2013年12月10日

晴れ男、晴れ女は本当にいる

晴れ男、晴れ女という言葉を聞いて思い出すおもしろい実験がある。

被験者に新聞を渡して、「この中の写真を数えるように」と指示する。実は新聞の中には半ページ大で「これを見たと報告した人には1万円あげます」と書いてあるのだが、普段から「自分はツイていない」と思っている人は見つける確率が低く、「ツイている」と考えている人は高かった。(これは他の実験・テストとあわせて以前の日記に書いている

この実験と晴れ男や晴れ女、雨男や雨女はなんとなく似ている。晴れ男・女とは、天気を(自分の都合の)良いほうに解釈する人たちで、自分の行く先々が晴れなら「自分がいたからだ」と思うし、もし雨だったとしても「自分を超える雨男・女がいるんだ」などと考える、あるいはその日のことを忘れる、もしくは無意識にカウントしないで済ます。雨男・女はその逆だ。

上記実験で、自分はツイていると考えているにもかかわらず一万円あげるという文字を見落とした人は、「今回はたまたま運が悪かった」と考えるか、くよくよせずに早々に忘れてしまうか、この実験の結果を「ツイている・いない」というカテゴリに含めないで済ませるかといった心の動きをするんじゃないだろうか。自分はツイていないと考えている人は、やはりその逆だ。

このように、晴れ男も晴れ女も、雨男も雨女も、ツイている人もツイていない人も、身の周りで起きていることはそれぞれ大差がなくて、ただ普段の心のあり方、スタンスが違うだけなのではないかな。

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