2012年7月4日

王様は裸だと言った子供はその後どうなったか

王様は裸だと言った子供はその後どうなったか
森達也が童話や子ども向け番組を題材にマスコミ論のようなものを語るのだが、ところどころ挿入されるギャグに思わず笑ってしまう、これまでの森の印象とは大きく違う本。特に仮面ライダーの項では吹き出して、テレビに見はまっていた妻がこちらを振り返るレベルだった。


<関連>
見える人
本書を読む前に、俺が『裸の王様』をモチーフとして描いた小説。

2012年7月3日

人を殺すとはどういうことか

死刑に賛成の人も反対の人も、ちょっと読んでみて欲しい。

嘘か本当か分からないが、刑務所で服役中の殺人犯が書いたという本。同じ刑務所にいるのは殺人犯ばかりである。著者が何人かの受刑者らと接して得た彼らの本音に呆れ果てる。
愕然としたのは、反省と言う単語を口に出した時の反応で、ほとんどの人が「変なことを聞く人だ」という表情で私を見ました。
「反省って、事件のでしょう?」
「うん」
「そうだなぁ、やっぱり指紋を残しちゃまずいですよね。あとは、共犯に口の軽いのはダメですね。今回は勉強になりました」
(中略)
一緒にテレビのニュースを見ていると、事件報道がありますが、その際には自分たちの犯行を面白おかしく披露するのは、よくあることでした。
「向かってくるから刺しちゃったよ」
「黙って言うとおりにしてりゃ殺されなくて済んだのに」
「ひいひい言ってやがんだ。助けてくれって言ったって、こっちだってパクられたくないから助ける訳ないじゃん、バカな奴」
「あんな所にいやがって、おかげでこっちはこんな所だ、チクショーめ!」
こんな言葉が洪水のように溢れてきます。
「単に自分が服役したくないから殺してしまったわけだけど、それについてどう考えてるの?」
「うーん、ま、悪いかなと思ってます」
「それだけ?」
「へっ!? それだけとは?」
被害者に対しての気持ちはほとんどありません。ここでは珍しいことではなく、むしろ普通と言えるでしょう。
今回の事件は、深夜人の居住している住宅に盗みに入ったものの、何も目ぼしい物がなく、その腹いせに人が寝ているのを知りながら放火をして4人を焼死させたというものです。
もちろん端から人が寝ているのを知りながら放火したと言えば極刑は免れません。彼は徹頭徹尾「知らなかった」と警察でも裁判でも頑張り、裁判ではその風貌を十分に生かしてしおらしく振る舞い、無期の求刑だったのに有期刑を勝ち取った歴戦の猛者です。
(中略)
「僕は仕事で入った訳です。でも大した物もなく無駄な仕事をさせられました。それが、まぁ……恨みというか腹が立ったんですね。こっちはそれなりの手間をかけて入ったのに何もなく、むこうはグーグー寝ているという状況に無性に腹が立ってきて……。ま、それでやっちゃったんですね」
「あんな所にいやがるから殺されたんだ。まったくざまあみろだ。だけどそれでこっちは無期だぜ。ちっくしょうめ」
こういう言い方に同調して、俺の時もそうだったと話し始める人も少なくありません。
「いい恰好するから殺られるんだ」
「正義の味方ぶりやがって」
「黙って金を出せばよかったんだ」
「勘違いして向かってきやがって」
テレビや新聞のニュースで強盗犯が捕まったのを知ると必ず、「けっ、殺っちまえばよかったのによ。ドジな奴だ」と毒づきます。

人を殺すとはどういうことか―長期LB級刑務所・殺人犯の告白

文章はこなれていて、稚拙ではないが難解でもなく読みやすい。

俺は死刑についても色々本を読んだし、その度に色々と考えてきたけれど、やっぱり死刑は残して欲しいと思う。著者は「執行猶予付きの死刑」があっても良いのではないかと言う。もちろん、その猶予期間中は刑務所での生活となるが、そうしてこそ奪った命に対する反省や贖罪の気持ちが芽生えるのではなかろうか、と。俺はその案に賛成だ。

<関連>
殺人犯への怒りより、まず恐怖を感じて慄く一冊 『消された一家』
死刑
元刑務官が明かす死刑のすべて
彼女は、なぜ人を殺したのか

2012年7月2日

日本人男性が妻に読ませたくない本ナンバー1かも!? 『セックスレスキュー』


日本人男性が妻に読ませたくない本ナンバー1になるんじゃないかというくらい、過激というか、毒気が強いというか……、かといって不快感を抱くかといえばそうでもなく、実になんとも言えない読後感である。
夫婦間のセックスレスに悩む女性および彼女らを対象としたカウンセリング、それから彼女らと肉体関係を結ぶ「奉仕隊」と言われる男性ボランティアを取材対象としたノンフィクションであるが、あまりの内容に「これはノンフィクションを装ったフィクションではないか」と疑いもした。一部引用してみる。

