2017年4月20日

ハードボイルドな新選組 『黒龍の柩』


新選組副長の土方歳三を主人公にした歴史(伝奇)小説。ラノベほどではないが、わりと会話文が多かった。その会話のやりとりで巧みにキャラづけされていくのは、さすがベテラン小説家。しかし、一部だれとだれの会話か分からなくなるところがあったのも否めない。

カッコに伝奇と入れたのは、明らかに史実ではないと思われる部分、作者の想像力によって描かれた対決もかなり入っていたから。もともと司馬遼太郎の小説のようなものを期待して読んだわけではないので、こういう空想エピソードは大歓迎である。

最後の将軍・徳川慶喜の人物描写は好意的だった。これは、慶喜びいきの読者には嬉しい。近藤勇については若干手厳しい。主人公の土方歳三は、他書ほど才気走った描かれかたはされていない。土方ファンとしては、ちょっと物足りないようにも感じられた。

結末の評価は人それぞれかもしれないが、読後感は良かった。ただ、ハードボイルド作家だからか、全体的にドライである。浅田次郎が描くようなジメジメとしていてこころにグッとくる新選組を期待していると肩透かしをくらうだろう。

2017年4月19日

楽天的なハイディ・古賀の、波瀾万丈な野球人生! 『二軍監督』


プロ野球には興味がない、と言い続けている。先日、川崎宗則がメジャーから古巣のSBホークスに戻ってくるというニュースを見ていたら、妻から「川崎ってどこ出身?」と尋ねられた。「鹿児島」と即答した俺に、妻はあきれ顔で「野球に興味あるでしょ?」と言う。

「いや、野球には興味がないよ。興味があるのは、野球選手や監督なの」

俺にとっての野球は、観るものではなく、読むものである。

今回はハイディ・古賀という野球人についてのノンフィクション。本名は古賀英彦。読売ジャイアンツを3年で解雇され、単身アメリカに乗り込んでマイナーリーグで活躍し、3Aに上がるかもしれないというところで交通事故を起こし……、国際スカウトマンをやったり、アメリカのマイナーリーグで初の日本人監督をやったり、日本のプロ野球チームで通訳の仕事をやったり、二軍監督をやったり……。とにかく波瀾万丈という言葉がピッタリで、それを持ち前の楽天的な性格で乗り越えていく、というか、高い壁に自ら臆せず突っ込んでいく姿に勇気をもらえる。

今後も「プロ野球に興味はない」と言い続けるが、やはり選手・監督に関する本は面白い。

2017年4月18日

みんなに伝えるための被災映像の撮りかた

一年前、地震直後の緊急ニュースを生放送で観ていた。テレビカメラマンが、落ちているものばかりをクローズアップで撮っていてセンスないなぁと思った。視聴者としては、落ちたのがタイルなのか、それともレンガなのかなんてことはどうでもよく、どこから落ちたのか、その建物はどうなっているのか、あるいは広角映像で「どういう場所が危険なのか」を知りたいはずだ。

ボーリング場のでかいピンのオブジェが落ちていた生映像はインパクトがあったが、肝心の「それは元々どこにあったのか」が映されなかった(実は6階建ての屋上から落ちている)。「ないはずの場所にある巨大物」はインパクトが大きく、その反対に「あるべき場所に何もない」映像は一見すると地味だが、実はすごく大切な情報である。震災や事故を撮るとき、カメラマンにはクローズアップだけでなく広角映像もたくさん映して欲しい。崩れた石垣のドアップは衝撃的だが、俯瞰した映像を見ないと全体像がつかめない。イメージがわかない。

放射線科医に関するこんな話がある。胸部レントゲンを読影すると、ほぼ全員が腫瘍を見落とすことはなかった。しかし、片方の鎖骨がないのを見落とされることが多かった。つまり、「ないはずのものがある」は見落とされにくいが、「あるべきものがない」は見過ごされやすいということだ。

目立つところにフォーカスしすぎない、全体像を把握する。これは医療では当たり前。刃物で腹を刺されて腸がはみ出している人をみても、まずは呼吸や意識を確認する。腹に刺さった刃物や出ている腸(「ないはずのものがある」)に気をとられて、「あるはずのもの(呼吸や意識)がない」ことを見落としてはいけない。

