2012年1月6日

被災地への医療派遣を振り返る(1)

先日、被災地へ派遣されたときに一緒に仕事をした現地の看護師から贈り物が届いた。チームのコーディネーターであったOさんあてに、たくさんのカマボコと、一冊の本。

今日、カマボコで一杯やりながら、この記事を書いている。

なにから書こうかと思ったが、うん、まずこのカマボコが美味い!!

それはともかく、その看護師の体験談はこんな感じ。
夕方からの準夜勤務に行くための準備をしていたら大きな揺れがあった。津波を警戒し、荷物をまとめようとしたが、部屋中が散乱していてそれどころではなった。かろうじて車のキーだけを見つけ、志津川病院に向かった。

志津川病院近辺は、海に面した平地が広がり、走って遠くの高台に逃げるのはほぼ不可能だ。彼女は避難先として、車で3分の志津川病院を選んだが、結果的にこれが大正解な選択だった。

彼女が病院に着くと、付近の人たちも病院に集まってきていた。3階まで避難すれば大丈夫だと言われ、住民や外来・入院患者らを3階に避難させた。

テレビではジワジワと水位が上がっているように見えるが、現場で目撃した感覚では、一気に水がかぶさってきたらしい。志津川病院を実際に見てみると、4階の窓も一部割れている。3階までの避難では不十分だったのだ。

辛うじて助かった人たちは、4階や5階にある会議室などで過ごした。津波が引いたあと、下に救助に向かった。入院患者の中には、エアマットが浮かんで助かった人もいた。しかし、そういう人たちも全身濡れてしまって、中には低体温で亡くなってしまう人もいた。物資もなく、ただただ見守るしかできなかった。

彼女が穏やかに語る被災体験は、壮絶だった。
そんな彼女から送られてきた本は、写真集だった。


南三陸から 2011.3.11~2011.9.11

ちょっと詳しいホームページ。
「南三陸から 2011.3.11~2011.9.11」佐藤信一 写真集


医局で手渡されて、自分の机で読んだ。津波前、俺の知らない南三陸町、それから志津川が写っていた。涙がにじんだ。いま思い返しても、ふと泣きそうになる。


俺は派遣から戻ってきて、一週間ほど不眠を体験した。被災地にいるときには毎晩のように酒を飲んで熟睡していたのに、帰宅してからは酒を飲んでも眠れなくなってしまったのだ。目を閉じて寝ようとすると、脳裏に瓦礫が浮かんだ。叫び声が聞こえたような気がした。俺の身近な人が溺れている、そんな錯覚にとらわれた。自分が水の中でもがいているような恐怖感が襲ってきた。それは、生まれて初めての、「精神の不調」というものだった。

あのとき不眠症になった俺を、いまの俺は誇りに思っている。理由はうまく言えないが、被災地から帰ってきて眠れなくなる、そんな精神科医なんだよ、俺は。

ところで、カマボコを送ってくれた看護師は、自分の家も流されていた。家族は全員無事だったが、俺たちが派遣されたときにはジャージ姿で、内陸にある実家から車で一時間以上かけて通ってきていた。
「服も全部流されたから」
そう言って、彼女は笑っていた。当然、と言っていいのか分からないが、彼女は無給であった。仕事そのものは、彼女自身のためではなかった。新しい働き口を探して、自分の生活を立て直しても良かったのだ。それでも彼女は、俺たちの診療所へ来てくれた。彼女のおかげで、土地勘のない俺たちも往診をこなすことができた。

そんな彼女が、俺たちにカマボコを送る義理があるのだろうか。俺たちが助けたのは、決して彼女ではない。彼女の家族でもないし、彼女の知人もいなかった。正直なところ、俺たちは行けと言われたから行ったのだ。本音では怖くて行きたくなかったけれど、半ば仕方なく行ったのだ。もちろん、それだけではない。

不謹慎かもしれないが、好奇心だってあった。被災地派遣に選ばれた自尊心もあった。逆に、俺が10日間いなくても当院は大丈夫なんだよねという切なさもあったけれど。そもそも、ボランティアで行ったのではない。その間の給与も出たし、居酒屋で打ち上げする程度の余分なお金ももらえた。そんな俺たちに、彼女からカマボコをもらう権利があるのだろうか。

しばらく考えに考えた。
そして。
いま、ふと気づいた。

そうか。
彼女のほうにこそ、俺たちにカマボコを送る権利があったのだ。
生きていたから。
逃げ延びて、だけど踏みとどまって、地域のために戦ったから。
だから、彼女には、俺たちにカマボコを送る権利があるのだ。
「どうだ、こっちのカマボコ美味いだろう」と。
「写真集が出たんだよ」と。
「南三陸町、忘れるなよ」と。
権利を奪われた多くの人たちに代わって、彼女は自分の権利を出し惜しみせずに行使しているのだ。

そして、俺は、彼女が代表して送ってくれた権利を胃袋に落とす。酒を飲みながら、ネットを見ながら、音楽を聴きながら。
美味い。
美味いんだよ、これが。
歯ごたえも、味わいも、喉ごしも。
そして、それらを堪能するこの空間が美味い。
そう。
そうなんだよ、この最高ともいえる環境。
これが当たり前じゃないと気づくところから再スタート。
あの不眠症の俺からやり直す。
ゴールはない。
俺は俺なりに、精一杯やる。

被災地応援とか、頑張ろう日本とか、そういうの好きじゃない。

じゃ、俺はなにをするのか。


俺は、忘れない。


俺は。


忘れないから。


<関連>
被災地への医療派遣を振り返る(2) ~ センスを問う ~

4 件のコメント:

  1. はるのいちはさん、こんばんは。

    被災地派遣のお仕事、ご苦労様でした。
    被災地の住民として、感謝申し上げます。

    私のブログでもたびたび取り上げましたが、
    3・11では、私の知人も数名津波の犠牲になっております。
    10年来の知人が津波に襲われ、恐怖の中で死んでいったこと
    を思うと、いまだに耐え切れなくなります。

    地域のために戦った看護師さんに感謝です。
    逃げ延びて踏みとどまって、地域のために戦い、これからも
    3・11の貴重な被災体験を多くの人に伝えていってくれる
    ことでしょう。

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  2. カマボコに山葵醤油とか醤油マヨつけて食べるとおいしいですよね。
    おつまみ作るのめんどくさいなー。でも飲みたいなー。って時にはもってこいです。

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  3. >海境惺さん
    亡くなられた知人の方にお悔やみ申し上げます。
    ここに出てきた看護師以外にも、ほとんどの看護師がボランティアでした。
    自分たちも大変な時期だったでしょうに。

    俺は津波の怖さを被災後にしか知りませんが、
    それでも語り伝え続けなければいけないと思っています。

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  4. >あっこ
    おれはマヨネーズオンリーで攻めてみた!!
    美味しかったなぁ。

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