2017年8月7日

ボケることは哀しく、苦しく、ときに滑稽。若年性アルツハイマーの男性を描いた小説 『明日の記憶』


泣いた。

本書の主人公は若年性アルツハイマー型認知症である。著者の文章が巧みで、徐々に記憶を失っていく感じがよく表現されている。

たとえば、小説の中で主人公がつける備忘録。最初は漢字が多くて誤字もなかったのに、日が経つにつれて漢字が減り、少しずつ誤字が増えていく。特に、文中に誤字を初めて(だと思う)登場させたときの方法が上手い。まず、備忘録で「案外」と書くべきところを「安外」と間違えてしまう。このままだと変だなと思いつつもスルーする読者がいるかもしれない。そこで、その次のページの地の文で「案外」が使われている。読んでいる読者は、まず「安外」を見て違和感をおぼえ、読み進んで「案外」と書いてあるので、「安外」は主人公の誤字だと確信できる。

この備忘録がどんどんと退化していく感じは、『アルジャーノンに花束を』を彷彿とさせる。有名な小説だが、一応おおまかな内容を書いておく。主人公は精神遅滞のチャーリーで、アルジャーノンはネズミの名前だ。アルジャーノンは実験的な脳の手術を受けて、非常に頭の良いネズミになる。この手術を人間で試した第一号がチャーリーだ。チャーリーはみるみる知能が上がる。ところが、ある日を境にしてネズミのアルジャーノンがどんどん退行していき、最後は死んでしまう。それを見て、チャーリーは自らの運命を悟る。これらが「チャーリーの日記」という形式で描かれる。原書で読んだのだが、最初は俺でも分かるような文法や綴りの間違いが多く、精神遅滞の人の英文という感じだった。辞書なしでもスラスラ読めたのに、知能が上がるにつれ内容がだんだんと高度になり、とうとう辞書なしでは読めなくなった。そして、最後はまたどんどん幼い感じの日記に戻っていく。この表現方法には衝撃を受けた。

そういうわけで、『明日の記憶』で用いられた「衰える備忘録」という手法は、特別に目新しいものではなかったが、小説の中でうまく挿入・利用されていた。

ストーリーに関しては多くを書くまい。ラストシーンより、途中のある場面で胸がぐっときた。

認知症小説(?)の隠れた名作には、清水義範の『靄の中の終章』という小説がある。『国語入試問題必勝法』という本におさめられた短編小説だ。また、『吾妹子哀し』も認知症の妻をかかえた夫を主人公にした素晴らしい小説である。



2 件のコメント:

  1. たとえしんどくても読み進めてしまう。

    自分も万が一の時の覚悟って必要だなって感想を持ちました。
    確かにしんどいけど、ちょっと客観的になる自分も
    いたのは確かなんですよね~。

    荻原さんの解説記事を見つけたんですが、どうやら
    「変わることのないひとつの手法で表現し続ける」のが
    才能、なんだとか。
    http://www.birthday-energy.co.jp/

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    1. >日直さん
      >「変わることのないひとつの手法で表現し続ける」
      これは素敵な言葉ですね。
      荻原さんの小説は、「噂」がもの凄くレベル高かっただけに、ついついそれを期待して読んでしまうところがあって、時どき肩すかしを喰らっちゃいます。

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