たとえば怪我したり骨を折ったりすると痛い、だからその部分はあまり使わず、全身でかばうような動きになる。そうすることで、そこに外的刺激が加わらずに傷の治りが早くなる。「怪我したから痛い」というより、怪我した場所を使わせないために痛い。痛くなかったら、怪我した場所に気づかずに動かしたり汚したりして治りが悪くなる。
発熱は、体温を普段より高めることで体内の免疫を高めて外敵に対抗する(体温と免疫は関係ないという話もあるが)。下痢や嘔吐も、外敵や異物を早めに排除する機構だ。「倦怠感」は病気の結果に見えるが、「動かないようにして体を休ませるため」とも考えられる。「食欲低下」も、「エサを求めてウロウロする必要がなくなり、ただ休むことのみに集中できる」という機能があるとも言われている。
精神症状も似たようなところがあるはずだ。徹夜してナチュラルハイになった経験のある人は多いと思う。うつ病のときの不眠も、憂うつに対抗するためのナチュラルハイを「体が求めて創り出している」という部分があるのかもしれない。「朝がだるくて夕方が元気」という典型的な日内変動も、多くの精神・身体的な活動を要求される日中に療養させるという説明が一応成り立つ。これはもう完全に空想でしかないけれど、そういうようなことが多少はある気がする。
さて、神田橋先生が似たようなことを書いていたので抜粋・引用する。
悪い作用に対して、自然治癒力は反応という形で抵抗する。出てきている状態象というものはこの反応だから、悪い力とそれに抵抗している自然治癒力とのカクテル。以前に紹介した『人はなぜ依存症になるのか』にも通じる言葉である。
たとえば子どもが独立した。あるいは夫婦別れした。そして独りぼっちになって、寂しくなって、酒を飲んで、アル中になっちゃった。その経過をこういうふうに考えるの。
独りぼっちになった、寂しい。その寂しいのを治療するために、薬として酒を飲む。「寂しい」と、ずっと寝とってもいいけれども、酒でも飲んで、仕事も行って、「何とか酒の力を借りてやっていこう」ということにした。その結果、アル中になっちゃった。
アル中になって人にからむ。からむのは、酒を飲んでもなお癒されない寂しさから、人との関係の中にもう一度戻ろうとしていると考えれば、これもまた一つの自然治癒力で、“人にからむ”という自然治癒力の働きがそこにあるんじゃないか。寂しさを、なんとか癒していこうとする本人の無意識の工夫があるんじゃないか。
Ciao いちはさん
返信削除神田橋先生の話、最高!ですね
すごく面白いし共感します
私も そういう感じですべての身体の状態をいいほうにしかとらないのですよ、笑
それこそ 下痢 オー悪いもん出してくれてお利口だなーと、 熱 が出てもビールス しっかり殺してほしいから死んでも薬なんかで熱下げないし だから私の身体はいつも正常に動いてくれてると思いこそすれ、病気?ってことはあまり考えません
なんかあってもね、所詮肉身ですから、完璧などあり得ないし、仕方ないよね、と
そういうのとも共存しないと、と思ってスルーします
そう考えると一番気楽なのは自分なのです 笑
>junkoさん
削除下痢止め、熱さまし、どれも自分に対しては「本当にキツくて危ない」時にしか使わないようにしています。
ところが患者さんはすぐ薬をくれって言いますね。やんわりと説明しても通じないので、内科に行ってくださいと言うこともあります。
いちはさん 、これってやっぱり社会からの刷り込みなんでしょうね
返信削除製薬会社の宣伝が功を奏したんでしょう
日本にいくと"くしゃんときたら、はいセデス"とか、欧米では信じられない宣伝がたくさんありますもん
こちらも昔に比べると増えてきましたが、、
うちのお嫁さんもすぐ薬、薬、そんなことしてたら身体が免疫作る暇がないじゃんと私はチクリと言いますが、まあ、私のように絶対に薬は使わない。と言うのは、自分の身体で自己責任だからできることなのだと思います
本人が決意して、その決意のもとにやるきゃない。
不安と闘うと言う行為が発生しますからね、、だから
誰かに教えてあげられることでは、残念ながらないのですよね
みんなは私が特別だというけれど、薬で治そうとすることの方が私にはよっぽど特殊です。
>junkoさん
削除刷り込みですね。
しかも、製薬会社が一生懸命に「病気を創っている」という面も確かにあります。特許が切れた薬でも、新しく別の病気への適応取得したら特許が伸びるんです。
俺もほとんど薬は飲みません。明らかに喉の細菌感染で高熱が出たという場合だけ抗生剤を飲むのですが、普段薬を飲まないからか劇的に効きます(笑)