うつ状態などで弱りきっている人に治療の選択肢を提示しても、
「どうして良いか分からない……」
と言われることがある。そういう場合、
「では、こちらで判断します。任せてもらえますね」
と伝え、一時的にパターナリズムを発動させる。
もちろん必要最小限には留める。
パターナリズムをWikpediaから引用すると、「強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして、本人の意志は問わずに介入・干渉・支援することをいう。親が子供のためによかれと思ってすることから来ている」ものである。
医療におけるパターナリズムは悪いほうにばかり言われがちだが、現実には必要な人や場合も少なくない。
心身ともにヘトヘトな人に対して、「患者の選択権と自己決定権」を盾にひたすら決断を迫るのは、溺れている人に「浮き輪? ロープ? 手? 希望の救助方法を選びなさい」と求めるようなものだ。「なんでも良いから、とにかく引き上げてくれ」という状況で、ひたすら救助方法を選択するよう迫るのは残酷である。
とはいえ、溺れている人をやっとこ引き揚げたと思ったら、
「浮き輪じゃなくて、手で助けて欲しかった」
なんて言われて、下手したら訴訟さえ起こされかねず、しかも和解という名の敗北すらあり得るのが、医療者としては辛いところか。
こんにちは、以前ゆうというハンドルネームでコメントしていました。
返信削除興味ある記事でしたので、コメントさせていただきます。
私自身、暮らしの支援の仕事をしています。
「考える」という作業が難しい方。
「考えろ」と言われることがすでに苦痛になるかた…が、
ごく一部ですがいらっしゃるように感じます。
それでも、ご本人に考えてもらいたいという気持ちは支援者としてありますが、
一旦小さく引き上げる。今いる位置から少し移動させて、空気を変えてあげる効果として、
パターナリズムというのは効果がありますね。