2019年5月24日

必要な人には、嫌がられてでも必要な治療を施す決意を。不要な人には、求められても断わる勇気を。そして、この二つを見極められる目を。

精神遅滞や発達障害の人が、いじめられた記憶を引きずり、「バカとかアホとか聞こえる」と幻聴様の体験を訴えることがある。本人によく確認すると、声の主は「いじめた人」で、これはフラッシュバック症状のようなものだろう。ところが、これを幻聴と解釈した医師から統合失調症と診断され、無用の投薬を受けていることがある。

中井久夫先生が何かの本でこういうことを書いていた。これはとても印象的な話で、それゆえの功罪があるのではなかろうかと感じる。

精神遅滞の人で、統合失調症と誤診されて無用の治療を受けている人はたしかにいる。そういう人たちにとって、不必要な治療を中止されることは幸いである。しかし、もともと精神遅滞があっても、統合失調症や躁うつ病やうつ病は発症する。

中井久夫先生の言葉に影響を受けた医師が、精神遅滞のある統合失調症や躁うつ病の人の症状を「精神遅滞のせいで心因反応が強く出ているだけ」と考え、減薬や内服中止をすることで、病気が悪くなるというケースもある。こういうのは中井語録の罪のほうだろう。

中井語録のおかげで無用の治療から解放されたという人がいるいっぽうで、必要な治療を受けられなかったり中止されたりする人がいる。決して中井先生のせいではない。それに、中井語録を消化できなかった医師に悪意があるわけでもない。

偉大な人の印象的な言葉は、諸刃の剣なのだ。

このことを思うとき、精神科医になりたてで中井先生に心酔しきっていた自分に、
「あの人は天才だから、マネしようとしないように」
そう釘をさしてくださった師匠Y先生の言葉が思い出される。Y先生は「猿まねに陥る危険性」を指摘されたのだろう。

では、無用の治療をすることと、必要な治療をしないことの、どちらが罪作りなのだろうか。

答えは、どちらも罪作りである。

必要な人には、嫌がられてでも必要な治療を施す決意を。
不要な人には、求められても断わる勇気を。
そして、この二つを見極められる目を。

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