2014年9月30日

コカ・コーラ伝説

1981年、コカ・コーラがソフトドリンク市場でシェア45%を達成した時、浮かれ騒ぐ経営陣に対し、当時のCEO、ロベルト・ゴイズエタはこう尋ねた。
「人間が一日で必要とする水分量は? 世界の人口は全体でどれくらい? それから、ソフトドリンク市場ではなく、飲料市場全体でみた時のコーラのシェアは?」

コーラは2%だった。

こうして、1981年に43億ドルだった同社時価総額は、ゴイズエタが亡くなる1997年に1520億ドルにまで成長した。ものの見方を少し変えるだけで、潜在市場、成長のチャンス、士気といったものを掘り起こすことができるのだ。

余談ではあるが、ベルリンの壁が崩壊した時、現地ではコカ・コーラ社が無料でコーラを配った。テレビ各局は東西ドイツの合併に歓喜する人たちの映像を何度となく発信したが、自由主義の勝利に笑顔で興奮する彼らの手には、コカ・コーラが握られていたというわけだ。こんな広告戦略、凄すぎる。

選択の科学

上記のエピソードは、この本で紹介されていた。それ以外にも残酷だけれど興味深い動物実験の話(とても残酷な動物実験の話をしよう 『選択の科学』)なども紹介されていて、面白い本だった。

<参考>
読んではいないんだけれど、本書で紹介されていた本。
コカ・コーラ帝国の興亡―100年の商魂と生き残り戦略

2014年9月26日

加速度のない物語 『くらやみの速さはどれくらい』


加速度のない物語である。

普通、小説は読み進むごとに、ストーリーと自分の頭が加速していくような感覚になるものだが、本書ではそれがほとんどない。

21世紀版『アルジャーノンに花束を』と言われているようで、確かにそういう雰囲気はあった。ただ、アルジャーノンが加速して減速する物語であるのに対し、これはひたすら一定の速度で進むのだ。

自閉症が治療可能になった近未来を舞台に、自閉症の最後の世代となる35歳男性ルウの一人称視点で描かれる(一部挿話が入るが)。それが「加速度のなさ」に関係しているのだと思う。だったら、つまらないのかというと、その反対で面白いのが不思議だ。Amazonレビューの高さからも、本書の良さが分かる。

ルウはそれなりの困難を抱えつつも、得意なパターン認識を活かして製薬会社に勤務し、フェンシングの趣味をもち、フェンシング仲間の女性に恋心を抱いて生きていた。そんなある日、彼は上司から、自閉症の新しい治療法の実験台になることを迫られる。

分量は多いし、加速しないからじれったいのだが、なぜか魅力的な小説であった。

兵庫の誘拐事件についての違和感

兵庫の誘拐事件について、平成26年9月25日朝の時点で、テレビからの情報のみをもとにして考えると、全体的にかなり強い違和感がある。

犯人は、目撃されないように誘拐し、遺体をバラバラにし、見つからないように遺棄し、しばらくは捜査をかいくぐった。
これはそれなりにレベルの高い行動だ。
それくらいのことができる犯人が、診察券をのこすどころかタバコの吸い殻まで入れるか?

生活ゴミも入っていたという情報も気になる。もし、バラバラにした遺体を入れたすべての袋に生活ゴミがあったのなら、やはり奇妙だ。生活風景を想像すれば分かるが、満杯でないのに何個にも分けて袋にゴミを入れるか? これは情報不足でまだ分からないが。

容疑者は「黙秘します」と言っているそうだが、これがまた違和感。
知的障害の程度にもよるが、警察の取調室で「黙秘します」と言えるレベルの知的障害者が、遺体を入れた袋に診察券や吸い殻を遺すだろうか? 逆に、遺体を入れた袋に診察券や吸い殻を遺すようなレベルの知的障害者が取調室で「黙秘します」なんて言えるだろうか?

だいたい、遺体をバラバラにして入れた袋に診察券とタバコの吸い殻を遺して、「見つけてください」と言わんばかりの行動をとった知的障害者が、この期に及んで「黙秘します」というなど、全体的にまとまりがないではないか。
まとまりのない行動というのは、案外やるのが難しい。パーティゲームに、相手の会話と合わせないというのがある。
「今日は雨だったね」
「これユニクロで買ったんだ」
「昼ごはん美味しかったよ」
「眠いわ」
「寝不足?」
「うん」
はいダメー、みたいな。これはどっちが敗けだか分からないが、とにかく、
「人はまとまりのないことをするのが下手」
である。会話にしろ、行動にしろ。

だから、ここまで全体的にまとまりのない犯行を見ると、どうしても「作為的なもの」を勘ぐってしまう。つまり、誰かが知的障害者をスケープゴートにしているんじゃないかってこと。
罪をかぶせやすそうな知的障害者は、探せば簡単に見つかる。
診察券もタバコも、その気になれば容易に手に入る。容疑者の自宅にもし血痕反応があったとしても、他人から「部屋を貸して」と言われて不用意に貸してしまう知的・精神障害者はいる。

「お前、ちゃんと言うこときかないと刑務所に入れられるぞ」
「オレ、刑務所だけはイヤだ!」
という会話が、実際に刑務所の中であっている。懲役になった人の中には、自分の境遇を把握していない知的障害者もいるのだ。また、
「殺したの?」
「うん」
「怖くなかった?」
「うん」
「でも近所で殺人があったから怖かったでしょ?」
「うん」
「犯人が早く捕まると良いね」
「うん」
みたいな会話も現実にある。
こうしたことを考えあわせて、なんだか変な流れだなと感じてしまう。

<関連>
福祉の網目は疎にして漏らす大雑把、こぼれた人たち 『累犯障害者』

2014年9月22日

ある日の夕暮れに

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家の前の道路から。

2014年9月19日

月と電線

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