広島と長崎。原爆を落とされた二つの街について、
「怒りの広島、祈りの長崎」という言い回しがあるらしい。完ぺきに言い当てているわけではないが、言い得ている部分はあるように思う。
広島に原爆ドームがあるように、長崎にも浦上天主堂という遺構があった。戦後すぐの長崎市民の意見は「残すべし」「撤去してほしい」と分かれたようだが、被爆後10年以上はそのまま残されていた。ところが、1958年には撤去されてしまう。本書には当時の写真が何枚か掲載されているが、これは残しておくべきだったのではないかと強く感じさせる。
写真はグーグル検索でも見ることができる。
どうして、こんなに訴求性の非常に高い遺物を撤去してしまったのか。それを徹底的に追及していったのが本書である。著者は、撤去の背後には、原爆を落としてしまったアメリカの後ろめたさや思惑があったのではないかと述べ、そのアメリカに追従してしまった当時の市長へもやや批判的に書いてある。市長にしてみれば反論もあろうが、撤去は大いなる過ちであったと、60年後のいまを生きる俺としては思う。
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