2017年1月26日

死刑や少年法に、賛成にしろ反対にしろ、なにか語りたいなら必読 『なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日』


光市母子殺害事件の遺族である本村洋さんに密着し、犯行時18歳だった加害者Fへの死刑判決を「勝ち取る」までのルポ。「勝ち取る」とカギ括弧をつけたのは、「死刑判決を勝ち取る」という表現が、はたして適切なのかどうか悩ましかったからだ。しかし、本書を読めば、本村さんはやはり「勝ち取った」としか言いようがない。そして、被害者の遺族が死刑を「勝ち取らなければならない」ような司法制度ではいけないのではないかと思った。

死刑判決を受けた後のFにも、著者は面会している。Fは、死刑判決を受ける前後で大きく変わり、公判中には微塵も感じられなかった反省の態度がありありと見えるようになっていた。
「死刑判決のおかげで、あのどうしようもなかったFがここまで変われた」
このエピソードは、死刑を強く支持する人たちにとって追い風である。ただし、少し気をつけなければいけない。というのも、著者は本村さんと長い年月の親交があるだけに、「Fの死刑」に賛成の立場から、死刑判決を受けた「おかげで」変わることができたFをことさらに強調して描いている可能性があるからだ。だから、この部分は真に受けすぎず、少しさっ引いて捉えるほうが良いはずなのだが、それでもやはり、このFの変化には、読者の心を動かすなにかがあることは確かだ。

俺はもともと死刑には“消極的”存置賛成派である。「殺人犯は全員死刑!」という気持ちにはなれないが、かといって「死刑は野蛮、廃止すべきである」とは絶対に思えない。「死刑にするしかない、本当にどうしようもない(としか俺には思えない)ヤツら」がいることは確かなので、そういう連中を裁くためにも、また彼らに家族を奪われた遺族を慰撫するためにも、死刑は廃止せずに残しておいて欲しい。そういう意味での「消極的」である。

死刑反対派からは、
「諸外国、特に先進国では死刑は廃止されているところが多い」
という意見が出ることもあるが、これには説得力が一切ない。仮に日本が死刑を廃止したとして、その後に「諸外国、特に先進国で死刑が再開」された場合、今度は諸外国にならって死刑を再開すべきと主張するのか? そうでないなら、死刑廃止を訴えるために諸外国がどうだという話は持ち出すべきではないだろう。

非常に良い本だったので、死刑の賛成派にも反対派にも読んでみて欲しい、というか、ぜひとも読むべきである。

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