2017年4月14日

看取りについて考えさせられる、そして読む人の死生観や終末期医療観を変えるような良書 『看取り先生の遺言』

精神科医としてターミナルケアに関わらせてもらった経験が数回ある。いずれも癌患者であった。たった数回なので、未熟の域から出ることなく今に至るが、それぞれで考えたこと、得られたことは自分なりにある。ただ、現段階では、それをうまく言語化する自信がない。


終末期患者の在宅医療に尽力した岡部医師が、自ら末期の癌患者となった後、どんなことを考え、どう活動し最期を迎えたのか。ノンフィクション作家の奥野修司が密着し、聞き取ったものを、岡野先生が一人称で語るという形式でまとめてある。

本書を読みながら、知らず知らずのうち、5年前に亡くなった祖父のことを思い出していた。とはいえ、祖父は脳出血でポックリ逝ったので、在宅医療とは無縁だった。それなのに、どうして祖父のことを思い出すのかというと、「死の直前にある人でも、耳だけは最期まで聞こえる」という話があったからだ。祖父は、俺が病院に駆けつけて、呼びかけて、手を握って、30分足らずでスッと逝ってしまった。
「ああ、俺の声が聞こえたんだ、じぃちゃんは安心したんだ」
あの瞬間、深い喪失感が襲ってくる中で、そんな穏やかな気持ちにもなれたのだった。

看取りは、「逝く人」と「遺される人たち」の間における最後の交流である。その交流を、逝く人も家族も穏やかに、恐れや不安なく過ごすことができるためには、どうすれば良いのか。自ら病魔に冒された後も考え、関わり続けた岡部医師による歯に衣着せぬ『遺言』は、読む人の死生観、終末期医療観を変えるはずだ。

2017年4月11日

主体が真逆になる珍しい同音異義語

ツイッターで「ミスリードだ!」といってからまれた時に、どうも相手と話が噛み合わないと思ったら、こちらは「mislead」、向こうは「misread」を意図していたことがある。

日本で「ミスリード」といえば「mislead」、日本語にすれば「誤導」だが、「誤導」はあまりメジャーな単語ではない。いっぽう「misread」は「誤読」を用いることが多いはずで、「誤読」はわりとメジャーだと思う。

「mislead」は発信する側に問題があり、「misread」は読み手の問題である(そもそも文章が悪いケースもあるが……)。

同じ「ミスリード」なのに主体が真逆になるという、珍しくて面白い同音異義語の例。

2017年4月7日

ノンフィクションとしての精神科カルテに想いをはせつつ、プロ野球選手の人生を読む 『ドラフト外 這い上がった十一人の栄光』


プロ野球にはまったく興味がないのに、どうしてこういう本を読み続けるのだろうか?

ふと、精神科医もノンフィクション作家みたいなものだよな、と思う。特に初診時サマリ、入院時記録、退院サマリでは、出身地や兄弟姉妹の有無、学歴、職歴、病歴その他について情報を得て、それらをまとめて記載する。

このとき、淡々と無機質なほうが良いのか、それとも読み手が引き込まれるようなものが望ましいのか。カルテに面白みを持たせる必要はないと思うが、かといって、全員が同じような内容になるテンプレート型のカルテだと、読むほうも退屈だ。このあたりはバランスが必要だろう。面白さを追求するあまり脚色してしまうのは論外だが、患者の人生における「キラリとした部分」を少しでも盛り込めれば、読み手の見方や考え方に良い影響を与えられるかもしれない。

カルテには事実のみを記すべきであり、「カルテで読み手に影響を与える」なんて考えは邪道だ、という意見もあるだろう。だが、多角的な治療のために「カルテを介した良い影響」を手段として用いるのは許容されるのではなかろうか。自分がそこまでの域に達しているとは言い難いけれど……。

本書に出てくる選手たちも、精神科で出会う患者と同じように、それぞれ起伏ある人生をおくっており、そこにひきつけられた。面白い本だった。

2017年4月6日

異世界描写の名手・恒川光太郎による伝奇時代小説 『金色機械』


恒川光太郎が描く異世界は非常に魅力的である。しかも、語り口が三人称からいつの間にか一人称へ移るという独特の文章展開が、読むほうには心地よく感じられる。世界観、ストーリー、そして文章の操りかたの巧さという三拍子がそろった作家である。短編はいずれも読後感がよく、どれもお勧めだ。

本書は、そんな恒川光太郎の長編小説である。時代設定は1700年半ばの江戸時代。これまで読んだ恒川作品とは違い、「人外の異世界」というのは出てこないが、「人外の存在」は出てくる。それがタイトル直球の「金色機械」だ。金色機械どういう類いのものかは早々に明かされるが、ここでは触れないでおく。

決して面白くなかったわけではないが、これまでの恒川ワールドを期待して読むと肩すかしをくらうだろう。敢えて厳しく言えば、見劣りがするという評価すらあり得る。恒川作品は初めてという人なら違和感も落胆もないかもしれないが、どうせなら彼の短編集、それも初期のものを何冊か読んでみて欲しい。きっと本書とは比べものにならないワクワク感を体験できるだろう。

2017年4月1日

ビックリした話

ザラメがこぼれたので、サイクロン式の掃除機で吸い込んだら綿菓子ができた。


4月1日。