じる。