「血圧も血糖もいい感じだし、今日の午後は外出しても構いませんよ。外出する時は、看護婦さんに伝えてからにしてくださいね」
伊藤医師の話を聞き、長沢タキは思わず合掌しながら頷いてしまった。タキにとって外出は決して特別ではなかったが、主治医のお墨付きである。胸を張って、後ろめたさも感じることなく家に帰れる。かといって、家に誰かがいるわけでもないのだが。夫の寛雄はタキが入院する二ヶ月前に脳卒中で亡くなっていた。そもそも、寛雄が他界した後の忙しさが一段落した頃に、かかりつけの伊藤医師から、
「休養も兼ねて入院しませんか」
と勧められたので、タキは伊藤循環器内科医院に入院することになったのだ。
入院して二ヶ月。休養も兼ねてと言われていたが、高血圧と糖尿病はタキが思っていたよりも悪いようで、二週間の予定が一ヶ月、一ヶ月が一ヶ月半という具合に延び延びになり、結局今もまだ入院している。とはいえ、タキは嫌々入院しているわけではない。むしろこの病院はタキにとって居心地が良いくらいだった。伊藤医師は親切だし、若い看護師たちも気さくで働きぶりも良くて、タキは彼女らが好きだった。そしてなにより、同室の三人が明るくて賑やかだった。家で自分だけのための家事をしてぽつねんと暮らすよりは、ここで笑って暮らしていた方が良いと思っている。ただ一つ、仏壇だけが気になっていた。
(おとうさんが寂しがってるんじゃないかしら)
最近は病室の消灯後に、仏壇と寛雄のことが気になって寝つけない日が増えた。家にいるときは仏壇に話しかけていたが、病室にもってきた写真には話しかける気が起こらなかった。
昼食の後、タキはロビーにある公衆電話でタクシーを呼ぶと、部屋に戻りすぐに外出用の服に着替えた。同室の三人に軽い挨拶をして部屋から出て、すぐ左にある階段を降りた。看護婦に外出の旨を告げて靴を履いた。ポケットの中で家の鍵につけた鈴がチリチリと鳴り、その久しぶりの音になにか胸が躍った。タキがタクシーの運転手に家の住所を告げると、本当にこれから家に帰るのだという実感が湧いてきた。タクシーは二時前に家に着いた。久々に家の玄関を開けると懐かしい匂いがした。すこし畳のにおいが強く感じられた。タキはまっすぐ仏間に向かった。仏壇の前で立ったまま、
「おとうさん、ただいま」
と言うと、すぐに仏間の窓を開け、それから家中の窓を全て開けてまわった。春過ぎてやや湿った風が家の中をそよいで、仏間にこもった畳と線香の匂いが薄くなった。裏庭に生えかけた雑草が気になり、着替えて草むしりをした。机や棚に薄くのったホコリが目について、あちこち拭いてまわった。
なんやかやと立ちまわって、気がつくと四時を少し過ぎていた。タキは仏壇の前に座り、線香を立てて火をつけると、鈴(リン)を二度打った。澄んだ音が聞こえなくなるまで、タキは黙って目を閉じて合掌した。鈴が鳴り止むと、タキは目を開けて寛雄の位牌を見た。
「おとうさん、寂しくいらっしゃいませんでしたか」
どこからも返事はないが、タキはゆっくりと話し続けた。
「もう四ヶ月になるんですね。おとうさんがいなくなってから。その後は忙しかったですよ、なんだかんだの手続きをしなくちゃいけないとかで。病院へ診察に行くにも合間を縫って行かなければいけませんでしたし」
新しい線香の匂いが煙とともに立ち上っては風に乗って消えていく。
「私の病気が分かってからはどれくらいになりますかしら。二年位かしらね。覚えていらっしゃいますか。トイレの汲み取り屋さんが見えて、『この家に糖尿の人がいませんか』って言われましたねぇ。びっくりするやらおかしいやらで。汲み取り屋さんってお仕事柄、臭いで分かるものなんですって。入院してる人の中に、汲み取り屋さんから指摘された方がもう一人いらっしゃったの」
タキは当時を思い出し、笑みがこぼれた。
「おとうさん、お仕事辞めてから急に肥えてらしたでしょ。私はてっきりおとうさんが糖尿だとばっかり思って。おとうさんが強情に検査は受けないっておっしゃるから、それじゃあ私も受けますから一緒に、って言って。やっとおとうさんに検査を受けさせたと思ったら、本当は私が病気だったなんて。あれも、おかしいやら恥ずかしいやら。病気の怖さもあまり知りませんでしたものねぇ」
ゆっくりと風が吹いて、線香の灰が落ちた。
