一人の不幸な人間は、もう一人の不幸な人間を見つけて幸せになる。文中で二度出てきた、印象的な言葉である。
本書は、単身生活をする重度の筋ジストロフィー患者・鹿野靖明と、彼を支え続けるボランティアたちとを追いかけたノンフィクション。「支え続けるボランティア」とは書いたが、実際には多くのボランティアが入れ替わり立ち替わりしている。卒業や就職でボランティアを続けられなくなった人、鹿野から「もう来るな!」と拒絶された人、自ら立ち去った人。そんな彼らの悲喜こもごもを、これがデビュー作とは思えないような筆力で描いている。ついでに言えば、ノンフィクション作家・森達也を彷彿とさせるようなウジウジ感も良い。
タイトルは、鹿野が夜中にバナナが食べたいと言いだし、買ってきて食べさせたボランティアの呆れと感心が混じり合ったような言葉である。そのボランティア、最初は頭にくるのだが、鹿野から「もう一本食べさせてくれ」と言われたときに、なぜかモヤモヤした気分が吹っ飛んだらしい。「しょうがねぇなぁ」と。
多くのボランティアたちが、始めたばかりのときは「自分は鹿野を支える立場である」と感じるが、徐々に「自らも鹿野に支えられている」という感覚を抱くようになるようだ。うまい言葉が見つからないが、敢えて言うなら「良性の共依存」というところか。家族、友人、学校、職場といったところ以外に加えて、自らの存在意義・価値のある場を見出せるのはきっと幸せなことなのだろう。
生きるということ、他者と関わっていくこと。日常生活ではあまり考えないようなことを、少しだけ立ち止まって振り返るキッカケになった。
本書の主役である鹿野が亡くなったのが42歳、そして、いまの俺が42歳。
良いタイミングで、良い本に出会えた。
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