稲川淳二の喋りのままを文章にしてある。これを情感こめて音読して妻に聞かせたが……、あの独特の怖さが出ない。なんでかなぁ、なんでかなぁ、って、考えたんだ。稲川淳二って、実はそんなに滑舌は良くない、なにを言っているか聞き取れないこともあるくらいだ。だから聴くほうは自然と、そう、自然と耳を澄ます、身を乗り出す、集中しなきゃなんないでしょ。それが怖さを引き立てるんだ。良い具合に。で、この本、リビングで読んでたんだけど、ふ、と背中から視線感じて、やだなぁ、いるなぁ、やだなぁって。
怪談集で、まったくの予想外な結末というのは少なく、いわゆる定番という感じだが、いずれもそれなりに「怪」を愉しむことができた。こういう本を読むと、自分の体験したいくつかの怪異を思い出して背筋が寒くなるが、同時に最愛の祖父との思い出がたくさん甦ってきて暖かい気持ちにもなる。この矛盾した反応が我ながら面白いからこそ、年に何冊かは怪談を読むのかもしれない。
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