2016年1月8日

決して大げさではなく俺の診療にパラダイムシフトを起こした! 『気分障害ハンドブック』


タイトルが「ハンドブック」なのでマニュアル本をイメージしてしまうが、実際には薬物療法および精神療法に関する啓蒙書である。医師としての心構えを諭すようなところもある。とはいえ、薬物療法に関しては非常に具体的に書いてあるのでマニュアルとしても活用できる。

繰り返すが、マニュアル本ではなく啓蒙書なので、ガミー先生の感情が率直に語られているところもある。たとえば、
リチウムとバルプロ酸を1日2、3回に分けて処方する医師が大多数であるが、嘆かわしいことである。
といった具合だ。

心得として響いたのは、
病には、治療可能なもの、治療不可能なもの、自然に治るものがある。治療不可能なものと自然に治るものは治療してはならず、治療可能なものは治療すべきである。3つを鑑別することこそが、熟練の医術である。
最適な気分安定薬が決まってから主治医がなすべきは、患者のそばにただ居続けることである。
短時間であっても頻回な診察で培われた治療同盟は、それ自体が気分安定薬である。
それから、ところどころに出てくるガミー先生のスパイシーな表現が良い。たとえば、
抗うつ薬+抗精神病薬=「劣化版気分安定薬」
劣化版て(笑)
監訳者の松崎先生とメールでやり取りさせて頂いた際に、松崎先生が「ガミー節(ぶし)が効いている」と仰っていた。まさにそんな感じであるが、個人的には「劣化版」という日本語を採用した翻訳者のセンスも素晴らしいと思う。
うつ状態を呈した12歳の患者の診断が、10年間で双極性障害へと変わる可能性は50%である。発症年齢を踏まえるだけで、コインを投げて診断名を決めたとしても半分の確率で診断が当たることになる。
こういうジョーク(?)も好きだ。

それから、これはガミー先生自身の言葉ではないが、Frederick Goodwinの発言を紹介してある。
「リチウムを使えないか、あるいは使いたくない医者は、双極性障害の治療から足を洗え」
思わず吹き出してしまったが、それは自分自身が「今は」リチウムを使えるからである。駆け出しの頃は、血中濃度の治療域と中毒域が近いからという理由でリチウムにあまり良いイメージがなかった。その後、自殺予防などの効果など知るにつけてだんだんとリチウムへの抵抗がなくなり、上述したように「今は」使えるようになっている。危うく足を洗わされるところであった。そして、その直後の文章には声を出して笑ってしまった。
中毒、身体合併症、血液検査の必要性を不安に思う精神科医には、自らが医師であることを思い出してもらう必要がある。
こういう皮肉っぽい表現も、本書から伝わるガミー先生の臨床哲学が前提にあるので素敵に感じられる。精神科医は、精神科医である前に、まず医師であるべきなのだ。

ガミー節ジョークはまだある。
人工物でなく天然由来だから、という理由で、ハーブ療法のような自然治療を受けたがる患者には、リチウムは岩石に含まれるミネラルであり、元素表に載っている天然の物質だ、と伝えるようにしている。
こう書いたあとの、次の一文。
リチウムよりナチュラルな薬物はそうない。
ガミー先生、どんな顔してこの文章を書いたのだろう。ニヤニヤしていたのかな?(笑) そんな想像すらさせる精神科の専門書はそうない。

またガミー先生は確固たる信念の持ち主であることが読んでいてひしひしと伝わってくるのだが、
判断材料が少ないので私が間違っている可能性もあり
といった謙虚さも持ち合わせており、医師としてだけでなく人としても尊敬できる人物だと思う。
ガバペンチンに関しては、熱狂的になったり落胆したりと、処方する精神科医のほうが躁とうつの波に翻弄されたかのようであった。
こういう言い回しも思わずニヤリとさせられて、読み進めるほどにガミー先生のことが好きになる。


全体を通じて非常に素晴らしく、読むと外来への意欲が高まる本だったが、注意点も一つ。

「金ヅチしか道具を持っていない人には、すべての問題が釘のように見えるものだ」とは、心理学者エイブラハム・マズローの言葉である。また「クリスマスにハンマーをプレゼントされた子どもは、何でもかんでも叩いてみたくなる」といった格言(?)もある。