冒頭6ページめに、奉仕隊を束ねるカウンセラーであるキム・ミョンガンの経験談がある。
「マスターベーションをしたらどうですかと、バイブレーターのカタログを見せた。そうしたら、『私は膣にモノを突っ込みたいんじゃないんです!』と怒られましてね」
のっけからこんな感じなのだから、あとは推して知るべし、ではあるが、もう少し引用を重ねよう。
「長い間セックスレスでいた女性は、夫から『女として最低』というレッテルを貼り続けられたようなもの。女性としての自信がなくなっているんです」とキムは言う。
キムいわく、男の人格と教養とペニスは、いずれも歯を磨くように毎日自分で磨かなければならない。人格だけでも教養だけでも、男は磨かれない。
「男の下半身は人格です。人格のない男はちんちんもだめ。人格なきちんちんはただの棒です。海綿体です」と、キムは笑う。 
セックスは食べ物とよく似ていて、ジャンクフードが好きな人も、グルメの人も、小食の人もいるように好みや必要な量は人それぞれ。パートナーの好みとあまりに違い過ぎれば生活しづらい点も同じだ。 
最後に、知る人ぞ知るアダム徳永にも取材してあり、例え話が上手かったので引用。
「キスして、おっぱいなめて、クリトリスを愛撫するのが普通だと思うでしょ? でもそれは違う。女性は全身が性感帯で、ゆっくりと快感のレベルを高めていけばもっともっと深く感じるようになる。37℃の温泉なんて普通ならぬるいと思うが、北極にもっていけば熱湯のように熱く感じる。同じ温度でも状況によって感じ方は違う。それと同じです。のっけから乳首やクリトリスを刺激するのは、上品な日本食のコースで、キムチの山盛りを前菜に出すようなもの。そこで快感の上限が来てしまう」
<関連>
封印されたアダルトビデオ
職業としてのAV女優

<参考>
スローセックス実践入門――真実の愛を育むために (講談社+α新書) 

2012年7月1日

見える人

幼い頃から、聡い子だと言われていた。四歳で近所のパン屋から金の計算を任され、お礼に一日一個の飴玉をもらった。六歳にしてすでに聖書を暗記し、近所の老人たちに頼まれては諳んじた。周囲の大人たちからは神童だ才子だと褒められていた。ところが、七歳を過ぎたあたりから、大人たちの態度に変化を感じるようになった。だんだんと、眼の奥に怯えのようなものが混じり始めたのだ。パン屋の仕事はやんわりと断られた。老人たちは私と目を合わせようとしなくなった。ついには私だけでなく、私の家族まで、徐々に周囲から避けられるようになった。

あの日の話をしよう。私は九歳になったばかりだった。あの日あの時、あの場所で、私にはすべてが見えていた。それなのに、「見える」と言わなかったのは、周囲の空気を察したからだ。見えてはいけない。そう感じた。いや、むしろ、「見えない」と公言したほうが良いとさえ思った。誰のためでもない。自分のために。だから私は、叫んだ。精一杯に、子どもらしい無邪気さを装って。

「王様は、はだかだ!!」

一瞬の沈黙、そして周囲の大人たちのホッとした顔。
「自分たちが王様に言えなかったことを、正直な子どもが指摘してくれた」
そんな安堵?
いいや。
ちがう。
そうじゃない。
「この子にも見えなかった」
そのことが、大人たちを安心させたのだ。これまで馬鹿な大人たちは、幼い私を頭が良いと褒めあげ、天才だと囃し立てた。それからだんだんと私を畏れるようになり、ついには不気味だと疎んじるまでになった。ところが、そんな私にも王様の服は見えないというではないか。大人たちは、私を囲んで談笑した。
この子も普通の子どもなのだ。
ちょっと賢こいだけだったのよ。
ただ勉強ができる、それだけのことじゃないか。
薄っぺらな阿保面で、嬉しそうに大人たちは話していた。そんな大人たちの向こうに見える王様は、怒りで体を震わせていた。見たこともない神秘的な、金色の光りを放つ服に身を包んで。

その日の夜は満月だった。二人の布織職人が生きて見た最後の満月。翌日、二人は広場で処刑された。弟子と称していた男は跪かされ、深いため息をつく途中、あっさりと首をはねられた。痙攣する体から吹き出す血を見て、大人たちは興奮気味に声をあげた。師匠と呼ばれていた男は裸にされ、二頭の馬で左右に引き裂かれた。破れた内臓から漏れ出た糞尿の臭いに、大人たちは顔をしかめ笑った。私は、そんな低能な大人たちを冷やかに眺めていた。

あの日、私は、王様の着た美しい服が見えていたのに、見えないふりをした。そのおかげで、私も、私の家族も、街の一員に戻れた。私は小遣い程度の賃金をもらって、より難しい会計を頼まれるようになった。老人たちからは、また聖書を諳んじてくれと頼まれるようになった。私は安い賃金に子どもらしくはしゃいで見せた。喜んだふりをして聖書を語って聞かせた。ふと目をあげると、パン屋の窓の向こうには、自らの首を抱えた男が立っていた。聖書を聞く老人に混ざって、体の裂けた男が内臓を垂らして座っていた。私は、彼らの姿など見えない素振りで生活し、今や七十歳をこえた。

ほら、今こうして語っている間も、二人はそこで、私をただ無表情に見つめているのだ。どうだ、お前にも見えるか? きっと見えないだろう。そう、彼らは知っているのだ。
私にだけ見える、ということを。
私にしか見えない、ということを。
恐怖?
彼らの亡霊につきまとわれて生きることなど、さして怖くはない。ここで話したとおり、私は見えないふりが得意なのだし、なにより亡霊たちは見えるだけで無害なのだから。そんなことよりも、この街の愚か者たちに囲まれて生き続けなければならないことが、苦しいのだよ、虚しいのだよ。心の中で身悶えしながら生きてきた。彼らの愚かさなど見ないふりをして、安い愛想笑いを浮かべて暮らしてきた。
毎日が苦しい。
生活が虚しい。
こんな私をただただ見続けること。
それが、彼ら二人の復讐なのだろうか。

砂の彫刻師@ハワイ

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