2011年12月3日

ギャング・エイジとの接し方の一考察

医学生時代の小児科レポートに添付したもの。ターミナルケアというテーマからは大きく脱線したが、小学生の患者とはなかなか仲良くなれない友人たちを見ていて、何かのヒントになればと思い書いた。
『ギャング・エイジとの接し方に関する考察』

・ギャング・エイジとは
6歳から12歳くらいにかけて、遊びを通して形成される凝集性の高い集団(徒党集団とも呼ばれる)のこと。4~8人程度の同性・同年代の集団成員からなり、きわめて閉鎖性が高い。役割分担、成員だけに通じる約束やルールが存在し、この中で「われわれ意識」が形成される。後の青年期において親友を形成する基盤となるものであり、集団での活動を通して社会的知識や技能を獲得し、自己中心性を脱し、社会的行動を身につける機会を提供する。

・ギャング・エイジの長期入院
患者同士の友人関係は入退院による入れ替わりが多く、長期入院する児童は凝集性・閉鎖性の高い集団を形成する機会に乏しい。前述の通りギャング・エイジにおける集団での活動は、青年期以降の友人関係や社会生活に影響を与える。したがって、6歳から12歳くらいの児童が長期入院する場合、同性の医師・看護師・その他学生を含めた医療従事者(以下、まとめて医師とする)が積極的に関わりを持つことで擬似的に徒党集団を形成し、社会的知識・技能・行動の獲得、脱自己中心性に貢献することも必要ではないかと考える。

・具体的な接し方
患児の性格と医師の性格によっても異なるだろう。
『相手の目線に立って接する』という方法は無難であるが、医師自身に“子どもの目線に立つストレス”がかかる。さらに、本来“大人”であるはずの医師が“子ども”の目線に立って接する姿は、患児に「自分が子ども扱いされている」という感覚を抱かせる危険性がある。ギャング・エイジにおける徒党集団は同性・同年代で構成されるので、「自分を子ども扱いする大人」は徒党集団の構成員とはみなされないだろう。
そこで、『相手の目線に立たない接し方』を子ども、特に同性のギャング・エイジとの接し方の一つとして提案したい。これは、「自分は大人で、君は子どもだよ」という接し方を意味するのではなく、「自分は大人で、君も大人として扱うよ」という接し方である。これはあくまでも擬似的徒党集団を形成するテクニックの一つであり、本気で患児を大人として扱うというものではない。
具体的な方法を3つ挙げる。

1.子どもと同じ目線に立つときにありがちな“やや高めで、伸ばし気味の声”をやめ、同級生と話すときのトーン、言葉使いで接する。
2.叱らずに、怒る。(仲間同士なのだから、叱るのではなく怒るのが普通だ)
3.褒めず、驚嘆する。(仲間からは「偉いね」と褒められるより、「凄いね」と驚嘆される方が嬉しい)
要するに、自分が仲間同士でやっていることを、相手が子どもだということを認識しながらやるだけである。

・まとめ
患児の児童心理発達に貢献するために擬似的徒党集団を作るのであって、決して躾けや教育をするのが目的ではない。気が合う、合わないといった要素や時間的制約も絡んでくるので、ある特定の医師がすべての患児と擬似的徒党集団を形成するのは不可能である。
より多くの医師がなるべく多くのギャング・エイジ患児と接することで、患児の児童心理発達も促されるし、医師個々人も自分の性格に合った接し方が見つかるのではないかと思う。
班員の一人から、
「叱らずに怒るというのは、逆じゃない?」
と言われた。
確かに、教育論のような本では一般的にそう言われている。しかし、ここで提案・強調したいのは、『擬似的徒党集団形成』は患児を躾け・教育することを目的とはしていない、ということだ。大人と子どもとして良い人間関係が作れたとしても、その子の児童心理発達がうまくいかずに、病院外ではあまり良い友人関係を作れないようになってしまったのでは、「病気は治ったけれど、長く病院にいたせいで……」という結果になりかねない。そんな思いから、自分なりに考えた接し方がこれ。

一ヶ月の小児科実習では、患児らとこの接し方で仲良くなった。結局、最後は個人的に好きで遊んだだけだったが。小学生・中学生・高校生を引き連れて病院内をあちこち行動していたので、班員の一人からは『いちは組』と言われたほどだ。うまく徒党集団が形成されたということか(中学生以上はギャング・エイジとは言わないんだけれど)。

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