2018年6月28日

暴力への正しい向き合いかた 『暴力を知らせる直感の力 悲劇を回避する15の知恵』


副題に「15の知恵」とついているが、いわゆるハウツー本ではない。本書では、暴力そのものについて、暴力をふるうタイプの人間について、そして、そういう人間や危険を見抜く方法や対策について詳述してある。

印象深かった部分を引用していく。

ネットでも話題になることの多い「サイコパス」は、現実に出会うと「魅力的な人」に見えることが多いらしい。この「魅力」について著者はこう語る。
魅力は、勘違いされやすいもう一つの能力である。魅力を能力と呼んだことに注意してほしい。魅力は、人が生まれながらに持っている性質ではないのである。ほとんどの場合、それは人が操る道具なのだ。(中略)魅力には動機がある。相手を魅了するということは、魅力によって相手になにかをさせたり、コントロールしたりすることにほかならない。(中略)「この人は魅力的だ」ではなく、意識してこう言ってみる。「この人はわたしを魅了しようとしている」と。
実に分かりやすい説明で、同じように「親切」についてもこう述べる。
親切と善良はイコールではないと、わたしたちは肝に銘じるべきである。
本書ではDVについても多くのページを割いてある。異論はあるかもしれないが、著者の主張には考えさせられるものがある。
殴られる子どもと同様、殴られる女性も、暴力がやんだときの圧倒的な安心感を経験する。その感情に中毒になる。
この意見に対して「あんたなんかになにが分かる!」と反発を感じる人もいるかもしれないが、著者自身、ひどいDV継父のもとで育ったサバイバーである。
被害者に束の間の平穏を与える。それができるのは、虐待者だけだ。虐待者だけが、被害者に幸福感をもたらすことができる。それは暴力と暴力のあいだにはさまれた一瞬の陶酔感にすぎないが、暴力の程度がひどくなればなるほど、大きく感じられる。
また、著者はテレビやインタビューでこんなことも言う。
「最初に殴られたとき、女性は犠牲者です。ですが二度目に殴られたとき、その女性は志願者です」
これはアメリカでも大いに反発を招くようで、「あなたには虐待の力学がわかっていない」「症候群を理解していない」という反響があるそうだ。これに対して、著者はこう語る。
選択ではないと反論する人には、では女性が最終的に家を離れたとしたら、それは選択ではないのかと訊ねたい。あるいはそれもなにかの症候群で、女性たちは望んでもいないのに家を出ていくのかと。家にとどまることは選択の一つなのだと、女性自身が気づくことが重要だ。そうでなければ、家を離れることも選択の一つだと、なかなか思えないからである。
さらに、女性が暴力に屈したまま家にとどまることが選択ではなく、どうにもならない力学や症候群だとすると、男のほうはどうなるのだろう?(中略)男の行動もまた症候群で、いたしかたのないものだというのだろうか? どんな人間の行動も、過去に原因を求めることができる。だが、それが行動の言い訳になるわけではない。虐待する男たちの責任は、必ず問わなければならない。
ただ、責められるべきなのは男だけではない。責任は双方にある。こどもがいる場合はとくにそうだ。両親とも、こどもをひどく傷つけている(暴力を振るうほうが振るわれるほうよりひどいが、ともに傷つけているのは間違いない)。
実際に大きく傷ついた著者だからこそ分かり、かつ言える言葉だろう。

ストーカーについてもたくさん書いてあり、その的を射た表現が心に残った。
話したくない相手に、十回話したくないと言ったとすれば、それは九回も余分に話しているのである。
ストーカーからの留守番電話へのメッセージを、三十回も無視していられたのに、三十一回目にはとうとうこたえてしまったとする。そうすると、そのこたえの内容がどんなものであれ、相手はあなたを電話口に出すのには、三十回メッセージを無視されることが必要なのだと解釈する。このタイプの男は、どんな接触も前進と受け取る。(中略)
女性がつき合いたくない理由を言うと、それがどんなことであれ、このタイプの男には挑戦目標になる。
400ページ近くある大作で、序盤はちょっとかったるいと感じる部分もあって飛ばし読みしかけたが、途中からは完全に引きこまれ読み耽ってしまった。身の回りの暴力に関心のある人には強くお勧めする一冊。

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