「『お前百までわしゃ九十九まで、ともに白髪の生えるまで』って、覚えてらっしゃいますか。一義が東京に就職して、弘子が結婚して家を出て行って、家の中が急に寂しくなって。夜中に私がため息ついてたら、おとうさんが寝言のふりしておっしゃってくれたんですよねぇ。実は本当に寝言だったのかしら。あれから三十年、おとうさん、白髪が生える前に髪の毛がなくなっちゃいましたね」
タキは仏壇の脇に置いてある遺影を見た。頭の禿げ上がった寛雄が気難しい顔をして写っている。
タキはもともと人に対して軽口を言う方ではなかったが、寛雄に対してだけはよく冗談を言っていた。冗談というよりは、気難し屋の寛雄をからかうのがタキは好きだった。そんな時、寛雄は怒るでもなく、咳払いをしながら気難しい顔をより一層渋らせ、耳を、髪がなくなってからは頭と耳を赤くするのだった。それが返答に困っている時の寛雄の癖だとタキが分かったのは、結婚してすぐの頃だった。あれから五十年以上がたった今、寛雄は生きていない。タキは二ヶ月も入院して、二人で一緒に過ごしてきた家はその間ずっと閑散としてきたのだ。
なぜだろう、ふと、タキは急に寂しくなった。
(おとうさんよりも、私の方がさびしかったのかも)
「おとうさん、私ね、さびしいですよ」
(こんなこと、言ったことないのに)
「おとうさんがいないと、こんなにもさびしくなるものなんですね。いつも一緒だったし、ケンカしてコンチクショウなんて思ったこともありましたけどね」
いつだったかの大ゲンカを思い出して、ふと笑みがこぼれた。ケンカの理由はなんだったろう、それはもう思い出せない。
「好きとか愛しているとか、今の若い子みたいにはお互い言ったことはありませんでしたけど、私はおとうさんを好いてたんでしょうねぇ。今はちょっと恥ずかしいけど、ちゃんと言えますよ」
(きっと今、おとうさんは耳も頭も真っ赤でしょうねぇ)
そう思いながら遺影を見ると、急に涙が出そうになって慌てて袖で目を拭った。
空はまだ明るいが、もう少しすると病院へ帰る時間になる。知らず知らず病院へ“帰る”という考え方をしている自分を面白く感じたが、裏腹にため息がもれた。そろそろ、戻る準備をしなくてはならない時間だ。
「今日一日くらい、お薬飲まなくても平気ですとも」
誰に言うともなく呟いた。
「病院では毎日ちゃんと言われたとおりの生活をしてるんですもの。一晩くらい、お薬なしでもちゃんと大丈夫にやっていけますよね。明日の朝早くに帰ればそれで済むことですもの。家の片付けも、もっときちんとしないと。こういうのを、若い人たちは無断外泊とか朝帰りとか言うのかしら。一日くらい、無断外泊したって良いですよね、おとうさん」
入院前に片付けたし、さっきもあれこれ整理していたのだから、片付けるものなど何もない。そんな部屋を眺めまわしていると、寛雄の苦りきった顔が思い浮かんで、タキは独りで静かに笑った。
家に入り込んでくる風は湿っているが、徐々に肌寒くなってきた。タキは立ち上がって仏間の窓を閉めた。ふと咳払いが聞こえたような気がして、仏壇の方を振り返った。タキの立つ位置からは、短くなった線香の薄明かりが遺影に反射し、寛雄の耳と頭が赤く見えた。
「そうですね」
(おとうさんがいらしたら、きっと……)
「お前百まで、ですものね、おとうさん」
光の加減か、寛雄の遺影がほんの少しだけ揺れ、タキにはそれが寛雄が頷いたように見えた。
(元気になって帰ってこなくちゃ)
「病院に、行ってまいります」
タキはそうつぶやくと、家中の窓を閉めてまわった。最後に、使ってもいないガスの元栓を確認して、タクシー会社に電話をかけた。
これ、いいなあ。 いきなりの登場だったから、ドキュメンタリーかどうか半信半疑で読み進めたのですが、・・・・。
返信削除実際に傍で見ていたのかと思いながら読んでいましたが、4分の3ぐらいから創作とわかりました。
これ、おばあちゃんが主人公のところがいいですね。 それは、もう、最初からわかるんだ、合掌しながら頷いてしまったと、いうところでね。
それで、第3者による叙景ではなくて、おばあちゃんの思いとセリフで進められているでしょ、生き生きしていますよね。
>・・・・病院に帰る・・・・・・、裏腹にため息がもれた。
この「裏腹に」という言葉、いいですね。 タキさんの思いとパーソナリティと、そして、この物語のテーマまで連想させますね。
>SILVER7さん
削除ありがとうございます。
医学生時代に書いたもので、前のブログでは掲載していたものを引越しさせて、いつか発表しようと思ううちに日が過ぎていき今に至りました。まさかここまで褒めて頂けるとは想像しておらず、非常に嬉しいです。