市川海老蔵、ブログ“更新しすぎ”批判の声に「許してください」
ブログやツイッターによる「喪ログ」「喪イッター」(俺造語)は、現代における服喪の一つとして認められるべき、実に意義のあるものだ。
最愛の祖父や敬愛する放射線科医長が他界した際には、あれこれと文章を書いた。書くことで気持ちが整理され、思い出が文章として刻まれ、数年たって読み返したときにも「書いて良かった」と思える。
辛いときだからこそ、書いて送信して、書いて送信して、コメントもらって慰められて、癒されて、安心して、でも、ふと気を抜くとやっぱり寂しくなって、切なくなって、つらくなって、また書いて送信して、書いて送信して……。
この行為の、どこに責められるべき部分があるというのか。
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