この本がハンマーになってしまわないように気をつけたい。



これまで、
「診断名より治療が大事。治療内容そのものより、患者がいかに自分の人生と生活を取り戻すかが大切」
という考え方で診療していた。この考え自体は今でも大きく変わらないのだが、本書を読んで、そこに改めて加わったのが、
「一周まわって、やっぱり診断も大事」
ということ。この追加は些細に見えるかもしれないが、俺にとっては大きい。そしてこのパラダイムシフトによって、実臨床で得るところも多くなった。一例を具体的に言うなら、今まで以上に貪欲に勉強する気持ちが高まったのだ。

診断を再考するという目で年季の古い患者をみなおしてみると、どうやらこれは誤診(というより正確には時間経過が症状を明瞭にした)みたいだぞという人たちがチラホラいる。こういう時、
「あなたの診断と治療は間違っていた」
と明言するのは最悪である。また、明言せずとも、いきなり薬を変えるのも良くない。というのも、患者にとって診断名と治療薬の変遷、各時代での主治医との出会いとやり取りは、それ自体が「彼らの人生の一部」であるからだ。引き継いだ患者の「正しい診断と治療」を発見したからといって、患者の歩んできた歴史を軽視するのは医師の傲慢である。臨床医は「一人の人間」に対してもっと謙虚であらねばならない。病気そのものと向き合うのではなく、病気を抱えた人と向き合ったり寄り添ったりするのが良い医師だろうと、今の自分はそう考えている。

2 件のコメント:

  1. いちは先生
    ここには初めましてですがツイッターにリツイートしたmatieです。統合失調症と5年以上誤診され続け、改めての受診で違ってた、と言われたというような事をツイートしましたが、診察室ではさらに、お薬(エビリファイ)も急に飲む必要がないので止めましょうと処方を止められました。確かに私はずっと飲み続けることに対して、前の主治医に疑問を投げかけていたのですが、その先生は私の事を統合失調症だけれども症状の安定した患者として見ておられ、飲み続けなければ悪くなった時にもっとひどい状態になるとか、知能が低下するとか言われ、飲むように説得され続けていました。私は新しいドクターに、「確かに飲みたくはないですが、ずっとそう言い続けられてきたので、今急に統合失調症ではないから飲む必要がないと言われてもちょっと混乱します」と訴えましたが、でもいらないんでしょ、とそっけない返事だけで終わってしまったのですが、先生の今日の記事の最後の方にある、診断名と薬の変遷は患者の人生の一部である、という言葉にとても共感しました。その通りなんです。今まで嫌々ながらも飲み続けてきた歴史を急にひっくり返される不安を医師に分かって欲しかったのです。その後もいろいろありつつも、痛みからくる不安やどうしようもない心の苦しさを持て余して、なんとかお願いして通院させてもらっているような状況ですが、次回の診察日には、今日気付いたその時の思いを伝えてみようと思いました。毎回お薬も通院間隔も、どうしますか?何がどのくらい必要?とか自分で申告させられてその通りに処方箋もらって次回の予約して帰るというような感じですが、それでも続けて会っていればいつか痛みからくる心の辛さを持て余しているという状況をドクターに分かってもらえるのでは、という希望の元に通院していますが、実際何をどう言えばいいのか分からず困っています。
    通院に関してやドクターとの関わり方、その他もろもろで、いつもいろんなヒントをいただいています。ありがとうございます。

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    1. >Matieさん
      お返事遅くなりすいません。

      医者も人間である以上、いろいろな医者がいる、というのは当然です。が、しかし、それが「患者を傷つけて良い」理由にはなりません。ならないはずです。
      「まぁ、医者にもいろいろなやつがいるからね、運が悪かった」
      というのは、患者や家族同士で語ったり慰め合ったりする時に使って良い言葉で、同業者が使うべき言葉ではありません。
      Matieさんの体験談を教えていただき、非常に心苦しく、また暗澹と感じると同時に、まだまだこの国の医療には自分が改善できることが多そうだぞと心意気が高まる気持ちもします。

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