2018年2月23日

「カウンセリング」を追いかける珍しいノンフィクション 『セラピスト』


『絶対音感』という優れたノンフィクションを著した最相葉月が、今度は心理治療を追いかける。

精神科医療に携わるものとして、あちこちに興味深い話があった。そのうち一つを紹介。

著者は取材のため、自ら心理学を学ぶ大学院に入学した(これは本当にスゴいと思う)。そこで社会人学生たちが冗談交じりに語る「心理3分の1説」。これは、
大学院で臨床心理学を専攻する学生とはどんな人種なのかを観察した結果、大きく三種類に分かれることを発見したという。三分の一はこれまで普通の生活を送ってきた平均的な人、三分の一は過去にうつ病などを克服した経験がある共感性の高い人、残りの三分の一は今病んでいる人。
というものだ。精神科を選ぶ医師にも似たようなところはあるかもしれない。ある大学院生は言う。
「うちのクラスにもいますよ。朝イチで長~いメールが届くんです。そういう場合は深入りせず、できるだけ距離を置くようにしています。なぜ心理の道へ、なんて聞きません。巻き込まれたら大変ですからね」
さて、専門書ではないものの診療のヒントになるような話は随所にあった。それもいくつか引用しながら紹介。
カウンセリングでの話の内容や筋は、実際は、治療や治癒にはあまり関係がないんです。それよりも、無関係な言葉と言葉の“間”とか、沈黙にどう応えるかとか、イントネーションやスピードが大事なんです。
沈黙に耐えられない医者は、心理療法家としてダメだとぼくは思います。
以上は京都大学名誉教授・山中康裕。

本書では、著者が中井久夫先生と行なった絵画療法と対話を「逐語録」として3つに分けて記述してある。その中で、中井先生がこんなことを仰っている。
「絵を描いていると、ソーシャル・ポエトリーといって、たとえば、この鳥は羽をあたためてますねえ、といったメタファーが現れます」(中略)「普通の会話ではメタファーはないでしょう」
俺自身は、診療で例え話を用いる頻度が多いほうかもしれない。
「見つめる鍋は煮えませんから」
「転ばなくなるのを待って自転車に乗る、ということはありえません」
「プロ野球は勝率6割で優勝ですよ」
こういうメタファーや例え話は、直接的な言葉に比べて相手のこころへの「圧力」が弱く、侵襲性が低いのかもしれない。中井先生の言葉を読みながら、そんなことを考えた。

故人である河合隼雄についても取材してあり、中でも『ユング心理学と仏教』という本からの引用に共感した。

この引用前に、一つのエピソードが紹介されている。河合がどんなに分析しても改善しなかった女性に、箱庭療法を勧めたところ、彼女は予想以上に熱中した。河合は「よかった、これで治せる」と予感した。ところが、次回のカウンセリングで箱庭療法に誘うと女性は拒否して、こう言ったのだ。

「この前、箱庭を作ったとき、先生はこれで治せると思ったでしょう。私は別に治して欲しくないのです。私はここに治してもらうために来ているのではありません」

では、なんのために来ているのかと尋ねる河合に、
「ここに来ているのは、ここに来るために来ているのです」
そう答えたというのだ。
クライアントが症状に悩むとき、それを解消することも意味があるし、解消せずにいるのも意味があると思っています。そして、おそらくそのどちらを選ぶかは、クライアントの個性化の過程に従うということになると思います。(中略)私は今はクライアントの症状がなくなったり、問題が解消したりしたとき、やはり喜びますが、根本的には、解消するもよく、解消せぬもよし、という態度を崩さずにおれるようになりました。
こういう悟りの境地にも似た「割りきり」というのはなかなかできるものではないが、心理治療家の一つの到達点と言えるだろう。

参考文献もたくさん紹介してあり、精神科やカウンセリングに興味があるという人は、一読して損はない本。

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