それから、報道番組で、九州の地図を熊本中心に切り取って何町がどうのこうのとやっていた。それは確かに近隣住民にとっては大切な情報だが、九州全域や日本地図も適宜出さないと、どの辺りでどんなことが起きているのか全くイメージの湧かない人たちがいるはずだ。被災地域の人や関係者に情報を伝えるのと同時に、被災地には縁もゆかりもない人たちに「他人事ではない」と感じてもらえるような放送を目指して欲しい。そのためには、クローズアップして切り取られた地図だけでなく、広域の地図も出さないといけない。

全体的にクローズアップしすぎな報道と映像を見ながら、これを医療現場でやると患者を救えないな……、と感じたのだった。

2017年4月17日

流行りものを観た、読んだ 『シン・ゴジラ』『この世界の片隅に』


全体的な雰囲気は嫌いじゃないが、いかんせん演技がどうしようもない。ひとまず主な俳優陣の良し悪しは置いておいて、エキストラ(?)とか、レポーターとか、よくこの演技でオーケー出したなぁと苦笑してしまい、まったくもって現実味をもって観られなかった。現実ではありえない話なだけに、逆にそういう細部のリアルさにこだわることで、グッと引き込まれると思うんだけどなぁ。

それから辟易したのはセリフの聞き取りにくさ。うちの子どもたちがうるさいので、セリフがちゃんと聞こえず字幕設定にして観た。しかし、途中で子どもたちが静かになった時でも、あまりきれいには聞き取れないことが多かった。俺が歳をとったからというのもあるかもしれないが、一緒に観た妻もちょっと聞き取りにくいことがあったようだ。現実での会話は演劇のようにハキハキとは喋らないが、だからといってリアルさを追求してボソボソ喋られても、観るほうにはたまらない。「リアルさ」と「聞き取りやすさ」を両立できる人が「名優」なのだろう、きっと。

エヴァンゲリオンのファンであり、ナウシカも好きな俺としては、庵野監督らしい場面や音楽が出たときには、思わず口もとがほころんでしまった。とはいえ、何回も観なおしたい映画ではなかった。



こちらは映画ではなくマンガ。一気読みして、決して面白くなかったわけでもないのだが、正直、映画がこれほどまでにヒットしている理由はいまいち分からない。

2017年4月15日

「安倍内閣を支持しますか?」 政治的なアンケートでは、起案者がニュートラルなことは少なく、それぞれ立場や意図、引き出したい結果がある

ネットで、
「安倍内閣を支持しますか?」
というアンケートがあり、選択肢は、

支持する
支持しない
分からない
政治に興味がない

の四つだった。

一般にアンケートは、質問のしかたや選択肢提示の順番も結果に影響を与える。また、ネットでのアンケートなら、回答者は起案者のプロフィール、政治的な立ち位置、直近の発言からも少なからず何らかの影響を受ける(「起案者は「支持しない」優勢を期待してそうだから、逆張りしてやる」のように)。

このアンケートは集計をリアルタイムで見ることができた。ちなみに、起案者は安倍内閣を支持していない。起案当初は同じ立ち位置側にいる人たちによって「支持しない」が圧倒的に優勢だった。しかし、アンケートの存在が広く認知され出すと、今度は起案者の立場に対する反作用のような形で「支持する」が急伸した。結果そのものより、この流れの観察が興味深かった。

アンケートの質問や選択肢、結果の解釈について、少し書き加えておく。例えば質問を、

安倍内閣を支持できますか?

こういう聞き方に変える。これだけでも結果に少し影響が出るはずだ。また、選択肢を、

全面的に支持できる
全面的には支持できない
まったく支持できない

にしてみる。こういうの「無作為に抽出して電話しました」というテレビアンケートでもやりそうでしょ?

さて、例えばこの結果を上から40%、20%、40%としてみよう。すると、テレビの結果発表はこうなる。

『「全面的には支持できない」「まったく支持できない」が「全面的に支持できる」を20ポイントも上回りました』
と、あたかも不支持が多い印象だ。

しかし、真ん中の選択肢は「一部は支持できる」と言い換えることができる。そういう選択肢に変えた場合、
『「全面的に支持できる」「一部は支持できる」が「まったく支持できない」を20ポイントも上回りました』
さっきと結果の印象が真逆になる。また、「全面的に」や「まったく」を付けたり外したりするのも、結果に影響するだろう。

マスコミのアンケートは、結果そのものより質問内容と選択肢を吟味するほうが、「起案者はどんなん結果を引き出したかったのか」が透けて見えて面白いと思う。